北朝鮮はずっとチュウゴクの属国で核兵器やロケットをイラクに売って食っていくのだろう。
当分は、新しいトップとなった北朝鮮のボンボンは、
国内での威信を高めるのに忙しく拉致問題は進まない。
だから、拉致問題が進むように日本が持っていかねばならない。
金が必要なので武器を売らないといけないから
じゃんじゃん日本海にミサイルを飛ばして演習をイランなどに見せ、
核兵器も売りつけようと頑張る。
韓国にも戦争行為をしかけたぐらいだから、
今後も何か勇ましい事をして国民に尊敬されようとする。
だから、そういうことをしなくても、チュウゴクが経済を開放して金持ちになったようにやればいいのだと、チュウゴクが教えなければならないが、そんなことはしないだろう。いつまでも、北朝鮮を世界から隔離しておいて貧乏なままにしておき、チュウゴクだけが安くレアメタルなどを購入できたらチュウゴクとしてはおいしいからだ。
チュウゴクは、北朝鮮からどっと難民がなだれ込んできたら困るので
今の体制が続けばいいと思っているので、何か北朝鮮で不穏な動きがあったら、
軍事介入もすると思う。だって、北朝鮮はチュウゴクの属国とほぼ同じようなものでだもの。チュウゴクは、北朝鮮を生かさず殺さず、生殺し状態で韓国との緩衝地として使えたらいいと思っているはず。
日本は一気に北朝鮮と仲良くなって拉致被害者と親を合わせてやるだけでいいからなどと言って、控え目に要求し、その代わりにレアメタル等をチュウゴクより高く買うとか、農業を指導するとか用水路を整備するとか水産物の養殖の方法を教えるとか、何か日本にしかできないようなことをしたらよいと思うが、、、甘いかも。
今までの経験からして、北朝鮮は何をしてやっても裏切るし、ウソつくし、
信用できない国なので、同じような性格のチュウゴクに任せておくしかないのかもね。このままずっとトップだけデブで、餓死者が出ても誰も助けないでいるのかな。
B子ちゃんの家のテレビは、韓国系のニュースが観れるのだが
韓国のニュースでは、キム・ジョンイルは、汽車の中ではなくたぶん他の場所で
脳卒中で死んだと言っていた。
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<金総書記死去>発表まで51時間半…指導層の動揺鎮める?
毎日新聞 12月19日(月)21時6分配信
【ソウル西脇真一】北朝鮮の報道によると、金正日(キム・ジョンイル)総書記(69)が17日午前8時半に死去してから19日正午の発表までに51時間半かかった。94年7月に死去した父、金日成(キム・イルソン)主席のときの約1.5倍の時間だ。今回の発表で、北朝鮮はこれまで金主席と金総書記にしか使わなかった「領導者(指導者)」という言葉を後継者の三男、正恩氏に初めて使用。「死去から発表までの間にも最後の権力固めが続き、時間も必要だった」との見方も出ている。
ラヂオプレスによると、金主席は94年7月8日午前2時に82歳で死去し、翌9日正午に「訃告」の特別放送で発表された。発表まで34時間だった。
当時は「国家葬儀委員会」の名簿や「心筋梗塞(こうそく)」だとする病理解剖検査に基づく「医学的結論書」などが発表された。「発表内容の構成は今回とほぼ同じ」(ラヂオプレス)
しかし、17時間半の差がついた。金主席は北朝鮮中部の景勝地、妙香山で死去したとされるが、金総書記は「現地指導の途上」とだけ明かされ場所は不明だ。
このため、遺体の搬送に時間を要したことも考えられるが、ソウルのある外交筋は「死後の権力闘争や、指導階層の動揺を鎮める作業に時間がかかった可能性もある」と指摘する。
後継者に指名されてから20年の歳月をかけてトップに就いた金総書記と違い、正恩氏は若く対外デビューも昨年で、権力基盤はまだ弱いとみられる。
また、ラヂオプレスによると今回初めて「わが党と軍隊と人民の卓越した領導者」と正恩氏を紹介。領導者は最高首脳を表し、この外交筋は「こうした用語の使用をめぐっても議論が続いたかもしれない」と言う。
死去の報道があったこの日のうちに、朝鮮中央通信は「金正恩同志の領導に従う」という平壌市民らの言葉も伝えており「正恩氏をもり立てる準備にも時間が必要だった可能性がある」(ラヂオプレス)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111219-00000083-mai-int
金正日総書記「功」見当たらず 国民飢えさせた「出来の悪い2代目独裁者」
産経新聞 12月20日(火)1時22分配信
