中国のハイアール社は三洋電機社員を人間として大切に扱うのかどうか。
「中国企業が買収」三洋社員の処遇はどうなるか
雇用、賃金……「書かれざる契約」は守られるか
プレジデント 2011年10.3号
http://president.jp.reuters.com/article/2011/10/06/693F883A-E4EB-11E0-8D72-3F173F99CD51.php
日本企業を買収した外資系企業が取るべきスタンスを、日本特有の経営と従業員の関係から紐解く。
甲南大学特別客員教授 加護野忠男=文
中国のハイアール社が三洋電機を買収した。日本企業を買収した外資系企業が取るべきスタンスを、日本特有の経営と従業員の関係から紐解く。
米国におけるM&Aの半分は失敗?
このところ、人々の注目をひくような合併案件が立て続けに報道されている。一つは、日立製作所と三菱重工業の合併である。
少し前に発表された新日鉄と住友金属の合併と同様、超巨大企業同士がさらなる規模のメリットを求めた合併である。
これはスケールの大きさが注目をひいている。
もう一つは、三洋電機の白物事業のハイアールへの売却である。
かつての一流企業が中国企業の傘下にはいるという意味で注目されている案件だ。
日本のビジネスマンの間では、後者の案件への関心のほうがより強いかもしれない。
中国の企業に買収された日本企業とその従業員は一体どういう運命になるのかということが、ビジネスマンの関心をひくからである。
これまで中国企業による買収がなかったわけではないが、買収対象となっていたのは比較的規模の小さい企業が多かった。
これに対して三洋は、パナソニックに買収されたとはいえ、かつては一部上場の大企業である。
しかも買収側のハイアールが特異な経営スタイルを持っていることを知っていて、このような経営スタイルが三洋にも適用されるのだろうかということに関心を持っているビジネスマンが多い。
関心が高まるのには、ほかの理由もある。
電機・電子、機械などの業種で中国の政府系ファンドの持ち株比率がじわじわと上昇している。
わが社でも、いずれこのようなことが起こるのではないかと危惧するビジネスマンが少なくないのである。
米国では企業の合併や買収が活発に行われてきた。
日本もその方向へ動いているようだ。
日本政府もその方向を容認している。
それどころか、円高対策の一環として日本企業による海外企業の買収を日本政府は期待している。
しかし、M&Aは、為替が有利だからというような単純な理由で行われるべきものではない。
M&Aは、さらなる規模の経済を求める、補完的な事業を求める、新事業分野や新市場での事業基盤の確立までの時間を短縮するなどの理由で行われるが、そのために買収側は、市場価格よりも高いプレミアムを支払わなければならない。
しかし、買収後のマネジメントが難しく、戦略的な狙いが実現されプレミアム以上の価値が生み出されるケースは多くはない。
悲観的な見方をする学者は、米国のM&Aの半分は失敗だという。
日本の場合、買収後のマネジメントは米国以上に難しい。
その最大の理由は、従業員と会社の間に様々な「書かれざる契約」があるから。
書かれざる契約が新しいオーナーに引き継がれるプロセスで複雑な感情的問題が発生するからである。
書かれざる契約の中で最も代表的なものは、終身雇用である。
終身雇用は従業員と企業との間の心理的契約であるが、これを契約の文章に直すことは難しい。
文章で書くとすれば、企業の側の義務は、企業が深刻な危機に直面しない限り従業員を定年まで雇用し続けることである。
しかし、この「深刻な危機」を具体的に特定することは難しい。
逆に、従業員の義務は、家庭や個人の側に特段の事情がない限り、自己都合でやめることはせずに企業に忠誠心を持ち定年まで勤め続けると書くことができる。
日本企業が買収防衛策を導入する理由とは
このような終身雇用の書かれざる契約が、買収後の新規雇用者や従業員によってどの程度遵守されるかに関して不確実性が残る。
従業員側からすれば、新しい経営者が、書かれざる契約をこれまでの経営者と同じように遵守してくれる保証はない。
経営者側からすると、従業員がこれまでと同じような忠誠心を持ち続けてくれるかどうかに関して不安がある。
書かれざる契約は雇用の継続だけでなく、継続雇用を可能にする賃金や処遇についての従業員の期待、会社の責任についても存在している。
従業員は、あるポストでどれだけの成果を挙げれば次にどれだけのポストが与えられるかについての期待を持っている。
この期待は契約書にはなっていないが、かなりの確実性で実現されると期待することができる。
この期待も一種の書かれざる契約と考えることができる。
日本の上場企業の多くが敵対的買収を防ぐために買収防衛策を導入している。
それは経営者の保身のためではなく、買収者に従業員との書かれざる契約を守らせるためである。
遵守を担保できなければ従業員の忠誠心を引き出すことができないし、モラールダウンも起こって企業価値が低下するかもしれないからである。
