オフサイトセンターの結論「賠償金を放棄するなら、所有権を言えばいい。」 | 日本のお姉さん

オフサイトセンターの結論「賠償金を放棄するなら、所有権を言えばいい。」

<その後のごん太と動物病院の訴え!>

人間も動物も殺すな!

病気も含めて里親になってほしい! 

震災は終わっていない

飼い主探すごん太

自分の家を探す救出された犬たち

     6月17日  柘植裕子

ご支援いただきまして本当にありがとうございました。
「あれば役に立つ」と膝を打つものから、スタッフへのお菓子、何度も送って下さる方、また、ご自身が
立ち入り禁止区域から東京に避難してきている方まで。

こちらが支援しなければならない立場ですのに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし、民間シェルターや
立ち入りで救出にあたるボランティアの方たちへと上手く配分して喜んでいただきました。
間に合わず、大分死んでいるのもいて哀れでなりません。入れさえすれば家畜も助けられたのにと本当に残念です。
県は、相変わらず「安楽死」の説得に追われています。立ち入りが禁止されていても家畜の世話に
入っている人もいて、その心情をおもんばかれば何が何でも安楽死の説得を続けるのはあまりに非情ではないでしょうか。

この国がこのように残酷な仕打ちをするとは考えもしませんでした。一頭の牛を育てるのに昼夜を問わず世話をし、
大変な労力と愛情をかけます。農家にとっても財産ですが、国にとっても財産です。助ける努力より安楽死の
ほうが手間はかかりません。しかし、助ける努力を充分にしてきたとは思えないのです。

宮崎での教訓は、まったく生かされていません。この政権に学習能力はないのかと思うのは、私だけでしょうか。
動物はおろか人まで見殺しにしたのです。原発の爆発後、救助を待つ動けない人を放置した責任は誰が負うのでしょうか。
助けを待ちながら餓死させた責任は誰にあるのですか。どんなに淋しく悲しかったかを考えてみて下さい。
もし、それが自分であり自分の身内だったら・・・そのような想像力を働かせただけでいたたまれない
気持ちになるのが人ではありませんか。

飯館の犬や猫のシェルターでは、中型犬やそれより大きな犬が相当数います。健康管理(血検やワクチン接種など)
はされていますが、ケージレストのためストレスになっています。いままで、自由にされていた動物達が多く、
動きを拘束された状態が長く続けばいつまでも健康ではいられません。それも一月なのか一年、それ以上なのか・・
これからの支援は、病気を含めてその動物達の里親になっていただくことです。里親を募集すると、
「病気がないか血液検査をしてほしい」「できれば純粋種が・・」「避妊去勢したのがほしい」「可愛いのを選びたい」と言うのです。
こんな事態ですから心や体の傷も含めて癒してやってほしいと思うのですが、これでは、ペットショップで買って
下さい、と言いたくなります。

震災の記憶は薄れつつあるのだと思いますが、福島は、まだ終われないでいます。東京の人達が線量の高さを
色々と取沙汰していますが、福島では、「そんなで騒いで、オレらはなじょすっぺ、死んちまうべ!」霊山など避難勧奨?
「なんだべ、それ。出でも出ねでもいい?早く言ってくんねど困っぺ」・・・今日、6月17日の参院
(http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php)で森まさ子議員が、スピーディーのデーターを
「知りながら出さずに子供たちを被爆させた・・」と言うくだりが耳に入り、いっきに血圧が上がってしまいました。

まだ2歳と生まれて3か月の孫が甲状腺癌になることはないのか、被災地からくる動物の血液検査の結果が
総じて悪いのは、劣悪な栄養状態と環境だけのせいなのかと毎日疑っています。動物は、ライフサイクルが
人間の約十分の一です。繁殖も短期間で代を重ねるので、催奇性や発癌率は早く影響が観察できます。
それを、観察していくつもりでいます。

ゴン太の近況は、傷は大分小さくなり5センチ程になりました。まだ、皮膚がついていませんので首輪が出来ない状態です。
だいぶ長い距離を散歩出来るようになりましたが、ごん太に限らず被災地から来た犬たちの癖に気が付きました。
無表情、尻尾が垂れてる、外へ出たがらない、当然散歩が嫌い、住宅街では、一件一件玄関の匂いを嗅ぐ、これは、
自分の家を探しているのではと見えるのですが、後姿が可哀想になります。ごん太は、飼い主さんに似た人が通ると
匂いを嗅ぎにそばに行こうとします。面会の時に飼い主さんが駐車した場所は、しばらくは散歩のたびに立ち止り
周りを探していました。

格別に可愛がられたりもせずに番犬の役目は果たし、たまにホームセンターで買ってもらったオヤツをもらい、
時々うるさく吠えて「しずかにしろっ!」なんて怒られても、それなりに満足な毎日をすごしていた犬たちばかり、
それでも飼い主さんを探す姿を目の当たりにすると震災にともなった原発事故のまねいた不幸は、あまりに多くて語りつくせません。
未だ避難所から自分の家に帰れない方たちや、期限のない移住を余儀なくされた方々が普通の生活に戻れるまで
お役に立ちたいと考えています。
ごん太も飼い主さんがもとの生活にもどれるまでここでお預かりするつもりです
が・・・いつ?
http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/tugesannnouttae.html