2世独裁者・金正日総書記も父・金日成(1994年死亡)と同じく国民に十分な食を与えられないまま死去した。親子合わせ63年間の“鉄拳統治”の下、北朝鮮は核とミサイルの開発には成功したが国民は貧困から抜け出せず、まともな国家としてついに浮上できなかった。
国家指導者の死に際して人物評には「功罪相半ばする」との形容句がよく付くが、故金正日総書記には「功」が見当たらない。
48年の建国以来、最大の国家目標であり国民への約束だった「米のごはんと肉のスープ」を最後まで国民に提供できなかった。国民を飢えさせたのでは、他にどんな成果があったとしても指導者としては失格である。
国民の多くがひもじく疲弊するなか、金正日父子だけが肥満体というその姿が、金正日体制の悲劇を象徴している。
金正日総書記は国民に対し自らを父に似せ「将軍さま」と呼ばせた。「偉大な領導者(指導者)」「21世紀の太陽」などと崇拝させ国民を服従させた。残ったのは父以上の超独裁体制であり、金総書記は「出来の悪い2代目」に終わった。
「息子・金正日」の最大の失敗は父の死後、父の失敗を批判、否定できないまま“変化”を拒否したことにある。
北朝鮮の閉鎖的な社会主義独裁体制は金日成時代にすでに行き詰まっていた。国民に自由を許さない極端な計画経済で経済は破綻し、国民はヤル気をなくしていた。金正日体制スタート後の大量飢餓はそのツケだった。
90年代に入り、それまで北朝鮮を支えてくれたソ連・共産圏が“変化”を目指して崩壊し、東西冷戦体制が無くなったにもかかわらず、金総書記はその「歴史の流れ」に一人背を向けた。
彼にとって94年の父の死は、父の時代を“失敗”として総括し、それまでの閉鎖的な社会主義独裁体制を手直しするチャンスだった。国民に希望を与え新しい「金正日時代」に踏み切ることも可能だった。すでに改革・開放で経済的に成功しつつあった中国のお手本も、すぐそばにあった。
しかし彼は「変化より守り」を選択した。父の死を、“過去”を否定した新たな発展のきっかけになるとは判断せず、逆に「偉大な父」の不在による体制の危機と思った。危機感からは「守り」の姿勢しか出てこない。
企業でもカリスマ(神格性)のない2代目社長の場合、不安感から新しいことや変化には踏み切れず、ひたすら守りに入って企業を衰退させ、つぶすことがよくある。北朝鮮の場合、先代は負債だけを残し亡くなったため、2代目はなおさら苦しく不安が強かった。
その一つの突破口は中国式の変化だったが、中国式の改革・開放では外から「自由の風」が吹き込み、自らの独裁体制が揺らぐと恐れた。逆に父の誕生日を「太陽節」とたたえ、その誕生年を「主体元年」として年号を制定するなど、父親崇拝で父と一体化することで自らと体制を守ろうとした。
カリスマ不足で父親コンプレックスの金総書記は「守り」を選択することで失敗を繰り返したが、“父・金正日”は3代目にどんな“帝王学”を授けたのか気になるところだ。(ソウル 黒田勝弘)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111220-00000507-san-int
突然の死…父と重なる「最期」 北朝鮮の演出か
配信元:
2011/12/20 09:47更新
「金正日同志が現地指導の途中で急病により逝去なさった」。金総書記の死は2カ月ぶりに登場した看板女性アナウンサーの「特別放送」によって突然もたらされた。人民のために奔走する中での急死-。公式に伝えられた訃報は父、故金日成主席が死去したときの状況と偶然すぎるほど重なる。東アジアに残る独裁国家を率いた金総書記を死に至らしめたのは何だったのか。(桜井紀雄)
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記事本文の続き ◆看板アナ2カ月ぶり
「革命偉業の継承・完成のために一生涯をささげ、人民の幸福のために昼夜を分かたず精力的に活動していた偉大な金正日同志があまりに急に去られた」
19日正午、北朝鮮の国営朝鮮中央テレビに喪服の黒いチマ・チョゴリで登場した女性アナウンサーは涙で声を震わせながら金総書記の死去を伝えた。女性は「労働英雄」の称号も持つ看板アナウンサーのリ・チュンヒ氏(68)で、10月19日以来、丸2カ月ぶりの登板だった。同テレビなど北朝鮮の国営メディアは19日午前、「正午に特別放送がある」と予告。「特別放送」の予告は1994年7月の金主席死去以来のことだ。
