全てを失った被災者のための仮設住宅の現状
八木亘さんの仮設住宅訪問記
http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/
○いつも大変お世話になっております。
6月18~19日に各地の仮設住宅を訪問してきました。
最初に、お届けした物資を報告させて頂きます。(食料品は省略します)
【入谷中学校跡地仮設住宅】
・衣装ケース 8個 ・小型タンス 2個
・移動式屋内用物干し台 3台 ・金属製2段ラック 1個
・3段カラーボックス 5個 ・工具箱(工具一式入) 1個
・フッ素加工の玉子焼き器 10枚 ・回転式野菜水切り 5個
・アイロン 1個 ・アイロン台 1枚
・座布団 3枚 ・キッチンマット 1枚
・お盆 2枚 ・長さ調節機能つきの物干し竿 1本
・種々の食器・調理用具類
【気仙沼市津谷高岡住宅跡地仮設住宅】
・3段カラーボックス 3個
【気仙沼市津谷小学校グラウンド仮設住宅】
・3段カラーボックス 2個
ちなみに上記の物資は全然足りていませんので、バッティングの心配はありません。
今後もどんどん送って頂ければと思います。
○まずは入谷中学校跡地仮設住宅についてご報告致します。
最初に問い合わせのあった洗濯物を干すところですが、軒下に物干し竿をのせる金具はどの仮設住宅にもついています。
そして物干し竿1本は支給されているそうです。ですがハンガー類は必須なのでそれは買い揃えなければなりません。
また、写真を見ると分かりますが、軒下の空間はかなり狭いため、雨の日に外で干すことはできません。
屋内で干すための道具も必要になると思います。
世話人のTさんにお会いして色々とお話を伺いました。
仮設住宅には色々問題はありますが、まずは場所が辺鄙なことです。
買い物に行くには車で片道40分、ガソリンスタンドに行くには車で片道40分、金をおろしにいくのに車で片道40分
(全部場所がバラバラ)といった状態で、移動ばかりで時間が過ぎてしまうし、ガソリン代もばかにならない。
もうひとつの問題は、備え付けの家電製品ですが、基本一人暮らしの大学生が使うようなものであり、家族でつかうには容量不足。
上の理由で、買い物にいったらできるだけ買いだめをしなければなりませんが、冷蔵庫の容量が少ないため、結局繰り返し買い物にいかなければならない。悪循環ですね。
そういった理由で、日常最低限なことをするだけで一日が終わってしまい、疲れ果てて眠ってしまう、といった毎日で、自立云々という話にも現実味が感じられない状態だそうです。(仮設住宅に住めるのは2年間のみ)
また入居者は抽選で決まってバラバラに入ってくるため、実はまだどこに誰が住んでいるのか分かっておらず、顔合わせもリーダー決めもこれからということです。
上のような状態なので、もし一人暮らしの老人が入居してきて、付き合いもせず孤立していたら、孤独死しても不思議はないのが現状といえます。
今後は地域社会の人の繋がりをこえた、人の繋がりが必要になってくると思いますので、物・金の支援も必要ですが、コミュニケーションの支援が必要になるような気がしました。
行政は仮設住宅に入ったら後は自己責任といったスタンスですが、衣食住が確保できればそれで終わりというわけでは全くない、と感じました。
できるだけ早く仮設住宅から出られるように、一緒に汗を流すことが今後必要になるのでしょう。
書きたいことはまだまだいっぱいありますが、時間がないので、また日を改めて送信します。
6月20日 八木 亘
○入谷中学の仮設住宅の世話人Tさんの話の続きを順不同で書いていきます。
・仮設住宅では床に座るのが基本になるので、膝に負担がかかる。小さな机か椅子があればいいんだけど・・・
・Tさんは震災前は美容師をされていたそうで、再び仕事につくのは難しいと嘆いてました。先日TVニュースで、大船渡で美容師の被災者に全国美容師組合(?)が援助をして、仮設の店を開かせる話があったことを話しましたが、全然そんな話は知らないということでした。(何かそういう援助の話を知っている方がいたら教えて下さい。)
・ホテル観洋ではブラジャーの支援があると、サイズの確認をする余裕もなく「アフリカの難民キャンプのように」奪い合いになるそうです。(女性支援者の方、お願いします)
