つづき | 日本のお姉さん

つづき

転失気総理森喜朗
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   渡部 亮次郎

「転失気」は「てんしき」と読み「おなら」のことである。それを知ら
ずに、知らないことを知っている風に済ます人を「てんしき」と昔は言っ
たらしい。

『論座』という月刊雑誌の2006年10月号でのインタビュー。五百旗頭 
真(防衛大学校校長)、伊藤元重(東京大学教授)ら3人が森喜朗前総
理大臣の生い立ちから今日に至るまでに質問。「キーパーソンが語る証
言 90年代」と題し、第13回に森氏が登場したもの。

森氏が1969(昭和44)年12月に無所属ながら初出馬にして初当選を果た
した翌年のことだったようだ。森氏と同期当選の中尾宏氏(鹿児島2区=
当時=故人)が政界中を触れ回った。

「森がな、選挙区の運動会周りをして、財布をカラにした。親分の福田
さんに70万を助けてくださいとお願いしたら、さすが元大蔵省主計局長。
おいそれは50万に負からんか」

「その話が角栄(幹事長)の耳に入って、森がすぐ呼ばれた。森クン、
これ持ってけよ、カネは邪魔にならんからな、といってポケットに300万
円をねじ込んだ。森は受けとったさ」。

私はこの話を中尾氏から何度も聞いた。森氏は否定するだろう。「証言」
で「角さんのカネは森さんも受け取ったことがあるんですか」と訊かれ
て「いやいや」と応えている。

角さんがロッキード事件で逮捕されたとき党内反三木派が挙って挙党体
制確立協議会を結成して三木首相の引きずり降ろしに奔走した時、森氏
は三木内閣の総務副長官として、少なくとも形式的には三木側近だった。

「証言」では「三木降し」が即福田政権に繋がると思っていたと応えて
いるが、私からすれば不思議としか言いようがない。詰まり三木降しの
過程で福田、大平の両氏は三木氏から「ボクの後をやるのは君らのうち
誰に決まっているのか」と逆襲されてギャフンとなった二人だったでは
ないか。すぐ福田とは本人もまだ思ってない。

真実はそこで園田直(福田派)保利茂(福田支持)鈴木善幸(大平派)
江崎真澄(田中派)による調整が進んだ。森氏はその事実さえ知らない
はずだ。

当時は、なんと言っても「闇将軍」田中支配の時代。田中氏が大平氏に
手を上げれば即大平総理誕生の情勢だった。そこで園田氏は嘗ての敵陣
に乗り込み「2年」を条件に田中氏の了承を取り付け「大福密約」を成
立させたのだった。

この陰で福田氏は、総理大臣を「たとい半年でも」と懇願していた。田
中氏との「角福戦争」に敗れてすでに5年。齢71である。これが最後のチ
ャンスとは自他共に認めるところだった。森氏は何も知らない。

そうやって衆参両院とも、過半数を上回ること僅か1票というすれすれ
で成立した老齢内閣。党幹事長に回った大平氏とのすべての調整を考慮
すれば、園田氏がこの際、内閣の番頭でもある官房長官に座る以外に妙
手はなかった。

しかし、福田氏の親分たる岸信介元総理大臣が背後から、自分の女婿安
倍晋太郎の官房長官就任を迫っていたため、福田氏は園田氏の申し出に
返事をしなかった。

だが園田氏は「官房長官でなければ今回は入閣しません」との最後通牒
を放ち、塩川正十郎氏を副長官として長官室に籠もってしまった。総理
は「1年ぐらい我慢するか」と呟いて渋々認めた。三木内閣にいる森氏
がこの経緯を知るわけがない。それなのに「知らない」と言えないから
「てんしき」と嗤われる。

1年後官邸から自宅に電話がかかってきて「秘書官になってよ」「あぁい
いですよ」と応えた。行ってみたら仰天、外務大臣に変っていた。この
とき森氏は安倍官房長官の下、官房副長官に発令される。

「証言」で森氏は園田氏がこの人事に不満なのは残した官邸が安倍色に
塗り替えられるから、とワケの分らぬことを言っている。

キャリア30年の代議士が、そんなことを不満とすると、てんしきさんな
ら思うのか。園田氏は「密約延長工作」の破綻が悔しかったのである。

だから園田氏が「それで外務大臣として何をするかを考えたんでしょう
ね。功名心もあって日中(平和友好)条約に取り組んだんです」とは矛
盾しており、下卑た判断だ。

日中条約を締結すると言う決意を福田総理が密かに明らかにしたのは
、1977(昭和52)年1月4日。世田谷区下馬の総理私邸においてである。そ
こには園田官房長官に伴われた中年の男性が正座し、総理の決意を携え
て直ちに北京に飛んだ。黒衣(くろこ)の登場だった。

進んで外相を狙い、功名心から日中条約を締結したというのでは、知っ
たかぶりをするのは許せても、ウソを固めて故人を冒涜するもので紳士
欠格者だし、総理大臣経験者として、相当権威を欠くというものだろう。