北朝鮮は「医学的結論書」とする死因を公表。「強盛国家建設のため超強行軍の日々、蓄積した精神・肉体的過労により、走る野戦列車内で重症急性心筋梗塞を起こし、心原性ショックを併発した」とされた。
父の金主席の死因も「心筋梗塞で心原性ショックを併発」とされた。「最後の瞬間まで人民の幸福のため精力的に活動した」中の「突然の逝去」と伝えられた点も同じだ。1カ月前にカーター元米大統領と会談し、核開発をテコに外交交渉を有利に進めようとしていた状況もウラン濃縮活動をめぐり、米朝交渉の打開を図る現在の状況と重なる。
平壌から離れた場所で死亡し、公表まで2日前後要した状況も似ている。
◆不自然な現地指導
しんぶん赤旗の平壌特派員も務めたジャーナリスト萩原遼氏は「10人の医師が随行するといわれる中で誰も止めずに現地指導に行ったというのは不自然だ」とみる。「現地指導の途中」とされ、場所が報じられなかったこともあり、「病床ではなく、最後まで最前線に立った形にして国民ウケを狙ったのではないか」と死亡状況に関して改竄(かいざん)があった可能性を指摘する。
金総書記は今月15日に平壌のスーパーなどを視察したと報じられたが、この日に実際に視察したか裏付けはない。
ただ、金総書記は2008年夏に脳卒中で倒れ、米韓当局なども「再発は避けられず、余命数年」との見方を示していた。一時げっそりやせた映像が伝えられた。最近は肉付きなどが回復したようにもみえたが、今年8月のロシア訪問では女性に支えられるようにして歩く姿も映し出された。
萩原氏は「いつ死んでもおかしくない状況で、急死であることは確かだろう。目立った対立状況もなく、謀殺などは考えにくい」と分析。準備したかのような看板アナの登場も「引退していたが、箔(はく)付けのために引っ張りだされたかもしれない」と語る。
北朝鮮の内情に詳しい李英和(リ・ヨンファ)関西大教授も現地指導最中の死去について「美談にしたかったのだろう」と“演出”だった可能性を指摘する一方、「いつ病気が再発するか分からない“時限爆弾”を抱えていると分かった上で後継体制づくりを急いできた」と萩原氏同様、無理を重ねた末の急死だったとみる。その上で「金主席生誕100年の節目を来年に控えたこの時期の死去は北朝鮮にとって最悪のタイミングで、想定外の死去だったといえる。北朝鮮にとってあと半年は生きていてほしかっただろう」と話した。
■金正日総書記訃告の要旨
RP(ラヂオプレス)によると朝鮮中央放送が金正日総書記死去について19日発表した「全党員と人民軍将兵と人民に告げる」の要旨は次の通り。
・偉大な領導者金正日同志が17日午前8時30分に現地指導の途で逝去したことを最も悲痛な心情で知らせる
・偉大な領袖(りょうしゅう)金日成主席が開拓した主体革命偉業を代を継いで継承、完成することを終生の使命と掲げた金正日同志は、革命と建設を領袖の思想通りに前進させてきた
・金正日同志は、いかなる敵も手出しできない核保有国、無敵の軍事強国へと変貌させた。強盛大国建設の雄大な目標を提示した
・今日、わが革命の陣頭には、わが党と軍隊と人民の卓越した領導者である金正恩同志が立っている
・全ての党員と軍将兵、人民は金正恩同志の指導に忠実に従い、党と軍隊、人民の一心団結を打ち固めていかなければならない
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/539097/
崩壊か転換か…北朝鮮「神話」なき3代目
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2011/12/20 09:33更新
【“金王朝”の行方】
北朝鮮で独裁体制を敷いてきた金正日総書記の急死が国際社会に波紋を広げている。世界でも異例となる“3代世襲体制”は今後どうなるのか。拉致、核・ミサイル問題は進展するのか。戸惑う日本、韓国、中国、米国など国際社会の対応を含めて探る。(天野健作、ソウル 黒田勝弘、加藤達也)
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◆権力
北朝鮮の独裁者、金正日朝鮮労働党総書記の死去は、同総書記のほか、「最高指導機関」と規定される国防委員会委員長、人民軍最高司令官のポストも空席になったことを意味する。わが国の隣国に極めて不安定な状況が生まれていることは、この事実だけでも容易に想像できる。
