若者はなぜ生きづらいのか?(3)
ネットワーク化で社会を変革せよ―― 社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(後編)
(1/3)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1005/07/news008.html
世代間対立が広がりつつある中、より良い社会を作っていくためにはどうすればいいのだろうか。社会学者の鈴木謙介氏は「社会を変えたいと思っている人を、10人とか100人とか1000人とか集めて増やしていかないことには、世の中は変わらない」と主張する。
[乾宏輝,GLOBIS.JP]
2030 この国のカタチ
※本記事は、GLOBIS.JPにおいて、2010年5月6日に掲載されたものです。
鈴木謙介さんは、短絡的な楽観論は主張しない。日本の労働人口が確実に減ることを受け止め、可処分所得の大きいシニア世代から、若者への所得移転が必要と説く。市場規模としてもシニア世代のボリュームが大きいため、経済を回していくためにも、「できる限り彼らの資産が市場に流れるように、サービスや経済というものが考えられていく必要がある」と言う。
→若者はなぜ生きづらいのか?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(前編)
→仕事で自己実現ってホントにOK?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(中編)
一方で、企業や家庭がサポートネットワークとして機能しなくなった今、日本が米国のようにギャング化、スラム化しないためには、貧困者に対するセーフティネットをいち早く整備する必要がある。ただハードルは高い。
セーフティネットに税金を使うという発想は、「企業保障だけで生きてきたこれからの高齢者世代にとっては、かなりきつい認識」だからだ。
ただ鈴木さんは若者がネットワーク化していくことで、変革への希望が見いだせると考えている。「社会を変えたいと思っている偉い人を1人作るんじゃなくて、社会を変えたいと思っている人を10人とか100人とか1000人とか、集めて増やしていかないことには、世の中は変わらない」
高齢者層から若者への所得移転をどう進めるのか
関西学院大学准教授の鈴木謙介氏
乾 最後にこの連載のタイトルにもなっている2030年、未来のことをうかがいます。今後、日本をもう少し良い社会に変えていくに当たってカギになるもの、もちろんそれはパッケージでないと無理だよという話になると思うんですけれども、その中でも「ここはカギになってくるんではないか」と思っている点というのはありますか。
鈴木 そうですね。さしあたり最も手堅い指標は、人口ということになります。2030年というのは、新人類世代が70代に入り始める時期なんですよ。日本の中で最後にお金を持っていた世代が、消費から撤退を始める時代なんですね。
また少子化も進みますから、今ちょっと出生率が上がっているといわれていますけれども、日本の人口を増やすにはもう手遅れなので、2030年には確実に日本の労働人口は減少しています。そのことについて考えないといけないことはたくさんあるのですが、ここまでの話との関連で言えば、これから団塊世代や新人類世代が後期高齢人口に入っていく中で、「彼らが持っている資産というものが、社会の中でどのような形で使われるのか」ということはとても大きいと思います。
出生率の推移(出典:厚生労働省)
最近「相続税を100%にしろ」という議論をよく見かけますけれども、「2030年までにそれが実現できるか」というと、「まあ難しいだろう」という気がします。ただ、少なくとも彼らが持っている資産というのは、どこかに流通していかないと日本はやっていけない。例えばその資産が彼らの子どもだけに受け継がれるとなると、貧富の差が広がることになります。だから、できる限り彼らの資産が市場に流れるように、サービスなり経済なりというものが考えられていく必要がある。彼らにきちんとお金を払ってもらえるビジネスを作ること。これがあと20年というスパンではとても大きいことだと思っています。