福田総理は園田外相の怒りを知っており、大平側に寝返って攻略してく
るという悪夢も抱いていた。だから日中条約の交渉全権は佐藤正二大使
で済まされないかと画策した。当時、霞クラブで取材した東京新聞記者
(その後東海大学教授)の著書『天皇とトウ小平の握手』(行政問題研
究所出版局)に詳しい。

ところが、園田外相は加えて、総理がすっかり忘れてしまっているあの
「黒衣」から「中国は復活したトウ小平副総理の指示で早期妥結にギヤ
を切り替えた。大臣が北京入りすれば必ず妥結」という、軍をも交えた
情報を得ていた。この情報は大使館が得ていないから、総理の耳には届
かない。

森氏は「証言」で福田総理の「決断」は昭和53(1978)年8月6日(日)午
後6時、箱根プリンスホテルの福田・園田会談だったと強調するが、有田
圭輔外務事務次官は北京入りの特別機を既に数日前に手配していたし、

私はそれを見て、中国首脳への土産の絵画、大使館員への食パンの注文
を既に終えていた。総理からゴーサインが出なければみんな辞職する覚
悟は出来ていた。包囲されていたのは総理の方だった。

付随して森氏は角福戦争敗北後、7-8人の子分を連れて福田派に合併した
園田氏が派内で会長代行にのし上がるなど実力を発揮したために派内の
不安が高まったと指摘しているが、本末転倒も甚だしい。

角福戦争時、NHKの福田派担当記者だった私から言わせれば、福田派には
園田氏のような喧嘩士が皆無だった。だから園田氏に派の実験を握られ
たのである。森氏は盛んに安倍氏と園田氏が対等な実力を持っていたよ
うに説明するが、冗談も程ほどにしてもらいたい。

安倍氏に敵・田中角栄の牙城に単騎乗り込んで政権委譲の約束を取り付
けてくる離れ業が出来たのか。なぜ、竹下登にしてやられたのか。森氏
にその度胸があったのか。28年も経ってから死人を足蹴にして己を高く
売りつけるとは見下げ果てた元記者よ。「てんしき」だ。

福田氏があえなく大平氏に敗れた後、密約を楯に福田支持をしなかった
園田氏は福田派を除名され「政界のはぐれ烏」と成り果てた。それでも
福田氏が大平批判を控えれば、ポスト大平は福田さんだといい続けた。

しかし福田氏の「乃公(だいこう)出でずんば」の過剰自信は遂に大平
首相を死に追いやり、自らも納得のいかぬまま生涯を終えた。時宜を得
て歴史を目撃した私は幸せだった。(了)



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国柄は非常の時に現れる(上)
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         伊勢 雅臣

■1.「家がこんな状態なのに行くんですか」

宮城県の沿岸の都市で、ある酒屋が今回の大地震と津波で壊滅的な打撃
を受けた。若者と母親が店内の片付けをしていると、制服の自衛官が来
て、1枚の紙を示した。「召集令状」である。

若者は元自衛官であり、万が一の時に招集に応ずる即応予備自衛官であ
った。若者は令状を示す自衛官に直立して「了解しました」と答えた。

横からテレビのレポーターが「家がこんな状態なのに行くんですか」と
聞くと、「そのために何年も訓練してきたんです。いか行かなければ、
10年、20年と後悔しますから」 そばにいた母親も「人のためだから、
行きなさい。うちのことは何とかするから」と声をかけた。

元自衛官で、万が一の際、自衛隊に復帰して現役並みの活動を期待され
ているのが、即応予備自衛官である。現在、約5600人いるなかで、今回
の震災では4月中旬時点で、1300人が招集されていた。

教育勅語に、理想の国民像として「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(も
し危急の事態が生じたら、義心と勇気を持って、公のために奉仕し)と
の一節があるが、まさにそれを絵に描いたような一場面である。


■2.「仲間のために自分は行く」

東京電力福島第一原発の危機もなんとか沈静化しつつあるが、それも多
くの人々の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」のお陰である。

東電の下請け業務を行う協力会社のベテラン社員、根本誠さん(47、仮
名)は3月1日の震災発生当時、第一原発の事務所3階にいた。東電の
要請に応え、同僚10数人とそのまま原発に残って、復旧作業に入った。


「被曝(ひばく)の危険性があることは分かっていたが、復旧作業には
原発で18年働いてきた俺たちのような者が役に立つ。そう覚悟を決めた」。

第一原発では連日、東電社員と協力会社社員、合計で300~500人が残っ
て、復旧作業にあたった。1日の食事は非常食2食、毛布にくるまって
雑魚寝という過酷な環境で作業を続ける。