金総書記は昨年、今回のような死を念頭に息子・正恩氏への権力世襲を急いだとみられる。建国以来、60年以上にわたって維持してきた「ウリシク(われわれ式)社会主義」という“金王朝”(北朝鮮からの大物亡命者、故黄長ヨプ元書記の言葉)が、自らの死後も変わることなく続くためには、自分がそうだったように世襲しかないと判断したのだ。
しかし正恩氏はまだ30歳にもならない。金総書記は後継者決定が32歳で父の後を継いだのが52歳。長い後継者修業を経ているが、3代目・正恩氏にはそれがない。父にとっては不安を残したままの死だったに違いない。
さらに父の後ろ盾がなくなった正恩氏には、父のように権力闘争で後継者の座を固めた“強さ”はまだない。指導者としての“神話作り”は始まったばかりで神格化もできていない。
そのため当面は金総書記の“遺志”として世襲後継者への忠誠が強調される。「金日成・金正日・金正恩」という王朝的一体感で正恩氏の指導力や性格をたたえるキャンペーンが精力的に展開されるだろう。
軍部をはじめ権力層は当面、自らの生き残りのため正恩氏を担ぐことは間違いない。過渡期には安定志向で後継者への“異論”は出にくい。ただ一般論でいえば“3代目”で独裁安定というのは想像しにくい。
◆中国
その3代世襲体制の行方を注視しているのが中国だ。核実験などを繰り返す金正日政権下の北朝鮮と中国の関係は近年、必ずしも良好ではなかった。中国にとって金総書記の急死は関係打開の好機になりうる事態である。
経済難に見舞われている北朝鮮にとっても現在、最大の支援国家と見込んでいるのが中国である事実に変わりはない。金正恩時代の最大課題は「経済」であり国民をどう食わせるかだ。経済復興のためには対外開放と、国民に希望とやる気を出させる国内改革が不可欠だ。
祖父や父が踏み切れなかった、改革・開放という中国モデルへの“変化”を目指した路線転換があるのかどうか。
中国側はこれまで、金総書記との首脳会談など機会をとらえては、中国モデルへの転換を強く要求してきた経緯がある。
“3代目”としては路線転換のチャンスではあるが、自己否定と場合によっては王朝崩壊にもつながりかねない“父否定”は、やはり簡単ではない。
◆拉致
拉致問題への影響はどうか。日本政府が認定している拉致被害者は17人。うち5人が日本に戻ったが、残りの被害者について北朝鮮側は「死亡」「把握していない」などとしている。北朝鮮側の説明に根拠がないため、政府は「全員生存」を前提に交渉してきた。
警察庁警備局幹部は「『解決済み』との姿勢をすぐに崩すことはしないだろうが、拉致問題をカードとして使ってくる可能性はある」と分析。福井県立大の島田洋一教授(国際政治学)は「金総書記に拉致問題の責任を押し付けるという格好でいけば、いい方向に向かう」と話した。
拉致被害者、横田めぐみさんの母、早紀江さん(75)は「せめて、自分の意識があるうちに罪を悔い改めてもらいたかった」と語った。
ただ権力委譲がうまくいかないと、見通しは不透明になる。西岡力・東京基督教大教授は「混乱の下で拉致被害者の身に危険が及ぶことも否定できない」と指摘。政府関係者は「『死亡』とされた被害者が隔離された生活を送っている可能性もあり、あらゆる状況に対応できるように、備える必要がある」と話す。
◆核
「核実験などの実施を通じ、核戦力を誇示する傾向に向かうのではないか」
こう危惧するのは韓国国防筋だ。北朝鮮は今年、核開発をめぐる6カ国協議の再開に外交力の大半を傾けてきた。
食糧確保を目的とする「核恫喝(どうかつ)」戦術の一環とみられる。今月に入り、今年3度目となる米朝高官協議が年内に開催されるとの観測も一時浮上するなど、一定の効果を上げていた。
韓国情報筋は「金正恩体制になっても北朝鮮にとって核は依然、外国から食糧や妥協を引き出すための打ち出の小づちであり続けるだろう」と分析している。
冒頭の発言のように、金正日総書記に比べて外交経験が浅い正恩氏が、不足する交渉力を補うため強硬策に出るとの見方が強い。
北朝鮮は来年を「強盛大国・元年」として大々的な祝賀行事を予定していた。金総書記死亡で奇(く)しくも「3代目後継体制スタート」の年となった。
父・金正日体制は「強盛大国」の条件として「思想」と「軍事」はうまくいき、残るは「経済」と言ってきた。そのため世界から食糧をかき集め、平壌に高層マンションやショッピングセンターを建設するなど宣伝には熱を上げてきたが、疲弊に変わりはない。
◆経済
金総書記は病身をおして昨年5月から今年8月までの15カ月間に、4度の訪中とロシア訪問を強行し、自ら首脳外交に乗り出した。2012年までに、経済開発に一定のめどをつけるためだったとみられている。
