頂門の一針ー金正日死去と日本の態度ー西村 眞悟 | 日本のお姉さん

頂門の一針ー金正日死去と日本の態度ー西村 眞悟

金正日死去と日本の態度
━━━━━━━━━━━


     西村 眞悟

19日、11時半からの葬儀に出席し1時間後に退出すると、北朝鮮の金正日死亡の知らせを受けた。

とっさに思ったのは、自然死か否か、日本流に言うならば、畳の上で死んだのか、それとも殺されたのか、である。

列車のなかで死亡したということだから、未だ何ともいえない。

しかし、彼にふさわしいリビアのカダフィーのような死に方ではないらしい。

19日は、金正日死亡によって、夕方からのNHKは、金正日特集番組放送局となった。そのNHKを見て気になったことを書いてから、私の考えを書く。
 
まず第一に、NHKは、金正日追悼調である。哀悼の意を表するのがNHKの報道姿勢らしい。夜7時からのニュースでは出演の男は3人とも皆黒のスーツだ。

その一人の、外務省元アジア局長、元審議官の田中均氏に至っては黒のスーツと黒のネクタイである。彼の経歴を紹介するNHKの映像には、平成14年9月17日の小泉総理の平壌訪問に随行して金正日と握手する田中均氏の写真が写されていた。

この体験が田中氏が、黒スーツと黒ネクタイでNHKに出演する理由なのだが、私には、もう一つ、彼の心根が拉致被害者側ではなく金正日側であることが判った。

何故あの時、日本政府が、金正日が小泉訪朝団に渡した拉致被害者8名の「死亡年月日リスト」を、東京に待機していた拉致被害者家族に隠して握りつぶそうとしたのか、その理由が分かった。

今、外務省の金正日死去の報に接して喪服を着ている連中は、平成14年には、金正日の思惑を受けて、拉致問題を北朝鮮の言う5名生存8名死亡で決着させ終熄させようとしていたのだ。

つまり彼らは、金正日の手下として日本に帰り拉致被害者に接していたのだ。

その後の10月、5名の拉致被害者が日本に帰ってきたが、外務省は、金正日と約束したと言い張って、帰国した5名を10日後には北朝鮮に送り返す方向で動いた。

これも、今日、元アジア局長が喪服を着ていたことで明らかなように、外務省が拉致被害者側つまり日本側ではなく金正日側に立っていたことを示している

次に気になったことは、NHK出演の各論者に、金正日から金正恩に権力が移行すれば、何か日朝和解のチャンスが来るとか、核を放棄する方向に向かうのではないかとか、朝鮮半島に雪解けが来るとかの期待が表面に踊るようになったことである。そして彼らは、我が国から北朝鮮への制裁緩和を実施すべきだとか、さらに援助を開始すべきだとか論じていく。

しかし、北朝鮮では、金日成と金正日が最高権力者であった独裁体制が、金正恩を後継者にしているのである。

西側諸国の政権交代ではないのである。

また、北朝鮮が中共に依存しすぎているので、金正恩に権力が移行する際に不安定化すると期待する傾向もある。

しかし、朝鮮半島に関して押さえておかねばならないことは、この半島の国は、内部が如何に混乱しようとも、他国に完全に依存しているときに安定する、つまり属国化するときに安定するということである。

