頂門の一針 ここを突かずしてどこを突く。
母成(ぼなり)垰に迫る危機
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山堂コラム 371
福島の安達太良(あだたら)を越えて母成垰へ行ってきた。「ボナリ高原」などと南欧を彷彿させる洒落た名のリゾートになっている。しかし福島原発事故の影響で観光客は来ず閑古鳥が啼いていた。
この母成垰。慶応4年の戊辰戦争で、薩長を主とした官軍が会津総攻撃を前に集結した場所である。
会津若松の地は40年ほど前、角さんの遊説について初めて訪れた。列車乗り継いで夕方到着すると、暗くなるのも待たず東山温泉。綺麗どころ総揚げのドンチャン騒ぎ。
座が盛り上がったころ、某社のバカが「こいつ長州なんだ」と言ったものだから。そりゃあ酷い目に遭った。
次から次と繰り出す女白虎隊の集中攻撃に防戦一方。遂に轟チン。宿酔いの満身創痍で翌日の総理遊説に同行取材出来ない体たらくだった。
しかしそれ以来、あまり関心のなかった戊辰戦争(日本の歴史教育は官に都合のいいことしか教えない)。奥羽越列藩同盟との戦い、実際はどうだったのか・・・そう興味を持つきっかけとなった。歳を取ってまた調べ直している。
去年の秋は少年隊の二本松へ行った。相手を子供だと見くびった白井小四郎長州藩士(わが隣村の熊毛)。頭を撫でようとしていきなり少年に刺され討死。
その葬られた「真行寺」に行って佐々木道昇住職から明治政府下賜金の記録なども見せてもらった。そして今回は母成垰である。
二本松・会津に侵攻する前の官軍は、磐城平(いわき)と相馬藩を攻め、「浜通り」一帯を兵站部とした。それから二本松、安達太良へと進軍する。
この地域で平成23年の今、何が起きているか・・・福島原発の放射能汚染区域が官軍の進路に沿って北北西へと拡大しているのである。
戊辰戦争の会津討伐の悲劇は維新後も、そして現在へも延々続く。会津藩は28万石を没収され、3万石の下北半島の僻地(斗南藩)に移封される。計画的避難?いや、強制避難よ。
その移封先の下北半島こそ何処あろう。いまや原発推進ご一行様が「放射性廃棄物再処理工場」をつくって使用済み核燃料のゴミ捨て場にしようとしている地域。東電原発に加えてプルトニウムMOX燃料の大間原発の建設も進むだで。みんな会津藩の末裔が被るのよ。
事故発生から2カ月以上経ったのに福島第一原発の放射能のダダ漏れ。
一向に収束しない。建屋の地下は汚染水で溢れかえり、海水や地下水に浸み出している。いわき市では各所で温泉が噴き出し始めたというが、温泉ではなく放射泉でねえべか。よく調べた方がええ。
避難指示が出ている福島浜通り・中通りは勿論、さらに放射能汚染地域はこの後更に拡がること、まず間違いない。新聞は夏場の電力不足云々と、まだ経団連の欲ボケ爺の口移しで紙面を誤魔化している。が広告よりも肝心なのは読者だで。そんな紙は売れなくなるぞ。
野党ボケしてきた自民党にいたっては、谷垣総裁が「炉心冷却の海水注入、菅の指示か否か」などと鼻クソのような質問(23日衆院復興特別委)。大島副総裁・石原幹事長の3人で作戦練ったうえでの質問だったと聞いてオラ唖然。いややっぱり。いまの自民執行部その程度。
戦後一貫して安全を無視した原発政策を推進してきたのが自民党であること、いまや福島県民だけでなく国民全部が知っている。だから原発を政局にしようとしても仰向けの唾。内閣不信任案出しても否決されれば菅内閣の居座り口実・お墨付きになるだけ。
今の菅政府。明らかに復興や被災者の救済が遅れ滅茶苦茶。ここを突かずしてどこを突く。原発政策についても、自民党が今後の方向性・政策をきちんと打ち出した上での論戦を挑まない限り、いくら党首総裁が喚いても、所詮陥落・鶴ヶ城。(了)
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