南三陸町のニュース
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死者・不明2万7493人に=南三陸町の不明者計上―東日本大震災
時事通信 4月12日(火)12時38分配信
東日本大震災は12日、発生から33日目を迎えた。警察庁の午前10時時点のまとめで、7日と11日に起きた余震を含めた死者は1万3219人。行方不明者は、津波で壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町の632人を新たに計上した結果、1万4274人となり、死者と合わせると2万7493人となった。
同庁によると、死者は宮城県8086人、岩手県3825人、福島県1245人など12都道県に及ぶ。同庁が把握している行方不明者は宮城県7006人、岩手県4091人、福島県3173人など6県にわたる。
避難生活を余儀なくされている人は18都道県の約2300カ所で、約14万2000人に上る。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000072-jij-soci
東日本大震災:「津波の脅威まざまざ」 被災地・岩手、宮城に派遣の警官会見 /長野
毎日新聞 4月12日(火)13時24分配信
東日本大震災で被災した岩手、宮城両県に派遣された県警警察官が11日、県庁で会見し、「津波の脅威をまざまざと感じた」と心境を語った。会見したのは警備2課長補佐の桜井伸一郎警部(45)と、交通機動隊木曽分駐隊長の岩下俊憲警部補(43)。桜井警部は岩手県釜石市と宮城県南三陸町で行方不明者の捜索にあたり、岩下警部補は交通規制などのため岩手県野田村に派遣された。
桜井警部は建物が流された海岸沿いを目の当たりにして「何も無くなってしまった」と感じた。行方不明者の捜索では、がれきに絡まった漁網が障害になったが、被災者から当時の状況や津波の流れ方を聞き、6人の遺体を発見した。「悲しみの中で情報を提供してくれた。それほど期待が大きかったのだと思う」と話した。
また、岩下警部補は燃料不足のため車のエンジンを切って待機していた際、「火をたいたので暖まって」と誘われたことが印象に残るという。住民は半壊した家の木材を薪代わりにしており、「大変な目に遭っているのに気を使ってくれて。元気をもらった出動だった」と振り返った。
県警から被災地に派遣された警察官は延べ約300人。桜井警部は「すべてを流す津波の脅威をつくづく感じた。期間の長い活動になるが、今後も頑張ろうと思う」と話した。【小田中大】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000128-mailo-l20
東日本大震災:きらやか銀と仙台銀、経営統合を延期--震災影響 /山形
毎日新聞 4月12日(火)12時24分配信
きらやか銀行と仙台銀行(仙台市)は11日、今月末に予定していた経営統合の最終合意締結を延期すると正式発表した。10月に予定していた両行の持ち株会社設立による経営統合も延期する。両行の宮城県内の店舗や融資先が被災するなど、東日本大震災による影響が大きいため。延期後の経営統合の時期については、「12年度中の可能な限りの早い時期」としている。
両行が同日、それぞれ臨時取締役会を開き正式に決めた。きらやか銀は震災で一部店舗が被災。宮城県塩釜市や多賀城市などで連絡がとれない融資先企業もあるという。仙台銀も石巻市や南三陸町など宮城県内10店舗が営業停止に追い込まれた。また仙台銀は同日、政府に金融機能強化法に基づく公的資金の投入を申請する検討に入ったと発表した。被害状況が把握できず、保有資産の評価をし直す必要が出てきたため最終合意には時間が必要と判断した。当面は「地域経済の資金支援を最優先する」としている。
両行は昨年10月、持ち株会社設立による経営統合を目指すことで合意。両行の頭取を共同委員長とする経営統合委員会を11月に設置し、統合に向け準備を進めてきた。今月中に最終合意書を締結。6月の両行の株主総会で承認の決議をした後、10月に持ち株会社を設立し、株式を移転させる予定だった。【浅妻博之】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000079-mailo-l06
「能登で高さ11メートルの津波発生の可能性も」-金沢で地震・津波防災講演会 /石川