数百年続いた李氏朝鮮を見るがいい。

朝鮮という国名、さらに現在の韓国の旗、これらは支那の明から与えられたものだ。そして、この時に、半島で一番長く続いた国ができた。

今、北朝鮮が中共の影響下にあるということは不安定要因ではなく歴史的な安定要因なのだ。

そこで私は、NHKで見る範囲では顕れていない考えを書いておく。

金正日独裁体制下で、北朝鮮人民のうち300万人ほどが餓死した。

その中で、軍のみが「盛強国家」の中核として家族を含めて厚遇されている。

そして、北朝鮮は、日本人を拉致し続けてテロ組織を強化しながら、原子爆弾の開発を続けてきた。

このような体制は、北朝鮮の人民の為にも東アジアの為にも日本の為にも、拉致被害者救出のためにも、打倒しなければならない。

よって我が国は、金正日の死去と金正恩への権力移動を北朝鮮体制崩壊の切っ掛けとして利用しなければならないのだ。

その為に、今密かに全力を挙げて制裁を強化すると共に、北朝鮮体制の打倒工作を展開しなければならない。

しかしながら、日本国と家族の救出を待つ拉致被害者にとって不幸なのは、北朝鮮体制の打倒を期すには、最もふさわしくない
北朝鮮寄りの民主党が内閣をつくっていることである。

まことに、無念ではないか。
2011.12.20 Tuesday name : kajikablog



━━━━━━━━━━
北2400万貧民の行く先
━━━━━━━━━━


     平井 修一

金正日というタガが外れて北朝鮮は動揺せざるを得ない。3代目の金正恩
を「偉大なる後継者」と言ったところで、何の実績もない20代のガキに
誰がついていくだろう。北は崩壊するのではないか。

1945年、日本というタガが無くなった朝鮮は南北に分かれた。極真会と
いう空手の団体は創設者の大山倍達、韓国名・崔永宜が亡くなると分裂
した。

<死亡直前の1994(平成6)年4月19日に立会証人5人の下で松井章圭を
後継者とする旨等とした危急時遺言が作成されたが、公証役人がいなく、
妻の智弥子に知らされていなかったことから大きな確認裁判へと発展。

大山が遺言者として遺言事項につき自由な判断のもとに内容を決定した
ものか否かにつき疑問が強く残ると判断されて、1995年に却下された。

大山は極真会館の門弟にとっては何者にも代え得ない絶対無比のカリス
マであった。それゆえにの大山の死は、上位クラスの指導者や大山の遺
族などの間で“極真”の主導権や方向性・商標、そして大山の後継者の
座を巡っての数多くの諍いが繰り広げられる直接の引き金となった。

かくて、大山が作り上げた極真空手は内紛と分裂、さらには大山の“極
真”の正当後継を自認する団体の乱立で現在に至るまで揺れ続けている
>(ウィキ)

朝鮮系の団体はどうもカリスマがいなくなると分裂しやすいようで、S
学会も近くそうなりそうだ。

日本の場合は一旦分裂しても再びまとまる。秀吉というカリスマが居な
くなって関ヶ原、大坂の陣という合戦になっても家康のもとに戦乱に終
止符が打たれて、幕藩体制でひとつにまとまった。

幕府のタガが弱まって起きた幕末の混乱も王政復古の明治維新でまとま
った。

民主主義は選挙というジャンケンポンで後継者を決めるが、北朝鮮には
民主主義はないから、力任せの権力闘争で内紛、内乱、やがては四分五
裂の亡国になるか、軍事同盟を結んでいる中共を宗主国としてまとまる
しかないのではないか。いずれにせよ事実上の北の解体だ。

韓国が北を併合する、あるいは南北を統一することはありえないだろう。
2400万人の経済難民を5000万人の韓国が受け入れたら韓国経済は破綻し
かねない。韓国人2人で北の難民1人を支えるというのは現実的ではない。
13億人の中共なら50人で難民1人を支えるから余裕で吸収できる。

1990年に西ドイツは東ドイツを編入・併合したが、人口は東の1600万人
に対し西は6300万人。西ドイツ人4人で東の1人を支えたことになるが、
それでもドイツ経済は永らく疲弊した。毎年8~9兆円、20年間で150兆円
ほどもかかるのだから統一利益よりも統一損失のほうが大きいという論
もある。