M&Aのあと、新経営陣は、企業と従業員との書かれざる契約をどの程度まで遵守すべきなのか。
遵守にこだわるのであれば、事業経営に大きな変化は引き起こせない。
かつての日本の合併では、変化を最小限にするという方法がとられてきた。
余裕のある時代の銀行の合併では、合併後、人事部が3つ設置されていた。
合併前の2つの銀行のそれぞれの人事部、合併後に入社してきた人々を管轄する人事部、の3つである。
日本企業同士の友好的買収の場合には、買収企業は書かれざる契約を遵守することが多い。
それを破ってしまうと、従業員のモラールが低下することを知っているからである。
しかし、救済型の合併の場合は、この契約が遵守されないこともある。
救済型の合併の場合には、会社がつぶれて職を失うよりはましだろうという感情が被買収側の従業員にも、買収側の企業にもあるからである。
このような書かれざる契約が守られるかどうかの心配が大きいのは、海外の企業による買収の場合である。
特に今回のように特異な経営スタイルを持つ会社による場合には、その心配が大きい。
ハイアールは、比較的素朴な出来高給制度で現場の人々を管理している。
日本や米国では約100年前にはやった科学的管理法時代の経営スタイルである。
果たしてこのような方式が三洋にも適用されるのであろうか。
欧米企業は、人材が企業の価値の源泉であると知っている。
そのために、ハゲタカファンドを除けば、郷に入れば郷に従えということで、書かれざる契約を遵守することが多かった。
ハイアールの場合はどうだろうか。
不安が大きくなるのは、中国企業による買収はまだ例が少なく、同社が特異な経営のスタイルを用いているからである。
ハイアールが独特の経営スタイルを持ちこむとすれば、これまでの三洋における書かれざる契約は守られない可能性がある。
従業員に大きな戸惑いが出てくる可能性がある。
しかし、買収した企業の価値の源泉は人間であるということをハイアールが認識するなら、従業員を確保し続けるために日本的な書かれざる契約は遵守されることになるだろう。
今後の推移を注意深く見守ろうではないか。
加護野 忠男
甲南大学特別客員教授
かごの・ただお●1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。2011年3月まで神戸大学大学院経営学研究科教授。11年4月から現職。専攻は、経営戦略論、経営組織論。著書に、『日本型経営の復権』『競争優位のシステム』などがある。
雇用、賃金……「書かれざる契約」は守られるか
プレジデント 2011年10.3号
http://president.jp.reuters.com/article/2011/10/06/693F883A-E4EB-11E0-8D72-3F173F99CD51.php
日本企業を買収した外資系企業が取るべきスタンスを、日本特有の経営と従業員の関係から紐解く。
甲南大学特別客員教授 加護野忠男=文
中国のハイアール社が三洋電機を買収した。日本企業を買収した外資系企業が取るべきスタンスを、日本特有の経営と従業員の関係から紐解く。
米国におけるM&Aの半分は失敗?
このところ、人々の注目をひくような合併案件が立て続けに報道されている。一つは、日立製作所と三菱重工業の合併である。
少し前に発表された新日鉄と住友金属の合併と同様、超巨大企業同士がさらなる規模のメリットを求めた合併である。
これはスケールの大きさが注目をひいている。
もう一つは、三洋電機の白物事業のハイアールへの売却である。
かつての一流企業が中国企業の傘下にはいるという意味で注目されている案件だ。
日本のビジネスマンの間では、後者の案件への関心のほうがより強いかもしれない。
中国の企業に買収された日本企業とその従業員は一体どういう運命になるのかということが、ビジネスマンの関心をひくからである。
これまで中国企業による買収がなかったわけではないが、買収対象となっていたのは比較的規模の小さい企業が多かった。
これに対して三洋は、パナソニックに買収されたとはいえ、かつては一部上場の大企業である。
しかも買収側のハイアールが特異な経営スタイルを持っていることを知っていて、このような経営スタイルが三洋にも適用されるのだろうかということに関心を持っているビジネスマンが多い。
関心が高まるのには、ほかの理由もある。
電機・電子、機械などの業種で中国の政府系ファンドの持ち株比率がじわじわと上昇している。
わが社でも、いずれこのようなことが起こるのではないかと危惧するビジネスマンが少なくないのである。
米国では企業の合併や買収が活発に行われてきた。
日本もその方向へ動いているようだ。
日本政府もその方向を容認している。
それどころか、円高対策の一環として日本企業による海外企業の買収を日本政府は期待している。
しかし、M&Aは、為替が有利だからというような単純な理由で行われるべきものではない。
