現在の菅内閣の政治姿勢を見ていると黒船襲来に泡を食った幕府に似ている。
高志さんのコラム 「国民年金の花柳な生活」
■2011/05/27 (金) アーカイブ(4)
日露戦争を日本の侵略戦争とする論説がある事には呆れてしまうが、「広辞苑」では 《1904~05年(明治37~38年)日本と帝政ロシアとが満州・朝鮮の制覇を
争った戦争。
04年2月国交断絶以来、同年8月以降の旅順攻囲、05年3月の奉天大会戦、同年5月の日本海海戦などでの日本の勝利を経て同年9月アメリカ大統領T・ルー
ズヴェルトの斡旋によりポーツマスにおいて講和条約成立。戦死、廃疾者12万人。
戦費15億円。》
と簡潔に要点のみ記している。
戦場となった満州や朝鮮にとっては迷惑な話だったろうが、日本がもし戦わなければ、彼等の土地はもっと酷い収奪の的となっていたであろう。
5月27日「海軍記念日」の過去ログの中で私が一番好きなのは09年の「もう一つ
の海軍記念日」である。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20090527
(エンリケより:「もう一つの海軍記念日」は、下でも紹介しています)
自分の書いたものを言うのも可笑しな話だが、URLを載せておくので、もし時間があ
ればお読み下さい。文中の空母分捕りエピソードはリアルタイムではなく、後日談で
あったかも知れない。しかし、米軍が放棄したホーネットの大きな図体とそれを見上げ
る帝国海軍兵士の姿が大きい写真で新聞に載った事は事実である。
この文も「さるさる日記」と共に、あと1ヶ月で消滅する運命である。
○ ○ ○
【お知らせ】明日から月末までの4日間を休ませて頂きます。理由は「引越し先」を
探す為で、実はもうかなり前から心がけては居るのですが、歳を取ると、同時に複数
の用事を片付けることが出来ません。引越し先の「物件(?)」は余りにも多く、
又、一長一短があり、よく調べる為には集中する必要があると判断した為です。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20110527
【2009/05/27 (水) もう一つの海軍記念日】
今日は海軍記念日である。─と、書きながら、今時こんな事を言っている者が他に
居るだろうかと思わず苦笑している。
海軍記念日についてウイキペディアは《日本では、第二次世界大戦以前に5月27日を海軍記念日としており、休日であった。
1905年(明治38年)5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。
1945年に敗戦とともに廃止された。》と記述しているが、私の記憶によれば「休日」ではなかった。
学校も世の中も休みではなく、普通の日だった。
ウィキペディアの書き方だと世間一般が休みであった様な錯覚を持ってしまう。ただ、これは私の体験に基づくもので、もっと前の時代─明治、大正は如何だったかは知らない。
休んだのは帝国海軍だ。
日頃は「月月火水木金金」の猛訓練に明け暮れているが、この日ばかりは「上陸」したのだ。海軍は陸上勤務でも休みは「上陸」である。
何時もは軍艦乗組員の半分ずつが休む半舷上陸だが、この日ばかりは両舷上陸で全員休んだ。
姉の話だとその日は学校に行くと紅白のお菓子(落雁)を呉れたそうだ。私はその話を聞く度に悔しがったが、何しろ戦時下の小学生だからそういう嬉しい経験は私にはない。姉は小学1年で東郷元帥の国葬を体験している世代だ。
昭和18年頃までは海軍の制服に身を固めた大部隊の勇ましい市中デモ行進もあったという。東京や大阪での話だが、軍楽隊を先頭に正装して行進するのである。横須賀の上空には500機を越す飛行機が低空で飛んだというニュースも流れた。
海軍記念日は外国にもある。いやしくも海軍を持つ国なら何かに託けて記念日を作るのだ。アメリカの海軍記念日は10月26日である。だが、昭和17年10月26日だけはアメリカにとって、忘れ得ぬ、しかし、忘れたい苦い思いの記念日であろう。
この日、「南太平洋海戦」(アメリカでは「サンタ・クルーズ諸島海戦」)が行われている。
機動部隊同士の戦いとしては3度目の日米決戦だった。
元々航空母艦を中心にした機動艦隊で敵地へ遠征し、航空機で空から敵艦を攻撃する作戦を世界で最初に実行したのは帝国海軍である。これを見たアメリカは早速機動部隊を編成して反撃に出た。こうして太平洋を舞台に航空戦が繰り広げられる事になる。