・とにかくどこに行っても虫だらけなので虫よけは必須。(実際話してる最中もハエに悩まされました)
・食料の支援は買いだめで常に冷蔵庫が満杯のため、日持ちする素麺・冷麦などが望ましい。(となると麺つゆも)・ですがやはり一番必要なのは収納用品ということでした。無印良品などで見かけるPPケース引出し式のようなものが、積み上げることも可能でダンボールでも送れるのでよいかも知れません。(これは本吉町も同様)
・また私がいる時間帯に、明治牛乳と富士薬品がきていました。明治牛乳は牛乳の配達を行い、富士薬品は富山の薬売りの 方式で薬箱を配っていました。他に廻ってくる業者は特にないそうでした。
・またすぐとなりの入谷小学校のグラウンドにも仮設住宅が建設中でした。夜はTさんの勧めでホテル観洋避難所に泊まりました。
隣の部屋に世話ん人のKさんがいらっしゃったので、長時間語り合いました。
Kさんは被災者の間に、支援を当たり前のように考えてしまう支援慣れの風潮が出てきている、と危機感をもたれているようでした。
現実的な自立へとつながる支援ができればいいんでしょうが、言うは易しで、なかなか難しそうです。
本吉町についてはまた日を改めてお伝えします。
6月23日 八木亘
○最後に本吉町訪問についてお伝えします。
本吉町では世話人さんにお話を伺いました。
本吉町については、山道を通っていったせいで、海岸の被災地をみてないための印象もあるのですが、町の基本的な機能は損なわれておらず、
町ごと津波にさらわれた南三陸町に比べると、まだまだ大丈夫なように見えました。
中心部の旧本吉町役場の気仙沼市役所出張所周辺もきれいなものでした。
気仙沼市と本吉町は、平成21年に統合して一つに市になりました。
そのため気仙沼は気仙沼、本吉は本吉といった意識はあるようで、世話人さんの話でも議員の訪問など気仙沼には何人も行っているが、
本吉にはだれも来ないということで、何で来ないのか催促することもあるのだとか。
本吉の松尾コミュニティーセンターの閉所については、その後の落ち着き先は、独身の人が一人公民館の一部に寝泊りしている他は全員決まったそうです。
その公民館も居住性はよいそうです。
仮設住宅については、入谷とは違って町の機能が残っているため、買い物に苦労するということはないようです。
また会社も普通に残っているため、仕事がある人も多いそうです。そのため自立についても南三陸町と比較すると、雲をつかむような・・という感じではなく、家の再建をどうするか、といった具体的な話もでていました。
本来そうでなければならないのですが。
但し仮設住宅は抽選のため、よその地域からくる人も多く、入谷と同じく顔合わせやリーダー決めなどがまだされていないので、
そういった人々の状況についてはまだ分かりません。写真にありますように、早くから入っている人の部屋は結構整ってきていますが、
これから入る人は一からそろえなければなりません。
前回地域の人の繋がりをこえた新しいコミュニケーションについて書きましたが、仮設住宅単位での新たなまとまりを作り上げていく上でのきっかけとしても、
今後の支援が役に立つようになればと思います。
そのためにも今後、各仮設住宅の具体的な状況と持ちうる将来の展望について、継続的に知らなければならないと思います。
特に行政が仮設住宅にいれてしまえばおしまいおしまい、といった意識でいる以上、代わりに世間に周知するくらいのつもりで関わっていきたいと思います。
本吉町の津谷の世話人様に伺った支援希望物資についてご連絡します。
・下駄箱(といっても玄関が狭いため小さいもの)・灯油ボックス・ゴミ箱
・洗濯カゴ・傘・鍋 ・まくだけ虫よけ(これは入谷の世話人様も求めていた)
・洗いおけ(流しで蛇口の下に置く桶のことらしいです)・アミボール・LEDランタン、ミシン、アイロン
6月23日 八木亘
※本吉町については世話人さんから詳しい報告と写真があります。そちらも参照してください。一言で言って、被害にあったところとあわなかったところに大きな差があるのです。
世話人の居住地津谷も3分の2は流されていますし、それより海に近い小泉地区では175軒中170軒が流されています。しかし海から遠いところでは残ったところもあるのです(山)
