日本国民を骨までしゃぶって欲しいのよ。財務省サマ。民主党政権で日本人はもっと貧乏に。
骨までしゃぶって 財務省サマ
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須藤 文弘 (頂門の一針)
民主党政権は予算編成の経験と力量がなかった。必然的に財務省の軍門に降るしかなかった。そうなると、公務員改革などは実現不可能であることもまた必然であった。民主党とは、「画餅」を掲げた理想主義的子供の集団であったという事である。
大震災発生と同時に「願ってもない増税のチャンス」だと、ほくそ笑んだ一群があった。
財務省を敵にしたのでは政権を担当出来ないことに気付いた民主党政権は、公務員改革の旗を降ろし、財務省路線をひた走ることによって政権政党の体を繕おうとした。当然、選挙公約のマニュフェストを大幅に退歩させるしかない。
鳩山政権のときから、仙谷氏や菅氏は財務省に操られ始めた。菅政権になってからの参議院選挙で「10%の消費税増税」を唱導したのは、ひとえに、財務省の覚えをめでたくし財務省の全面的支持を得んがための節操無き国民への背信であった。
骨がらみの「政官癒着」、湯あたりしてのぼせ上っている事すら気がつかないで「利権温泉」の湯治客のような自民党ではこの先の日本の経済に暗雲が漂っている現実に対して、「政府支出の無駄の排除」、「公務員改革と官僚の天下り禁止」、「政治主導」などの公約は、これこそ求められている政治だと、国民の大半が民主党を支持し政権交代がなった。
しかし、財務省主導のこの路線に邪魔になるのが、小沢氏とその一党ということになる。「小沢切り」は財務省に忠節を尽くす証文のようなものである。「小沢を切りますから助けて下さい、財務省様」と哀願する許可証のようなものとなった。
財務省にとっては、なまじ知恵がついている自民党よりも民主党の方が御しやすいばかりか、「柳腰」ですり寄ってきて裾を引く民主党の方が可愛げがあるというものだ。例え、鳩山氏のピントがズレていても、菅氏が地位にしがみつく愚物であっても、仙谷氏の弁護士としての挙動に軽挙ありとしても、その全てが可愛い。御しやすいし騙しやすい。
この時期を逃しては「増税」の好機は遠のくとばかりに現政権の擁護をしている財務省を頂点とする霞が関の高級官僚群という構図になってしまった。
仙谷氏らの賢しらな暗躍は、ここでもう一度予算編成に財務省の協力が得られれば、自分たちも予算編成になれてくるという計算があるのかもしれない。
公務員改革を潰そうとする官僚の遣り口が全て顕在化するので、その後再び「新公務員改革案」などを持ち出し、民主党らしさを出そうとする深謀遠慮がないとは言えない。
日本の国家財政は破綻前夜にあるという。企業に例えるならば、一時的赤字の段階ではなく、構造的赤字のレベルにあり、借金返済の目途は立たたない。
しかも、本業の売り上げ増も見込みがなく、民事再生や会社更生の申し立てを密かにではなく検討すべき段階にあるという。
この事態に至って、我が日本株式会社の幹部役員たる高級官僚は、株主であり債権者でもある国民に「大幅な増税」を仕掛けようとしている。
瀕死の会社に更なる出資を強制しようとしている。
では、その増税の目的はなにか。
米国へのミカジメ料を遅滞なく、要求より多めに貢いで喜んでいただき、褒めて戴く。
事業仕分けでほんの一部分が、それもさし障りの少ないごく一部を垣間見せた、政府支出の無駄の排除事態をも反故にしてしまい、今までの既得権益を守る。
公務員の天下り・・高級官僚ばかりではない・・を今までどおり行い、充分な所得を保証する。国家財政がいかに危機に瀕しようと、官僚自身の給与の確保を第一とする。
そのうち、国家財政も景気の復活とともに上昇するであろう。もし、上昇しなくても、それは役人のせいではない。それこそ、政治の貧困であり、政治家の無能であり、国民が愚昧だからであり、官僚には一切の責任がない。
一部の若手官僚が官僚の将来について憂えているようだが、国家財政が破たんした時は、自分たちの入省時期が悪かったのであり、現在の幹部官僚のせいではない。
官僚は、政治の責任をとる立場ではない。法がそれを保証している。その先のことは、あらためて、政治家たちと今の若い官僚たちとが国家の再建に努めればいいのだ。
俺たちは、俺たちのことだけしか考えない習性というものが身についているのだ。いや、入省以来長い年月をかけて身につけさせられたのだのだから、その他の思考回路というものがないのだ。という本音が聞こえてくる。
これが、増税政策を唆し、増税路線を踏襲するポスト菅総理を支持する財務省の本質である。マルクス経済学ケインズ派かハイエク派なのか、資本主義的共産主義派か社会主義派なのか、なんでもありの永田町なら、「大連立」ではなく、「増税財政再建派」か「非増税財政再建派」かで、政界再編をしたらどうだ。
我慢強く、うるさいことは言わずに見守ってくれる国民は、議会制民主主義などという一部の国会議員さえ定かに認識出来ていないことには寛容かもしれないから。言いたい放題、したい放題の議員諸氏が許されているのだから、せめて、国民に分かりやすい政治をしてみたらいかがであろうか。
