悔しいけど読んでみたい有料メルマガ
20年歩いて旅をした人によると、二度と行きたくない国はインド。
20年、ユーラシアを旅していても、人間、どこででも生きていけるもんなんだな。
日本人は、フーテンの寅さんに憧れるけど実際にはなかなかマネはできるものではない。
1億2000万人がフーテンの寅さんだったら、日本はとっくの昔にロシア(旧ソ連)やほかの白人の国に植民地にされていて、めっちゃ貧しい地域になっているよ。
日本語も忘れ去られて、みんなロシア語なんかしゃべってて混血になってるものがたくさんいて、優秀な元日本人は、ロシアに留学。ロシアで就職してもアジア顔だから差別されて不愉快な思いをしてるのかも。
みんなが働かないで貧乏して、それが普通だと思って1日中だらだらしているだけなら直ぐに植民地になっているね。
日本が白人の列強の国々に負けまいと頑張らなかったら、他の人々もあきらめきっていて頑張らないから今でもアジアとアフリカは白人のものだと思います。
インドネシアなんか、350年間もオランダに支配されていて、抵抗しても直ぐに
首謀者はオランダに殺されて丘の上で首を切られてさらしものにされていたんだよ。
どうしようもなかったんだよ。
聖書には、「落ち着いた生活をして自分で働いた糧を食べなさい。乏しいことがないためです。」と書かれている。
それでも、憧れるフーテンの寅さんのような生活。http://www.mag2.com/magspe/interview81/
日本人みんなが真面目だから、中にはフラフラ生きていても許される人も出てくる。
あちこちバックパッカーとして歩いて旅して、最後には好きな女性に巡り合えたけど結婚しないで日本に住む親が病気したのでその女性を置いて日本に帰ってきた人の有料メルマガだけど、おもしろそうだな~。
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まぐスペインタビュー↓
やはり暑さは堪えますか。
そうですねー。インドではトータルで1年4カ月くらい歩いてるんですが、雨季に入る直前ぐらいがもっとも暑いんですね。だいたい4月~6月くらいでしょうかね。暑さでおかしくなるのには段階があって、まずは脱水症状みたいになります。それを我慢して歩いていると、意識が一瞬飛ぶようになるんです。テレビの放送が終わった後の“砂の嵐”みたいな、ああいう感じに一瞬目の前がザザザッっとぶれるっていうか、景色が一瞬飛ぶんです。
そういうことを何度か経験して、これはヤバいなと思いつつインドの英字新聞を読んでみると、毎日インド人が100人単位で熱中症で死んでいるという。「次は俺の番じゃないか!?」っていう不安感に襲われて、「これはもう撤退だ!」と。無理して歩いてもしょうがない、という感じで、2年連続で帰国しました。やっぱり暑さは大敵です。
そういう中を歩くのには水は必要不可欠だと思うんですが、やはり生水には気を付けていたんですか?
極力、気を付けてはいました。今はどうだかわかりませんが、僕がアジアを歩いていた頃、今から10年以上前ですが、田舎の方ではミネラルウォーターはなかなか手に入りませんでした。どうするかと言うと、ココナッツ、ヤシの実を売っているので、それを買うんです。1個5円~10円、高くても20円くらいでしたね。それをナタで割ってもらって水代わりに飲む。おいしいのですが、一回割っちゃうと飲みきらなければいけないわけで、多い物だと1リットルくらいの量を一気飲みです(笑)。
それがないときには、生水を飲んでいました。で、ほぼゲリしていましたね。ゲリ症状は毎日あったんじゃないかなと。インドが一番ひどかったです。
では、歩いていて一番つらかったのは?
インドですね。暑さもあるし、インド人と合わなかったというのもあるし、カレーもからかったし(笑)。世界中の人といろいろ話してきたけど、インド人は図抜けて変わってるなと思いました。
子どもはなんにでも興味を持ちますよね。「なんでなんで?」とか「これどうなってるの?」なんて、質問もしてくるじゃないですか。これは日本を含めてどこの国も同じ。でも、大人になれば、興味はあっても隣の人に「なんで?」「どうなってるの?」なんて聞きませんよね。だっておかしいじゃないですか、全然知らない人にそんなこと聞くの。普通だったら、“大人になってそんなことを聞いたりしたらおかしいって思われる”とかって考えますよね。ところがインドの人たちっていうのは、子どものまま大人になってしまっている。子どもの“興味津々さ”を持ち続け、大人になっても「なんでなんで??」としつこく聞いてくるんです。
決して悪いことだとは思いませんよ。思いませんけど、やっぱり毎日そういう大人たちにワッと来られると疲れるし、いい加減にしてくれよってなってしまうんです(笑)。むこうにしてみれば、なんでこいつ怒ってるんだろうってことになるんでしょうけど。
じゃあ当然、二度と行きたくない国は…
それぞれいい体験もしているので、言いづらいんですが、インドは今度行くのなら、バックパッカーとしてではなく五つ星ホテルのツアーで行きたいですね。無用なことをいろいろ考えたくないんです。猛暑の中で宿を探す辛さ、飲み水がどこにあるかわからず右往左往する、なんていう旅っていうのは、精神的にけっこう厳しいですからね。
では、何度行ってもいいな、と思う国は?