写真下、南三陸町入谷の仮設住宅
①②③④⑤⑥一部屋が支援物資置き場となっている⑦⑧
ホテル観洋避難所 ①玄関②掲示板の仮設希望調査③臨時職員募集
気仙沼市津谷小学校仮設住宅
気仙沼市津谷高岡仮設住宅
栗山さんのレポート
http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/
こんばんは。
いつも大変お世話になっています。
本吉町を気にかけて頂いて、ありがとうございます。
6月11日~13日、本吉に行ってまいりました。
11日にはアリーナの工藤さんにも無事冷蔵庫をお渡ししました。
志津川地区は4月にも訪れましたが、相変わらず中心部はひどいですね。
アリーナ近くのまたいで超えられそうな小川の両岸に広がる瓦礫を見て
こんな所にまで津波が到達したのかと驚くばかりでした。
松尾の避難所では、日大の酒谷教授ともお目にかかることが出来
少しお話に混ぜて頂きました。
その時にお伝え致しましたが、今最優先で心理的なケアを要するのは
家を失った被災者を支援している自宅被災者だと私は考えます。
復旧・復興が長引いて被災者の心は相当荒れています。
特に家を失った人とそうでない人との間には大きな溝があります。
その結果、同じ被災者なのに自宅被災者が家を失った人から度を越した
暴言をぶつけられるということもあるようです。
でも言われる側は『家、流されずに残っちゃってるから...』と
我慢せざるを得ない。被災地では誰もが被災者だということです。
今回、親戚に連れられて翌12日には震災以来初めて市街地まで
足を延ばしてみました。
本吉町を市内に向かって進むと観光名所となっている「岩井崎」という海岸が
あるのですが、その光景の凄惨さに衝撃を受けました。ショックすぎて気分が悪くなっ たほどです。
あの日から時が止まったまま、何ひとつ手つかずのまま残っている箇所です。
新校舎の記念式典が済んだ午後、地震が起きてもう使えなくなった気仙沼向洋高校の校 舎。水産加工会社、津波に破壊された津波体験館。
そして墓地の入り口にはまるで墓石のフリーマーケット状態。
この光景が、被災地全てに広がっていたんだなと感じさせられる場所でした。
現在の本吉町ですが、小泉地区に暮らす親戚より仮設に入った方から『ミシン、アイロン(勿論中古で)』のリクエストが多くなんとか手配してもらえないかと相談されました。
様々あたってみたのですが、調達出来ずにいます。
それから虫の問題に関して。
本吉町では近隣に漁港があったという土地柄ではなく、
今のところ虫の発生、臭いの問題はおきていません。
ただ階上(はしかみ)、鹿折(ししおり)地区に関しては
腐った魚からウジが沸き、かなりの大きさに成長したハエが飛んでいて
大変な状態だと聞いています。
(階上を通過した際は、窓をきっちり閉めていたにも関わらず
かなりの臭さでした。問題なのは、地元住民がその悪臭に
慣れてしまっていることだと思います。マスクをし忘れると言ってました。
これからの時期、衛生面が心配です)
スプレーの殺虫剤、蚊取り線香、ハエ取りリボンが欲しいと頼まれ
ある程度の数を持参したのですが
あっという間に無くなったそうです。もう現地では入手が難しいそうで
今後もハエ取りリボン’←一番欲しいとのこと。)
を定期的に送る予定です。
知人が入居した仮設住宅にもお邪魔してみました。
一人暮らしは4畳半一部屋。
二人暮しは6畳と4畳半。そして台所にはかなり余裕を持たせた作りです。
いずれにしても、夏の暑さに耐えられるだろうかという簡素な作りでした。
隣の話し声も筒抜けです。
仮設に入ったから、終わりではないですね。
きっとこれから新しい問題が次々に出てくる気がします。
また思い出したことがあったらご報告させて頂きますので
よろしくお願い致します。
6月17日 栗山麻美
東日本大震災:仮設住宅当選者入居にためらい 生活不安で
仮設住宅の入居者らを対象に開かれた説明会=宮城県南三陸町戸倉坂本で2011年6月5日午前10時4分、村尾哲撮影
