どこにも所属して本当に弱くて助けの必要な孤立した人は、その認定をしてもらえない
考えさせられる記事です。↓
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2012年1月13日発行JMM [Japan Mail Media]No.670 Extra-Edition2
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■from MRIC
□ 最終的医師不足議論(医学部新設について)
■ 小鷹昌明:内科医
医師不足に対応するために、医学部への入学者数が増員されている。
現場にいるものとしては、今さら“医師不足”について語る気にもならないし、「増やすか、増やさないか」という対立軸を鮮明にして、医療者同士が自分たちの世界で惨状を訴えたとしても、既に誰の耳にも届かない。是非をめぐって二元論で大合唱する時代は終わった。
今は、医療再生に向けて、一人ひとりが志を同じくする人たちと、地道に、本質の改善に向けて、場を混乱させずに、詭弁を弄せずに、できることを実践していくしかない。
だから私の意見は、「私は、私との協働者と、私の医療を実践するだけだから、はっきり言ってどちらでもいいが、これからの時代を考えれば、少ないより多いくらいの方が、世の中にとってはいいのではないか」という、その程度である。
それは、「医者が多くて困る人は誰もいない」という、極めてシンプルな理由である。
仮に困る人がごくごく僅かにいたとしても、「国会における大切な法案でさえ、過半数を少しでも上回れば決まるわけだし、圧倒的多数の人々が喜ぶのなら、それをしない手はない」という単純な理屈である。
さらに言うなら、医師の仕事というのは難しいことばかりではなく、むしろ、多くの部分が医師免許さえあればできる仕事もあるわけで(検診や予防接種など)、“数”は“質”に匹敵する。
技術的に有能な医師が、軽症患者の診療までカバーしているから現在の医療が破綻しているわけで、“数”が充足されれば、相当な部分で“質”も保証されるということである。
「医師を増やすか増やさないか」、「医学部を新設するかしないか」などの議論は、その程度の認識で構わないと思っている。
このようなことを言うと、「何て認識の甘い奴だ、医師や医学部を増やすという重大な案件を、そんな軽々しい考えで決めるのか」と食ってかかられる識者や医療者もいるであろう。
また、「医師の増員には賛成だが、医学部新設には反対だ」という考えの方もきっとおられるのではないか。
そうおっしゃられる反対論者の、「医学部を新設すれば医師過剰になる恐れがある」と言いながら、一方で、「教員確保のために医師を集めれば、全国の医師不足に拍車をかける」と言っていることの矛盾をどう説明するのか、というつまらない疑問はさておき、賛成の理由が50個あれば、反対の理由も50個あるのが、あらゆる分野での世の習いというものである。
だから私は、医師不足の議論にこれ以上首を突っ込むつもりもないし、日本医師会を批判するつもりもない。
結局のところ、「増員賛成派も反対派も、主張したい本筋は変わらないのではないか」と考察しているだけである。
「医師の増員が少しで済むのか、大幅に必要なのか」と考えているだけの相違で、突き詰めれば、「自分の生活周囲を主体的に考えているか、あるいは、もう少し広い視野で日本全体の医療を考えているか」の違いであって、現在働いている環境によって反応が若干異なるだけである。
正直、医師増員や医学部新設の議論は、その違いだけである。
ただ、医学部新設に対して、「きちんとした医学教育が提供できないために、底辺私大と同程度の学力になってしまい、将来、医師の品格の低下を懸念する」という理由で反対しているのならば、少し異論を唱える。
どの業種でも言えことだと思うが、
“人数”に対して“質”は概ね正規分布する。
医学部を増やせば、なぜ低質な医師(だけ)が増えると言えるのだろうか。
逆に、少数であれば精鋭と、誰が保証できるのであろうか。
教員が充足されていないと、それだけで医師の質は低下するのか?
教員の数と学生の能力とは比例するのか?