それでも韓国は北朝鮮と統一すべきだという主張はある。

<統一費用などあらゆる問題があるが、歴史はドイツの統一が分断より
良かったことを雄弁に語る。統一後ドイツはヨーロッパで最も強力な経
済大国に浮上した。

エコノミスト誌は2010年3月、「ヨーロッパのエンジン」という題名でこ
う報じた。

「一時、ドイツは“ヨーロッパの病人”と呼ばれた。しかし、今は“ド
イツの奇跡”と呼ばれる。赤字に苦しむ南ヨーロッパの国々と違って、
財政赤字の規模3.3%。ドイツがヨーロッパを護る大きな存在になったこ
とを示す。実際、EUのギリシャへの救済金融(1100億ユーロ)の時、最
も多い28%を負担した国家がドイツだった」

ドイツの統一を導き出したコール首相は備忘録でこう書いている。

「1990年に約1150億マルクの統一費用を使えば1994年まで統一を完成で
きると期待した。ところが1996年まで7200億マルクを使った。しかし、
このように多くの費用が必要なことを事前に分かったとしても統一は推
進されただろう。統一の遅延による費用がもっと大きかったはずだから
だ」

ゴールドマンサックスは2008年9月、「統一韓国の対北リスクについて」
という報告書の中でこう予測した。

「韓国が統一されれば、30~40年内に国内総生産がフランスとドイツ、
さらに日本を追い越すだろう」

大韓民国の前には今、費用を恐れる分断・没落か、費用という迷信を克
服した統一・成就かという二つの選択がある」(金成?「現代コリア」)

東西統一前の西ドイツは一流の経済大国だったが、ウォン安の韓国はそ
れとは程遠い。夜郎自大で夢を見るのはいいけれど、2400万もの生活保
護者、貧者の群が怒涛のごとく南へ押し寄せるという現実を見ることも
必要だ。南北統一で韓国も没落することは間違いない。

韓国が自爆するのは勝手だが、玉突きで日本にも難民が来るだろうから
近所迷惑だ。軽挙妄動することなく、くれぐれも自重をお願いしたい。



☆マスコミが北朝鮮の異変に集中するなか、中国華南にも異様事態が発
生中!


「出来の悪い2代目独裁者」
━━━━━━━━━━━━━


        黒田 勝弘

金正日総書記「功」見当たらず 国民飢えさせた

2世独裁者・金正日総書記も父・金日成(1994年死亡)と同じく国民に
十分な食を与えられないまま死去した。親子合わせ63年間の“鉄拳統治”
の下、核とミサイルの開発には成功したが国民は貧困から抜け出せず、
まともな国家としてついに浮上できなかった。

国家指導者の死に際して人物評には「功罪相半ばする」との形容句がよ
く付くが、故金正日総書記には「功」が見当たらない。

48年の建国以来、最大の国家目標であり国民への約束だった「米のごは
んと肉のスープ」を最後まで国民に提供できなかった。国民を飢えさせ
たのでは、他にどんな成果があったとしても指導者としては失格である。

国民の多くがひもじく疲弊するなか、金正日父子だけが肥満体というそ
の姿が、金正日体制の悲劇を象徴している。

金正日総書記は国民に対し自らを父に似せ「将軍さま」と呼ばせた。
「偉大な領導者(指導者)」「21世紀の太陽」などと崇拝させ国民を服
従させた。残ったのは父以上の超独裁体制であり、金総書記は「出来の
悪い2代目」に終わった。

「息子・金正日」の最大の失敗は父の死後、父の失敗を批判、否定でき
ないまま“変化”を拒否したことにある。

北朝鮮の閉鎖的な社会主義独裁体制は金日成時代にすでに行き詰まって
いた。国民に自由を許さない極端な計画経済で経済は破綻し、国民はヤ
ル気をなくしていた。金正日体制スタート後の大量飢餓はそのツケだっ
た。

90年代に入り、それまで北朝鮮を支えてくれたソ連・共産圏が“変化”
を目指して崩壊し、東西冷戦体制が無くなったにもかかわらず、金総書
記はその「歴史の流れ」に独り背を向けた。