その旅で北朝鮮はロシアとの間で、自国を経由して韓国に至る天然ガスパイプラインの敷設について契約調印する運びとなった。年間1億ドルとされる通行料が転がり込む計算だが、ロシアは、この見返りを逆手にとって北朝鮮に対し核活動の一時停止を要求。核に対する干渉を嫌う北朝鮮は、今後のロシアとの経済協力推進に慎重にならざるを得ないという皮肉な結果になっている。
◆外交
昨年、朝鮮労働党代表者会で後継者デビューした正恩氏は、この一年間で軍事パレードを視察するなど、国内状況の把握と権力層や住民への“顔見せ”に専念してきた半面、外交能力の蓄積は未知数だ。
韓国政府では金総書記の死で、対内外政策面では国家最高指導機関である国防委員会の比重が高まるとの見方が出ている。
こうした指導体制の下では、北朝鮮が目指すのは「後継体制の盤石ぶりを誇示する」(韓国軍事筋)ことだ。同筋の間では、北朝鮮は今後一定の服喪期間に入るものとみられるが、正恩氏が国家運営の表舞台に出られるようになるまで、服喪期間を利用して引き続き内政に専念。正恩氏の決裁を要するような対外活動は当面凍結されるのではないかとの分析が出ている。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/539126/
世界挑発、重ねた蛮行…北朝鮮の「瀬戸際外交」
配信元:
2011/12/20 10:24更新
1974年に金日成主席の後継者に決定し、80年の朝鮮労働党大会で初めて公式の場に登場した金正日総書記だったが、以後、金総書記が指示した可能性が強い北朝鮮によるテロや拉致事件が相次いだ。
83年10月にはビルマ・ラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン)のアウンサン廟(びょう)で爆弾テロを起こし、現地を訪問していた韓国の外相ら4閣僚と随行記者ら17人を殺害した。同国の全斗煥大統領(当時)の暗殺を狙ったものとみられ、その後、北朝鮮の工作員複数が逮捕された。
日本を驚愕させた事件に、87年11月に起きた大韓航空機爆破事件がある。金賢姫ら2人の工作員に日本の偽造旅券(パスポート)を持たせて、乗客乗員115人を乗せインド洋上空を飛行中の大韓機を爆破した。
また、96年9月には偵察目的で韓国東海岸に潜水艦で工作員を送ろうとしたが、潜水艦が海岸で座礁し工作員は韓国の山中を逃走。工作員や韓国軍兵士ら多数が死亡した。
70年代から80年代にかけては日本人や韓国人、その他、世界各地の人々を拉致した。金総書記は2002年9月に訪朝した小泉純一郎首相(当時)に対し、日本人拉致の責任について「特殊機関の一部の者が妄動主義、英雄主義に走って行った」と述べ、自らの指示ではなかったと弁解している。
武力挑発も頻発した。
1998年に中距離弾道ミサイル「テポドン1号」を、2006年に「テポドン2号」を日本海に向け発射し、日本列島を横断させた。
また、同年10月には周辺各国が懸念する中、初の地下核実験を強行、09年5月にも核実験をした。これら軍事的挑発を、金総書記は米国や韓国を交渉の場に引き出すために“瀬戸際外交”の一環として利用した。
昨年3月には黄海で韓国海軍の哨戒艦を撃沈。8カ月後の11月には韓国の延坪島を砲撃した。砲撃は、後継者に決まった三男、金正恩氏の業績作りと目されている。
北朝鮮内部での強圧統治も、脱北者や人権団体を通して知られている。辺境地の強制収容所に政治犯や思想犯を送り、多くの人々がここで命をなくしたといわれる。収容された人々は現在も極限状態での生活を強いられているという。
慢性的な経済苦境から抜け出せない北朝鮮だが、専門家の間では「指導部、金総書記の失政がその原因」とする見方が圧倒的だ。金総書記は09年11月にデノミ(通貨呼称単位の変更)を断行しており、その後、北朝鮮の民間経済はますます混乱したことが伝えられている。
日本や韓国をはじめとした各国を巻き込むテロや拉致、武力挑発の先頭に立ってきた金総書記。積み重ねてきた派手な蛮行に対し、謝罪はほとんどない。
唯一、金総書記が犯した罪に対して謝罪したのは、確認されている限り、“仇敵(きゅうてき)”であるはずの、日本から拉致被害者奪還のためにやってきた小泉純一郎元首相ただ一人である。しかしその後、拉致問題解決に向けた取り組みは遅々として進んでいない。(名村隆寛)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/539143/