3日後の14日午前11時1分、根本さんが2号機で電源復旧作業に当たっ
ていた時に3号機が水素爆発を起こし、原子炉建屋の上部が吹き飛んだ。

外へ出ると3号機は鉄の骨組みがむき出しになり、灰色の煙がもうもう
と青空に立ち上がっていた。「もうだめだ、、、」仲間の声が聞こえた。

根本さんは「放射能をくらうぞ。避難するんだ」と声を上げて防護服の
まま、瓦礫の上を走った。乗ってきた車は爆風で窓が割れて使えず、作
業基地となっている免震重要棟まで1キロ近く、最後は息切れしながら、
たどり着いた。

根本さんは翌日15日から東電の緊急退避命令により、しばらく避難生活
を送ったが、また志願して、第一原発に戻るという。

「同僚たちは今も原発で働いている。少ない人数で頑張っている。むろ
ん、行かなくとも誰も責めないだろうが、自分がよしとはできない。仲
間のために自分は行く」。

行かなくては「自分がよしとはできない」とする心が「義」であり、危
険を承知で現地に赴くのが「勇」である。


■3.「任務ですから」

原発には、東京消防庁のハイパーレスキュー隊、自衛隊、警視庁なども
放水活動のために駆けつけた。

大阪市消防局は53人が20日夜から90時間、東京消防庁の活動を支援した。
参加した隊員たちには、本人の意思を確認した上で、職務命令が出され
た。指揮を執った片山雅義・警防担当課長代理(48)は、こう語った。


「東京消防庁が孤軍奮闘、国民のために命がけで戦っているのを、同じ
消防職員として見過ごすわけにはいかない思いだった。

私の息子は24歳だが、ほぼ同じ年齢の東京の隊員が体を震わせながら
「任務ですから」とだけ言い残して出動していった」。


原発から約20キロ地点の前進基地から、800メートル地点の指揮所までサ
イレンを鳴らして移動する途中で、自分たちに向かってお年寄りら6人
の住民がお辞儀をした。

「腰を90度まで曲げて、深々とおじぎをされた。その姿を見て、これは
絶対に何かお役に立って帰らねばと思った」と片山さんは語った。


■4.全国から集まった3千人の都市ガス局員

同僚が命がけで戦っているのを「見過ごすわけにはいかない」という
「義勇」の心は、民間事業者も同じだ。

仙台市ガス局では7市町村で35万世帯の都市ガス供給がストップした。
この危機に全国の都市ガス業者が立ち上がった。北は北海道ガスから、
南は鹿児島の日本ガスまで、最大手の東京ガスも含め、約30業者が約3
千人を仙台に派遣。

仙台市ガス局員約500人とともにガス管の損傷確認や一軒ごとの開栓作業
など、人海戦術で復旧にあたっている。

仙台市ガス局内に設けられた現地復旧対策本部には、会社ごとに異なる
様々な作業着を着た技術者たちが集まる。全国に派遣要請を出した日本
ガス協会の広報担当・山田俊彦さんは「お客さんのガスを止めるという
のは、ガス業者として断腸の思い。同業の仲間として放っておけない」
と使命感を語る。

新潟県柏崎市から8時間かけて駆けつけた同市ガス水道局の佐藤貴人さ
んも、3月末、仙台市内でガス管の修繕作業に従事した。「中越沖(地
震)の際には仙台市にも助けてもらった。やっと恩返しができる」と、
語った。

オール・ジャパンによる総力戦の復旧作業で、地域ごとに供給が再開さ
れていった。仙台市ガス局の桝川佳隆さんは「同業者の支援は本当にあ
りがたい。全域復旧を急ぎたい」と声をつまらせた。


■5.「荷物を届けると、返ってくるのは一様に喜びの声」

電気、ガスと同様、ライフラインとして重要なのが物流だ。ヤマト運輸
は岩手、宮城、福島の125店舗を震災後10日で再開させた。阪神・淡路大
震災の時に要した日数が15~20日なので、大幅に縮めている。

石巻市でいち早く営業再開した石巻蛇田センターは、近隣の5事業所分
の荷物を一気に引き受け、北信越、関西などの事業所から駆けつけたヤ
マト運輸社員がサポートして、通常1日取扱量800個程度のところ、3000
~3200個をさばいた。

そのほとんどすべての荷物は、被災した親戚に食べ物を届けたいとか、
親友に衣類を送りたいという、救援物資である。阿部浩・石巻支店長は
言う。「自宅や避難場所に荷物を届けると、返ってくるのは一様に喜び
の声。物流は電気や水道と一緒。同じインフラなんです」

ヤマト社員たちの心意気を示すエピソードがある。ヤマト運輸のドライ
バーたちは、避難所間の供給物資の格差に気がついた。ある避難所には
潤沢に救援物資が行き渡るのに、小さな避難所には行き渡らない。

各担当エリアを隅々まで知り尽くしているヤマト運輸のドライバーたち
は、自発的に小さな避難所まで救援物資を送り届けた。他の運送会社と
共同で、救援物資の配送を行ったケースもあった。

