他人のフリみてわがふり直せ的に考えると
身近にいるどうしようもない人は
実は、認知症なのかもしれないってこと。
あるいは、気が狂っているか。
知り合いの子どもは、善悪の基準が怪しい不良だったが
病院で軽度の精神障害があると分かってからは
周りの態度も優しくなって
今は、以前よりもいい子になっている。
奇行を重ねる親父の頭を殴ってしまった息子も
ストレスで気が狂っていたのかもよ。
でも弁が立つ認知症の老人は
絶対に病院に行きたがらないだろうし、
誰も説得できないでしょう。
~~~~~
“奇行”父に追いつめられ…店主を凶行に駆り立てた背景
配信元:
2012/02/05 20:03更新
【法廷から】
法廷がすすり泣きに包まれた。父親の頭を殴るなどして殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた男性被告(53)の裁判員裁判。東京地裁で先月26~30日に行われた審理では、東京・浅草の用品店主だった被告が、繰り返される父親の“奇行”に追いつめられ、最愛の家族に金づちと包丁を振るうまでの経緯が明らかにされた。さらに、父親の行動が「難病」によるものであったことも判明。「病気とは思わなかった…」。病魔に気づかず、招いた悲劇に、被告と家族は悔悟の涙を流し続けた。(滝口亜希)
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記事本文の続き 「どうして普通のおじいさんでいてくれないのかという思いだった」「おやじを楽にしてやり、私も死のうと思った」
27日の被告人質問で、被告は凶行に走った理由をこう説明した。
浅草駅前の商店街で事件が起きたのは、平成23年9月2日の夜。ここで婦人・子供用品店を営む被告は、父親=当時(81)=の頭を金づちで複数回殴った上、首を包丁で切り付けたとして逮捕、起訴された。被告は自らも手首などを切って自殺を図り、気を失ったが、父親が血まみれになりながら自力で近くの交番に駆け込んだため、2人とも救急車で病院へ搬送され、一命を取り留めた。
父親から受け継いだ店を守り、浅草・三社祭の運営にも尽力するなど、地元でも厚い信頼を集めていた「2代目」はなぜ犯行に及んだのか。背景には、かねてから家族を悩ませる父親の行動があった。
検察側の冒頭陳述などによると、父親は21年6月に店の運営会社の代表取締役の座を被告に譲り、引退。しかし、会社の株の過半数を所有していたことなどから、経営に口を出し続けた。そして、引退の約1年後には“奇行”といえるほどの行動が目立つようになった。
父親は、趣味の発明に使う高額な材料を会社名で繰り返し発注した上、「おれが(会社の)代表になって、店をお前に貸すから契約金を持ってこい」と被告に無理難題を要求。さらに、実の娘にあたる被告の妹にも「会社を乗っ取ろうとしている」と言いがかりをつけ、「娘が妻から宝石を盗んだ」として警視庁浅草署に訴えたこともあったという。また、排泄(はいせつ)物の入った袋を家の中につり下げたこともあった。
迷惑行為は隣近所にも及んだ。自転車がすれ違うことさえできない狭い路地に勝手にテーブルを設置したり、飼い犬の糞(ふん)を路上に投げ捨てたことも。証人出廷した被告の母親は「近所の方に会うたびに謝っていた」と振り返った。
23年5月には、迷惑行為を注意した母親の首を両手で絞め、腹部をけるなどして暴行。母親は腰を圧迫骨折するけがを負ったが「内々のことで恥ずかしい」と、警察に被害を届け出なかった。
父親の暴挙を止めるため、家族が本人に代わって財産管理をすることのできる成年後見を申し立てようと、家庭裁判所や司法書士に相談したが、たらい回しにされただけだったという。
こうした状況で、家族がいちるの望みをつないだのが、父親の“隠居願望”だった。父親はかねてから、「千葉の房総に暮らしたい」と希望。このため、被告の妹が家を買い与える代わりに、父親の株を引き取るという話がまとまった。しかし、事件当日になって父親は突然、「あの話はなしになった」と言い出したという。
被告はこの時の気持ちを検察官に問われると「あまりにわがままで…。家族で夢をかなえてあげようとしたのに、もうどうしたらいいのか分からなくなった」と涙ながらに振り返った。
