原発事故中間まとめ(1) 爆発が判った瞬間(2)原発事故の通報について考える 武田邦彦
武田邦彦(中部大学教授)
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原発事故中間まとめ(1) 爆発が判った瞬間
http://takedanet.com/2011/05/post_5d35.html
福島原発は2011年3月11日午後3時頃、震度6の地震に見舞われ、施設の一部が破壊されました。
その後、1時間後に約15メートルの津波がきて、さらに大きな損傷を受け、
続いて翌日の水素爆発で破壊しました。
このように連続的な打撃を受けたので、現在の時点で、どこがいつ破壊されたかを正確に判断することはできず、今後、事故調査を通じて徐々に明らかになっていくでしょう。
私は、福島原発が日本の他の原発と同じように、耐震性、耐津波、そのほかの自然災害やテロなどに対して、非常に弱くできているので、震度6の地震や15メートルの津波という「普通に起こる自然災害」で大きな損傷を受けると考えていました。
だから、福島原発が地震で壊れても、その点についてはそれほど驚きはしませんでした。
まったく自慢するつもりはありませんが、すでに2年以上前に、幻冬舎のご厚意で「偽善エネルギー」という本を出し、そこで「原発は地震で倒れる」ということを書いていたからです。
「震度6、15メートルの津波」は日本人の常識ですが、原発では「想定外」だったのです。
・・・・・・・・・
いずれにしても、11日の地震と津波で損傷し、
原子炉を冷却することが出来なくなりました。
地震直後のことで、現場はかなり混乱していたと思いますが、
私が大きな原子力施設の責任者をやっていた経験では、
自分の装置は手に取るように判るものです。
特に、弱点というのは何時も気になっているので、あることが起こるとそれによって連続的に続く「まずいこと」は走馬燈のように頭に浮かぶものです。
事故後の詳細を時間と共に整理している新聞を読んで、私は次のように思いました。
1) 11日の夕刻には、責任者(発電所長や運転主任)は12日に原発が爆発することが判っていた(理由は後に示す)、
2) 爆発によっておおよそ10京ベクレル規模(原発1基がその中に抱えている放射性物質の1000分の1程度)の放射性物質が漏れることが判っていた、
3) 福島の人に避難命令をだすことは原発の責任者には出来ないので(制度上、間違っているが)、東電本社から直ちに政府に連絡が行ったのは間違いない。
4) 福島県知事も11日の夕刻の時点で、12日に原発が爆発して大量の放射性物質が漏れることの連絡を受けたはずである。
仮に11日の夕刻(18時頃)の時点で、発電所長からの「爆発予告」に対して、
政府と福島県が国民や県民に誠実だったら、
直ちに気象庁に連絡して、風向きを調べ、
原発から西北(福島市方向)、および南(いわき市方向)の人たちに対して
避難指示をしたと考えられます。
・・・・・・・・・
多くの人は「政府や役所というものは、ことが起こらないまで隠すものだ」ということを経験的に知っていますが、
原子力だけは「原子力基本法」によって「民主、自主、公開」という原則が貫かれていて、
それを約束して政府は国民から「原子力をやって良い」というお墨付きをもらっているのです。
だから、11日夕刻の時点で、政府は「福島原発が12日に爆発して、大量の放射性物質が漏洩する」という発表を行い、
直ちに風下の住民の避難準備(バスを用意する)、
畑の養生(田畑の上にビニールシートをかぶせる)などができたはずです。
「危機管理」とはそういうことです。
危険が起こると考えられるものについては、
「危険が来る前に、危険を予想し、準備し、演習する」ということで、
単に「危険がある」と口で言っているだけではありません。
このことは、今、まだ運転を続けている日本の原発にも必要なことで、
出来るだけ早く政府と自治体は「予想、準備、演習」をしなければなりません。
まして、原発が自然災害で倒壊し、「施設が破壊し、大量の放射性物質が漏洩し、
住民が被曝する」というのは予想されていて、
それが「地震指針の説明」に載り、さらに閣議の了解も得ているのです。
・・・・・・・・・
現在の時点(2011年5月末)で、もっとも大切な事は、福島原発の教訓を活かして、原発を運転している地方では、
1) 発電所は原発の爆発が予想された時点で、その事実を直接、社会に公表できるようにする、
2) 直接、公表して、実際に事故が起こらなくても咎められず、発表せずに事故が起こったら、懲役になるというシステムを作る、
3) 原発の所長は、社会に公表してから東電本社、政府などに連絡する(このことは私が会社に入ったときに受けた「火災と通報」の記事に詳しく書いてあります)、
4) 発電所長の公表によって、自治体は直ちにあらかじめ準備し、演習していた避難を開始する。避難の途中に事故の可能性が無くなったら、通常の生活に戻る。この場合、避難した国民は電力会社に損害を請求しない、
などをする必要があるでしょう。
地震から1日の間、私たちはずいぶん、のんびりとしていたことが判ります。
でも12日には私のところに、「逃げた方が良いか?」という多くの問い合わせがありました。
よく考えている人は、最初から事実をよく把握していたのです.