ドライバーたちの自発的な動きを知ったヤマト運輸本社では、こうした
活動を支援するために急遽「救援物資輸送協力隊」を組織し、グループ
挙げての活動に乗り出した。

宮城県気仙沼市の青果市場に設けられた救援物資の一時倉庫では、約50
人の自衛隊員と同数のヤマト運輸の協力隊が働いている。自衛隊が宮城
県の倉庫からこの一時倉庫に物資を輸送し、ここから約90カ所の避難所
に配るのがヤマト社員の役割である。


■6.自動車営業マンの奉公

宮城県石巻市のトヨタ自動車系ディーラー、仙台トヨペット石巻店は、
地震発生の40分後に、巨大な濁流に襲われた。車はすべて流され、営業
再開のメドも立たないため、須藤店長は従業員に自宅待機を命じた。し
かし、4日目には、従業員が一人、また一人と店舗に戻ってくる。

売るものなど何もなかったが、須藤店長は店を開けることにした。する
と、顧客が次々と店舗にやってくる。「流されたクルマで玄関が開かな
い、道路が通れない」など、用件の大半はクルマの撤去で、1日に10件
以上も依頼が舞い込んでくる。店舗の片付けも終わらない中で、従業員
は数人がかりで、撤去作業に出かけていく。

携帯電話がつながるようになると、営業マンたちは常連客の安否確認を
始めた。すると、顧客からの第一声は「生きていたか」「家族は大丈夫
か」と、営業マンたちの身を案ずる言葉だった。

電車もバスも途絶えた被災地で、車は生活に欠かせない移動手段であり、
物資の運搬手段である。顧客からは次々と注文が寄せられる。地震発生
後3週間で新車30台、中古車25台を受注した。震災前の10日間の受注は
10台だった。

石巻店は津波の難を逃れた在庫をやりくりして、4月1日、震災後の納
車第1号ハイブリッド車「プリウス」を顧客の許に届けた。仙台トヨペッ
トは、全国各地のディーラーに呼びかけて、200台の中古車を調達する手
はずを整えた。

トヨタ本体からも毎日のように救援物資が届けられる。仙台トヨペット
では、支援物資の多くを自社の店舗だけでなく、避難所や病院にも届け
ている。地域社会に根ざしたディーラー網は、住民生活を支える社会イ
ンフラとなっている。


■7.生活に必要なものを普通に買える喜び

宮城県気仙沼市にあるイオン気仙沼店では、地震発生直後、店舗にいた
買い物客と従業員は、避難場所に定めてあった店舗正面入口に集まった。
町内放送は高さ6メートルの津波が押し寄せてくる、と伝えた。

雪が降る中、高瀬千晃店長(59)は高台にある県立高校跡地などに全員
を誘導し、一人の被害者も出さずに済んだ。

翌日、避難先から店に戻った従業員たちが目にしたのは、無残に破壊さ
れた売り場だった。建物はなんとか残ったものの、1階売り場では自動
車が流れ込んで横転しているなど、膨大な瓦礫の山に埋め尽くされてい
た。

高瀬店長は、どう店を再開するのか、悩んだ。店舗の外のスペースは既
に自衛隊が拠点として利用していた。建物の内部が使えないとすれば、
残るは屋上しかない。「お客さまが満足する売り場になるのか。そもそ
も、早い時期に再開する意味があるのか」と迷った。

それでも顔見知りの常連客からは「お店はいつ開くの?」「早く営業し
て」と何度も声をかけられた。従業員たちにとっても、大切な職場だ。

4月1日、屋上駐車場にテントを張った仮設店舗で、店を再開した。並
んだ商品は、カップ麺、野菜、自転車、布団など生活必需品が中心だっ
た。冷蔵庫が必要なものは置けない。

斎藤光代課長(62)が朝礼で、いつものように「行動規範宣言」唱和の
リード役を務めた。斎藤さんは26年前の気仙沼店開業時にパート従業員
として採用され、その後、正社員として、この店で働き続けてきた。

朝礼では、再開にこぎ着けた喜びで、多くの従業員が涙を流した。開店
前に約500人もの買い物客が列をなしていた。開店後は、臨時レジの前で
長い行列ができた。生活に必要なものを普通に買える喜び、その客の喜
びを従業員も受けとめたことだろう。

売り場を完全に破壊された店舗の本格復旧は今もメドが立たない。それ
でも斎藤課長は誓う。「私たちにはこの場所しかない。ここで必ず復興
する」


■8.公とは「大きな家」

「公に奉ずる」の「公」とは、「おおやけ」、すなわち「大きな家」と
いう意味である。国全体を一つの「大きな家」だと見なし、その家族一
人ひとりがそれぞれの働きを通じて、「大きな家」を支えることが、
「公に奉ずる」ということである。

ここで紹介した即応予備自衛官、原発作業員、消防隊員は言うに及ばす、
ガス工事のおじさん、宅急便のおにいさん、自動車営業マン、スーパー
のおばさんたちも、一人ひとりがそれぞれの仕事を通じて、立派な「奉
公」をしている。

そういう生き方を理想とするのが、我が国の国柄であり、明治日本の急
速な隆盛も、戦後の奇跡的な復興も、多くの国民がそれぞれの場で奉公
に勤しんだ事が原動力となっている。

