日本の警備態勢では「原発テロを防げない」ー原発同時爆破テロで日本は住めない島になる。
アメリカの外交公電も「いささか台本通り」と危惧!
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20110620-01/1.htm
北朝鮮工作員もフリーパス? 縦割り行政の 日本の警備態勢では「原発テロを防げない」
(SAPIO 2011年6月15日号掲載) 2011年6月20日(月)配信
文=田上順唯(ジャーナリスト)
「想定外」の津波により発生した福島第一原発の事故は日本にテロ攻撃を目論む者たちに、いかに少ないコストで多大な効果を引き出せるかを図らずも示してしまった。津波をテロに置き換えた場合、警備の内実は実に心許ない。
原発のずさん過ぎるテロ対策
「東日本のある原発では近年までゲートの警備も徹底されず、入構証さえ持っていればほとんどの『協力企業』の日雇い労働者もフリーパスで施設内に入ることができた。そのような状況だから情報収集を目的とする補助工作員と目される人物が入り込んでいたこともあった。
反対運動が過激だった時代には、原発の稼働寸前に金網が破られている。駆けつけると近所の住民が敷地内でキノコを採っていた。信じられない光景だった」
長年、原発警備にあたっていた県警捜査員はため息をつく。この証言を補足するのは「警察と犬猿の仲」だった活動家の男性だ。
「抗議行動の際、正門前から抗議のため原発内に入ろうとしたが警備に阻まれた。せっかく遠くから来たのだからと、ダメ元で裏に回ったところ通用口が開いていたので、敷地内に入って抗議した」(元学生運動家)というように、かつての原発の警備態勢は「まったくの『ザル』だった」と両者は口を揃えるのだ。
作員に対抗するには警察では限界がある
長く「牧歌的」でさえあった原発警備を変えたのは2001年に発生したアメリカ同時多発テロだ。その後、監視カメラや侵入者警戒システムも完備され、警備にあたる警察官も「機関けん銃」と呼ばれるサブマシンガンを持った特殊訓練を経験した警察官が配置されるようになった。
「万全の警備態勢」(東電関係者)のように見えたが、3月31日、福島第二原発に抗議の街宣車がゲートを突破して侵入し、敷地内を走り回る事件が発生するなど、問題点は残る。
「現在は全国の警察から特殊部隊が交代で警備にあたっており、諸外国の特殊部隊との研修、訓練も盛んで、高い近接戦闘能力を持っている。
だが、サブマシンガンを持たせただけという機動隊員も多く、専門性の高い要員は圧倒的に不足している。
テロを考えた時に北朝鮮工作員らの持つ軍用自動小銃やロケットランチャー等に対応できる装備や態勢かといえば、正直心許ない」
事実、自衛隊の研究により、北朝鮮工作員の主な武装はロシア製AK47と同等レベルの軍用小銃、小型軽便のサブマシンガン、そして個人携行可能な対戦車ロケットで陸上目標に対する攻撃も可能なRPG-7などであることが判明している。警察特殊部隊の装備をはるかに上回る火力だ。
このような危機的状況は昨今、世界中の為政者を戦慄させている「ウィキリークス」で公開された米国外交公電の中の「懸念」でも明らかだ。
06年1月の公電では、美浜原発で行なわれたテロ対策訓練が「いささか台本通りで完璧すぎた」と痛烈に皮肉っている。
続いて06年11月の公電では、茨城県東海村でのテロ対策訓練で「進行表を事前に渡されていた」と日本の原発警備を批判している。
また07年2月の公電によると日米協議で日本政府に原発の警備態勢の甘さを指摘。「プルトニウムの保管施設」として、アメリカ側が重要視する東海村の施設をはじめ、多くの原発で武装警察官が配置されていないことを日本側に問い質したところ、日本側は「武装警察官の配置が正当化できるほどの脅威はない」と否定的な見解を示したとされている。しかし、本当に現実問題として「脅威」は存在しなかったのだろうか。