宮城県南三陸町で、被災者が仮設住宅の抽選に当たりながら入居していないケースが多発している。入居した場合、食料の支給を打ち切られることなどへの不安が背景にあるとみられる。仮設住宅への当選を待望して避難所暮らしを続ける被災者も多いため、町は5日の住民説明会で、1週間後の今月12日までに入居しない場合には明け渡しを求める対策を明らかにした。
町内の仮設住宅申込件数は2025件で、町は希望者全員を入居させる方針。ただ、5日時点の工事進捗(しんちょく)率は約50%にとどまっており、これまでに抽選に当たって鍵の引き渡しを受けたのは約450世帯という。
一方、被災者から「入居していない部屋があるのはなぜか」などの問い合わせが相次ぎ、町がガスメーターや夜間の照明などを確認したところ、かなりの数が未入居だったことがわかった。入居率が高いとみられる場所でも6~8割という。
背景には▽避難所から仮設住宅に移った場合、食料や物資の支給がなくなり、光熱費も自己負担になる▽働き口や商店など生活基盤がほぼすべて流された中で自活を求められることへの不安が強い▽水道復旧率が依然数%にとどまっている--などが挙げられる。町によると、荷物を運び込んだだけだったり、一度も足を運んでいない人もいるという。
多くの被災者が仮設住宅に入れるのを待っていることから、町は入居期限を設定。空きが出た場合は再抽選して入居者を決め直す。西城彰・町建設課長は5日の説明会で「それぞれの事情があるかもしれないが、待機者を早く入れるべきだという声が強い」と理解を求めた。
同町の志津川小グラウンドの仮設住宅に住む男性(70)は「ここでも両端の2部屋が空いている。(被災者の)生活への不安解消に向け、義援金を早く支給するなど行政も対応してほしい」と話した。【村尾哲】
毎日新聞 2011年6月5日 21時11分(最終更新 6月5日 21時13分)
http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/
現地からのレポート
6月5日 千葉市 野田由美子
http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/
こんばんは。
なんとか、帰ってきました。
行くときに、久々にエリアメール(緊急地震速報)が鳴ってびっくりしました。
こちらは、震度1とか2だったようですね。
6/4ははじめに志津川中学校へ行きました。
志津川中学の世話人のTさんや、都内のHさん、FMラジオ局のK(ホテル観洋世話人)さんに会いました。
志津川中学校の炊事場は写真のとおり外にあります。
鍋がそろったのは、ごく最近のようです。
Tさんは仮設住宅の話をしてくれましたが、
1世帯に割当てられたのは、4畳半2つに布団、流し台、冷蔵庫、トイレ、お風呂などはあるが、タンスなど
物を入れるものは無く自分で用意しなければならないといっていました。
(この話をしている途中で彼女は泣き出してしまいました。彼女は仮設の当選者です)
バスマットや洋服を掛けるもの等あたりまえにあるものがない・・・ 仮設に入ったら、自立してほしいという町からの要望なので、当然食料の支援はなくなります。
そのため、仮設住宅の抽選に当たってもなかなかみなさん仮設住宅へ 入らないようです。
今日、ニュースでも報じられていましたが、1週間以内に入らなと、辞退してもらうことになると町役場の
方から町民に話が出たそうです。
収入が無い人はこれからどうやって生活していけばいいのでしょう?
町役場のほうでそれだけの雇用を用意しているわけでもないのに。
続いて本吉町。S世話人にお会いしました。(写真が無くてすみま せん)こちら松尾の避難所は6/12までとなったようです。
でもやはり仮設住宅に何があって、何がこれから必要となるのかがわからず、入居予定の方は準備ができないようです。
そちらの仮設住宅には押し入れはあるようですが、やはり物入れがない。
Sさんは3段ボックスの様なものが必要といっておられまし た。
(これは、Sさんから支援要請があるかもしれません)
これからは、仮設住宅へ入居される方への支援が本格的に必要になりそうです。でも、地域によって若干必要なものは違うかもしれません。
本吉町は今は近所の主婦の方が交代で避難所の食事の支度をされているそうです。これからは、各自でやっていけるのか?