みんなの経済新聞ネットワーク 4月12日(火)9時45分配信
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参加者を前に講演する平松准教授
東日本大震災と石川県の地震・津波防災を考える講演会が4月9日、金沢大学サテライト・プラザ(金沢市西町三番丁)で市民や学生、行政職員ら約100人を集めて開かれ、同大研究者は「能登でも最大11メートルの津波が発生する可能性がある」と注意を促した。(金沢経済新聞)
【画像】 東日本大震災についての報告に聞き入る参加者
主催は、金沢大学の研究者や行政関係者、エンジニアらで作る「北陸自然災害懇話会」。この日は同大の5人が講演。理工研究域自然システム学系の平松良浩准教授(地震学)は東日本大震災の成因について「99%の確率で起きるといわれていた宮城県沖地震などが複合的に発生した」と解説した県内でも能登で最大11メートル、加賀で2~3メートルの津波が予想されているとも話し、大津波を想定して地域防災計画を見直すよう提言した。
昨年12月に宮城県南三陸町で津波対策のヒアリング調査をした人間社会研究域人間科学系の青木賢人准教授(氷河地形、環境変動論、地生態学)は、同町が公立病院や民間の結婚式場などを「津波避難ビル」に指定し、外階段を無施錠にして、いつでも町民が屋上に逃げられるように準備していたと説明。「『想定内』の被害については十分な対策を取っていたのに、あれだけの被害を受けてしまった。金沢、能登では『想定内』に備えることができていない」と、大津波が発生した場合は珠洲市役所が水に漬かると予測されている石川県の行政関係者や住民に意識変革を求めた。
震災後、2回にわたって被災地へ調査に出向いた理工研究域環境デザイン学系の宮島昌克教授(地震防災工学)は被害状況を報告し、県内でも、ハザードマップの作成や避難施設の指定・新設、電気系統機器の高所移転が必要だと説く。同系の村田晶助教(地震工学、防災工学)と人間社会研究域法学系の田中純一研究員(環境社会学)も、震災翌日に起きた長野県北部地震や2008年5月の四川大地震で被害を受けた中国・四川省の現状などについて話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000005-minkei-l17
「希望と夢詰め込んだよ」南三陸町に154人分のランドセル 岡山
産経新聞 4月12日(火)7時57分配信
■笠岡市社会福祉協議会などが支援
震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町を支援している笠岡市の社会福祉協議会と支援グループ「希望プロジェクト」は、5月に予定されている入学式に向けて、同町の志津川小学校の新1年生に送る赤と黒のランドセルと学用品などを寄贈するため、輸送バスに積み込んだ。
「お父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんに買ってもらったランドセルなど入学用品は全部、津波に流された」
「親族を失った児童もたくさんいます」
「新1年生にはピカピカのランドセルをもたせてやりたい」
ランドセルの支援は「ぼうさい(防災)朝市」など全国レベルのイベントを通じて、笠岡市と交流のある南三陸町のボランティアからの訴えがきっかけだった。同市社協は笠岡市民らに「ランドセル募金」を呼びかけ、「希望プロジェクト」に参加する地元商店街なども協力、破格の価格でランドセルや学用品を提供、プレゼントが実現した。
ランドセルや学用品には、154人の新1年生全員に宛てたメッセージと、「いつまでもあなたを見ています」の花言葉があるヒマワリのタネを添えた。タネは笠岡市の干拓地で育ったヒマワリから採ったものだ。
メッセージには「今はとっても大変だけど、みんなの笑顔はまわりの人たちを元気にするから、どんなときでも笑っていてくださいね」と書かれている。
最終更新:4月12日(火)11時45分
://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000069-san-l33
東日本大震災1カ月 午後2時46分 時が止まった
産経新聞 4月12日(火)7時56分配信
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東日本大震災から1カ月。冷たい雨が降る中、黙●(=示へんに寿の旧字体)する地元住民 =11日午後、宮城県石巻市(矢島康弘撮影)(写真:産経新聞)
