張作霖爆殺事件の真相(補遺)やはりソ連の謀略期間が暗躍していた
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成23年(2011)6月6日(月曜日)弐
通巻第3342号
張作霖爆殺事件の真相(補遺)
やはりソ連の謀略期間が暗躍していた
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藪の中に埋もれたままの歴史的事件のなかでも最大の謎を秘めるのが張作霖爆破事件だろう。
これまで張作霖爆殺事件の犯人は河本大作(関東軍参謀、大佐)と『断定』されてきた。あたかも確定した歴史的事実のように、この虚説がまかり通ったのは河本自身が「わたしがやった」と言い残し、かつ自著にも明言したからである。
河本大作は明治十六年、兵庫県生まれ。陸軍士官十五期。同期の桜には乃木希典次男の保典(日露戦争で戦死)がいる。彼自身、日露戦争で重傷を負い、ついで陸軍大学(二十六期)、大佐で関東軍参謀。昭和三年(1928)、張作霖爆殺事件を引き起こし、軍主流から外されて予備役に。その後の河本大作は「経済人」の人生を歩み、満鉄理事、満州炭坑理事長から山西省のコングロマリット=山西産業の社長となる。
山西産業とは軍が独占的に管理する企業三十六社をたばねた、当時のコングロマリットで、閻錫山軍閥の「西北実業公司」を接収した。資材が優先的に割り当てられる国策会社だから競争力は強い。傘下には炭坑、鉄鉱、機械、化学、紡績、食品などの工場があり、満鉄のつぎの規模を誇った。国策企業として満州へ進出した鮎川義介の「日産」と比肩されたほどだった。
閻錫山はアンチ蒋介石という人脈からか河本とは大連時代に面識があったらしい。
昭和二十年、突如の敗戦。河本はしかし閻錫山の山西軍閥と共闘し、山西省で最後まで戦い1949年、国民党は負ける。翌50年、河本は中国の捕虜となって山西省太源の収容所にぶち込まれた。六年後の昭和三十年、収容所で死亡、遺骨は日本に戻った。
張作霖爆殺事件は1928年6月4日、北京から満州にもどる張作霖の列車が奉天(瀋陽)付近で爆破されたもので、河本の部下らの「犯行」とされた。
爆弾は橋梁に仕掛けられた、とされた。念を入れるかのように河本伝記が作られ「私が張作霖を殺した」と記述した。1954年の『文藝春秋』(12月号)に河本が手記とされたものが掲載された。だがこの時点で河本は山西省太源の収容所にいたうえ、自筆の手記は一切残っていない。まして、河本は東京裁判でも証言台に呼ばれていない。
「従来の定説・河本大佐犯行説の裏付けとされているものは、殆ど全部が伝聞資料」とした中西輝政が行った。
それもかなりの歳月を経たあとに某某からから聞いた、関東軍の参謀から聞いた事があるなど資料価値がゼロのものばかり。
当時から、この河本伝記は資料的価値がうすいとされてはいた。なぜなら河本の自伝なるものは義弟・平野雫児が聞き書きをしたものであり、平野は思想的に左翼人で戦前、治安維持法で何度か検挙されている。
爆破現場の写真が残るが、橋梁や線路地下に仕掛けた爆弾ならばV型の穴が出来るはずだ。それが見あたらない。つまり爆弾は車内に仕掛けられていたとする説のほうが、科学的であり、説得力がある。
となると河本大作の発言はデタラメか、自慢するための見栄か、或いは収容所内での洗脳の結果であろう。マインドコントロールで自分がやったと信じ込んでしまった。
山西省で最後まで闘った日本人部隊は、そのごシベリア抑留されたが、毛沢東が『奪回』し、遼寧省撫順や太原の収容所に集められた。そこで徹底的な洗脳がおこなわれ、「中帰連」が結成された。
この中国共産党の言い分をそのまま主張する「中帰連」が、日本に帰国後なにをしたか、何を言いだしたかは指摘するまでもないだろう。731部隊は衛生、防疫部隊だったが、それを細菌兵器開発所だとか、生体実験をしたとか突如言い出したのも彼らである。
冷戦がおわってソ連の機密文書が次々と明るみに出たが、耳目を集めた第一弾はノモンハン事変で日本が事実上勝っていたことだった。