彼にとって94年の父の死は、父の時代を“失敗”として総括し、それま
での閉鎖的な社会主義独裁体制を手直しするチャンスだった。国民に希
望を与え新しい「金正日時代」に踏み切ることも可能だった。すでに改
革・開放で経済的に成功しつつあった中国のお手本も、すぐそばにあっ
た。

しかし彼は「変化より守り」を選択した。父の死を、“過去”を否定し
た新たな発展のきっかけになるとは判断せず、逆に「偉大な父」の不在
による体制の危機と思った。危機感からは「守り」の姿勢しか出てこな
い。

企業でもカリスマ(神格性)のない2代目社長の場合、不安感から新し
いことや変化には踏み切れず、ひたすら守りに入って企業を衰退させ、
つぶすことがよくある。北朝鮮の場合、先代は負債だけを残し亡くなっ
たため、2代目はなおさら苦しく不安が強かった。

その一つの突破口は中国式の変化だったが、中国式の改革・開放では外
から「自由の風」が吹き込み、自らの独裁体制が揺らぐと恐れた。

逆に父の誕生日を「太陽節」とたたえ、その誕生年を「主体元年」とし
て年号を制定するなど、父親崇拝で父と一体化することで自らと体制を
守ろうとした。

カリスマ不足で父親コンプレックスの金総書記は「守り」を選択するこ
とで失敗を繰り返したが、“父・金正日”は3代目にどんな“帝王学”
を授けたのか気になるところだ。(ソウル駐在特別記者)

産経新聞 12月20日(火)1時22分配信




━━━━━━━━━━━━
外国弔問団を受け入れない
━━━━━━━━━━━━


        古澤 襄

韓国の中央日報によれば、金正日総書記の葬儀には外国の弔問団を受け
入れないとみている。1994年の金日成主席死去の時も、海外からの弔問
を受け入れないとの立場を表明しているからである。閉鎖的な情報鎖国
の国らしい。

<北朝鮮は19日、金正日(キム・ジョンイル)総書記の葬儀に外国の弔
問団を受け入れないと明らかにした。息子であり後継者の金正恩(キム
・ジョンウン)党中央軍事委員会副委員長を筆頭に232人に達する葬儀委
員が中心になり葬儀を行うということだ。

これは1994年の金日成(キム・イルソン)主席死去の時と似ている。北
朝鮮は当時も海外からの弔問を受け入れないとの立場を表明した。

専門家らは、北朝鮮の一次的な目的は北朝鮮を外部世界との接触から遮
断することと見ている。外国の弔問使節が来れば閉鎖的な北朝鮮社会内
部の弱さが露出し手のほどこしようがないほど揺らぐ可能性が大きいと
いうことだ。

さまざまな国から多様な規模の弔問団が来る場合には統制するのが難し
いという管理上の問題もある。ただし北朝鮮は金日成死去当時、在外同
胞らの要請により弔問団を受け入れると翻意したことがある。韓国文化
財団のパク・ボヒ総裁が当時弔問に訪れた。

今回もそうした可能性があるというのが北朝鮮専門家らの分析だ。北朝
鮮で神と見なされる金日成・金正日父子の死に接した外部の「要請」に
勝てず弔問団を受け入れることにしたという形で宣伝できるためだ。

すでに中国とロシアなど友好国が弔電を送り弔問の可能性を打診してい
るという。


統一研究院のチョン・ヒョンジュン専任研究委員は、「北朝鮮が2日後
に金正日死去を知らせたのは、その間に金日成死去当時の前例を調べ十
分な準備をしたという意味。今回も外部の要請に勝てず弔問客を受け入
れたという形で金正日を神格化する可能性がある」と分析した。

北朝鮮が海外弔問客を受け入れる側に方向を変えれば弔問と関連して韓
国の葛藤が再演される可能性が提起されている。現代グループの鄭周永
(チョン・ジュヨン)名誉会長と、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領、
金大中(キム・デジュン)元大統領が死去した際に金正日が弔花と弔問
団を送っただけに、今度は韓国も弔問団を送らなければならないという
声が出ている。

しかし保守団体のライトコリアは声明を通じ、「韓国政府は北朝鮮に弔
問団を送る考えをわずかでもしてはならない」と主張した。(中央日報)
>2011.12.20 Tuesday name : kajikablog



━━━━━━━━━━━━━━━━
<金総書記死去>発表まで51時間半
━━━━━━━━━━━━━━━━


          西脇 真一

…指導層の動揺鎮める?

