「〈ビンのふた〉ではなくなった在日米軍」ー大変わかりやすいいい記事です。 | 日本のお姉さん

「〈ビンのふた〉ではなくなった在日米軍」ー大変わかりやすいいい記事です。

2011年12月3発行JMM [Japan Mail Media]   No.664 Saturday Edition
http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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  ■ 『from 911/USAレポート』第543回

    「〈ビンのふた〉ではなくなった在日米軍」

    ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)

 それにしても、今回の防衛省の田中聡前沖縄防衛局長の発言はひどいものでした。
嫌がる沖縄に基地を押し付けることを女性への暴力行為にたとえるというのでは、品
性も何もあったものではありません。その言葉の暴力性と同時に、他でもない沖縄のジャーナリストとの席でそうした発言が出たという鈍感さにも吐き気がします。

 何も高尚な道徳を語ろうというのではありません。性暴力を比喩に使うのが、どう
していけないのかというと、卑俗な視点へとその座の人々を引きずり込もう、少しで
もイヤそうな人がいたら「お高く止まっている」と非難しようという「コミュニケーションの強制力を行使」しているからです。

 そうした人間がしかるべき地位まで出世したということは、その組織にも問題があると思われます。過去に同様の行為があったことが推察され、仮にそうであれば、それが許されてきたというのは組織の問題だからです。

 しかし、私はこの事件を聞いて何とも言えない感慨に捕らわれました。

 官民挙げて、そんなにまでも在沖米軍基地というのは忌避されるものだということ、
にも関わらず東京の終身雇用の官僚組織の意志としては「辺野古」だということ、そ
れを田中氏は他でもない女性への暴行に例えて「無理に受け入れさせよう」などという「たとえ話」にしていた、その構図自体に何か絶望的なものを感じていたからです。

 アメリカにはそこまでの悪意はないと思います。辺野古という案は、普天間の騒音被害と事故の危険性を真摯に反省する中で、普天間で「もう一度事故を起こしたら全軍が沖縄から出ていかなくてはならない」という危機意識の中で出てきたわけです。
一方で辺野古には環境問題、とりわけ日本人が大切にするサンゴ礁の自然の問題があることもアメリカは分かっています。

 更に言えば、鳩山元首相の言動を追ってみれば、野党として政権奪取に意欲を見せていたときは「県外」、与党として政権を担当してみれば「県内やむなし」、更に政
権を追われ「タダの人」として沖縄で遊説した時には「県外」とコロコロ意見が変わ
るわけで、こうした姿勢はオバマ政権としては腹も立つわけですが(ワシントンの一部での「ルーピー発言」など)それでも、世論と現実の乖離という中で、こうした日本政治の迷走についても、黙って耐えて行こうとしているわけです。

 沖縄の人々も、オバマ政権もそれぞれが立場は180度異なるものの、在沖米軍の
問題は「大変に難しい」ということは分かっているわけです。非常に困ってはいるが、
何とかしたいというのが基本スタンスです。そのことを思うと、田中氏の発言は余計
に腹が立つわけです。

 それにしても、どうして沖縄には米軍があるのでしょうか?

 この問題に関しては、この欄の2010年5月8日に配信した「在沖米軍の抑止力
とはそもそも何なのか?」というコラムで、私は「在沖米軍の抑止力とは基本的には台湾防衛である」ということを述べています。この考え方を変えるつもりはありませんが、今回の事件を契機に少し考え直したのも事実です。

 それは、「在日米軍はビンのふた」という言い方があるのですが、これは誤りでは
ないかということです。21年前の1990年、冷戦終結直後に、沖縄駐留海兵隊司
令官のスタック・ポール少将が「在日米軍は日本が再び軍事大国化するのを防ぐ為のいわば「ビンのふた」である」と述べた、そんな報道がありました。この報道は当時
の日本ではかなり衝撃を持って受け止められ、以降は似たような言い方が出たり入ったりしているわけです。