志津川中学校の方では、仮設住宅に入る方のために日持ちのする食 料、例えば乾麺(そうめん、そば、パスタ等)とそれに必要な麺つゆやレトルトか缶詰のソースなどを送ってほしいといわれました。
あと、どこでもそうだったのですが、虫が多くて、虫コナーズやバポナ(虫よけ)もほしいといわれました。
仮設住宅の方は一からいろいろなものが必要になります。
食料支援もどうするか課題になります。
前回は歌津の田の頭しか行っていなかったので、その周辺の話しかわ からなかったのですが、
今回は避難所へも行ったので、いろいろなことがわかりました。
まず、家が有る人と流された人でかなり温度差があるようです。
今回、志津川大森地区へ行きたかったのですが、Tさんに「あ そこは家もあるし、ニュースに載ったから支援もきているみたいだし、大丈夫よ」
といわれてしまいました。
(でも、ツイッターで呼びかけたら、大森地区の 「さかなの三浦さん」というかたが「カップ麺、レトルト食品、調味料、蚊取り線香が欲しい」と言われました。
でも、知ったのは出発2時間前とかだったので、用意するのは断念しました。申請すれば町からもらえるものもあるので、そう返信しておきました)時間もなく、結局さかなの三浦さんには会 えませんでした。
あと、これは本吉町の世話役Sさんにきいたのですが、津谷の大沢 地区では家が流された49世帯を民泊で支援していた
ということで す。 これには、本当に驚きました。自分の家で1世帯ずつ寝泊まり してもらって、一緒に生活して支援をするなんて、生半可なことじゃな いと思います。
食事もみんなで持ち寄って作り合って、しのいでいた。私が見せてもらった松尾コミュニティセンターでは仕切りなどなく、 みなさん肩を寄せ合って寝泊まりされていたようです。
これは、普段 から近所付き合いを大切にしていたからできることであって、 都心で隣に誰が住んでるか関心をもたない都会人がすぐできる芸当で ないことは確かです。
やはり、私たちはエネルギー資源の問題も含めて、自分たちの生活を 見直す時期にきているのでしょうね。
(津谷大沢地区は5/31で避難住民はすべて仮設住宅へ入居し、 民泊による支援活動は終了したようです)
本吉町のSさんも、すばらしい方ですね。家にいけば着替えがあるのに、避難されているかたに遠慮して 何日も着替えをせず、毎日同じものを着ていたそうです。お風呂も他で入れる機会があったのもかかわらず、 避難されている方が入れるまで待ったそうです。
本当に頭が下がりま す!
ラジオ局のKさん(Tさんも)ペットを飼っていて、避難所にいれられないので、車の中で面倒をみていたという話もききました。
(これも、大変です。被災当時は寒かったので、ペットのためにエン ジンをかけていたという。残り少ない燃料もかえりみず) ラジオ局はだいたい生活情報を流しているようです。法的手続きやどこでどういったイベントがあるかとか。
一日二回の放送なので、空いた時間は音楽も流しているようです。
あとは、田の頭の世話人宅では、やはりみなさん体調が悪そうなの で、早めに辞退させていただきました。
(世話人のお父様は病院へ行かれていて、お話はうかがえませんでし た。)
最近、天候や気温差は激しいのが祟ったようです。 早く、回復していただけたらと思います。
長くなってしまって、すみません。 私からの報告は以上です。 志津川大森地区はツイッターでもう少し情報を仕入れたいです。
Tさんの話とは違い、現状がひどいようならなんとかしてあげ たいです。 (この地区は62世帯、268名が生活しているようです。)
写真は主人が撮ってくれました。
本吉町のようです。
落橋した小泉大橋ですかね。
志津川中学避難所の炊事場です。
志津川中学から志津川地区を望む。無料バスが写っている。
志津川中体育館裏?
志津川中グランド
歌津の世話人宅です。
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何かダンボール1箱でも援助物資を
送ってあげようと思う方は、
山際澄夫ブログの左下にメールして
ダンボールを送る人の住所を聞いて
宅急便で送ってあげてください。