オウム真理教(現アーレフとひかりの輪)は、
麻原彰晃(本名松本智津夫)が創設した宗教団体だが、
北朝鮮やロシアと関係が深いテロ集団。
北朝鮮からサリンを日本に持ち込んで撒いた。
坂本弁護士夫婦の自宅に大勢で押し入って
坂本弁護士の奥さんが泣いて頼んだのに
目の前で赤ちゃんを殺し、たぶんワザと
親子別々に遺体を山中に埋めた。
赤ちゃんまで拉致して殺害するということは
相当坂本弁護士を恨んでいたということだ。
坂本弁護士が消えた自宅にはオウム真理教のバッチが落ちていた。
宗教法人を潰すのはよくないと、創価学会が日本政府にうるさく言ったため
「とりつぶし」はされなかったらしい。(そういうウワサが広まっていたのは事実。)
大勢の人を殺し、外国の勢力ともつながっていたので
明らかに危険なカルト系テロ組織なので潰してほしかったが
そのまま名前だけ変えて宗教活動を続けている。
大学や警察の中にもオウム真理教の信者がいて
ロボットのように松本智津夫の思い通りに動いたらしい。
小川の側でサリンを撒いて付近の住民を大勢殺したり
地下鉄でサリンを撒いて大勢の人を殺し、重軽症を負わせた。
今でもサリンの後遺症に悩んでいる人がいる。
他にもいろいろな悪事を働いた。
事件を知らない若い信者数が伸びている。
大人が若者に、「こんな恐ろしい事件があった。」と教えないから
今でも純粋でヨガ好きな若者が
そんな恐ろしいテロを起こしたカルト宗教に引きこまれてしまうのだ。
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一連の事件における被害者数は、死者30人・重軽傷者6000人以上。日本史上最悪の組織的犯罪である。
1984年
2月14日 - 麻原彰晃こと松本智津夫により創設される(1987年説あり)。当初はヨガのサークルであった。
1987年
2月24日 - ダライ・ラマ14世とインドで会談
1988年
7月6日 - ダライ・ラマ14世とインドで会談
9月22日 - オウム真理教での修行中に、富士山総本部に来ていた在家信者が死亡。遺体は、護摩壇で焼かれた上に、旧上九一色村の精進湖へ遺棄された。(在家信者死亡事件)
1989年
2月10日 - オウム真理教最初の殺人事件、男性信者殺害事件発生。
8月25日 - 宗教法人化。
11月4日 - 坂本堤弁護士一家殺害事件で一家3人を殺害。
1990年
2月18日 - 政治団体「真理党」を結成し、第39回衆議院議員総選挙に集団立候補するも全員落選。これ以降、社会敵視傾向に拍車がかかる。
5月 - 熊本県波野村で国土利用計画法違反事件。
1991年
9月 - 『朝まで生テレビ!』に麻原、麻原の三女アーチャリー、村井秀夫、上祐史浩らが出演。幸福の科学幹部らも出演するが、番組途中に麻原が番組の運行が幸福の科学に有利に進められ、発言の機会も幸福の科学の方が多いなどと興奮し、大声で司会の田原総一郎に食ってかかる場面があった。これに対しパネラーの一人であった下村満子は、「あなたは解脱者を自称するのに、どうしてそんなことで興奮するんですか」と麻原をたしなめた。
12月 - 『ビートたけしのTVタックル』に出演。
1993年
漫画家の小林よしのり、幸福の科学の大川隆法総裁、衆議院議員の小沢一郎・細川護熙、タレントのデーブ・スペクターなどの暗殺を計画するも失敗。
6月6日 - オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件が発生。遺体は、幹部らによって遺棄された。
青山総本部(東京・南青山、1994年)
1994年
1月30日 - 薬剤師リンチ殺人事件が発生。
3月27日 - 宮崎県旅館経営者営利略取事件(被害者は5ヶ月間監禁され、解放後の9月に告訴)
5月 - 上九一色村の第7サティアンに化学プラント建設開始(7月完成)
5月9日 - 滝本弁護士サリン襲撃事件。
6月 - 省庁制導入。22省庁を開設し大臣と次官を設置。当時の教祖、麻原は神聖法皇に。
6月 - 1995年3月 - 旧ソ連製のAK-74を密造(詳細はオウム真理教の兵器・自動小銃密造事件を参照)。
6月27日 - 松本サリン事件。長野県松本市でサリンを噴霧し、8人を殺害。重軽傷660人。