 つまり、日本の経済がどんどん成長して、望むならアジアの軍事大国になることも
できる、そんな前提で、仮に日本が「第二次大戦の戦勝と戦敗による戦後秩序」に挑
戦しようとしたならば、アメリカはその野望を抑えこむ、そのために在日米軍がある
のだという話です。

 ですが、2011年の現在、このストーリーはほとんど意味がなくなりました。と
いうのは、日本の経済的な衰退と中国の台頭により、日本が東アジアにおける軍事大国化するという可能性はほとんど消滅したからです。では、それでも、にも関わらずアメリカが沖縄から、あるいは日本から撤退しないのは何故なのでしょうか?

 それは残念ながら日本と中国の間には「政治的な壁」を設けなくてはならないからです。在沖米軍というのは、軍事的なバランス・オブ・パワーのために存在してるこ
とに加えて、政治的な「壁」としても存在しており、それが必要不可欠だからです。
そこには三つの理由があります。

1)日本には第二次大戦の被害と加害の経験から、必要最小限の抑止力を持つことに  も強い抵抗感を持つ勢力が存在すること。

2)これに対して軍事外交における対米協調と抑止力整備に理解を示す勢力もあるが、この勢力のイデオロギー的な背景にはナチスドイツとの同盟を含む第二次大戦枢軸国のレガシーへの肯定が入っていること。

3)沖縄の世論は、米軍の軍政時代には徹底して祖国復帰を志向し、また現在も基地経済に依存する一方で、基地への激しい忌避感を持っていること。

 日本の軍事外交に関する政治的な立場は、この三つの勢力に分裂しているのですが、ではどうして米軍が「政治的な壁」として必要なのかというと、次のようなストーリ
ーが描けると思います。

 まず、1)のグループですが、これは非常に複雑な心理を含みます。例えば「反戦
平和」のイデオロギーを信じている人は、中国へも基本的には良い感情を持っていま
す。そして「戦争への反省や贖罪感を持って中国と接することで道徳的に一段上にな
るという満足感」を持つ、そのような態度で対中国政策を考える層でもあるわけです。

 ですが、仮にそうしたグループが中国への際限のない譲歩を続けるとしたらどうで
しょう。尖閣だけでなく沖縄も渡す、小笠原から西に中国の大艦隊が遊弋していても
OK、仮にそんな事態が到来しても、尚この勢力が「贖罪意識からの親中姿勢」を続けていたら日本は、いや東アジアは激しく分裂してしまうでしょう。また、非現実的な親中姿勢が、不安定であるがゆえに、ある時点で急に国粋主義に転換されても大変なことになるわけです。

 つまり1)のグループは、現実的な中国の拡大志向とは「直接接点を持たない」中
で仮想の政治的なポジションを保っていられるわけです。つまり、在日米軍という「壁」に守られているからこそ、現実を離れて、ある種のカルチャーとしての複雑な心理を保てるとも言えるでしょう。

 一方で2)のグループも難しい位置にいます。仮に旧枢軸の「名誉」を背負ったま
まで、日本の政治的な姿勢が中国と直接衝突したらどうでしょう? 中国は「第二次大戦と抗日独立」という自国のアイデンティティをかけて、日本と対決してしまうでしょう。

 ですが、在日米軍があることで、日本の軍事外交政策が仮に中国とのバランス・オブ・パワーを模索しても、あくまでそれは日米同盟の政治的・軍事的な立場であって、旧枢軸の幻影の追求ではないと言えるわけです。

 3)の沖縄の立場は、基地を抱える現場であるだけに深刻ですが、現在はこうした
沖縄の立場を、例えば中国が政治的な勢力伸長に使おうと「触手を伸ばしてくる」と
いうことはないわけです。例えば、基地反対派が独立を志向し、更にはネパールのように中国の影響力を利用してゆこうなどということになれば、東アジアの平和も台湾
の人々の静かな生活も吹っ飛んでしまうわけですが、そんなことを考える沖縄の人はいないわけです。