2011年6月29日
2011年6月28日 | 2011年6月30日
オフサイトセンター  被災動物保護牧場
2011/6/29(水) 午後 6:43

福島第一原発周辺の動物たち

木曜日までに、今回の報告書を上げないといけませんので、一生懸命書いていますがその合間に、またもや、、、いろんなことが…。

昨日依頼があった牛を助けてやてほしいという要望に対して、
本日私のところに、オフサイトセンターの「せき」さん(確かこういう名称)という方から連絡がりました。

畜産動物に関しては、搬出を認めない ということでした。

それでも、とにかく、書面をそろえる旨を言われました。
各市町村の許可や、県庁への書類提出?
いろんな枠組みを聞きましたけど、最後まで、どこに書類を送るかという具体的な話は教えられませんでした。

結果としては
「賠償金が出るのだから、餓死で死ぬよりは安楽死。」
「賠償金を放棄するなら、所有権を言えばいい。」
そういう結論でした。

これが、オフサイトセンターの結論であるとしたら、我々民間で何かやるというのは絶望的な話となります。


最後に言われました。

「無理ですよ。」


と。

生かせる道を考えてくれなかったことに、すごく残念な感じがしました。
当事者でないものがこんな感じで、残念な感じになるので、被災者の方にはもっとでしょう。

高邑議員が、管総理に
「家畜問題は、農水省と検討してやってくれ。」

と言われたことに対して質問すると、

「新聞やメディアは正しいんですか?それが事実ですか?答えてください。」

と、ものすごく高圧的な言い方でした。
正直、まいりました。
こっちが悪いことしている感じでした。

「ごめんなさい。」
って言わなきゃいけないくらいに、、、、

我々の調査についての話もしましたけど、

「そのような飼養目的の調査であるなら、許可は取り消すことを検討するので、、、、」

と言われました。

生かすための調査では、調査は認められないとの旨でした。

現地のオフサイトセンターのたじま本部長は、家畜問題もペット問題もやってくださるはずなのに・・・・。どっちが本当なんだろう?

「とりあえず、現段階では、公益性があるものでないと認められないし、現段階では、その要望は許可できない。」

とのことでした。

ということで、
「被災動物保護牧場」
このネーミングで、申請してみます。

一番わかりやすいし、食に供するとかの問題もクリアーできそうですね。

ただ、移動先の首長の許可もいります。周辺住人の許可も必要です。
これは、非常に時間がかかります。その間の、申請動物を生かすための許可に関しては
「だめです。それを許したら、農家の方全てがそうなるから…。」
と、言われました。理由は、

「いまだにプラントが不安定だから…。」

です。
え?そんな危険なの?いつ何かあっても不思議ではないの?

農家の方の要望を、最初から認めていれば、
こんなことにならなかったのに・・・・。

いずれにしても、お電話をいただいたのには感謝いたしますし、
完全に道が断たれるまで質問にお答えいただいたことにも感謝いたします。

高圧的で、驚きましたけど、メディアも、官僚さんも怖いですね。
もっと、昔話をした農水省の方々は優しかったのになぁ・・・・。仕事いっぱいで、追い込まれてるのかなぁ???
そういう印象を受けました。

今度は録音しておかないといけません。
今日のは、お聞かせしたい会話でした。

誰か録音してくれませんかね?
「牛を生かすことが悪いことですか?」
「被災者さんの声に耳を傾けた私がやってることが悪い事なのでしょうか?」
「菅総理が、ニュースで、農水省と相談してやってくれと報じられたが、、、」
などを聞くとわかると思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/shinjo_ah/archive/2011/06/29


立ちつくす牛馬を救う
2011年06月30日

生まれたばかりの子馬を抱える細川徳栄さん=福島県飯舘村、神沢写す

 ●470頭保護/全国から義援金

 東京電力福島第一原発の事故後、20キロ圏内などの避難区域に残された牛や馬を約470頭助け出し、引き取り先を探しながら世話を続ける男性がいる。飯舘村の家畜商で農家の細川徳栄(とくえ)さん(59)。全国から届いた700件、5千万円を超す義援金と牧草などの支援物資が支えになっている。

 ◎計画的避難区域 飯舘の細川さん

 原発事故直後の3月半ば、避難指示が出た南相馬市小高区の知り合いの農家が、避難先の新潟県から電話してきた。「牛をそのままにしてきた。何とか助けられないか」。翌朝、娘の美和さん(25)とトラックで牧場に向かい、8頭の牛を救い出した。

 避難中の農家の間で評判になり、依頼が相次いだ。大熊町や双葉町など約30戸の和牛約450頭や競走馬約20頭を保護。求めに応じて売却したり、遠くは京都の牧場などに避難させたりした。ガソリンやえさ、資金の確保に苦労したが、活動が報道などで知られるようになると、現金書留や物資が全国から届くように。4月には、米国オレゴン州で畜産業を営む米国人男性が2千万円を届けに来た。神奈川県から大型トラックいっぱいの牧草を運んで来た男性もいる。

 細川さんは畜産農家の3代目。生まれたときから牛や馬がそばにいた。「牛や馬は私の家族。見殺しにすることはできなかった」。6カ所に分かれた計約150ヘクタールの牧場には、もともと飼っていた馬32頭と繁殖用の牛20頭のほか、保護した後、買い手がつくのを待つ牛が約30頭おり、妻の多美子さん(64)、美和さんと3人で世話をしている。「計画的避難区域」の飯舘村では、原則全村民が避難するよう求められている。細川さんは「避難できる牧場が見つかるまでは村に残り、飼育を続けるつもりだ」と話している。(神沢和敬)
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001106300005