2005年、ドミトリー・プロホロフという作家がGRUに従事した経験から、独特のカンで張作霖事件の機密文書をさがしあて、真犯人をロシア特殊工作による謀略と断定した著作を発表した。
ドミトリー・プロホロフ説はこうである。
「1924年、張作霖とソ連政府は中国東北鉄道条約を締結し友好関係を結んだ。これにより(中略)東清鉄道は双方による共同経営となった。しかし張作霖側の鉄道使用代金が未払いだったためソ連が抗議、26年に鉄道の使用禁止を通達したことから両者の関係は険悪化、張作霖はソ連の鉄道管理局長を逮捕して鉄道を事実上占拠した。背景にはソ連が支援した蒋介石軍の中国国民党と張作霖との対立」があった。そこでソ連は張作霖の排除を決め、ソ連軍特務機関のサルヌインに命じた。「1926年九月、奉天にある張作霖宮殿に爆発物をしかけて爆殺する計画だったが、張作霖側もかねてから警戒を強めて満州在住のサルヌインの工作員をマーク、別の工作員がソ連から爆発物を持ち込んだところで、計三人を逮捕、未遂に終わった」
この知られざる未遂事件は、白系ロシア移民のバーラキシンが著書で明らかにしているという。
ソ連が自分を殺そうとした未遂事件に激怒した張作霖は、翌年に「ソ連領事館を強制捜査したり、ソ連汽船を拿捕したり、中国共産党員の大量逮捕」、「さらに満州に亡命していた白系ロシア人の武装組織や略奪を働いていた集団などを扇動、支援してソ連領内への襲撃を仕向け」た。このためスターリンは再度、張作霖暗殺を命じた。
「暗殺計画の立案と実行をエイチンゴンと前回の暗殺計画で失敗したサルヌインに命じた。(中略)日本軍が警備にあたっていた区間」が現場となった。意図的である。「張作霖が当時、米国と接近していたので日本が満州の支配を失うおそれがあるという危機感をもっていたことが動機とされ、ソ連の謀略はまんまと成功した」(以上はプロホロフの『KGB――ソビエト諜報部の特殊作戦』より)。
そして事件から77年も経って、ユン・チアンは『マオ』を著して世界的センセーションを呼び起こした。
彼女も張作霖爆殺事件の犯人は日本ではなく、ソ連工作員の仕業と断定し、それをソ連崩壊後の機密文書から探し当てた。ユン・チアンの夫ハリディはロシア語に堪能。
元谷外志雄はプロホロフの住むサンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)へ飛んだ。元谷はインタビューに成功し。プロホロフから次の証言を引き出す。
プロホロフ (出版した本は)ロシア以外で行われた、KGBが関与した事件について書いています。張作霖の事件はその一つです。張作霖のプロフィールに加え、なぜソ連が彼を暗殺しようと考えたか、1928年6月の爆殺とその二年前にあった暗殺未遂事件について記述しています。
元谷 未遂事件があったのは知りませんでした。二回にわたってソ連が張作霖を殺そうと思った理由は、何なのでしょうか?
プロホロフ 当時の中国の権力者は、共産党を支持するものと、張作霖のように反対するものに分かれていました。張はロシアの反革命軍である白軍の支援をしていました。さらに東清鉄道を巡って、張とソ連は決定的に対立していたのです。
元谷 そういう背景があったのですね。当時の特務機関の活動を、プロホロフさんはどうやって知ることができたのですか?
プロホロフ 歴史の本や当時の新聞などの記事、その他資料を読み込んだり、他のジャーナリストと情報を交換したりして、調べていきました。 歴史家のヴォルコゴノフ氏の本の中で、ナウム・エイチンゴンという諜報員が張作霖事件に関係があったという記述を見つけたのが、私の研究の出発点です。
元谷 先にソ連の関与を指摘した人がいたのですね。
プロホロフ そうです。1926年9月の張作霖暗殺未遂事件は、クリストフォル・サルヌインというラトビア人のソ連の工作員が、ブラコロフという実行者を使って、奉天の張作霖の宮殿で彼を爆殺する計画でした。これは中国当局に発見されて失敗します。1928年の爆殺も実行の指揮をしたのは、サルヌインだと考えられます。 どうも彼と繋がっている人間が、日本軍の中にいたようです。
元谷 関東軍の中にソ連の特務機関の手先がいたということですか?