さらにこの日、父親は数時間にわたって被告の後をついて回り「おまえは能なしだ」とののしり続けたという。「もう限界だった」という被告の感情が爆発したのはその晩だった。書斎で一人、パソコンに向かっている父親を見た被告は「また何か迷惑ごとを起こす文章を作っている」と思い、後ろから父親の頭を抱え、金づちを手にした。
そして引き起こされた悲劇。一方、事件で父親も大けがを負って入院したため、この時の検査で「ピック病」を患っていたことが判明した。
ピック病は痴呆(ちほう)症の一種で、脳の前頭葉や側頭葉が萎縮(いしゅく)し、性格が怒りっぽくなる▽同じ言語を繰り返す▽善悪の判断がつかなくなる-などの症状がみられる。若年性痴呆症に多いが、治療法が確立されておらず、診断も難しい「難病」とされる。
病気が判明したことで、父親は退院後に治療施設へ入所。被告の母親が申立人となり、成年後見の申し立ても行った。
被告と父親ら家族は今年1月、都内のホテルで久しぶりの再会を果たしたという。この時の様子を弁護人から問われると、被告は涙を流しながら、後悔の念を繰り返した。
弁護人「父親と面会したとき、あなたの謝罪に対して父親は何と言いましたか」
被告「『これは親子の問題。(自分の)身から出たさびだ』とおやじから言われました」
何度もはなをすすり上げながら、被告が続ける。
被告「私はこんなことをしてしまったけど、やはり私の親なんだなと…。おやじの愛情を感じました」
公判には、被告の母親や長男も証人として出廷。母親は、父親と無理心中するつもりだったことを明かし、「(被告は)家族の犠牲になったんです。私のせいです。私がけがをしたばかりに…。絶対に刑務所にはやりたくありません。よろしくお願いします」と裁判官や裁判員らに泣きながら頭を下げた。それに先立ち、長男も父親をかばう証言をした。
こうした母親や長男の証言について弁護人が「どう感じたか」尋ねると、被告は嗚咽(おえつ)しながら心境を吐露した。
被告「自分のようなばかなおやじを持った長男と、ばかな息子を持った母親が、一生懸命かばってくれる姿はとても辛いです」
弁護人「なぜ事件が起きたと思いますか」
被告「やはり私の心の狭さだと思います。私はそばに行けばののしられると、おやじを避けるようになっていました。私のせいです。もっと話をしていれば、おやじの病気に気づいてやれたんじゃないかと思います」
家族の誰かが、もっと早く病気に気づくことはできなかったのか。裁判員や裁判官からは、こうした疑問が相次いだ。
女性裁判員「お父さんの奇行がエスカレートしていき、病気かもしれないとは思いませんでしたか」
被告「その行動が病気だとは分かりませんでした」
裁判員「病院へ連れて行こうとは思わなかったのですか」
被告「私たち家族が言っても行かない。連れて行きませんでした」
裁判長「お父さんが病気だと思ったことはないんですか」
被告「病気であるという思いはなかったです」
さらに、裁判長が同じ質問を繰り返すと、被告は涙ながらに「逆に病気であってほしいと思っていたのかもしれないです」と返答。しかし、「おやじは口が立つので、やることは滅茶苦茶でも、言うことは筋が通っていたので、病気だと思わなかった」と続けた。
検察側は「被告が被害者によっていかに苦しめられたとしても、殺害すること(しようとする行為)は決して許されることではない」と懲役5年を求刑。弁護側は「被害者の落ち度は重大で、和解もしている」として執行猶予付き判決を求め、近隣住民らの減刑嘆願書も提出した。
そして、30日の判決公判。裁判長は「怒りに任せて衝動的に犯行に及んだことはあまりに短絡的」としつつも「被告のみが(問題を)抱え込み、悩みを深めていった経緯や、反省の態度も考慮し、真摯(しんし)に自己の責任と向き合わせ、家族再生の努力をさせるべきだ」として、懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。
裁判長から「この(事件の)ことは決して忘れないでほしい。今後はあなただけでなく、家族の皆さんでよく話し合ってください」と説諭されると、被告と傍聴席の母親らは何度も裁判員らに頭を下げた。