■祈りと弔い…思い複雑 暖かい春は必ず訪れる
3月11日午後2時46分。東日本大震災が発生したあの日、あの瞬間から1カ月が経過した。列島各地では11日、発生時間に合わせて鎮魂の黙祷(もくとう)がささげられた。死者・行方不明者は2万6千人を超え、15万人近くが苦しい避難所暮らしを強いられている。「1カ月がこんなに早いなんて」「とても区切りなんて思えない」…。被災者や遺族はさまざまな思いを吐露した。
▼こんなに早いなんて
学校ごと津波にのまれ、全校児童108人のうち、74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校跡地。冷たい雨が降る中、子供を亡くした父母ら10人が午後2時46分、かじかむ手を合わせた。
「1カ月がこんなに早いなんて。ここだけ何もなくてあの日のまま時間がストップしているみたい」
6年だった娘(12)が行方不明のままという会社員女性(42)は、泥とがれきに埋まる校舎を見ながら、つぶやいた。
学校近くに自宅があったという菊地裕明さん(50)は3人の子供と妻を同時に失い、母(75)も行方不明だ。
自宅は面影すらない。花と果物を供えた菊地さんは「この1カ月は家族を捜すしか頭になかった。母も見つけて一緒に弔いたい。それだけです」と目を赤らめた。
▼状況悪化している
「1カ月たったが原発などの状況はむしろ悪化している。区切りがついたとは思えない」
福島第1原発の事故で、避難指示や屋内退避の地域に指定されている福島県南相馬市。原発の影響を受け、不明者の捜索も進まず、やりきれなさを口にする市民が多い。
黙祷の際に通常流されるサイレンを、この日はあえて流さなかった。
市は「住民はまだ緊張状態にある。サイレンで『原発に何か起きたのか』などの誤解を与えることを避けたかった。追悼行事などができる状態ではなく、それぞれの場所で黙祷していただいた」と説明する。
避難所となっている市立原町第一小学校では沿岸部に向かって避難者や医師ら約100人が黙祷した。
原発から20キロ圏内に自宅がある建築業の原薫さん(62)は、亡くなった仕事仲間を思い、祈った。「20代半ばの若者もいた。気の毒で何も言えない」
主婦の女性(38)は「1カ月たったが、原発はむしろ悪化しているよう。子供の学校がいつ再開されるかも分からない。1カ月が区切りという気分にはとてもなれない」と話した。
原発から20キロ圏内の同市小高地区で、行方不明者の捜索を行っている警視庁機動隊員らは発生時間に合わせて、持っていたシャベルを置いた。避難指示でまったく人影はなく、一面がれきの中、隊員らは海に向かい、静かに頭を下げた。
▼天国から見守って
「天国から見守って」
町の大半が津波にのまれ、多数の犠牲者を出し、町の人口約1万7600人のうち、約7300人が避難所生活を強いられている宮城県南三陸町。佐藤仁町長が防災無線で黙祷を呼びかけ、犠牲者を悼んだ。
避難所暮らしを強いられているパートの小野寺つるえさん(63)は「生きている人が、亡くなった人の分まで頑張らなければ。町が新しくなるところを天国から見守っていてほしい」と手を合わせた。
「先人は決してくじけず苦難を乗り越えてきた。暖かい春は必ず訪れる。県民みんなで希望に向かい、復興に取り組むことを誓う」と、「がんばろう! 岩手宣言」を出したのは、達増拓也・岩手県知事。訪問先の避難所で発生時間に合わせて黙祷し、発表した。知事の励ましを受けた女性(72)は「主人が糖尿病を患っている。何とか助けてください」と目に涙をためて訴えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000117-san-soci
震災1カ月 生活再建、募る不安 「どう食べていけば」 宮城
産経新聞 4月12日(火)7時56分配信
2万7千人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災から11日で1カ月。各地では先の生活に不安を口にする人がいる一方、仮設住宅に入居したのを機に生活再建を誓う人もいた。被災地の「1カ月後」を追った。
■南三陸町
約7300人が今も避難所暮らしを続けている宮城県南三陸町では、多くの被災者が生活再建の見通しの立たないまま不安な朝を迎えた。
