復興は滞っているが、原発収束プロセスはまずまず。
2011年9月13日発行 http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』
Q:被災地の復旧・復興は順調なのか、滞っているのか?
◇回答
□菊地正俊 :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
□水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家
■今回の質問【Q:1229】
9.11から10年ですが、3.11からは半年が経ちました。被災地の復旧・復
興は順調と言えるのでしょうか。それとも滞っていると判断すべきなのでしょうか。
村上龍
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■ 菊地正俊 :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
東日本大震災から半年が経った9月11日に、野田首相は「世界の英知を集めて大きなエネルギーを被災地に投入しなければならない。あとは実行のみだ」と述べられました。被災地の復旧・復興は順調かと尋ねられれば、当初期待より遅いと多くの人が答えるでしょう。
菅前首相は国会で8月までに仮設住宅を整備すると答弁されましたが、半年経った今も、避難生活者は47都道府県で約8.2万人、避難所暮らしが約7000人いるといわれます。
仮設住宅は適した土地不足のために建設が遅れ、また仮設住宅が遠い、食事が出ないなどの理由から、入居条件が満たされても、入居しない人がいると報じられています。
瓦礫処理では、岩手・宮城・福島の3県に約2200万トン(通常の廃棄物処理量
の10年分超)の瓦礫が発生したといわれます。
8月に東日本大震災によって生じた廃棄物処理の特例法案が成立し、2012年1月から施行される予定です。1次仮置き場への瓦礫搬入比率は、岩手県で73%、宮城県で50%といいます。
問題は、放射性物質で汚染された土壌や瓦礫を、最終的にどこでどう処分するかです。菅前首相は8月末に福島県知事に、福島県に中間貯蔵施設を設置したいと申し出て、反発にあいました。
理論的には、福島原発周辺しかないわけですが、今回の鉢呂経済産業相の不適切発言での辞任に見られるように、放射性物質の取り扱いは極めてデリケートな政治問題になっています。
政府と東京電力は、4月に発表した工程表に基づいて、福島原発の事故収束に向けた作業を行っています。
期限を、1)3カ月程度で達成するステップ1、2)3-6カ月程度で達成するステップ2、3)3年程度の中期的課題に分けました。
ステップ1の目標には、原子炉と燃料プールへの淡水注入による安定的な冷却、滞留水の保管場所確保、地下水の海洋拡大防止、放射性物質の飛散抑制などが含まれました。当初は、3カ月での目標達成が困難との見方があり、夏場の暑さや台風で作業が遅れる懸念もありましたが、7月に政府と東京電力は、ステップ1の目標をほぼ達成し、ステップ2に移行すると発表しました。
福島原発はトラブルだけが報道されて、順調な作業は報じられないと、関係者が嘆いていましたが、原発収束プロセスはまずまず順調といえるのではないでしょうか。
リーマンショックは100年に一度の金融危機といわれましたが、東日本大震災は
1000年に1度の大災害といわれました。これほど大規模な災害を短期間で復旧す
るのは困難です。政府が7月末に決めた復興基本方針には、「復興期間は10年間とし、被災地の一刻も早い復旧・復興を目指す観点から、復興需要が高まる当初5年間を集中復興期間と位置づける」と明記されていました。定常状態でも経済が衰退傾向にあった東北地方の漁村や山間部を、いかに復旧・復興させるかは難しいものですが、長期的な経済ビジョンの下に復興が実施されることが求められます。
9月9日に財務省は、各省庁からの3次補正予算要求を締め切りました。4兆円の
1次補正が仮設住宅の整備や瓦礫処理、2兆円の2次補正予算が二重ローンや原発事故対応に使われたのに対して、3次補正予算は10兆円規模で、インフラ復旧や円高対策などに使われる予定です。
政府は3次補正予算の月内の与野党合意形成、10月の臨時国会での成立を目指していますが、施行は来年初めになるでしょう。
本来であれば、最初から大規模な復旧工事が行われることが望ましかったでしょうが、ねじれ国会や政権交代もあり、ステップ・バイ・ステップの予算執行になりました。東北地方の冬は気候が厳しいですので、早期の予算執行が望まれます。
週末のG7は欧州金融不安に実効ある政策を打ち出すことができず、ユーロの対円レートは10年ぶりの安値に下落しました。3次補正予算は円高対策として、国内工場立地への補助金を増やしますが、企業の海外移転に歯止めはかからないでしょう。
オバマ大統領の4470億ドルの雇用対策について、弊社米国エコノミストは201
2年のGDP成長率を1%強引き上げる効果があるものの、共和党の反対によって、
法案がこのまま通る可能性は低いと分析しています。日本の経験は、海外経済悪化時の財政引き締めは副作用が大きいことと、財政拡大だけでは長期不況から脱せない教訓を米国に与えています。
メリルリンチ日本証券 ストラテジスト:菊地正俊
■ 水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家