執行猶予がついたとはいえ、家族にとって、父親の難病という大きな課題はいまだに残されている。皮肉にも法廷で再確認することになった家族のきずなを糧に、再び笑顔で家族が集える日が来ることを期待したい。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/544702/
配信元:
2012/02/05 20:03更新
【法廷から】
法廷がすすり泣きに包まれた。父親の頭を殴るなどして殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた男性被告(53)の裁判員裁判。東京地裁で先月26~30日に行われた審理では、東京・浅草の用品店主だった被告が、繰り返される父親の“奇行”に追いつめられ、最愛の家族に金づちと包丁を振るうまでの経緯が明らかにされた。さらに、父親の行動が「難病」によるものであったことも判明。「病気とは思わなかった…」。病魔に気づかず、招いた悲劇に、被告と家族は悔悟の涙を流し続けた。(滝口亜希)
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記事本文の続き 「どうして普通のおじいさんでいてくれないのかという思いだった」「おやじを楽にしてやり、私も死のうと思った」
27日の被告人質問で、被告は凶行に走った理由をこう説明した。
浅草駅前の商店街で事件が起きたのは、平成23年9月2日の夜。ここで婦人・子供用品店を営む被告は、父親=当時(81)=の頭を金づちで複数回殴った上、首を包丁で切り付けたとして逮捕、起訴された。被告は自らも手首などを切って自殺を図り、気を失ったが、父親が血まみれになりながら自力で近くの交番に駆け込んだため、2人とも救急車で病院へ搬送され、一命を取り留めた。
父親から受け継いだ店を守り、浅草・三社祭の運営にも尽力するなど、地元でも厚い信頼を集めていた「2代目」はなぜ犯行に及んだのか。背景には、かねてから家族を悩ませる父親の行動があった。
検察側の冒頭陳述などによると、父親は21年6月に店の運営会社の代表取締役の座を被告に譲り、引退。しかし、会社の株の過半数を所有していたことなどから、経営に口を出し続けた。そして、引退の約1年後には“奇行”といえるほどの行動が目立つようになった。
父親は、趣味の発明に使う高額な材料を会社名で繰り返し発注した上、「おれが(会社の)代表になって、店をお前に貸すから契約金を持ってこい」と被告に無理難題を要求。さらに、実の娘にあたる被告の妹にも「会社を乗っ取ろうとしている」と言いがかりをつけ、「娘が妻から宝石を盗んだ」として警視庁浅草署に訴えたこともあったという。また、排泄(はいせつ)物の入った袋を家の中につり下げたこともあった。
迷惑行為は隣近所にも及んだ。自転車がすれ違うことさえできない狭い路地に勝手にテーブルを設置したり、飼い犬の糞(ふん)を路上に投げ捨てたことも。証人出廷した被告の母親は「近所の方に会うたびに謝っていた」と振り返った。
23年5月には、迷惑行為を注意した母親の首を両手で絞め、腹部をけるなどして暴行。母親は腰を圧迫骨折するけがを負ったが「内々のことで恥ずかしい」と、警察に被害を届け出なかった。
父親の暴挙を止めるため、家族が本人に代わって財産管理をすることのできる成年後見を申し立てようと、家庭裁判所や司法書士に相談したが、たらい回しにされただけだったという。
こうした状況で、家族がいちるの望みをつないだのが、父親の“隠居願望”だった。父親はかねてから、「千葉の房総に暮らしたい」と希望。このため、被告の妹が家を買い与える代わりに、父親の株を引き取るという話がまとまった。しかし、事件当日になって父親は突然、「あの話はなしになった」と言い出したという。
被告はこの時の気持ちを検察官に問われると「あまりにわがままで…。家族で夢をかなえてあげようとしたのに、もうどうしたらいいのか分からなくなった」と涙ながらに振り返った。
さらにこの日、父親は数時間にわたって被告の後をついて回り「おまえは能なしだ」とののしり続けたという。「もう限界だった」という被告の感情が爆発したのはその晩だった。書斎で一人、パソコンに向かっている父親を見た被告は「また何か迷惑ごとを起こす文章を作っている」と思い、後ろから父親の頭を抱え、金づちを手にした。