震災によって、本編の登場人物たちのように、いまだ多くの人々がそれ
ぞれの職場で奉公をしていることがあきらかになった。そしてこれらの
人々の生き様に感ずる処があったら、あなたの心の中にも、このDNA
が脈々と受け継がれていると思ってよい。

大震災を契機に、国民一人ひとりの中で、「義勇公に奉ず」の心が目覚
めたとすれば、膨大な犠牲者の御霊も慰められるであろう。


■■ Japan On the Globe(699) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
国柄探訪: 国柄は非常の時に現れる(上)~ それぞれの「奉公」

自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅
配便のおにいさんまで、それぞれの場で立派な「奉公」をしている。

■転送歓迎■ H23.05.22 ■ 38,460 Copies ■ 3,416,928Views■
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話 の 福 袋
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 ◎猛烈な台風、日本接近へ=28日以降大荒れの所も―気象庁

猛烈な台風2号は26日、フィリピンの東海上を北西に進んだ。気象庁によ
ると、28日夜に沖縄・先島諸島近海、29日夜に九州の南海上へ進む見通
し。

沖縄・奄美地方は28日から、西日本は29日から大荒れの天気となる恐れ
があり、その後31日ごろにかけて東日本も影響を受ける可能性があると
いう。

2号は26日午後9時、フィリピンの東海上を時速15キロで北西に進んだ。
中心気圧は920ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は55メートル、最大
瞬間風速は75メートル。半径130キロ以内が25メートル以上の暴風域、同
300キロ以内が15メートル以上の強風域。 
時事通信 5月26日(木)22時29分配信



 ◎海水注入は継続していた…原発・吉田所長が判断

東京電力の武藤栄副社長は26日、福島第一原子力発電所1号機で東日本
大震災の発生翌日に、同社が冷却用の海水注入を中断していたとされる
問題で「注入中断はなく、継続していた」と発表し、21日に政府・東電
統合対策室が公表した調査結果を訂正した。

同原発の吉田昌郎所長が、事態の悪化を阻止するためには注水継続が必
要と判断し、中断を見送っていたという。

統合対策室はこれまで、東電が3月12日午後7時4分に海水の試験注入
を始めた後、原子炉の「再臨界」の可能性を懸念した官邸の意向に配慮
し、同25分に独断で注入を中断したとの調査結果を公表。

しかし、公表翌日の22日には、班目春樹・内閣府原子力安全委員長が、
再臨界に関する自分の発言内容が異なると抗議し、調査内容を訂正して
いた。

1号機では震災後、炉心溶融(メルトダウン)と水素爆発が相次いで発
生。海水注入の中断によって、圧力容器の損傷が悪化した可能性が指摘
されていた       読売新聞 5月26日(木)15時29分配信



 ◎四国、中国、近畿が梅雨入り=平年より10~12日早い―気象庁

気象庁は26日、四国、中国、近畿地方が梅雨入りしたとみられると発表
した。四国は平年より10日、中国、近畿は12日早く、昨年比では、いず
れの地方も18日早いという。 
時事通信 5月26日(木)14時33分配信



 ◎中国政府機関のビル付近で連続爆発…江西省

【北京=関泰晴】新華社通信によると26日、中国江西省撫州市にある
3か所の政府機関ビル付近で、午前9~10時の1時間ほどの間に立て続
けに爆発があった。

少なくとも5人が負傷した。同通信は、農民が何らかの不満を晴らそう
として爆発を起こしたとの地元政府関係者の見方を伝えた。

AP通信によると少なくとも2回の爆発は車爆弾の可能性がある。中国
のインターネット上では、地元住民の話として車両数台が吹き飛び、周
辺の建物の窓ガラスが割れたとの情報が流れている。 .
読売新聞 5月26日(木)13時27分配信



 ◎「鳥取県議は6人でいい」発言、橋下知事が謝罪

大阪府の橋下徹知事は26日、大阪市内で開かれた関西広域連合の会合で、
「都道府県議は10人に1人でいい。鳥取県議は6人でいいですよ」など
とした自身の発言について、鳥取県の平井伸治知事に謝罪した。

会合の冒頭、橋下知事はテレビ中継で参加した平井知事に対し、「すい
ませんでした。僕の個人的意見で、暴走した発言だった。府庁の幹部や
大阪維新の会のメンバーからも怒られた」と釈明。平井知事も「都市と
地方の違いに考慮してもらえれば」などと述べた。
読売新聞 5月26日(木)13時45分配信



 ◎竜巻で232人行方不明=米ミズーリ州

【ニューヨーク時事】米ミズーリ州の当局者は26日、同州ジョプリンを
22日に襲った竜巻に関し、今も232人の行方が分かっていないと明らかに
した。米メディアが報じた。