プロホロフ サルヌインだけではなく、他のソ連の工作員のエージェントも関東軍に入り込んでいました。これは事実です。
元谷 サルヌインは最初から日本軍の仕業にみせかけるために、日本人の実行者を使ったということでしょうか?
プロホロフ そうです。日本軍に属していたエージェントが、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます。
田母神前空幕長とプロホロフを引き合わせつぎの対談もおこなっている。なぜロシアが、このタイミングを撰んで、80年前の機密を明かしたかの政治的な意図を田母神は探ろうとしているのである。
田母神 今中国が、経済的にも軍事的にも台頭してきています。中国が力を持ちすぎることは、ロシアにとっても好ましくないことです。中国は日本に過去の清算を求め続け、外交交渉を有利にして、日本を自国の利益に貢献させようと画策し続けています。日本が真実の歴史を取り戻して中国に対抗するために、ロシアからの歴史情報は非常に貴重なものです。これで日本が中国を牽制することは、ロシアの国益への貢献にもなると思うのです。
プロホロフ 中国のこの10年間の動きには、目に余るものがあります。(2009年)数カ月前にも、中国はロシアの国境近くで大きな軍事演習を行いました。その目的は明確ではなく、非常に不透明です。中露間には数多くの問題があります。アムール河沿いにある中国の黒河市からは、汚水がロシアに流れ込み、天然記念物のシベリアンタイガーなど付近の生態系に悪影響を与えています。何度抗議しても、止めようとしないのです。歴史に関しても中国は傲慢な国です。彼らは自分たちに都合のよい歴史的事実を探してきて、それを他国に攻撃的にぶつけてくるのです。これに対しては断固戦わないと駄目です。戦わないと止まらないのです。共通の利益がある日本とロシアが手を組んで、中国に対抗していくべきでしょう」(以上の引用は雑誌『アパタウン』(08年12月号、09年1月号)。
なるほど機密公開の意図の一部はこれで了解できる。ロシア側は中国を牽制する目的もあるのだ。そして中国はつねに真実には蓋をする癖がある。
さらに驚くべき事実がある。
第一に河本を犯人に仕立て上げるという謀略に成功したエイチンゴンは「張作霖事件当時は北京、ハルビンに駐在、その後はトルコやスペインで暗躍したが、1940年のトロツキー暗殺を指揮した」。そうか、トロツキーも彼の部下がやったのか。
第二に彼は「第二次大戦後も『核スパイ』として、偽情報でアメリカ国防省を攪乱するなど、諜報員として様々な暗躍をしている」ことが近代史研究家らの手で明らかにされた。
第三に、ソ連の張作霖事件の謀略は「当時のイギリス陸軍情報部極東課が、事件直後にソ連特務機関の犯行であるという報告書を二度にわたって報告し、この報告書は2007年に公開されている」のだ。
中国の「南京大虐殺」なるでっち上げも最初は国民党のやとった外国人記者の伝聞情報であり、それを政治プロパガンダとしてアメリカも利用したプロセスを私たちは思い出す。虚報がたちまちにして世界に流れて、嘘が固まってしまう。英米も日本を悪者にしたてる必要があり、いまもフィリピンの「死の行進」などと逆宣伝に懸命である。
ようやく過去十数年の研究成果によって南京大虐殺なるものが「存在しなかった」ことが満天下に明らかになったが中国は一切の訂正をしない。
廬溝橋事件にしても、こんにちでは中国共産党が日本と蒋介石軍双方に発砲したことが明らかになっている。
▼伊藤博文暗殺、ホントは誰が犯人か?