 あくまで在沖米軍は、基地の負担ということで沖縄の人々から憎まれ、その憎しみ
を受け止めているわけです。その存在感があるから、「敵の敵は味方」などといって、米軍憎しの独立派が中国と結ぶなどという馬鹿なことは起きていないわけです。

 つまり、反戦平和か自主防衛か、海兵隊施設の移転先は県外か県内かというような論争について、そこに「中国の影」を意識することなく、従って「具体的な戦争や国
境紛争」と関連させることなく、純粋に「国内問題」として論争を続けることができ
ているわけです。そして、それは在沖米軍という「政治的な壁」があるからだということが言えると思います。

 本来であれば、日本は自分の力で「旧枢軸のレガシー」を清算して「国体の完全浄化」をするべきなのです。


また「戦争被害・加害体験」の特殊性から少しだけ自由になって必要な抑止力への理解をするべきなのです。


そうすれば、日本が自分で対中国の「バランス・オブ・パワー」を模索しても、そこに中国が政治的・軍事的に付けこむスキはないはずです。


 ですが、どうしてもそれは不可能だということになれば、やはり米軍のプレゼンスが必要だということになるでしょう。

 今回の田中発言にしてもそうです。日本が本当に自力で中国とのバランス・オブ・
パワーを担っていかねばならないのなら、その要素の一つである沖縄の基地の移転問題を、女性への暴行にたとえるなどという「不真面目な」態度は出てくるはずもないのです。田中発言が飛び出すこと、またそれで防衛相のクビを取るの取らないのというバカバカしい政治ゲームに発展させるという「緩み」が許されるということも、米軍の存在があるから、そして米軍が中国の台頭が日本政治に影響を与えるのを「壁」となって防いでくれているからこその光景だと言えるのです。

 こうした思考は不愉快なものです。気が滅入る話です。ですが、沖縄をめぐる問題
を考えていくとどうしても、こうした認識に辿り着くのです。

 では、具体的にどうしたら良いのでしょうか? 私は現状維持しかないように思い
ます。反戦平和を主張していた人が、中国の空母にはF35で対抗しようと言い出すはずはないのです。

同じように、自衛隊の質的増強を主張する人が、「靖国神社は過去のもの」だと諦めるわけもないのです。こうしたイデオロギーについては、変えようがないし、変えようとすると大勢の人間が不幸になります。また沖縄の世論が基地容認に変わるとも思えません。

 同じように、米軍のプレゼンスも実質的な抑止力としては現状維持が妥当なのだと思います。ただ、普天間での危険を軽減するために、実務的な代替案としての辺野古という話は検討が続くべきだと思うのです。

 そのように全てがバランスした中で時間が経過する、そうした先に中国が開かれた社会へとソフトランディングして、国内の不満を膨張戦略に転化する必要もなくなり、地域全体の冷戦的な構造が消滅する、その日を待つしかないように思います。それまでは、政治的にも、軍事的にも現状維持というのが唯一の選択肢のように思います。


冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空
気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。訳書に『チャター』
がある。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。

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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
JMM [Japan Mail Media]                No.664 Saturday Edition
【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】99,274部
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警告しておきますが、

チュウゴクは、ロシアと並ぶ強大な軍事国家になると聖書は預言しておりますので

ソフトランディングはないと思います。

2億の騎馬軍団(馬ではなくて、バイクかミニビークルでしょう。それらを鉄道でいっきに運ぶとか。)を中東のハルマゲドンに送るような軍事国家になるのですから日本も覚悟しておかねねばなりません。

チュウゴクでまた革命が起こったとしても、今の共産党がつぶれて正真正銘の軍事国家になるだけ。チュウゴクは、革命が起こっても、もっと悪くなるだけ。

清国の代わりに今は、共産党と軍部がとってかわっただけ。