竜巻の犠牲になったのか、それとも市外の親族宅などに身を寄せている
のかははっきりしていない。当局者は「全ての家族が行方不明者と連絡
を取れるよう、あらゆる手を尽くす」と強調。遺体の身元確認も急ぐ方
針だ。竜巻はジョプリンの住宅地を壊滅状態にし、少なくとも125人が死
亡した。 
時事通信 5月27日(金)6時40分配信



 ◎<G8>「日本リスク」への疑念増幅 原発政策で濃淡も

仏北西部の保養地ドービルで26日開幕した主要8カ国首脳会議(G8
サミット)は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を受け、苦境
に陥る日本の危機管理と復興への取り組みが大きくクローズアップされ
た。

菅直人首相は「安全神話」が崩れた原発の安全性向上への決意を表明、
各国の理解と協力を得る姿勢を打ち出したが、日本国内での事故対応を
巡る迷走は「日本リスク」への疑念を増幅させている。

原子力政策を巡ってもG8内の濃淡の差が大きく、中国など新興国を含
めた原発の安全基準を巡る議論は難航しそうだ。

 ◇福島事故、見えない収束道筋

大震災と原発事故に苦しむ日本からドービルに乗り込んだ菅首相。「日
本との連帯」が議題となったサミット冒頭の昼食会で「主役」として迎
えられたが、同時に、国際社会に対して原発事故の早期収束と原子力安
全の向上という責務を負ったといえる。首相にとって震災後初の外国訪
問は、放射性物質大量放出に至った原発事故の検証と再発防止を誓う
「釈明」の旅となった。

「来年1月までに放射性物質の放出を抑制、管理する工程表に従い、安
定状況に持っていきたい」。サミット冒頭の首相発言により、原発事故
を収束させる政府の工程表は国際公約となった。

しかし、現状は高濃度汚染水の処理などに手間取り、初動の海水注入を
巡る情報管理の甘さも露呈。日本政府の対応に国内外から向けられる視
線はなお厳しい。

風評被害を含む事故の影響が復興の足かせとなり、日本経済の低迷が世
界経済の不安要因とみなされてもいる。首相は「経済活動は急速に復興
している」と強調するとともに、日本からの輸入規制について「科学的
根拠に基づいて対応されるよう望む」と風評被害の解消を要請。

震災を「日本の新生の重要な機会」として、復興を日本経済の再生につ
なげることを訴えた。

首相が打ち出した新エネルギー政策も、原発事故を逆手にとり、政権基
盤が不安定な現状から反転攻勢に出るきっかけにする狙いがうかがえる。
自然エネルギーと省エネを基幹エネルギーに加える新方針は5月10日の
記者会見で表明したが、その際、自然エネルギーの数値目標や推進組織
の設置に踏み込むことも検討した。

原発推進論も根強い政府・民主党内の調整なしに前のめりになる首相に
周辺がブレーキをかけ、このときは見送った。

国内の抵抗を抑えるため、首相が数値目標発表の舞台に選んだのが国際
会議だった。自然エネルギーの発電比率を「2020年代のできるだけ早い
時期に 20%以上」に引き上げる目標は25日にパリで開かれた経済協力開
発機構(OECD)設立50周年式典で表明。

首相は演説の草稿になかった「約1000万戸の屋根に太陽光パネルを設置
する」との目標も付け加え、26日はG8首脳にも公約した。

首相は震災後、周辺には「原子力と化石燃料が(原発事故と地球温暖化
で)ダメだとなったら、残りの二つに力を向けるしかない」と原発依存
からの脱却への意欲を語っている。

25日の日仏首脳会談ではサルコジ大統領から「原子力か、原子力でない
かという(二者択一の)議論ではない」とくぎを刺されたが、エネルギー
政策転換への思いが先走り、実現方法の検討が後回しになった面も否め
ない。

菅首相のサミット出席は昨年のカナダ・ムスコカに続き2回目。短期政
権の続く日本から2年連続で参加したのは小泉純一郎元首相以来だ。外
務省によると、日本以外で開かれたサミットで、日本の首相が冒頭発言
した例はなく、今回が初めてという。

しかし、国内では政権批判を強める野党が内閣不信任決議案の提出を検
討しており、首相の実行力には内外から懐疑的な目も向けられている。

 ◇原発安全基準 協議難航は必至

初日最初の正式討議となった「原子力安全」は、福島第1原発事故を受
けて急きょ設定された。「国際的な原発の安全性の強化に弾みをつける」
(仏政府)という狙いがあるが、原発政策を巡るG8の温度差は鮮明だ。
とくに推進派のフランスなどと、「脱原発」にかじを切ったドイツとの
対立は覆いようがない。

サミットにあたって、フランスのサルコジ大統領は福島第1原発事故後
も「原発は必要だ」と強調した。フランスは電力量の約8割を原子力に
頼り、世界有数の原子力企業を抱える。原発政策は国益の中核でもある。

原発輸出を重視するロシアのプーチン首相は「日本のような地震は起こ
らない」と過度の規制強化をけん制。オバマ米大統領も環境保護の観点
から推進を維持。同時に再生可能エネルギーも加速させている。