ミッドウェイで一敗地に塗れたとはいえ、帝国海軍は未だ健在だった。ラジオからは連日勇ましい軍艦マーチが流れ、勝利を告げる大本営発表がある。特に軍国少年の好奇心を揺さぶったのは敵空母捕獲のニュースだった。
この戦闘に出撃したアメリカ海軍の2隻の主力空母は2隻とも日本軍の攻撃で大破し、1隻(エンタープライズ)は辛うじて離脱したが、もう1隻のホーネットは火災が
激しく、手がつけられない状態になったので、海上に放棄し兵員は退去したのだった。
無人となって海上を彷徨うホーネットを発見した我が水上部隊の報告を聞いた連合艦隊司令部は「ホーネットを拿捕し曳航せよ」と命令を下す。敵の航空母艦を捕獲するなんて前代未聞である。このニュースは早速新聞に載った。当時の新聞は紙数が減り4ページ位になっていたと思うが、それにかなりのスペースをとって写真が載ったのであ
る。
海上を彷徨うホーネットの見上げる様に大きな船体が映っていた。私は大事な航空母艦をほったらかしにして逃げてしまう敵に呆れると同時に、日本まで曳航して来てくれたら、と祈る様な気持ちだった。子供心に日本の空母が1隻増えると思ったのである。
現場でも何とか曳航しようと努力したのだが、図体が大きく曳航用の索が切れるのでついに諦め、駆逐艦が魚雷2本放ち沈めてしまう。後にアメリカは「この日ほど暗い海軍記念日は米海軍史上一度もなかった」と慨嘆した。機動部隊を運用し、機能させた国は、世界で日本とアメリカだけである。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20090527
■2011/05/26 (木) アーカイブ(2)
07年5月27日のタイトルは「連合艦隊解散の辞」である。
帝国海軍に連合艦隊が常設されたのは大正12年で、日露戦争当時は臨時に編成されていた。
日本海海戦時の連合艦隊は第1艦隊と第2艦隊が合同したものだが、任務を終
えたので12月21日に解散したのである。
解散式で東郷平八郎司令長官が読み上げた「連合艦隊解散の辞」は秋山真之参謀の筆による格調高い名文で、これに感銘したT・ルーズベルト米大統領は、そのコピー文を米海軍全将兵に配布したと言われている。
◎連合艦隊解散の辞
(《二十閲月の征戦已に往時と過ぎ連合艦隊は今や其の隊務を結了して茲に解散する 事となれり。
然れども我等海軍軍人の責務は決して之が為に軽減せるものにあらず、
此戦役の収果を永遠に全くし、尚ほ益々国運の隆昌を扶持せんには時の平戦を問は ず、先づ外衝に立つべき海軍が常に其武力を海洋に保全し、
一朝緩急に応ずるの覚悟 あるを要す。
(中略)
昔者神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百余年間我統 理の下にありしも一度海軍の廃頽するや忽ち之を失ひ、
又近世に入り徳川幕府治平に 狃れて兵備を懈れば
挙国米船数隻の応対に苦しみ、露艦亦千島樺太を覬観するも之に 抗争する能はざるに至れり。
(中略)
神明は唯平素の鍛練に力め、戦はずして既に 勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を 奪ふ。
古人曰く勝て兜の緒を締めよ・・・と》
≪「一勝に満足して治平に安んずる・・・」この言葉を本当に噛み締めていたら歴史
は変わっていた様な気がしてならない。≫
と07年の私は書いているが、今は寧ろ≪一度海軍の廃頽するや忽ち之を失ひ、又近世に入り徳川幕府治平に狃れて兵備を懈れば挙国米船数隻の応対に苦しみ、露艦亦千島樺太を覬観するも之に抗争する能はざるに至れり。≫の方が重要だと思っている。
現在の菅内閣の政治姿勢を見ていると黒船襲来に泡を食った幕府に似ている。
尖閣諸島は言うまでもなく、最近、ロシアの招きで韓国の要人が国後島を訪れるという話など、そのまま当て嵌まるではないか。
「一度海軍の廃頽するや忽ち之を失う」とは憲法9条の制約と同じである。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20110526
【「国民年金の花柳な生活」より http://www5.diary.ne.jp/user/514369/
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