そして引き起こされた悲劇。一方、事件で父親も大けがを負って入院したため、この時の検査で「ピック病」を患っていたことが判明した。
ピック病は痴呆(ちほう)症の一種で、脳の前頭葉や側頭葉が萎縮(いしゅく)し、性格が怒りっぽくなる▽同じ言語を繰り返す▽善悪の判断がつかなくなる-などの症状がみられる。若年性痴呆症に多いが、治療法が確立されておらず、診断も難しい「難病」とされる。
病気が判明したことで、父親は退院後に治療施設へ入所。被告の母親が申立人となり、成年後見の申し立ても行った。
被告と父親ら家族は今年1月、都内のホテルで久しぶりの再会を果たしたという。この時の様子を弁護人から問われると、被告は涙を流しながら、後悔の念を繰り返した。
弁護人「父親と面会したとき、あなたの謝罪に対して父親は何と言いましたか」
被告「『これは親子の問題。(自分の)身から出たさびだ』とおやじから言われました」
何度もはなをすすり上げながら、被告が続ける。
被告「私はこんなことをしてしまったけど、やはり私の親なんだなと…。おやじの愛情を感じました」
公判には、被告の母親や長男も証人として出廷。母親は、父親と無理心中するつもりだったことを明かし、「(被告は)家族の犠牲になったんです。私のせいです。私がけがをしたばかりに…。絶対に刑務所にはやりたくありません。よろしくお願いします」と裁判官や裁判員らに泣きながら頭を下げた。それに先立ち、長男も父親をかばう証言をした。
こうした母親や長男の証言について弁護人が「どう感じたか」尋ねると、被告は嗚咽(おえつ)しながら心境を吐露した。
被告「自分のようなばかなおやじを持った長男と、ばかな息子を持った母親が、一生懸命かばってくれる姿はとても辛いです」
弁護人「なぜ事件が起きたと思いますか」
被告「やはり私の心の狭さだと思います。私はそばに行けばののしられると、おやじを避けるようになっていました。私のせいです。もっと話をしていれば、おやじの病気に気づいてやれたんじゃないかと思います」
家族の誰かが、もっと早く病気に気づくことはできなかったのか。裁判員や裁判官からは、こうした疑問が相次いだ。
女性裁判員「お父さんの奇行がエスカレートしていき、病気かもしれないとは思いませんでしたか」
被告「その行動が病気だとは分かりませんでした」
裁判員「病院へ連れて行こうとは思わなかったのですか」
被告「私たち家族が言っても行かない。連れて行きませんでした」
裁判長「お父さんが病気だと思ったことはないんですか」
被告「病気であるという思いはなかったです」
さらに、裁判長が同じ質問を繰り返すと、被告は涙ながらに「逆に病気であってほしいと思っていたのかもしれないです」と返答。しかし、「おやじは口が立つので、やることは滅茶苦茶でも、言うことは筋が通っていたので、病気だと思わなかった」と続けた。
検察側は「被告が被害者によっていかに苦しめられたとしても、殺害すること(しようとする行為)は決して許されることではない」と懲役5年を求刑。弁護側は「被害者の落ち度は重大で、和解もしている」として執行猶予付き判決を求め、近隣住民らの減刑嘆願書も提出した。
そして、30日の判決公判。裁判長は「怒りに任せて衝動的に犯行に及んだことはあまりに短絡的」としつつも「被告のみが(問題を)抱え込み、悩みを深めていった経緯や、反省の態度も考慮し、真摯(しんし)に自己の責任と向き合わせ、家族再生の努力をさせるべきだ」として、懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。
裁判長から「この(事件の)ことは決して忘れないでほしい。今後はあなただけでなく、家族の皆さんでよく話し合ってください」と説諭されると、被告と傍聴席の母親らは何度も裁判員らに頭を下げた。
執行猶予がついたとはいえ、家族にとって、父親の難病という大きな課題はいまだに残されている。皮肉にも法廷で再確認することになった家族のきずなを糧に、再び笑顔で家族が集える日が来ることを期待したい。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/544702/