2万人以上の死者・行方不明者を出した痛手は大きく、生活面でも決して元には戻らないものも多いでしょう。福島原発の事故も収束は程遠い状態です。復興に「これで十分」といった基準があるわけもありません。また、私は現地を見たこともありませんし、あくまでもメディア情報からの判断であることをお断りしなければなりませ
ん。
こうした様々な留保を付けた上で申し上げれば、現状は、決して絶望的ではないよ
うに感じています。道路・鉄道の復旧などいくつかの面では予想を上回るスピードで
したし、学校の授業も、被害の規模を思えば早期に再開されています。福島原発も最悪の状況は脱し、関係者には事故当時を振り返る余裕が生まれてきました。
こうしたことは全て、現場を預かる多くの方々の強い責任感と一身をなげうっての
ご努力の結果であろうと思います。きょうも人知れず懸命に働いている皆様に心から敬意を表します。
それにしてもこの半年間は、菅直人政権の末期の半年間とほぼ重なります。中央の政治が半ば麻痺した状況でありながら、復興がそれなりに進んだということは、まずは喜ぶべきことなのでしょう。しかし、改めて以前から指摘され続けている日本の組織文化の特異性を感じさせ、今後への不安を禁じ得ません。
先日、震災から半年の特集番組で菅前首相の独占インタビューが放送されました。菅氏が話したことのなかで印象的だったのは、震災直後、福島原発の格納容器の圧力を下げるため、弁の開放(ベント)を指示したが実施されず、東電に「何で実施されないのか」と何度も問い合わせたのに、そのたびに「わからない」という返事が戻ってきた、というくだりでした。
挙句の果てに菅前首相は翌日未明、福島原発に乗り込み、吉田昌郎所長に自らベントを指示、所長は「それでは決死隊を編成します」と応じた、と言うのです。
これが事実だとすれば、吉田所長は東電本社からの指示を、所員の命を賭けるだけの価値がない、とネグり、首相の口から言質を取ってようやくベントに応じたことになります。
日本の組織を知る人にとっては、珍しくもない事態の推移だと言えます。
日本では現場の論理が極めて強いのに対し、そこから上の指導層にはあまり信頼がなく、地位をカサにきて威張っているだけのバカだと思われていることも少なくありません。実際にバカな人も多い。
勝海舟がアメリカから帰ってきた時に、「日本とアメリカはどこが違うか」と老中に尋ねられ、「アメリカでは人の上に立つ者はみな地位相応に怜悧ですが、この点は全く我が国と反対のようです」と言って、「無礼者、控えおろう」と叱られたそうですが、150年たっても何も変わらないのに驚きます。
「現場の事情も知らないで、あのバカが」というのは日本じゅうの会社や役所や学校
その他で、それこそ毎日のように囁かれている言葉なのです。「決死隊を編成します」
という吉田所長の言葉には、現場の人間は命を賭けるのだ、それを理解しなければ承知しないぞ、という一種の示威が込められています。
日本の現場はこのように、事情によっては平気で上の意向を無視するだけの自律性を持っています。
それが非常時には極めて強い責任感と高い士気につながります。
だから、とりわけ「強い現場」を持つ機関──鉄道や学校、医療機関など──が震災後、急速な復興を遂げているのは、何の不思議もありません。
しかし、そこに不安もあります。「強い現場」が指導層を信じず、また軽蔑するこ
とで、全体の統制が取れず、非効率や混乱に繋がることです(その最大の例が旧日本軍であることは有名です)。そのような不信感を乗り越えていく方法はないもので
しょうか。
不信感の元になるのは、日本の組織が持っている公私の入れ子構造ではないかと思えます。
丸山真男が論じたことによれば、日本の組織はより上層の「私」が下層に対しては「公」として振る舞う、という構造になっています。
例えば企業は従業員にとっては「公」ですが、政府から見れば「私企業」ということになります。
そのことは組織運営にも持ち込まれ、日本の組織では上層の人ほどわがままが許されるようになっています。部下はその事実を知り、実際に公私混同が行われることを見聞きしているから、上層部に対する不信感を拭えないのだと思います。
その公私の緩みを、例えば鉢呂前経産相の一件に見ることができます。鉢呂氏の辞任劇には陰謀説も取りざたされ、「辞任するほどのことだったか」と後味の悪さも残しています。ただ、確実に言えることは、鉢呂氏が本来、職業上の厳しい緊張関係にあるべき新聞記者に対し、誤った仲間意識を持って接したことです。
日本では地位の高い人が周囲に対し私情を挟むのを良しとする感覚があります。組織内部の部下に対しては確かに温情をかけるべきでしょうが、その範囲を無制限に拡大することは、結局は一種の公私混同でしかない。
公人や人の上に立つ人は、従来の感覚からすると水臭いと思われるぐらいの緊張感を周囲に対し持つべきではないか。
そうでなければ、不信感を拭い去ることができません。
実際、欧米諸国で地位の高い人は、フランクさを演出しながらも、同時に超然とした距離を保って周囲に接しているように感じます。
「アメリカでは人の上に立つ者はみな地位相応に怜悧」という勝海舟の印象は、そんな緊張感が生んだものでもあります。
日本の指導者もそのように振る舞うべきだと思います。
日本語学校教師、評論家:水牛健太郎
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