勝てなくても戦う。その姿勢が外国の侵略を防ぐのです。(東海子) | 日本のお姉さん

勝てなくても戦う。その姿勢が外国の侵略を防ぐのです。(東海子)

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(読者の声3)貴誌前号の米国の日本進出計画ですが、もともと米国は満洲が欲しかったのです。

これは日露戦争後のポーツマス条約では、米国が南満州鉄道を日本に割譲するようにロシアを説得したわけですが、これにはその後取り上げるつもりがあったと考えられます。

しかし鉄道王ハリマンの満鉄買収案を日本が拒否したので、米国の対日政策は一変し、反日に変わりました。ハリマンの提案はビジネスではなかったのです。

支那の喪失:

この反日姿勢は1949年、支那満洲の共産化まで続きます。1945年ではないことに注意。すると米国朝野は「支那が失われた」、と大騒ぎになりました。マッカーサーは「支那満洲の喪失と共産化は、米国太平洋政策百年の最大の誤り」と総括しました。日米戦争の目的は日本ではなかったのです。

対日政策転換:

そこで対日政策もがらりと変わり、日本の武装解除による米国の国防代行が無駄になったので、日本を再軍備させるため独立させたのです。日本の再軍備は朝鮮戦争とは関係がありません。

ただ米国が規模を30万としたところには影響があります。戦前の日本は常備軍20万でした。この超過の10万は国連軍名目で朝鮮戦争に投入する予定でした。

これを察知した吉田さんは経済再建を理由に詭弁を弄して断ります。これが吉田さんの真意です。再軍備には賛成ですが、時期が悪かった。吉田の経済理由による再軍備反対には裏がありました。しかし額面通り受け取っている人が多いのは残念です。

負ける戦争の意義:

日本人が戦争の勝ち負けにこだわるのは戦争の意味がわかっていないからです。そこで私が「人間はなぜ負ける戦争をするのか」を提起したのです。

たとえば、娘を連れた父親が、大男の暴漢に襲われたらどうするか。負けるから逃げると言うのもあるが人間失格です。殺されても娘を守るために戦う。

事実あるドイツ女性の回顧に、戦後娘を襲うソ連兵に抗議した父は目の間で射殺され、自分は散々強姦されたとあります。ということで、戦争は商売ではないのです。

対米戦争:

 (1)当時の米国相手に勝てるなどと思うのは妄想です。原爆相手にどうするのか。既に米国は超大国でした。

 (2)西尾先生は勝てると思ったそうですが、何も知らない少年時代ですから無理もありません。ポーランドのヤルゼルスキー元大統領も少年時代ポーランド軍は無敵で、すぐにベルリンを陥落させることができると信じていたそうです。

しかし1939年にはあっというまに独ソに分割され、カチンの森事件が発生しました。
 
(3)戦前の世界の軍事筋は日本をCクラスと見ていました。陸軍を比較すると日本が20万なのに対して蒋介石が250万、ソ連が170万(一週間で700万の動員可能)というデータがあります。日本の軍事力の実力を知っていたのは日本軍人だけでした。

しかし自存自衛のため、国家の命令のもとに強敵相手に互角以上の戦いをしたのです。偉いものです。このため日本人は今も世界で尊敬されているのです。中共の日本軍非難宣伝が嘘であることは支那人は皆知っています。知らないのは日本人だけです。

勝てなくても戦う:

日本人は「戦争は勝たなければ意味がない」と言う誤った考えから脱却すべきです。勝てなくても戦う。その姿勢が外国の侵略を防ぐのです。
まさにスズメ蜂に襲われた蜜蜂の巣と同じです。逃げる蜂などいません。テルモピレーでペルシャ軍と戦い全滅したスパルタ王レオニダスの例もあります。われわれ日本人も圧倒的に不利な戦いにもかかわらず、比類なき勇気を発揮して戦い、戦死した英霊を顕彰し、また見習わなければなりません。(東海子)


(宮崎正弘のコメント)1991年だったか、93年だったか、ワルシャワでヤルゼルスキー前大統領にインタビューしたことがあります。ワルシャワ駅に近いボロビルの5階だったか、狭い部屋に秘書がふたり、ボディガードなしという侘びしさでした。

30分という約束が2時間近くになり、最後には一緒に記念写真を撮りました。当時の大統領府の主はワレサ。ポーランド語ではヴァレンツァ。
残念ながらヴァレンツァ大統領とは会見できませんでした。