「それがどういう形になるのか」というのは今のところ見えませんけれども、少なくとも「強制的に法律を作って老人から金を奪え」というよりは、はるかにマシなやり方で、そしてはるかに実現可能なやり方で、彼らから若者に所得を移転する、あるいは財産を移転するということは、不可能じゃないだろうと思うんです。
確かに世代間対立の感覚はじわじわと広がっています。2009年・2010年に映画が公開されたアニメ『東のエデン』なんかはそうですね。実はこの作品の監督で、『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』テレビシリー ズの監督でもあった神山健治さんが、『攻殻機動隊 S.A.C. Solid State Society』の中で描いた話が、ちょっと面白いかもしれません。
攻殻機動隊 Stand Alone Complex公式Webサイト
近未来の話なんですけれども、子どもを持たずに高齢者になってしまった世代が、機械につながれて介護を受けているんですね。でも、もう死んでしまうっていうことで、「彼らの遺産をどうするか」という問題が出てくるんです。老人たちは「自分たちの遺産を国に回収されるくらいなら、誰か特定の人に相続させたい」と考えている。そこに児童虐待を巡る大きな陰謀が絡んできて……というのが話の筋書きですが、ある種のリアリティがありますよね。
考えてみれば、新人類世代が若いころは、「自由が一番」「自己実現が大事」ということで、「DINKS」と呼ばれた子どもなし共働き世帯なんかが注目されました。団塊の世代でも「おひとりさま」が話題になりましたね。
彼らが自分の持つ資産を貯め込むのではなくて、「後の世代のために使いたい」と思うかもしれない。そういう理屈として考えれば、この作品の話は、あながち変な話ではないですね。
一応イメージとしては、1970年代前半生まれの団塊ジュニアが老人になった時という風に作中では提示されているように見えるんですけれども、僕はそれよりもっと早く、新人類世代やその上の世代が老人になった時の話としても読める気がしているんですよ。
日本はギャング化を経ないと成熟できないのか
乾 いわゆる財源問題みたいなものは、「ナショナル・ミニマム(政府が国民に対して保障する最低限度の生活水準)をどう保障していくか」という議論のときに必ず出てきますよね。ただ今は、もう右翼も左翼も、リベラルも保守も、「雇用が流動化するのはしょうがないけど、最低限の貧困に陥らないように保障していこうね」という国家像に一応、収斂(しゅうれん)されつつあるのかなという空気を感じます。財源問題も含めて、この国家像は今後10年、20年で達成されていく1つの社会理想なんでしょうか。
年齢段階別完全失業率の推移(出典:内閣府)
鈴木 うーん……。先ほどの「若者に老人がお金を使いたくなるような環境」という話にちょっと絡んでくるんですが、おそらく高齢者が自分のお金を使いたい若者となると、「國母(和宏・バンクーバーオリンピック・スノーボード男子ハーフパイプ日本代表)みたいなやつにお金を使うぐらいなら、もうちょっと見た目が真面目なやつにお金を使いたい」みたいな話になってしまうんじゃないかと思うんです。
高校無償化だって、「あんな茶髪でズボン腰穿きの奴らのために、なんで税金を使われなければならないんだ」みたいな声が上がりましたよね。そうではなくて、社会の底を支えるというのは、最終的には茶髪のズボン腰穿きの彼らが、職を失ってギャングにならないようにするために必要なんですよ。
子育て支援に関しても同様です。「子育ては親が努力するものだから反対、不要だ」という高齢者の方がいますが、そもそもそうした努力が可能だったのは、核家族で子育てをする消費環境の拡大と、それを購入するための収入見通しがあったからです。
ですが、消費環境が広がる中で、「お金がなくても人の縁で支え合う」という社会資本が失われ、貧しい人でもかつてであればなんとかなった収入があってもやっていけないという社会になりました。
子育ては世代をまたぐ作業なので、対策が遅れるほど大きな影響を後の世代に残します。お金がなくても支え合える社会を作れれば理想的ですが、緊急的に必要なのは、人の縁がなくても子育てができる収入の見通しをつけられるようにすることです。ナショナル・ミニマムを保障するとは、そういうことなんですね。