一方、ドイツのメルケル首相は事故後、「脱原発」へとかじを切り、
「再生可能エネルギーへの移行を進める」と対極の立場を取る。国内で
は事故前から「脱原発」の「緑の党」の勢いが拡大し、もはや後戻りで
きない。

「原子力安全」の議論では、「原子力は必要不可欠なエネルギーだ」と
の指摘に対し、「各国ごとにアプローチがある」との反論もあり、原子
力の位置付けについてG8としての統一見解はまとまらなかった。

一方、菅直人首相は「原子力安全関連条約の強化」を提案し、規制強化
に向けた国際原子力機関(IAEA)での議論に期待感を表明した。

ただ、この日の議論では「既存のルールの強化でいいのではないか」と
して、G8首脳から大幅な見直しをけん制する発言もあり、具体策につ
いては各国の見解が分かれた。今後の焦点となる「国際的な最高水準の
安全性」の基準作りが難航するのは必至だ。

IAEAは100以上の安全指針を策定、加盟国はこれに沿う形で国内法を
整備している。IAEAは基準を定期的に見直しており、福島の事故以
前から地震や津波への適応基準を検討していた。サミットの要求を受け
る形で、大津波についての新たな知見を反映させると見られる。

G8の討議では、「安全措置、危機管理、透明性向上を巡る国際協調の
推進」を重視する方針を確認したが、中国、インドなどが加われば、議
論はさらに錯綜(さくそう)する可能性が高い。

毎日新聞 5月27日(金)1時29分配信


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反     響
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 1)厳しい処分を考える:

民主党・岡田幹事長は「菅内閣不信任案に同調したら(欠席者も含めて)
除籍を含む厳しい処分を考えている」と、党内の支持派に警告したと報
じられていた。一聴、忠実な総理・代表の擁護の行動の如く聞こえる。

だが、良く考えないでも解りそうなもので、不信任案に同調するからに
は、処分されるくらいは覚悟の上ではないのか。一般人の社会の常識で
考えれば、そのまま同じ党内に残れないくらいは考えているのだと思う
が。民主党にはそういう気骨の持ち主がいるのか。

岡田という人は、学歴と職歴から見れば極めて能力が高いと思われて当
然だ。だが、これまでの彼が採ってきた言動を見ると、如何にも硬直的
で、度量が狭いと思わせるだけだ。

幹事長である以上、党内の規律を保ち内閣を支えるのは当然だろうが、
今回の脅迫的警告にしても考えが浅いと思わざるを得ない。それとも
「やるだけはやっておきました」というアリバイ作りか。

私は以前から「無能レベル」という見方から論じてきた。すなわち、営
業マンとしては優秀だったが、功績と年次から課長(管理職)に登用し
たら管理能力不足を露呈した」という類である。

または「部長代理として優れた補佐能力を発揮したが、部長更には取締
役と昇進するに連れて無能振りが暴露された」という例もある。

営業の能力と管理職としての能力は別なものであるが、我が国の会社世
界の文化では、それは分離されていない傾向がある。「良い課長だった
けれどな。部長としては無理だった」という人物に出会った経験はかな
り数多くあった。

そこで岡田幹事長である。学歴と官僚歴は優れていても、彼はすでに多
くの役職で不成功だった例が多かった。では一党員のままに留め置く訳
には惜しいので昇進させたのだろう。

だが、私は見る限りでは無能レベルに達したと言うよりも、民主党とい
う異例な組織と政治の世界の中では、初めから無能だったと見る方が解
りやすい気がする。

角度を変えてみれば、民主党の主要なメンバーはあの党の組織内で力
があったのだろうが、政権を担うには極めて不適格な者ばかりだったと
見れば、今日の惨状が解りやすいのだ。すなわち、政権の座に就けば、
そこが即無能レベルだったのである。

しかし、私はこの議論とても結果論で、民主党が政権を担うのは危なっ
かしいという多少の危惧はあったにせよ、鳩山、菅以下があれほど無能
だったとは読み切れていなかったのではなかったか。批判ばかりの野党
なら兎も角、政権与党としては無能レベルに達したのだ。

自民党の谷垣総裁も同様で、育ちの良さと学歴等という点から見れば多
少のひ弱さが見えても、いざ総裁にしてみればあれほどもまで優柔不断
である。

もう一・二発パンチを浴びれば倒れそうに見える菅内閣を目の前に見な
がら、「行くぞ、行くぞ」と声を出しながら、セコンドに「ここで倒し
て良いのかな」と尋ねている始末。これも無能レベルに達したと見える。

我々は(私は)未だ成長の可能性を秘め、無能レベル到達を懸念させな
いごく普通の政治家の出現を待望する。現在はスタンド・プレーや内向
きの統制ばかりに集中しているような政治家が打破できるような状態に
はないのだ。(前田 正晶)



 2)「スタンド・プレーや内向きの統制ばかりに集中している」人は
多いですね。「内向き統制」は、今はやりの内部統制とも語呂が合うの
で、ヒットするのではないでしょうか。座布団3枚ですね。