M&Aは、さらなる規模の経済を求める、補完的な事業を求める、新事業分野や新市場での事業基盤の確立までの時間を短縮するなどの理由で行われるが、そのために買収側は、市場価格よりも高いプレミアムを支払わなければならない。
しかし、買収後のマネジメントが難しく、戦略的な狙いが実現されプレミアム以上の価値が生み出されるケースは多くはない。
悲観的な見方をする学者は、米国のM&Aの半分は失敗だという。
日本の場合、買収後のマネジメントは米国以上に難しい。
その最大の理由は、従業員と会社の間に様々な「書かれざる契約」があるから。
書かれざる契約が新しいオーナーに引き継がれるプロセスで複雑な感情的問題が発生するからである。
書かれざる契約の中で最も代表的なものは、終身雇用である。
終身雇用は従業員と企業との間の心理的契約であるが、これを契約の文章に直すことは難しい。
文章で書くとすれば、企業の側の義務は、企業が深刻な危機に直面しない限り従業員を定年まで雇用し続けることである。
しかし、この「深刻な危機」を具体的に特定することは難しい。
逆に、従業員の義務は、家庭や個人の側に特段の事情がない限り、自己都合でやめることはせずに企業に忠誠心を持ち定年まで勤め続けると書くことができる。
日本企業が買収防衛策を導入する理由とは
このような終身雇用の書かれざる契約が、買収後の新規雇用者や従業員によってどの程度遵守されるかに関して不確実性が残る。
従業員側からすれば、新しい経営者が、書かれざる契約をこれまでの経営者と同じように遵守してくれる保証はない。
経営者側からすると、従業員がこれまでと同じような忠誠心を持ち続けてくれるかどうかに関して不安がある。
書かれざる契約は雇用の継続だけでなく、継続雇用を可能にする賃金や処遇についての従業員の期待、会社の責任についても存在している。
従業員は、あるポストでどれだけの成果を挙げれば次にどれだけのポストが与えられるかについての期待を持っている。
この期待は契約書にはなっていないが、かなりの確実性で実現されると期待することができる。
この期待も一種の書かれざる契約と考えることができる。
日本の上場企業の多くが敵対的買収を防ぐために買収防衛策を導入している。
それは経営者の保身のためではなく、買収者に従業員との書かれざる契約を守らせるためである。
遵守を担保できなければ従業員の忠誠心を引き出すことができないし、モラールダウンも起こって企業価値が低下するかもしれないからである。
M&Aのあと、新経営陣は、企業と従業員との書かれざる契約をどの程度まで遵守すべきなのか。
遵守にこだわるのであれば、事業経営に大きな変化は引き起こせない。
かつての日本の合併では、変化を最小限にするという方法がとられてきた。
余裕のある時代の銀行の合併では、合併後、人事部が3つ設置されていた。
合併前の2つの銀行のそれぞれの人事部、合併後に入社してきた人々を管轄する人事部、の3つである。
日本企業同士の友好的買収の場合には、買収企業は書かれざる契約を遵守することが多い。
それを破ってしまうと、従業員のモラールが低下することを知っているからである。
しかし、救済型の合併の場合は、この契約が遵守されないこともある。
救済型の合併の場合には、会社がつぶれて職を失うよりはましだろうという感情が被買収側の従業員にも、買収側の企業にもあるからである。
このような書かれざる契約が守られるかどうかの心配が大きいのは、海外の企業による買収の場合である。
特に今回のように特異な経営スタイルを持つ会社による場合には、その心配が大きい。
ハイアールは、比較的素朴な出来高給制度で現場の人々を管理している。
日本や米国では約100年前にはやった科学的管理法時代の経営スタイルである。
果たしてこのような方式が三洋にも適用されるのであろうか。
欧米企業は、人材が企業の価値の源泉であると知っている。
そのために、ハゲタカファンドを除けば、郷に入れば郷に従えということで、書かれざる契約を遵守することが多かった。
ハイアールの場合はどうだろうか。
不安が大きくなるのは、中国企業による買収はまだ例が少なく、同社が特異な経営のスタイルを用いているからである。
ハイアールが独特の経営スタイルを持ちこむとすれば、これまでの三洋における書かれざる契約は守られない可能性がある。
従業員に大きな戸惑いが出てくる可能性がある。
しかし、買収した企業の価値の源泉は人間であるということをハイアールが認識するなら、従業員を確保し続けるために日本的な書かれざる契約は遵守されることになるだろう。
今後の推移を注意深く見守ろうではないか。
加護野 忠男
甲南大学特別客員教授
かごの・ただお●1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。2011年3月まで神戸大学大学院経営学研究科教授。11年4月から現職。専攻は、経営戦略論、経営組織論。著書に、『日本型経営の復権』『競争優位のシステム』などがある。