明言する。
「そんなことには、けっしてならない」。
その証拠に、1970年代頃の新設医大の増設ラッシュ時に、粗悪な医師が量産されたであろうか。
私の出身大学(関東の新設医大)のことで恐縮だが、また、後輩の私が言うのも大変失礼だが、一期生や二期生の多くは相当に優秀であった。
きっと、限られた教材と限られた人材とで、限定された手探りのリソースの中で、工夫に工夫を凝らして勉強してきたからであろう。一期生であった私の診療科の教授は、「卒業試験に過去問なんかなかったから、朝倉内科学をまるまる一冊読んだよ。必死で勉強した」と語ってくれた。
職員が乏しければ乏しいほど、学生と教員とで一致団結した濃密な学園生活になるのではないか。
一期生や二期生は、「大学の命運は、俺(私)たちの明日の姿にかかっている」と思うのではないか。
指導する教員も、それを全面的に後押しするのではないか。
そして、もちろん、マッチングにおいても大学に残る医師が多いのではないか。
私は、そう思う。
良質な医学教育というのは、教員の頭数だけで達成できるものではけっしてないと感じているし、要は教員の熱意以外にないと思っている。
それは、日頃の私の医学講義に如実に表れている。
教える側のこちらのテンションによって、学生たちの授業態度はガラリと、それこそ180度変わる。
彼らは、教員の“教えようとする臨戦態勢”の多寡を始業後5分間で判断し、以降の授業態度を決める。
だから、講義の冒頭はきわめて重要であり、私は8割の意識をそこに注入する。
具体的に言うならば、教室の最後尾を陣取る学生のところを巡回し、直接質問を投げかけながら、その単位時間に習うことの概要を伝えるのである。
そして、「君らでも理解可能なことを短時間で教えるから、聴かない手はないのだよ」ということを、最初に認識させるのである。
さらに言うなら、講義を飽きさせない“コツ”は、医学的な知識がなくとも、考えれば必ず答えられるような質問をすることである。
たとえば、「重症筋無力症は疲れやすい症状を呈し、そういうところの筋肉部位が初発症状になるのだけれど、キミが、今もっとも動かしている部分はどこ?」というようなことを、想像させるのである
(正解は、手や足といった部位ではなく“眼筋”で、だから複視が初発症状となる)。
私は、常々“発動”というものの力を信じている。
“蟻の理論”を持ち出すまでもないが、人間は、置かれた環境によっては如何様にも変化する。
現場で働いて、いろいろな人と関わり合ってきたからよく解るのだが、「境遇や立場によって、人は、働く意欲や考え方や実際の行動に至るまで結構変わり得る」ということである。
人間は期待され、注目され、勇気づけられることで、潜在能力を発揮することがある。
それは、我が身を考えれば容易に合点がいく。
私のようなボンクラだった人間が、かように物事の本質を探るべく思考を巡らせるようになったのか。
なぜ、神経難病患者の療養支援に乗り出したのか。
この歳になって、医学以外に、どうにも文学や哲学を学びたいと請うようになったのか。
そうしたことは、若い頃の私からは想像もできないことであった。
「“学び”や“関心”といったものが、ある条件下で急に発動する」ということが、人間には確かにある。
子供嫌いだった男性に自分の子供が授かると、人が変わったように可愛がるということがある。
普段は必要以上に子供に関心が向かないように設定されていて、自身の子供が現れると、そこに無類の愛を捧げるようになるというシステムが、人間には備わっている。
そういう人間のデフォルトがあるから、幼児は他人からの強い執着(性癖)から守られているのである。
医学部新設に話を戻す。
おそらく、新設医大で働くことになった教員は、自分の持てる最大の能力を持ってして、診察や教育にあたるのではないか。
むしろ、新設医大は、これからの大学のあり方のロールモデルになるような気がする。
それでもなお、財政的な問題や手続きの問題を指摘する向きもあると思うが、ここではっきりさせなければならないことは、要するに医学部新設は、「医科大学、あるいは大学医学部を創り変える」ということを目指さなければ意味がない。
さらに、それを契機に「医療の仕組み自体も大きく変換させる」という意図を含ませなければなら
ない。
2004年の国立大学法人化以降、大学の運営交付金が削減されてきている。
しかし、既存のシステムで権限を持つ人たちのために、根本的な改革のできない大学も多く存在する。
旧態依然の続く国立大学では、将来潰れる医学部が現れるかもしれない。
近年、そうした病院運営の流れを察知して、特に民間病院の人事などは、大きく変わりつつある。
「とにかく医師が欲しい」という要望から、「こんなスキルを持つ医師に来てもらいたい」とか、「スキルはなくとも、意欲溢れる人間性のある若手医師が必要だ」というような、より具体的な要望が増えてきた。
病院側は、患者にとって魅力的な経営を目指し、医師を前面に打ち立てることで、「カラーを統一していこう」
という意思がある。
有能な医師(専門や認定資格を持つ、内視鏡やカテーテル検査ができるなど)にとって市場は広がっているし、現時点の能力だけではなく、技術を取得したいというモチベーション溢れる若手医師の需要も拡大している。