そのことが認識されるところまで来ないと、ナショナル・ミニマムを税金で保障していくことに対する抵抗感はぬぐえないと思います。特に企業保障だけで生きてきたこれからの高齢者世代にとっては、納得いかない気持ちが強いでしょう。彼らに「もうそれじゃダメなんですよ」ということが分かってもらえるまで、もうちょっとかかる気がします。
乾 一部では、働いても働かなくても最低限の生活を保障するベーシック・インカム制度※が割とすぐ実現するんじゃないかといった論調も出てきているようなんですが、そう簡単にはいかないだろうという感じですか。
※ベーシック・インカム制度……最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で支給するという制度のこと。
鈴木 ベーシック・インカムという制度自体は、いろんな形式が考えられるんですが、「ベーシック・インカムと言えなくもない」ぐらいのシステムなら、割と早くできるんじゃないかと思っています。ただ、ベーシック・インカムって、もうホントに、哲学的に語り出せば止まらないので(笑)、いろんな可能性があるし、世界中でいろんな思想問題として取り上げられていますから、議論はあっていいと思います。
ただ、先ほどの話とも関連するんですが、やはり今の日本社会で、働かなくてもお金がもらえるっていうシステムを、正当化しようと思ったら、実際にやってみせないことには、多分根付かないというのが正直なところです。高齢者の財産が若い人のために必要なのだとしても、政治的な意義、つまり「日本社会のために」という道徳問題にしてしまうと、「日本社会のためにならなそうな奴には配分しなくてよい」という話になってしまうんですね。
ベーシック・インカムの大きな特徴として、ミーンズテストを行わない、つまり、「全員一律に支給するので、受給資格というか、その人がお金をもらうにふさわしい人格や生活態度であるかどうかということを問わない」というものがあります。この点さえ守れればベーシック・インカムを実現する意義はあると思いますが、その道徳的な正当性を問い始めたら、全員が納得するのはずっと先になってしまうでしょう。
かつての地域振興券から始まって、いろんな一律バラマキ政策みたいなものは行われてきているじゃないですか。みんな何のかんの言っても、もらえるとなったらもらっている(笑)。だから、実施に当たっては財源の見通しだけはクリアに説明する必要がありますが、実施の決定そのものには強い政治的意志が必要になるのではないでしょうか。
形式としては完全ではなくていいとは思いますが、2010年代のどこかで、形として「一応ベーシック・インカムと言ってもいいかも」ぐらいのものがスタートすれば、大分認識が変わってくるんじゃないかなと思っています。そういう意味では、中身はある程度妥協してでも、制度としてのベーシック・インカムを、早めに始めてみることっていうのが、1つ大きな変革のきっかけになるだろうなと思います。
モデルとして思想として、いろんなことを考えるのもいいのですが、それと同時に「いかにして早期に実現するか」っていうことについても、ベーシック・インカムに興味を持っている人たちが今後考えていくべき問題なんだろうなと思います。
ネットワークを広げないと、社会は変わらない
乾 今日は長時間ありがとうございました。最後に読者にひと言お願いします。GLOBIS.JPに集まってくるオーディエンスは、割と本気で社会を変えたいと思っている人たちが多いんです。その人たちに向けて鈴木さんからメッセージをお願いします。「こういうところにもっと目を向けてほしい」とか、逆に「こういう時代だけど頑張ってほしい」とかですね。(年代は)20代後半から30代が中心です。
鈴木 うーん、そうですね、何があるかな。まあ、まずその社会変革っていうこと自体は、もうずっと言われているんですよ。もう構造改革だとか政治改革だとかは、数十年ずっと言われている。だから、「何か変えなきゃ」、そして「変わったら何か良くなるんじゃないか」みたいな発想でものを考えるのは、もうやめたほうがいいということですね。
実際、民主党政権も支持率はダダ下がりです。「何か新しいものに変えれば、それで何とかなる」という風に過剰な期待を寄せるのは、裏切られたときの失望感が大きくなるばかり。だからむしろ、「どう変えるのか」っていうことについてビジョンを持っていること。それがやっぱり重要だと思うんですね。