7月9日 - 第7サティアン周辺で異臭騒ぎ。警察当局が付近の土を採取し、警察庁科学警察研究所で調べたところ、サリン製造の際の副生成物が検知され、しかも松本サリン事件で現場に残留していた副生成物とほぼ一致したことが判明[21]。
7月10日 - オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件 発生。
7月15日 - 50℃の温熱療法修行による男性信者死亡事件。
9月20日 - 江川紹子ホスゲン襲撃事件。
12月2日 - 駐車場経営者VX襲撃事件。
12月10日 - ピアニスト監禁事件。
12月12日 - 会社員VX殺害事件。
1995年
1月1日 - 読売新聞が上九一色村の第7サティアンでサリン残留物が検出されたとスクープ。
1月4日 - 「オウム真理教被害者の会」永岡弘行会長をVXガスで襲撃。(被害者の会会長VX襲撃事件)
2月28日 - 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件で男性1人が死亡。
3月13日 - 「オウム真理教被害対策弁護団」の滝本太郎弁護士が警察庁長官と検事総長宛に「本当にオウムがサリンを撒く可能性がある」と速達で上申。
3月15日 - 東京・霞ヶ関の地下鉄駅構内で、不審なアタッシェケース(中身は超音波振動による自動式の噴霧器)が発見され、警視庁の爆弾処理班が出動する。
3月17日 - 複数の教団幹部のステージ昇格を伝える尊師通達が発令される。
3月17日 - 警察庁において警視庁機動隊と捜査一課捜査員によるオウム真理教に対する一斉家宅捜索を3月22日に行う決定[21]。
3月18日 - 「オウム真理教から被害者を救出する会」主催による1万人集会
3月20日 - 地下鉄サリン事件。東京の営団地下鉄(現・東京地下鉄)でサリンを撒き、13人を殺害、5,510人が重軽傷を負った。
3月22日 - 警視庁が目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件でオウム真理教幹部の逮捕状を取り、上九一色村の教団施設など1都2県の施設25カ所を一斉家宅捜索。
4月23日 - 村井秀夫刺殺事件。
5月3日 - 青山吉伸弁護士が逮捕される。
5月16日 - 麻原彰晃こと松本智津夫を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕。
5月16日 - 東京都庁小包爆弾事件
6月12日 - 長野県警が松本サリン事件に関して記者会見。「11日に署長が第一発見者宅を訪ねて、捜査過程における心労に対して遺憾の意を表した」と述べた。しかし「謝罪というものではない」と捜査の間違いは認めなかった。
10月30日 - 東京地裁が宗教法人法に基づく解散命令を決定(同年12月確定)。
12月 - 国会で宗教法人法改正法が成立。
1996年
6月19日 - 麻原(松本)に代わり、松本の長男(当時3歳)と次男(当時2歳)の二人を「教祖」とする。麻原の地位は「開祖」に。
1997年
1月31日 - 公安審査委員会、オウム真理教への破壊活動防止法の適用を棄却。
1999年
4月 - 東京都内の繁華街で“復活”をアピール[22]。
12月3日 - 団体規制法と破産特別法が成立。
2000年
2月1日 - 団体規制法に基づく公安調査庁長官の観察処分(3年間)が効力発生。
2月4日 - 「宗教団体・アレフ」として再編。
7月1日 - ロシアで松本智津夫の武力奪還・対日テロを図ったオウム信者逮捕(シガチョフ事件)
2002年
1月 - 上祐史浩が教団代表に就任。麻原彰晃との決別を表明。
2003年
1月23日 - 団体規制法に基づく観察処分の期間更新(2月1日から3年)決定。
2月 - 「宗教団体・アーレフ」と改称。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99