これははっきりしています。スペイン、イタリア、トルコ、あと僕の場合は長くいたベトナムですかね。
ベトナムには何年いらっしゃったんですか?
5年~6年くらいですかね。むこうで女性と付き合っていましたから。南部のホーチミン市にいたんですが、当時ベトナムは、社会主義の国っていうのもあっていろいろ厳しくて、外国人と現地の人間が、結婚を前提としない、あるいは結婚の意思がないのに一緒に住んではいけない、っていう法律がありました。だから皆さんどうするかというと、地元の交番に毎月ワイロを持っていくんです。相場で50ドルって言ってました。そうするとお目こぼししてもらえて同棲ができるわけです。でも僕は同棲はしていませんでした。
僕はもっと古風な形で、夜這いです。付き合っていた彼女はバツイチで生後6ヶ月の女の子を抱えて実家で家族と住んでいたのですが、そこに週3回くらい、12時とかそこらになると訪ねて行って、コンコンと。そうすると、彼女のおじさんに当たる人がカギを開けてくれる。ちなみに、そのおじさんにもお小遣いをあげるんですけど(笑)。
ベトナムだけではないと思うんですが、向こうで現地の人と結婚したいと思ったら、その本人と両親、兄弟全員の経済的な面倒を見るというくらいの気構えがないと、あとから「話が違う」と言われるところがあります。『グッドモーニング・ベトナム』っていう映画の中で、デートにベトナム人の彼女の一族郎党がついてきちゃうっていうシーンがあったけど、あれです、あのまま。
僕はそのシステムっていうのはおかしいと思ったし、何よりしがないバックパッカーなわけだから、そんなに大金持っているわけではないし、正直言って彼女の一族みんなを養うのは無理でしたよね。でも、なんかよくわからないんだけどもそのうち、彼女と付き合うっていうことよりも、生後6ヶ月の娘の面倒を見るほうが楽しくなってきちゃって、僕が粉ミルクとかオムツとか買いに行って与えていました。不思議な疑似家族のようなものだったのかもしれませんね。
そこからまた歩き始めるきっかけは?
富山の実家の父が交通事故で亡くなったんです。それが一念発起した大きな理由ですね。
肉親が亡くなって、ようやく目が覚めたと。
そうそう、それくらい腰が重くなってて、根っこが張っちゃって。これがバックパッカーの世界で言う“大沈没”ってやつです。人間、こんなに怠けられるのかっていうくらい怠けていましたから。ダメ人間なんですよ、基本が(笑)。
よく、何のために歩いてるんですかって聞かれるんですが、単純な貧乏旅行でしかないんです。中には、世界平和のために歩いているのか、なんて聞いてくる人もいるんですが、正直、そんなことを意識したこともないし。移動手段が歩きなだけっていう、単なる僕の自己満足の貧乏旅行でしかないんです。だから、なんのためにって聞かれるのが一番困るんです。大義名分なんてないわけですから。
逃避なんですよね、ある意味。日本にいたら働かなきゃいけないですよね。でも、向こうではゲリしながら歩くだけなんだけど、なんか気分的にはやることやってるかな、っていう気にはなれるんです。歩いてますからね。だから、誰のためでもなく、僕の自己満足の世界。でも歩くって決めたからには、とにかく一筆書きでつながるくらい頑張って歩いてみたいっていうのは変わっていません。こんなに時間がかかるとは思ってなかったけど(笑)。
読者に何か一言お願いします。
人生をなめてかかっても、生きてはいけます。当然、なめた分のしっぺ返しはあるんだけれど、だからと言って死ななくてもいい程度には生きられる。そういうことをやっている僕を見て、笑ってくれればいいな、っていうか、もう笑ってもらうしかないなって思います、馬鹿な旅をやっているっていうのを(笑)。
一種のバーターっていうのかな、捨てたものは捨てたし、その分得たものは得た、と言うか。生き方もほかの人とずいぶん違っちゃいましたね。今のところ僕も、これでいいのかなっていう不安がないわけではありません。でも、これまで体験してきたことを否定する気はまったくありません。“面白いことをやってきた”っていう気持ちはありますしね。それをメルマガで書きたいと思っています。読んでいただければわかると思いますが、普通こういうことは経験しないし、まあしようとも思わないでしょうけれども(笑)、そういうことを比較的楽しんでやっている人もいるっていうのを知ってもらうのもいいかな、と思っています。“実録地球の歩き方”ですから。とりあえず笑えますよ。
広報ひとみの編集後記
何度か帰国をしているとはいえ、20年もの間、世界を歩き続けている平田さん。失敗談や事件・事故に遭った際のお話がとても面白く、笑いっぱなしのインタビューとなりました。そんな平田さんの「人生をなめてかかっても、生きてはいけます。死ななくてもいい程度には生きられる」という言葉を聞いて、なるほど!と思いました。ゆるく生きていけばいいんですよね。
メルマガは20年間歩いてきた平田さんの笑える体験ベストセレクション!毎週届く“実録地球の歩き方”が今から楽しみなひとみです。