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須藤 文弘 (頂門の一針)
民主党政権は予算編成の経験と力量がなかった。必然的に財務省の軍門に降るしかなかった。そうなると、公務員改革などは実現不可能であることもまた必然であった。民主党とは、「画餅」を掲げた理想主義的子供の集団であったという事である。
大震災発生と同時に「願ってもない増税のチャンス」だと、ほくそ笑んだ一群があった。
財務省を敵にしたのでは政権を担当出来ないことに気付いた民主党政権は、公務員改革の旗を降ろし、財務省路線をひた走ることによって政権政党の体を繕おうとした。当然、選挙公約のマニュフェストを大幅に退歩させるしかない。
鳩山政権のときから、仙谷氏や菅氏は財務省に操られ始めた。菅政権になってからの参議院選挙で「10%の消費税増税」を唱導したのは、ひとえに、財務省の覚えをめでたくし財務省の全面的支持を得んがための節操無き国民への背信であった。
骨がらみの「政官癒着」、湯あたりしてのぼせ上っている事すら気がつかないで「利権温泉」の湯治客のような自民党ではこの先の日本の経済に暗雲が漂っている現実に対して、「政府支出の無駄の排除」、「公務員改革と官僚の天下り禁止」、「政治主導」などの公約は、これこそ求められている政治だと、国民の大半が民主党を支持し政権交代がなった。
しかし、財務省主導のこの路線に邪魔になるのが、小沢氏とその一党ということになる。「小沢切り」は財務省に忠節を尽くす証文のようなものである。「小沢を切りますから助けて下さい、財務省様」と哀願する許可証のようなものとなった。
財務省にとっては、なまじ知恵がついている自民党よりも民主党の方が御しやすいばかりか、「柳腰」ですり寄ってきて裾を引く民主党の方が可愛げがあるというものだ。例え、鳩山氏のピントがズレていても、菅氏が地位にしがみつく愚物であっても、仙谷氏の弁護士としての挙動に軽挙ありとしても、その全てが可愛い。御しやすいし騙しやすい。
この時期を逃しては「増税」の好機は遠のくとばかりに現政権の擁護をしている財務省を頂点とする霞が関の高級官僚群という構図になってしまった。
仙谷氏らの賢しらな暗躍は、ここでもう一度予算編成に財務省の協力が得られれば、自分たちも予算編成になれてくるという計算があるのかもしれない。
公務員改革を潰そうとする官僚の遣り口が全て顕在化するので、その後再び「新公務員改革案」などを持ち出し、民主党らしさを出そうとする深謀遠慮がないとは言えない。
日本の国家財政は破綻前夜にあるという。企業に例えるならば、一時的赤字の段階ではなく、構造的赤字のレベルにあり、借金返済の目途は立たたない。
しかも、本業の売り上げ増も見込みがなく、民事再生や会社更生の申し立てを密かにではなく検討すべき段階にあるという。
この事態に至って、我が日本株式会社の幹部役員たる高級官僚は、株主であり債権者でもある国民に「大幅な増税」を仕掛けようとしている。
瀕死の会社に更なる出資を強制しようとしている。
では、その増税の目的はなにか。
米国へのミカジメ料を遅滞なく、要求より多めに貢いで喜んでいただき、褒めて戴く。
事業仕分けでほんの一部分が、それもさし障りの少ないごく一部を垣間見せた、政府支出の無駄の排除事態をも反故にしてしまい、今までの既得権益を守る。
公務員の天下り・・高級官僚ばかりではない・・を今までどおり行い、充分な所得を保証する。国家財政がいかに危機に瀕しようと、官僚自身の給与の確保を第一とする。
そのうち、国家財政も景気の復活とともに上昇するであろう。もし、上昇しなくても、それは役人のせいではない。それこそ、政治の貧困であり、政治家の無能であり、国民が愚昧だからであり、官僚には一切の責任がない。
一部の若手官僚が官僚の将来について憂えているようだが、国家財政が破たんした時は、自分たちの入省時期が悪かったのであり、現在の幹部官僚のせいではない。
官僚は、政治の責任をとる立場ではない。法がそれを保証している。その先のことは、あらためて、政治家たちと今の若い官僚たちとが国家の再建に努めればいいのだ。
俺たちは、俺たちのことだけしか考えない習性というものが身についているのだ。いや、入省以来長い年月をかけて身につけさせられたのだのだから、その他の思考回路というものがないのだ。という本音が聞こえてくる。
これが、増税政策を唆し、増税路線を踏襲するポスト菅総理を支持する財務省の本質である。マルクス経済学ケインズ派かハイエク派なのか、資本主義的共産主義派か社会主義派なのか、なんでもありの永田町なら、「大連立」ではなく、「増税財政再建派」か「非増税財政再建派」かで、政界再編をしたらどうだ。
我慢強く、うるさいことは言わずに見守ってくれる国民は、議会制民主主義などという一部の国会議員さえ定かに認識出来ていないことには寛容かもしれないから。言いたい放題、したい放題の議員諸氏が許されているのだから、せめて、国民に分かりやすい政治をしてみたらいかがであろうか。