病院は経営を度外視しては成り立たない。
これは事実である。
だから、投資に値する
医師か、そうでないかが重要なので、その投資の内容は能力でもいいし、スキルでもいいし、もっと言うなら、周りの人間をモチベートできるような人柄でも、将来への向上心でもいいのである。
昨今、転職を繰り返すことで、収入アップやキャリアアップを図っていく行動原理が認知されてきている。
医局の中の縦や横のつながりに囚われずに、独自のルートでライフスタイルの追及をしていく医師が増えている。
専門医を取得するために、学会から指定を受けた認定施設に一定期間勤めたり、自分の専門性を活かせる環境の整っている施設に入職したりしている。
亀田総合病院のように、医師不足の地域の病院が、教育システムを充実させることで魅力ある施設にすることが可能となったし、医師自身もスキルアップのためであれば、地方での就業も厭(いと)わなくなった。
自分プロデュースのために、医療機関を変えていくことの敷居が低くなってきていると感じる。
医学部の新設は、医療サービスを向上させるだけでなく、金と人との流れをより活発化して、経済成長も促す投資効果のきわめて高い産業である。
しがらみのない新設医学部の方が、画期的な人材育成システムも構築しやすい。
大胆な発想を有する教員を集めて、ゼロから医学部を創った方が、これからの社会ニーズに呼応する医師を育てられるかもしれない。
だから、現在大学病院に勤める医師として何が言いたいかというと、「医学部新設は、そうした民間病院に流れる若手医師に歯止めをかけるひとつの起爆剤になるのではないか」ということである。
「大学病院の見直しに寄与するのではないか」ということである。
それまでの大学教員の引きはがしに関しては、一次的なこととして認容するしかない。
さらに、医師増員を不安視する人たちに対しても一言添える。
医療ニーズには際限がないので、そうしたことは杞憂に過ぎないと思われるが、百歩譲って、確かに将来医
師が余った場合に、私たちはどうするであろうか?答えは明白である。
仕事のある場所を求めるか、医療職としての範囲を広げるか、そのどちらかである。
しかし、それが、医師の将来に陰を落とすことになるのか。私は、そうは思わない。
もちろん、「何が何でも都会に住みたい」と願う医師もおられるかもしれないし、「代々住み慣れている、この土地で開業したい」と思っている方もいるであろう。
「過当競争の波に曝されるのではないか」と憂慮されている方もいるであろう。
私とて、これまで通り医師は尊敬され、信頼されたいと思っているし、若干のステイタスを保ちたいとも思っている。
余計な闘争のない社会の方が、暮らしやすいとも思っている。
だから、良い意味において、医師の仕事の裾野を広げることも大切なのではないかと考えている。
これまで通りの仕事に固執しているから競合心が沸き上がるのである。
これまで日本の大学病院医師は、大学運営に関する業務に対して、もの凄くたくさんの時間と労力とをかけてきた。
臨床と研究と教育との3つの業務をこなし、それを美徳と捉えてきた。
しかし、現在それらすべてを遅滞なくこなせる医師が、はたしてどれくらいいるであろうか。
診療に追われ、学会に追われ、講義の準備に追われているのではないだろうか。
余裕というものが微塵もない。われわれは、もっと多くの活動に目を向けなければならない。
日本には、本当に弱い人を助ける仕組みが、実はない。
強いグループに所属している弱い人は、「弱い人」と認定されて保護や援助がまだ行き届くが、どこにも所属しておらず本当に弱くて助けの必要な孤立した人は、その認定をしてもらえない。
もっとNPO団体や患者会、ボランティア団体などと協力して、日本の医療や介護、福祉を底上げしていくべきである。
そういう場所に医師が参入していくと、団体の士気は一気に上昇する。
さらに、これからの高齢化の世の中を考えた場合に、いわゆる“臨床医”ではなく“臨終医”がいてもいい。
不治の病に罹患した人の闘病から臨終、死後まで関わる“おくりびと”的な医療業務である。
生前は、家族も含めた患者に対して診療や病気の相談にのり、死後は納棺師の役割も果たし、さらに、必要に応じて、遺族の立ち直りまでしばらく支援する医療である。
最後は、私の死生観に対する妄想が加わったが、日本の良く悪くも課題先進国において、その課題にひとつずつ取り組んでいくことで、新しいサービスや負荷価値を提供していけるチャレンジングでエキサイティングな分野が、医療には必ずある。
社会にとって医師がその気になれば、やれることはたくさんある。
往診医ひとりいない地域の神経難病患者の支援をしていると、私は痛切にそれを感じる。
血糖値やコレステロール値の正常値をこねくり回して、“ナントカ症候群”というような半病人を大量発生させることで“医領域”を広げることを否定はしないが、そんなことよりも未来に則した医師の仕事はたくさんある。
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【編集】 村上龍
【発行部数】99,605部