「どう変えたらいいのか」というビジョンを持って、その次には、それを誰か偉い人が上から制度設計すれば変わるっていう考え方からも、脱却しないとダメだろうなと思いますね。
例えば我々社会科学者っていうのは、「政策提言をするのが仕事の一部だ」と言われているんですけれども、例えば僕が何らかの政策提言をするために、何かの委員会に出ていって、ある提案をするとします。でもそれが実現されるためには、まず委員会の報告書をまとめる段階で、1つの「落としどころ」に丸められ、その委員会報告が官僚に読まれ、大臣のところに上がるまでにさまざまな伝言ゲームがあり、最終的に法案になって出てきた時は全然違うものになっている、みたいな(笑)。そういう現実がありますよね。
だからこそ、政策提言と称して言いっ放しの案を書き散らすことに対しては、毒にも薬にもならない話をしている研究者より、はるかに厳しい目で見ていく必要がありますし、それは僕も例外じゃない。ともあれ、そうそう簡単には提案通りの制度なんて実現しない。
じゃあ国会議員、あるいは内閣の一員になって、最も上流のところで制度設計に参加できるようになればいいかというと、上がってくる情報がとにかく膨大で、「どこまでを勘案すればいいのか」という問題に直面する。しかも、国会議員になれる人はそんなにいない。
一番上流を握るとか、政策の実現にかかわりそうなところに参加していくだけが、社会を変える手段ではありません。その手前のところで、例えばその委員会に出るのもそうだし、「委員会に出るよ」って言っている人にTwitterで話し掛けて、「こんなことを言ってくれよ」と投げかけてみたり。
あるいは自分の持っているビジョンを実現するために、自分の仕事をやってみるだとか。
そういうことを通じて、「社会を変えたい」と思っている偉い人を1人作るんじゃなくて、社会を変えたいと思っている人を、10人とか100人とか1000人とか集めて増やしていかないことには、世の中は変わらない。
もちろん今、30代市長なんかが生まれて、新しい世代への期待は高まっています。でもそれは限られたリソースですから。
「普通の人が、普通の生活を維持しつつ、彼ら以外のところで何ができるだろうか」とか、あるいは「自分の力でできることって何だろう」ということを、見失わないでほしい。
そのためにはビジョンを持って、それを実現するために、自分の歩ける範囲内、自分の動ける範囲内で動くこと。「対案を出さなきゃ意味がない」とか、あるいはブログで単に「誰それの言っていることはだめだ」とか書き込んですっきりして終わるだけじゃ、実りがない。「オレは頭がいい、オレは最初から分かっていた、世の中がみんなバカだったんだ」って言っているうちに、そんなことを言っていられる環境すらも失われるかもしれない。
だから少しずつ、自分の範囲内でいいから、変えていく仲間を作って、広げてネットワークにしていくことが大事なんではないでしょうか。
乾 本当に長時間有難うございました。
鈴木謙介(すずき・けんすけ)
関西学院大学准教授。国際大学GLOCOM研究員1976年福岡県生まれ。専攻は理論社会学。インターネット、ケータイなど、情報化社会の最新の事例研究と、政治哲学を中心とした理論的研究を架橋させながら、独自の社会理論を展開している。2005年の『カーニヴァル化する社会』(講談社)以降は、若者たちの実存や感覚をベースにした議論を提起しており、若年層の圧倒的な支持を集めている。
2006年より、TBSラジオで「文化系トークラジオ Life 」のメインパーソナリティをつとめており、同番組は2008年、第45回ギャラクシー賞ラジオ部門において大賞を受賞。2009年からは、NHK教育テレビにて放送の「青春リアル」において、若者たちが語り合う「リアル・タウン」の「町長」として番組に参加している。著書は『サブカル・ニッポンの新自由主義』(筑摩書房)ほか多数。
乾宏輝(いぬい・ひろてる)
GLOBIS.JP副編集長。1979年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、読売新聞東京本社入社。記者として、神戸、川崎、横浜支局で、警察、行政、司法などを担当。阪神大震災遺族取材、JR福知山線脱線事故、新潟県中越沖地震といった災害取材にも携わる。2008年より現職。関心のあるテーマは、ビジネス、社会、メディア、思想、アニメ、ゲーム、浜崎あゆみ、B級グルメ。