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勢力拡大と原点回帰2011年11月17日、アレフが公安調査庁に報告した信者数が1000人を超えたことが明らかとなった。公安は「事件を知らない若い入会者の伸びが目立つ」と指摘、警戒している。さらに、アレフは麻原彰晃死刑囚の「生誕祭」を祝い、肖像を掲げるようになっている他、以前の修行法や教本も復活させるなど原点回帰も鮮明になっている[9]。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%95_(%E5%AE%97%E6%95%99%E5%9B%A3%E4%BD%93
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オウム裁判が終結=強制捜査から16年―遠藤被告の上告棄却・最高裁
時事通信 11月21日(月)10時59分配信
地下鉄、松本両サリンなど4事件で殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部遠藤誠一被告(51)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は21日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。これにより、1995年の地下鉄サリン事件発生や教団施設への強制捜査から約16年半を経て、計189人が起訴された一連の事件の裁判は全て終結した。
事件ではこれまで、元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)を含む11人の死刑が確定した。今月18日には元幹部中川智正被告(49)=一、二審死刑=の上告が棄却されており、中川、遠藤両被告の死刑が確定すれば計13人となる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000028-jij-soci
<オウム裁判>終結 「オウム、ばか」癒えぬ被害者の深い傷
毎日新聞 11月21日(月)11時42分配信
「救済」の名の下に行った無差別テロで日本を震撼(しんかん)させた、オウム真理教による一連の事件の公判が21日、教団「厚生省」大臣だった遠藤誠一被告(51)への死刑判決で全て終わった。教団を率いた松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の逮捕から16年半。死者27人、負傷者6500人以上という空前の事件から長い年月を経て大きな区切りを迎えたが、被害者や遺族が受けた深い傷が癒えることはない。【石川淳一、川名壮志、長野宏美】
「さっちゃん、もう、忘れちゃいなよ」。東京近郊に住む浅川一雄さん(51)は、ベッドに横たわる妹幸子さん(48)に優しく語りかける。16年前の朝、地下鉄サリン事件に遭遇し、寝たきりとなった幸子さんは今もしばしば目の痛みを訴え「オウム、オウム、ばか」と声を絞り出す。
子供好きの妹だった。95年3月19日、浅川さんの長男が小学校に上がるからと、ランドセルを買ってくれた。夜は夕食も囲んだ。事件に遭ったのはその翌朝だった。
「すぐに病院に行ってほしい。重篤です」。浅川さんは仕事先で連絡を受けた。病院に駆け付けると、幸子さんは医療器具につながれていた。「お兄ちゃんが来たから心配ないよ!」。叫んでも返事はなかった。
一命は取りとめたものの、医師に「一緒に食事したり、話をするのは無理」と告げられた。サリン中毒による低酸素脳症。視力を失い、言語障害も重く、寝たきりになった。8年半の入院を経て、浅川さんは自宅を改築して迎え入れた。ミキサーで細かくした3食分を妻が用意し、ヘルパーが毎日訪れて食事を口に運ぶ。「私たちに何かあったら、妹はどうなるんだ?」。先の見えない介護に不安がのしかかる。
「オウム真理教犯罪被害者救済法」が08年に施行され、地下鉄サリンなど8事件の被害者には給付金が支給された。だが、1人で一生を過ごすには十分ではない。「事件は国家を狙ったテロ。妹は国の身代わりになったのだから、国は妹が一生生活できる補償をすべきだ」。事件前、幸子さんに抱っこしてもらっていた長男も23歳になり、介助する側になった。