約480人が身を寄せる町総合体育館「ベイサイドアリーナ」。水産加工会社経営の男性(52)は「もう1カ月がたったのかという思いがある。震災後、会社と自宅が津波に流された跡を見てうちひしがれた。会社再建に向けて動きたいが、今度は宮城県沖地震で津波に遭うのでは、といろいろ悩んでいる」と明かした。
養殖業の男性(55)は「長い1カ月だった。これから先の生活が心配なので、仕事を探すところ。こちらでは海の仕事がなくなったので、県外でもいいから水産関係の働き口を探そうと思う」と話した。
同町では町外への2次避難の希望者を募っている。11日朝に申し込んだ養殖業の女性(44)は「高齢の両親を抱えていることもあり、ゆっくりさせたい。町に戻り生活を再建したい気持ちはあるが、長男とやっていたワカメの養殖はだめになり、どうやって食べていけばいいのか」とうつむいた。
■陸前高田市
仮設住宅の入居が10日から始まった陸前高田市では11日も続々と被災者が入居した。
元自動車販売業、高橋浩幸さん(48)は津波で父と妻を亡くした。「仮設住宅は天国の妻が当選させてくれたと思い、これを機に母や息子と生活を立て直したい」と話した。ただ震災で職を失ったため、「避難所と違い、これからは自分で食料などを調達しないといけない」と不安を口にした。
夫らとともに入居している主婦、久納京子さん(63)は「避難所でワイワイと暮らした1カ月だったが、(津波で流された)自宅跡を見るといまだにむなしい」と語る。家族に被害はなかったが、「一日一日の暮らしで精いっぱい。まだ先のことは考えられない」と話した。
■仙台空港
13日に民間航空機の発着が再開される。空港事務所では午前8時半からミーティングが始まった。大坪守空港長、各セクションの責任者ら20人が出席し、津波で被災した管制塔の建物の安全性が確認されたのを受け、管制業務が11日から再開された。
9時21分、この日最初の海上保安庁のヘリが着陸。必要な物資を載せて福島県に向かって離陸していった。ターミナルビルではビルの一部をマスコミに事前公開するため、空港ビルの職員が準備に追われた。
空港周辺にがれきや車が押し寄せ、一時は空港事務所に200人、ターミナルビルに1600人が孤立した。
きれいになった滑走路を見つめながら大坪空港長は「米軍を含む皆さんの協力で普通の空港のようになった。こんなに早くね…」と感慨深げ。空港ビルの佐藤達也総務部次長は「ようやく復旧のスタートラインに立てた」とほっとした様子だった。
■松島・瑞巌寺
観音像が倒れるなどして拝観を中止していた国宝の瑞巌寺は10日に拝観を再開したばかり。
東松島市から来た男性(70)は、津波で家を失い、娘(40)の夫(44)の行方が分からなくなった。「残された側にとっては1カ月は節目でも何でもない。でもどこかで気持ちを切り替えないといけない。お釈迦様にはもう二度とこういう災害が起こらないようお願いしました」
僧侶の堀野真澄さん(29)は地震以降、15人の亡きがらを供養した。
「僧侶は本来泣いてはいけないけれど、抑えきれないことも多かった。歩みは早すぎても遅すぎてもいけない。一歩ずつ前に進めばいい」と話した。瑞巌寺では26日に慰霊供養が予定されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000009-san-l04
津波対策意識 自治体で差 宮城沿岸避難者アンケート
河北新報 4月12日(火)6時13分配信
河北新報社が、東日本大震災による宮城県沿岸部の避難者に実施したアンケートでは、自治体間で津波に対する住民の防災意識に、最大6倍超の格差があることが分かった。同じ沿岸部でも、過去に何度も津波被害を受けた三陸の市町は、津波対策の意識が高かった。
「日ごろから津波から身を守る方法について意識していましたか」との質問に対し、全体では「強く意識していた」「どちらかというと意識していた」の合計が43.0%。「どちらかというと意識していなかった」「ほとんど意識していなかった」の合計を12.7ポイント下回った。
意識していた層を市町別に見ると、南三陸町の92.0%が最多。次いで気仙沼市61.3%、石巻市56.2%までが過半数に達した。最も低かった山元町の14.8%と、南三陸町では、77.2ポイントもの差があった。
1933年の昭和三陸津波、60年のチリ地震津波などで被害を受けた三陸の市町では、被災体験が生かされ、日ごろの準備や、迅速な避難行動が習慣付いているようだ。