90年10月には、「美浜事件」と呼ばれる事件が発生している。この事件は、福井県三方郡美浜町の「原発銀座」のど真ん中で、工作員の使用する潜入用の小船やゴムボートと漂流する工作員2名の死体が発見された。その後の捜査で乱数表や換字表、モールス信号用の電鍵等の「スパイ道具」や水中スクーターなどが相次いで発見されたことで北朝鮮による工作事件と断定された。さらに98年12月には複数の北朝鮮軍人の死体が原発周辺で上がるなどの不審な事件も発生したが、警察当局の「見立て」は緊張感を欠いたものと言わざるを得なかった。
「工作員にとって原発は『夜間の潜脱において煌々と明かりを灯すランドナビゲーション』以外の何物でもない」(外事捜査員)という考え方が支配的だったのだ。眼前を重武装した工作船が行き来していながら、それらからのテロ攻撃をまったく想定してこなかったというのは楽観的すぎるではないか。前出の外事捜査員もこう言う。
「原発警備では、警察は陸、海保は海といった厳然とした縄張りがある。そして、どちらの組織も陸海空を機動できる充分な能力を持たない。詳細は言えないが原発警備にあたっている機動隊員はごく少数だ。実効的な警備を行なうには、火力も機動力も勝り、何より人数の多い自衛隊に担当してもらうほかない。現在でも政府が『治安出動』を命ずれば自衛隊による原発警備は可能だが、日常的に警備を行なうには法改正が必須だ」
自衛隊でも重要施設が
あっさりと“占拠”“爆破”
警察官も認める自衛隊の能力だが、その自衛隊による警備の妨げとなっているのは、「縦割り行政」と「セクショナリズム」だという声がある。
「1年間にのべ何名を原発警備に張り付かせたかという『数字』が、警察行政には必要不可欠となっている。つまり、前年度にどれだけの人員を出したかという“実績”が、翌年度の予算に直結するため、実際には対テロ攻撃には不充分な装備・人員であっても、ここから生み出される数字は警察の既得権益となっている。官僚の『党派の論理』が優先され、現実的なテロ対策を遅らせている」(警察庁関係者)
ウィキリークスが暴露した08年の公電では、「(日本の)官僚制の中での縦割りと目先のリスク回避の気風が、(中略)準備が整っていない脅威に対する日本の脆弱性を大きくする可能性がある」と指摘。まさにその懸念と同じ現実が存在しているのだ。
一方の自衛隊では「9・11」以降、テロやゲリラ戦などの「不正規戦争」に対する備えとして、市街地戦闘や至近距離射撃などの訓練が重視されると同時に、それらと関連して「重要防護施設」の警備訓練も本格化した。
具体的には少数のレンジャー隊員を「対抗部隊」つまり仮想敵として「重要防護施設」に実戦さながらに投入する。夜闇に乗じて警備態勢の間隙を突いて施設に潜入。民間業者の服装で正面ゲートから入り込むなど、あらゆる手段で「工作員」になりきり、実際の警備態勢が適切であるかどうかを判定するといった「想定訓練」を秘密裏に行なってきた。
しかし、自衛隊自らが警護する「重要防護施設」でさえ、この「対抗部隊」を用いた訓練ではあっさりと施設を“占拠”“爆破”されたケースが多く、テロから守る側のノウハウの蓄積が「失敗学」の観点からも進められている。
同様のシミュレーションを原発で行なうことはもはや必須といえる世相だが、自衛隊が役立てられる環境は用意されていない。
「もしも」のテロの時に想定外という言葉は許されない。今こそ安全保障とはなにか、考え直すべき時なのだ。
また、現行法下では自衛隊部隊による日常的な原発などの重要防護施設警備を含む領域警備は認められていない。 原発警備を経験した警察官が語るように、「9・11」を境に原発警備の姿も大きく変わったが、「警察比例の原則で動く警察特殊部隊は、軍事原則で動く『何でもあり』の特殊部隊を前には限界がある」(前出の警察官)という。