【ソウル西脇真一】北朝鮮の報道によると、金正日(キム・ジョンイル)
総書記(69)が17日午前8時半に死去してから19日正午の発表までに51
時間半かかった。

94年7月に死去した父、金日成(キム・イルソン)主席のときの約1・5倍
の時間だ。今回の発表で、北朝鮮はこれまで金主席と金総書記にしか
使わなかった「領導者(指導者)」という言葉を後継者の三男、正恩氏
に初めて使用。「死去から発表までの間にも最後の権力固めが続き、時
間も必要だった」との見方も出ている。

ラヂオプレスによると、金主席は94年7月8日午前2時に82歳で死去し、
翌9日正午に「訃告」の特別放送で発表された。発表まで34時間だった。

当時は「国家葬儀委員会」の名簿や「心筋梗塞(こうそく)」だとする
病理解剖検査に基づく「医学的結論書」などが発表された。「発表内容
の構成は今回とほぼ同じ」(ラヂオプレス)

しかし、17時間半の差がついた。金主席は北朝鮮中部の景勝地、妙香山
で死去したとされるが、金総書記は「現地指導の途上」とだけ明かされ
場所は不明だ。

このため、遺体の搬送に時間を要したことも考えられるが、ソウルのあ
る外交筋は「死後の権力闘争や、指導階層の動揺を鎮める作業に時間が
かかった可能性もある」と指摘する。

後継者に指名されてから20年の歳月をかけてトップに就いた金総書記と
違い、正恩氏は若く対外デビューも昨年で、権力基盤はまだ弱いとみら
れる。

また、ラヂオプレスによると今回初めて「わが党と軍隊と人民の卓越し
た領導者」と正恩氏を紹介。領導者は最高首脳を表し、この外交筋は
「こうした用語の使用をめぐっても議論が続いたかもしれない」と言う。

死去の報道があったこの日のうちに、朝鮮中央通信は「金正恩同志の領
導に従う」という平壌市民らの言葉も伝えており「正恩氏をもり立てる
準備にも時間が必要だった可能性がある」(ラヂオプレス)。

毎日新聞 12月19日(月)21時6分配信
━━━━━━━━━━
北2400万貧民の行く先
━━━━━━━━━━


     平井 修一

金正日というタガが外れて北朝鮮は動揺せざるを得ない。3代目の金正恩
を「偉大なる後継者」と言ったところで、何の実績もない20代のガキに
誰がついていくだろう。北は崩壊するのではないか。

1945年、日本というタガが無くなった朝鮮は南北に分かれた。極真会と
いう空手の団体は創設者の大山倍達、韓国名・崔永宜が亡くなると分裂
した。

<死亡直前の1994(平成6)年4月19日に立会証人5人の下で松井章圭を
後継者とする旨等とした危急時遺言が作成されたが、公証役人がいなく、
妻の智弥子に知らされていなかったことから大きな確認裁判へと発展。

大山が遺言者として遺言事項につき自由な判断のもとに内容を決定した
ものか否かにつき疑問が強く残ると判断されて、1995年に却下された。

大山は極真会館の門弟にとっては何者にも代え得ない絶対無比のカリス
マであった。それゆえにの大山の死は、上位クラスの指導者や大山の遺
族などの間で“極真”の主導権や方向性・商標、そして大山の後継者の
座を巡っての数多くの諍いが繰り広げられる直接の引き金となった。