類似のパターンは伊藤博文暗殺事件である。安重根の放った弾丸は伊藤博文にあたらず隣にいた日本人にあたった。伊藤の致命傷は背後から(ハルビン駅の二階食堂)飛来した弾丸だった。
おそらく張作霖と同じパターンである。犯人は最初から仕組まれていて、しかも犯人はそれを信じ込む。安重根が暗殺犯人でないと韓国もまた困る。すでに安重根は英雄として教科書にも登場し、ソウルには記念館までおったててしまったから。
もし、これがロシア諜報機関がしくんだもの、日本に協力者がいたとすれば伊藤に反対した日本の政治かグループが背後にいたことになる。機密文書がでてこないので、推定しか出来ないが、評者の推理はたぶんあたっているのではないか。
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或るブログより
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台湾の新スポークスマンは面妖
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「新聞局長・楊永明氏の産経新聞寄稿」
早川 友久(日本李登輝友の会台北事務所長)
【台北事務所ブログ:平成23年(2011年)6月3日】より転載
http://twoffice.exblog.jp/
本日付の産経新聞「アピール欄」に、楊永明・新聞局長の寄稿が掲載されています(編集部注:6月3日付「産経新聞」アピール欄「中台関係の安定は台湾に有利」)。
楊永明・新聞局長は、就任したばかり。就任の宣誓式が行われたのは5月2日ですが、思い起こせば2年前の5月1日、「齋藤大使の『台湾の地位は未定』発言」があり、後に事実上の更迭人事が行われています。
嘉義県にある国立中正大学で行われたシンポジウムの席上、齋藤大使の「台湾の地位未定」発言に真っ先に食ってかかったのがこの楊永明氏(当時は国家安全会議諮問委員と国立台湾大学政治系教授を兼任)でした。『台湾の地位は未定』発言の直後、楊永明氏は大声で異を唱え、抗議をしたとも報じられています。
4月30日、楊永明氏が新聞局長に指名されたことを報じた『自由時報』の記事では、齋藤事件に関して問われると「厳重な抗議を行った台湾外交部の処理は適切だった。日台交流に貢献した齋藤大使には感謝しているが、『台湾の地位未定論』は齋藤氏個人の言論であり、日本政府の立場とは異なる」と答えています。
「馬英九総統の日本語教師」(4月30日付「今日新聞網」より)とも形容されるバックグラウンドを持つ楊永明氏の寄稿では、馬政権が推し進めた中国との「ECFA(両岸経済協力枠組協議)」締結により、台湾の経済成長率が上昇し、台湾経済にとって有益だと述べています。しかしながら、ECFA締結が一律、台湾の経済にとって有益だったと論じることはいかがでしょうか。
「ECFA締結により、対中輸出の際、高い関税を課せられていたプラスチック、機械、鋼鉄などの大企業にとっては、確かに短期的には有利に働くだろう。しかし、中国の廉価な粗悪品や農産品も同時に台湾へ流入することになり、労働力が密集する本土産業や農業、中小企業にとっては大打撃になる」と論じた王塗發・台北大学経済学系兼任教授の主張も無視することは出来ません(論文は『新台湾国策シンクタンク』が発行する月刊ニュースレター6月号に掲載予定)。
また馬政権の功績として、WHO(世界保健機関)への3度目のオブザーバー参加を挙げています。しかし、5月9日付の自由時報がスクープした「WHOの内部文書で、台湾が『中国台湾省』と表記されている問題」について、その後の調査で、馬政府はすでにその問題を把握していたことが分かりました。馬英九総統は「主権は損なわれていない」と弁明しましたが、現実に国連機関によって「中国の一部分」に列せられたことをどうお考えでしょうか。
東北大震災に対する台湾の人道支援には心から感謝しています。
馬英九総統は、震災発生直後、即座に1億元の義捐金寄付を決めてくれました。ありがとうございます。そういえば、2008年5月に発生した、中国四川大地震の際の義捐金は20億元でしたね。
救援隊(NGO)の派遣もありがとうございました。出動準備が整っていた救援隊に「待った」をかけたのは台湾外交部でした。「外交部の同意がないから」と、発券してくれない中華航空に困り果てたNGOはエバー航空に相談。エバー航空は即座に隊員全員と数トンにも及ぶ捜索機器、支援物資を“無料”で東京まで運んでくれました。
その後、中華航空も、捜索隊のメンバーや機器、支援物資などを無料で輸送してくれたのも確かですが、日本の国土交通省観光庁が中華航空にだけ感謝状を贈ったのも“トンチン菅”な話です。
楊永明氏は、台湾からの各層からの義捐金が世界トップの160億円を超えた、と書いていますが、それは台湾の民間の人々の善意の積み重なりであって、馬政府の功績にするのもまた“トン馬”な話です。
台湾の新聞局は来年1月1日の行政院改組により、その業務は行政院本部や外交部、将来創設される文化部へと引き継がれるため、楊氏は「最後」の新聞局長とともに、「初代」の行政院スポークスマン、になる可能性があるとか。
来年1月は総統と立法委員のダブル選挙。楊氏が「“馬政権最後の”行政院スポークスマン」になる可能性もありますね。
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