(平成23年5月31日 午前10時 執筆)
武田邦彦
原発事故中間まとめ(2) 原発事故の通報について考える
http://takedanet.com/2011/06/post_8e24.html
第一回の中間まとめで「福島原発が爆発することが「現場で予想できた」時点で、発電所長か運転主任などが、直接、社会に通報する」ということを書きました。
おそらく多くの人は「そんなこと、できるの?」という感じだったと思います。
東電は会社ですから、「上司の許可を得る」ということが絶対で、特に会社に大きな影響を与えたり、評判を守ることに関係することは、上司の許可は欠かせないと考えられるからです。
しかし、私がこのブログで書いたこと・・・私の若い頃の経験・・・から言えば、火災事故が起こる化学工業では、自分の身の回りで小火(ボヤ、小さい火事)が起きたら、
1) ボヤを自分で消せると考えるな、
2) まず、市営消防に電話しろ、
3) 次に、工場防災隊(消防車が2台)に通報しろ、
4) 3番に、上司に連絡しろ、
ということだ。
その理由として、私に説明した人は、
「この工場は、「社会から認められて危険な化学物質を製造している.だから、危険が生じたらまず社会に知らせる」
と説明した。
若い頃の私はこの指導を受けて、ビックリしたし、また社会と企業との関係はこういうものかという点で、私の生涯の考えにも影響を与えました。
・・・・・・・・・
日本で石油化学工業、つまり大規模なコンビナートが産声を上げたのは戦後間もない1950年代でしたが、最初は火災事故や爆発事故がつづき、社会の反撃を受けました。
そのため、たとえば次にできたコンビナートと社会の間には、「ベルト地帯」ができ、たとえ火災が起こっても、住民を脅かすことにならないようにとの「ハード面」での方策がとられました。
そして「ソフト面」では、「火災が起こりそうだったら、市民消防に連絡する」という教育です。
日本社会は消防が「防災」を担当しています。
それが火災であっても、病気(救急)であっても、台風災害であっても、消防です。
犯罪なら110、災害なら119というわけです。
もちろんこのことは原子力でも同じです。
化学火災に対して特殊な消防方法を使える消防は、原子力についても「強い放射線のもとで、原発事故を抑える技術と体制」を持っているはずです。
今、福島原発では当然のように東電社員が事故処理を行っていますが、化学工場の火災事故では、すべては市営消防の指揮下に入るのです。
なぜ、火災の時に「私有財産」である「化学工場」が、「公的な消防の指揮下に入る」という理由は、
「社会に影響を与えるようになった施設は所有権が及ばない」ということを意味しています。
・・・・・・・・・
私は福島原発事故が起こった後、何回か「福島原発をなぜ国家の指揮下に入れないのか?」という疑問を述べてきました。
すでに原発事故の影響は福島県を中心とした日本の広い領域に及んでいて、そこでの住民の被曝や生活に大きな影響を与えています。
そのような場合に、公的な機関が「東電」を尊重しているということに強い違和感をおぼえるからです。
また、最初に述べたこと・・・東電の発電所の従業員が直接、消防に爆発を通報する・・・というのも十分可能と思います。
すぐ「そんなことをしたらパニックが起こる」と心配する人がおられると思いますが、
「パニックが起こる」
というのは、
「事故を想定せず、準備せず、訓練していない」
からであり、もっとハッキリ言えば、
「原発事故が怖いから、想定もしない」
という「逃げの姿勢」だからです。災害に向かい合う強い意志が求められます。
・・・・・・・・・
まだ、日本の原発は運転されています。
もし、このまま運転するなら、「想定、準備、訓練」をすること、「原発従業員が、事故が起こりそうな時に、直接、消防に連絡すること」をまずすることでしょう。
日本で原発を運転すること、それは「原発事故」を正面から見ることができる日本人の胆力にかかっています。
そして、日本社会をすこし改善するために、
「私たちは、企業人の前に日本人だ」
という思想はすべての分野で適応することでしょう。
(平成23年6月2日 午前7時 執筆)
武田邦彦
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原発事故中間まとめ(1) 爆発が判った瞬間
http://takedanet.com/2011/05/post_5d35.html
福島原発は2011年3月11日午後3時頃、震度6の地震に見舞われ、施設の一部が破壊されました。
その後、1時間後に約15メートルの津波がきて、さらに大きな損傷を受け、
続いて翌日の水素爆発で破壊しました。