今、内部統制をISO9000を中心にして組み立てられないかという課題
を仲間と考えておりますが、彼らにもこのコトバ「内向き統制」を伝え
てみようと思いました。ありがとうございます。 ( 酒井 富雄)

 

 3)民主党の代表選改革案は在日外国人の党員・サポーターも参加す
るという案なので、憲法15条違反の疑いがあります。民主党が与党の時
は民主党代表が総理大臣になるからです。

民主党は民主党WEBサイトの党員・サポーター(在外邦人または在日
外国人の方でもOKです。)を、(在外邦人の方でもOKです。)に改
めるべきです。

そもそも、内閣総理大臣の指名は衆議院の議決が国会の議決となるので、
民主党が与党の時は衆議院議員だけが代表選に参加するのが憲法に沿い
ます。各政党所属の衆議院議員のみの議員総会が代議士会、衆参合わせ
ての議員総会が両院議員総会です。

民主党が与党の時の代表選は、両院議員総会で代表選の実施を決定→代
議士会で新代表を選出→自動的に現代表が退任→新代表を内閣総理大臣
に指名、という流れがいいと思います。(まこと)



 4)美人コンテストではあるまいに、メディアがよく行う世論調査に
「今、首相にふさわしいのは」というのがある。毎度下らないと思って
いるが、産経新聞社とFNNが23、24両日に実施した世論調査では民主
党の小沢一郎元代表が9・2%で首位に立ったという。

いつもながら他愛のない調査だと思うが、それなりにいまの政界の人材
難を端的に物語っており、それだけの意味しかないものでないか。

「救国的宰相」が望まれるこの時期に、中核になる人材がいないために、
有象無象の選良(?)のどれもが腰が引けた政局劇を演じているだけなの
が国の為に悲しい。(品川 阿生居士)



 5)自然エネルギーを20%以上に:

菅総理は矢張り大物だった。核発電に80%も依存しており。3.11以後あ
れほど我が国を支援しているフランスに出掛けて、サルコジ大統領に歓
迎されたにも拘わらず、フランスで開催されたOECDの会議で「自然エネ
ルギーを、20年代早期に20%に前倒し」と演説したのである。

フランスは明らかに自国の発電の事情もあって、我が国を福島の事故発
生直後から援助をしてくれた。その国に行って、現在1%程度でしかない
自然エネルギーを19%も増やすと堂々と言ってのけたのである。大した
度胸だ。国内でもバイオマス等には言及していたが、ここまでの具体論
を聞いた記憶はない。

20%説を単純に解釈すれば、30%前後の核発電から19%を減らすという
風に表明したと考えられる。しかし、彼は浜岡以外は安全だと言い切っ
たのではなかったか。

またもや後先を考えなかったのか、前任者の鳩山由起夫の手法に学んで、
既成事実を外国で造っておく魂胆かと思わせる。

すでに述べたが、欧米人は社交性が極めて高いから、サルコジ大統領が
いきなり菅総理に不快感を表明しないだろう。私はそれにしても国際的
な礼儀を弁えない演説だと思って聞いた。尤も、あの人物が外国、それ
も欧米人の感覚を熟知しているとは考えられないが。

外務省からは然るべき役職者が随行しただろうとは思うが、何分にも政
治主導であり何時も陰の如くに付き添っている福山程度がサポート役で
は、独断専行は当然の成り行きだろう。

私は「20%宣言」も兎も角、フランスに行って20%を打ち上げた感覚を
非難したい。そういうことに気を配らない辺りが、あの総理大臣が大物?
である所以だろう。フランスの本音が知りたい。(前田 正晶)



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身 辺 雑 記
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27日の東京湾岸は曇天。夜には又降ってきそうだ。梅雨は大阪まで来た
ようだから、関東の梅雨いりは週末か来週だろう。その前に台風2号が
やってくる。など、のどかなことを言っていたら、きょうから入ったと
いう。

<関東甲信、東海が梅雨入り=昨年より17日早く―気象庁

気象庁は27日、関東甲信と東海地方が梅雨入りしたとみられると発表し
た。両地方とも平年より12日、昨年より17日、それぞれ早い。

気象庁によると、日本列島の南には前線があり、27日は西日本から関東
甲信の広い範囲で曇りや雨となっている。ぐずついた天気は来週にかけ
続く見込み。>時事通信 5月27日(金)11時9分配信


菅は政権獲得は期間限定の独裁が許されたものと解釈している。自然絵
ネルギー20%も太陽発電1000万戸も独断表明である。官僚の誰にも相談
していない。

数多居る参与から助言があったのだろうか。サミット担当の最高責任官
僚は「シェルパ」としょうされる外務省の外務審議官(経済担当)だが、
彼に、事前相談は無かったと思う。


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渡部 亮次郎

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わたなべさんは、お年寄りなのに

めっちゃ冴えている。
年は関係ないですね。