09年、幸子さんが乗った地下鉄丸ノ内線の車内でサリンをまいた広瀬健一死刑囚(47)の裁判を「手を下した人間の裁判を見に行こう」と車いすを押して最高裁に傍聴に行った。だが、怒り続けることにむなしさも感じる。「自分も親。広瀬の死刑が執行されたら、彼の親はどう思うだろうかと複雑になる」。事件後、広瀬死刑囚から送られてきた手紙は一度だけ読んだが、その後は開封する気になれない。
頭から事件が離れることはないが、人生を歩むため前に進まないといけないと思う。「裁判が終わっても妹が治るわけじゃない。裁判終結は節目ではなく、通過点という気持ち」と受け止める。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000035-mai-soci
備忘録:オウム(オウム真理教=アーレフ)の2006年8月末時点の信者数
■教祖の死刑確定で警戒、公安調査庁が一斉立ち入りへ : オウム問題 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
最近の朝日新聞の報道によっても、、信者数が減っていないようです。表向きの穏健派が分裂すると、現状のオウムに納得できない勢力は、やめるのではなく、上祐派という形で、オウムに温存される形となるので、この分裂劇は、悪質です。
過去のオウム、そして現在のオウムが問題なら、即座にオウムをやめるべきでしょう。分裂はおかしいです。
上祐派のオウム補完勢力としての位置づけは明白で、自らの反省を言うなら、素直に上祐氏は、オウムをやめるべきです。
教祖の死刑確定で警戒、公安調査庁が一斉立ち入りへ
公安調査庁によると、オウム真理教の信者数は8月末現在、約1650人。出家信者が約650人、在家信者が約1000人で、一連の事件で逮捕された信者約450人のうち約3割が教団に戻っているという。
同庁幹部は「松本智津夫被告の死刑確定で、死刑執行前に奪還を計画したり、後追い自殺を試みたりすることも起こり得る。あらゆる可能性を視野に、警戒する必要がある」と話す。
教団内では昨年以降、新教団の設立を目指す上祐史浩代表(43)を支持する上祐派と、「松本帰依」を強める反上祐派の対立が激化し、分裂状態。同庁幹部は、反上祐派について「松本被告やその家族を神格化し、危険な教義を今も内包している」とし、上祐派についても「対外的に松本色を出さないことで団体規制法の適用を逃れようとしている」と分析している。
教団の拠点施設は現在、17都道府県に30施設ある。上祐派5施設に対し、反上祐派は24施設。東京・世田谷区の教団本部では2棟のマンションに両派の出家信者が別々に生活している。同庁は16日、両派の計約25施設に対し、過去最大規模の約250人体制で一斉立ち入り検査を行う方針だ。
教団の主な資金源は、在家信者の布施と出家信者のアルバイト代などで、年3回の説法会(集中セミナー)も大きな資金源だ。集中セミナーは、昨年末から両派が分かれて開催しているが、8月のセミナーでは計2900万円以上の布施を集めたという。
だが、被害者や遺族への賠償は進んでいない。教団の債務総額は約51億円で、このうち被害者や遺族に賠償すべき分が約38億円に及ぶが、これまでに賠償したのは約15億円にとどまる。ここ数年は、年間数千万円しか支払われていない。
◇
松本被告の死刑が確定した15日、両派はそれぞれ談話を発表。反上祐派が「被害に遭われた方々に心からおわびを申し上げる。今後も被害者賠償を継続し、少しでも遅れを取り戻すよう努力する」とし、上祐派は「人である教祖を神としたことが事件の原因となった点では、多くの信者に責任があることを深く反省している」とコメントした。
15日夕、教団本部のうち上祐派の建物から出てきた男性信者(39)は、「死刑確定は一つの通過点。執行された時の方がショックだろう」と話した。一方、信者以外の住民でつくるマンション管理組合の小俣善紀理事長(66)は「信者はこれを機に退会し、教団は解散してほしい」と語った。
(20http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2007/03/20068_6d45.html
06年9月16日3時8分 読売新聞)