このように連続的な打撃を受けたので、現在の時点で、どこがいつ破壊されたかを正確に判断することはできず、今後、事故調査を通じて徐々に明らかになっていくでしょう。
私は、福島原発が日本の他の原発と同じように、耐震性、耐津波、そのほかの自然災害やテロなどに対して、非常に弱くできているので、震度6の地震や15メートルの津波という「普通に起こる自然災害」で大きな損傷を受けると考えていました。
だから、福島原発が地震で壊れても、その点についてはそれほど驚きはしませんでした。
まったく自慢するつもりはありませんが、すでに2年以上前に、幻冬舎のご厚意で「偽善エネルギー」という本を出し、そこで「原発は地震で倒れる」ということを書いていたからです。
「震度6、15メートルの津波」は日本人の常識ですが、原発では「想定外」だったのです。
・・・・・・・・・
いずれにしても、11日の地震と津波で損傷し、
原子炉を冷却することが出来なくなりました。
地震直後のことで、現場はかなり混乱していたと思いますが、
私が大きな原子力施設の責任者をやっていた経験では、
自分の装置は手に取るように判るものです。
特に、弱点というのは何時も気になっているので、あることが起こるとそれによって連続的に続く「まずいこと」は走馬燈のように頭に浮かぶものです。
事故後の詳細を時間と共に整理している新聞を読んで、私は次のように思いました。
1) 11日の夕刻には、責任者(発電所長や運転主任)は12日に原発が爆発することが判っていた(理由は後に示す)、
2) 爆発によっておおよそ10京ベクレル規模(原発1基がその中に抱えている放射性物質の1000分の1程度)の放射性物質が漏れることが判っていた、
3) 福島の人に避難命令をだすことは原発の責任者には出来ないので(制度上、間違っているが)、東電本社から直ちに政府に連絡が行ったのは間違いない。
4) 福島県知事も11日の夕刻の時点で、12日に原発が爆発して大量の放射性物質が漏れることの連絡を受けたはずである。
仮に11日の夕刻(18時頃)の時点で、発電所長からの「爆発予告」に対して、
政府と福島県が国民や県民に誠実だったら、
直ちに気象庁に連絡して、風向きを調べ、
原発から西北(福島市方向)、および南(いわき市方向)の人たちに対して
避難指示をしたと考えられます。
・・・・・・・・・
多くの人は「政府や役所というものは、ことが起こらないまで隠すものだ」ということを経験的に知っていますが、
原子力だけは「原子力基本法」によって「民主、自主、公開」という原則が貫かれていて、
それを約束して政府は国民から「原子力をやって良い」というお墨付きをもらっているのです。
だから、11日夕刻の時点で、政府は「福島原発が12日に爆発して、大量の放射性物質が漏洩する」という発表を行い、
直ちに風下の住民の避難準備(バスを用意する)、
畑の養生(田畑の上にビニールシートをかぶせる)などができたはずです。
「危機管理」とはそういうことです。
危険が起こると考えられるものについては、
「危険が来る前に、危険を予想し、準備し、演習する」ということで、
単に「危険がある」と口で言っているだけではありません。
このことは、今、まだ運転を続けている日本の原発にも必要なことで、
出来るだけ早く政府と自治体は「予想、準備、演習」をしなければなりません。
まして、原発が自然災害で倒壊し、「施設が破壊し、大量の放射性物質が漏洩し、
住民が被曝する」というのは予想されていて、
それが「地震指針の説明」に載り、さらに閣議の了解も得ているのです。
・・・・・・・・・
現在の時点(2011年5月末)で、もっとも大切な事は、福島原発の教訓を活かして、原発を運転している地方では、
1) 発電所は原発の爆発が予想された時点で、その事実を直接、社会に公表できるようにする、
2) 直接、公表して、実際に事故が起こらなくても咎められず、発表せずに事故が起こったら、懲役になるというシステムを作る、
3) 原発の所長は、社会に公表してから東電本社、政府などに連絡する(このことは私が会社に入ったときに受けた「火災と通報」の記事に詳しく書いてあります)、
4) 発電所長の公表によって、自治体は直ちにあらかじめ準備し、演習していた避難を開始する。避難の途中に事故の可能性が無くなったら、通常の生活に戻る。この場合、避難した国民は電力会社に損害を請求しない、
などをする必要があるでしょう。
地震から1日の間、私たちはずいぶん、のんびりとしていたことが判ります。
でも12日には私のところに、「逃げた方が良いか?」という多くの問い合わせがありました。
よく考えている人は、最初から事実をよく把握していたのです.
