津波はまた来る | 日本のお姉さん

津波はまた来る

津波が来た場所に、また家や工場や店舗を
建てるのは、もう止めた方がいい。
または、50mぐらいの堤防を築いて
海が見えなくなる盆地にしてしまい、内側に
家を建てて、海側は、漁師や農家に使ってもらい
いつでも逃げることができるように50mの高台に
つづく大通りをいくつも用意して
車で逃げても渋滞しないようにしておく。
原発の影響で住めなくなった場所は
政府が全て高く買い上げて、そこには
太陽光発電の大きな施設を設置して
点検に行くのは東電の社員に任せる。
下受けは使わず、全員東電の社員にやってもらう。
誰も管理しないと、どんどん下受けにまわして
7次下請けが安い給料で働くことになるから。
半径20km圏内で、そんなにきつい放射性物質に
犯されていない場所は、住民が希望すれば
3ヶ月に一度、戻れるようにする。
防護服を与えて、付き添い付き。
費用は当然、全額東電持ち。
避難した住民は、東電と政府から毎月
家賃をもらえる。または、土地と建物をそれなりの
値段で買い取ってもらう。農地や農作物の被害、
風評被害による損害、酪農業の牛の損害、
放射線物質の影響を受けていない地域で
漁業をいとなむ人々が失った船を買い与えて
水産物の加工設備を立て直し、船着き場の整備をする。
津波の時の避難場所や、避難用道路も作る。
国民から金をむしりとることばかり考えずに
先に、ODAやら子ども手当てやら
国連に出す金をストップさせる。
東電の偉いさんたちにも、今までの怠慢の罰を与え
犠牲を払うようにしむける。政府がすべて保証して
東電の偉いさんたちは、痛くもかゆくも無いなんて
ことは許されない。監督不行き届きで、予算ばかり
削って、下受けに全部、放り投げてきて
災害の対策をきちんとしなかった罪というものがある。
いろんな学者からの警告を無視して、
日本国民の命を危険にさらした罪は、償ってもらいたい。
しばらく、刑務所に入って反省してもらいたい。
政府が裁かないなら、国民がリンチ(勝手に私刑に処す)
してしまうかも。
いや、日本人は、そんなことはしないな、、、。
リンチさせないためにも、政府は、
会長や社長や副社長に罰を与えること。
天下りの官僚は、次の社長になるべく待機していたそうだが、
まずいと思ったのか、辞任したらしい。
最初から天下りするな。
民主党は、子ども手当てのばらまきよりも、天下りによる
税金の無駄使いを止めさせたら?
それを期待して民主党に入れた人が多いんじゃないの?
ひとつも、天下りを阻止できていないばかりか、
自民党時代よりも、現職で天下る人が増えて
無駄使いが倍増しているらしい。
仕事ができないなら政権交代しかない。

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「島の言い伝え、命救った」=1142年前の大津波―石碑建て継承・宮城
時事通信 4月23日(土)5時31分配信
 両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
 ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
 複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
 今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。
 高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000009-jij-soci
津波に強かった「1階吹き通し」再使用できるケース多く 建築学会が報告

産経新聞4月24日(日)2時42分配信

 東日本大震災の揺れや津波で被害を受けた建物を調べた結果、1階部分が吹き通しになった「ピロティ型」の建物が、津波に強かったことが、東北工業大学の田中礼治教授らの調査で分かった。沿岸部では、ほとんどの木造家屋が流失している一方で、鉄筋コンクリート構造の建物の多くが再使用できる状態で残っていることも判明した。

 23日に大阪市内で行われた日本建築学会の「緊急調査報告会」で報告した。

 ■「ピロティ型」衝撃少なかった?

 田中教授らは、仙台市など宮城県の沿岸部を調査。田中教授によると、津波で木造家屋が壊滅的被害を受けた地域でも、鉄筋コンクリートの建物は、基本構造に大きな被害がなく、再使用できるケースが多かったという。鉄骨構造の建物も一部は残っていたが、基本構造が変形し、再使用は厳しい状態だった。

 1階部分が主に柱だけで構成されているピロティ型の建物が津波に強いことも浮かび上がった。堤防から数十メートルの場所で津波の直撃を受けながら流失を免れたケースもあったといい、田中教授は「1階部分に外壁がなく、津波の力を受ける面積が小さくなるためではないか」と分析している。

 ■「重さ」で耐えた鉄筋コンクリート建築

 また防衛大の多田毅講師は「鉄筋コンクリートの建物は、それ自体の重量が大きく、津波の力に耐えることができた」と指摘。鉄筋コンクリートの建物であっても、一部津波で倒壊した例があることについては「昭和53年に起こった宮城県沖地震などで基礎部分が変形していた可能性もある」と述べた。

 同学会は今後も被災した建物の調査を進め、地震や津波に強い建築技術などを政府に提言する方針。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110424-00000503-san-soci