かくて、大山が作り上げた極真空手は内紛と分裂、さらには大山の“極
真”の正当後継を自認する団体の乱立で現在に至るまで揺れ続けている
>(ウィキ)

朝鮮系の団体はどうもカリスマがいなくなると分裂しやすいようで、S
学会も近くそうなりそうだ。

日本の場合は一旦分裂しても再びまとまる。秀吉というカリスマが居な
くなって関ヶ原、大坂の陣という合戦になっても家康のもとに戦乱に終
止符が打たれて、幕藩体制でひとつにまとまった。

幕府のタガが弱まって起きた幕末の混乱も王政復古の明治維新でまとま
った。

民主主義は選挙というジャンケンポンで後継者を決めるが、北朝鮮には
民主主義はないから、力任せの権力闘争で内紛、内乱、やがては四分五
裂の亡国になるか、軍事同盟を結んでいる中共を宗主国としてまとまる
しかないのではないか。いずれにせよ事実上の北の解体だ。

韓国が北を併合する、あるいは南北を統一することはありえないだろう。
2400万人の経済難民を5000万人の韓国が受け入れたら韓国経済は破綻し
かねない。韓国人2人で北の難民1人を支えるというのは現実的ではない。
13億人の中共なら50人で難民1人を支えるから余裕で吸収できる。

1990年に西ドイツは東ドイツを編入・併合したが、人口は東の1600万人
に対し西は6300万人。西ドイツ人4人で東の1人を支えたことになるが、
それでもドイツ経済は永らく疲弊した。毎年8~9兆円、20年間で150兆円
ほどもかかるのだから統一利益よりも統一損失のほうが大きいという論
もある。

それでも韓国は北朝鮮と統一すべきだという主張はある。

<統一費用などあらゆる問題があるが、歴史はドイツの統一が分断より
良かったことを雄弁に語る。統一後ドイツはヨーロッパで最も強力な経
済大国に浮上した。

エコノミスト誌は2010年3月、「ヨーロッパのエンジン」という題名でこ
う報じた。

「一時、ドイツは“ヨーロッパの病人”と呼ばれた。しかし、今は“ド
イツの奇跡”と呼ばれる。赤字に苦しむ南ヨーロッパの国々と違って、
財政赤字の規模3.3%。ドイツがヨーロッパを護る大きな存在になったこ
とを示す。実際、EUのギリシャへの救済金融(1100億ユーロ)の時、最
も多い28%を負担した国家がドイツだった」

ドイツの統一を導き出したコール首相は備忘録でこう書いている。

「1990年に約1150億マルクの統一費用を使えば1994年まで統一を完成で
きると期待した。ところが1996年まで7200億マルクを使った。しかし、
このように多くの費用が必要なことを事前に分かったとしても統一は推
進されただろう。統一の遅延による費用がもっと大きかったはずだから
だ」

ゴールドマンサックスは2008年9月、「統一韓国の対北リスクについて」
という報告書の中でこう予測した。

「韓国が統一されれば、30~40年内に国内総生産がフランスとドイツ、
さらに日本を追い越すだろう」

大韓民国の前には今、費用を恐れる分断・没落か、費用という迷信を克
服した統一・成就かという二つの選択がある」(金成?「現代コリア」)

東西統一前の西ドイツは一流の経済大国だったが、ウォン安の韓国はそ
れとは程遠い。夜郎自大で夢を見るのはいいけれど、2400万もの生活保
護者、貧者の群が怒涛のごとく南へ押し寄せるという現実を見ることも
必要だ。南北統一で韓国も没落することは間違いない。

韓国が自爆するのは勝手だが、玉突きで日本にも難民が来るだろうから
近所迷惑だ。軽挙妄動することなく、くれぐれも自重をお願いしたい。



☆マスコミが北朝鮮の異変に集中するなか、中国華南にも異様事態が発
生中!