(平成23年5月31日 午前10時 執筆)
武田邦彦
原発事故中間まとめ(2) 原発事故の通報について考える
http://takedanet.com/2011/06/post_8e24.html
第一回の中間まとめで「福島原発が爆発することが「現場で予想できた」時点で、発電所長か運転主任などが、直接、社会に通報する」ということを書きました。
おそらく多くの人は「そんなこと、できるの?」という感じだったと思います。
東電は会社ですから、「上司の許可を得る」ということが絶対で、特に会社に大きな影響を与えたり、評判を守ることに関係することは、上司の許可は欠かせないと考えられるからです。
しかし、私がこのブログで書いたこと・・・私の若い頃の経験・・・から言えば、火災事故が起こる化学工業では、自分の身の回りで小火(ボヤ、小さい火事)が起きたら、
1) ボヤを自分で消せると考えるな、
2) まず、市営消防に電話しろ、
3) 次に、工場防災隊(消防車が2台)に通報しろ、
4) 3番に、上司に連絡しろ、
ということだ。
その理由として、私に説明した人は、
「この工場は、「社会から認められて危険な化学物質を製造している.だから、危険が生じたらまず社会に知らせる」
と説明した。
若い頃の私はこの指導を受けて、ビックリしたし、また社会と企業との関係はこういうものかという点で、私の生涯の考えにも影響を与えました。
・・・・・・・・・
日本で石油化学工業、つまり大規模なコンビナートが産声を上げたのは戦後間もない1950年代でしたが、最初は火災事故や爆発事故がつづき、社会の反撃を受けました。
そのため、たとえば次にできたコンビナートと社会の間には、「ベルト地帯」ができ、たとえ火災が起こっても、住民を脅かすことにならないようにとの「ハード面」での方策がとられました。
そして「ソフト面」では、「火災が起こりそうだったら、市民消防に連絡する」という教育です。
日本社会は消防が「防災」を担当しています。
それが火災であっても、病気(救急)であっても、台風災害であっても、消防です。
犯罪なら110、災害なら119というわけです。
もちろんこのことは原子力でも同じです。
化学火災に対して特殊な消防方法を使える消防は、原子力についても「強い放射線のもとで、原発事故を抑える技術と体制」を持っているはずです。
今、福島原発では当然のように東電社員が事故処理を行っていますが、化学工場の火災事故では、すべては市営消防の指揮下に入るのです。
なぜ、火災の時に「私有財産」である「化学工場」が、「公的な消防の指揮下に入る」という理由は、
「社会に影響を与えるようになった施設は所有権が及ばない」ということを意味しています。
・・・・・・・・・
私は福島原発事故が起こった後、何回か「福島原発をなぜ国家の指揮下に入れないのか?」という疑問を述べてきました。
すでに原発事故の影響は福島県を中心とした日本の広い領域に及んでいて、そこでの住民の被曝や生活に大きな影響を与えています。
そのような場合に、公的な機関が「東電」を尊重しているということに強い違和感をおぼえるからです。
また、最初に述べたこと・・・東電の発電所の従業員が直接、消防に爆発を通報する・・・というのも十分可能と思います。
すぐ「そんなことをしたらパニックが起こる」と心配する人がおられると思いますが、
「パニックが起こる」
というのは、
「事故を想定せず、準備せず、訓練していない」
からであり、もっとハッキリ言えば、
「原発事故が怖いから、想定もしない」
という「逃げの姿勢」だからです。災害に向かい合う強い意志が求められます。
・・・・・・・・・
まだ、日本の原発は運転されています。
もし、このまま運転するなら、「想定、準備、訓練」をすること、「原発従業員が、事故が起こりそうな時に、直接、消防に連絡すること」をまずすることでしょう。
日本で原発を運転すること、それは「原発事故」を正面から見ることができる日本人の胆力にかかっています。
そして、日本社会をすこし改善するために、
「私たちは、企業人の前に日本人だ」
という思想はすべての分野で適応することでしょう。
(平成23年6月2日 午前7時 執筆)
武田邦彦