アンケートの自由記述欄に、南三陸町の女性(45)は「子どものころから地震が来たら、すぐ高台に逃げるようにしていた」と書いていた。石巻市の男性(64)は「地震があったら津波がくると、祖父と祖母はいつも言っていた」とつづった。避難場所の確認や、非常用の持ち出し袋を準備していた住民も目立った。
宮城県中部から南部にかけての沿岸市町は近年、大きな津波被害がない。山元町の男性(81)は「先祖代々、津波の心配はないと聞いていた」と記述している。多賀城市の女性(70)は「今まで津波が来たことはなかった」と書いた。
日ごろから地震対策を意識していたかどうかについて聞いたところ、「強く意識していた」20.8%、「どちらかというと意識していた」46.4%で、意識していた層は3分の2を占めた。
意識していた層を市町別にみると、南三陸町80.0%、仙台市77.6%、気仙沼市75.9%の順に多かった。最も低い女川町、亘理町でも58.8%と6割に迫り、総じて意識は高かった。
[調査の方法]6~9日に気仙沼、石巻、東松島、多賀城、仙台、名取、岩沼の7市と、宮城県南三陸、女川、亘理、山元の4町の避難者を対象に実施。アンケート用紙500部を配布し、396人から回答を得た。男女比は男性57.7%、女性42.3%。年齢層は10代6.9%、20代4.0%、30代11.7%、40代13.0%、50代19.1%、60代27.9%、70代13.6%、80歳以上3.7%。質問には選択式のほか、理由や要望などについて自由記述欄を設けた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000008-khk-l04
魂よ安らかに 東日本大震災1カ月 各地で追悼
河北新報 4月12日(火)6時13分配信
東日本大震災の発生から1カ月がたった11日、被災地では多くの追悼行事が営まれた。大切なものを失い、全てが一変した午後2時46分、東北は祈りに包まれた。ある人は犠牲者の魂を慰めるために。ある人は復興を固く誓って―。
<気仙沼 「未来の人のために新しい街つくろう」>
宮城県気仙沼市では、菅原茂市長が臨時の災害FM局から「悲しみに耐え、前を向いて歩いていこう」と呼び掛けた。地震発生時刻に防災無線のサイレンを鳴らし、市民が黙とうをささげた。
菅原市長は「未来の気仙沼人のために新しいまちをつくり、残していかなければならない」と協力を求めた。
市内で最も多い約1100人が避難生活を送る市総合体育館や、約280人が身を寄せる市民会館でも、サイレンの音が響く中、避難民やボランティアらが目を閉じたり、合掌したりした。
気仙沼市松崎高谷の佐藤美香さん(40)は自宅が被災し、夫、子ども2人と市総合体育館で生活している。「救援物資が増え、以前より生活は良くなったが、親戚に預けている祖母を含め、早く5人で暮らしたい」と願っていた。
<宮城・南三陸 苦しみ、まだ癒えず>
宮城県南三陸町でも、地震の発生時刻を知らせるサイレンが鳴り響く中、被災者らが一斉に黙とうをささげた。
町総合体育館では避難者や町職員ら約400人が、屋外で静かに目を閉じた。同町志津川の遠藤安夫さん(69)は「多くの親類や同級生を亡くした。震災以来苦しんできたが、まだ1カ月か…」と目を潤ませた。
黙とうに先立ち、佐藤仁町長は防災無線でメッセージを読み上げた。「かけがえのない人々を失った悲しみや苦しみは言葉では言い表せない。亡くなった方々のご冥福と安否不明の方々の早期発見を願う」と声を震わせた。
津波で防災無線が壊れた地域も多く、町職員がメッセージを代読した避難所もあった。
同町では電気や水道がまだ復旧しておらず、45カ所の避難所に約7300人が身を寄せている。
最終更新:4月12日(火)6時13分http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000003-khk-l04
南三陸町の不明者数、当初見通し大きく下回る
読売新聞 4月11日(月)22時51分配信
宮城県は11日、津波で壊滅的被害を受けた南三陸町の行方不明者数について、同日現在で632人と発表した。
県も町もこれまで同町の行方不明者数を「不明」としていたが、町が行政区長や町内会長に調査票を渡して町民の安否確認を進めた結果、数字がまとまった。
同町は大震災発生当初、人口約1万7300人のうち、避難所に避難した人を除いた約1万人を「安否が分からない」としていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00001055-yom-soci
東日本大震災から1カ月 宮城・南三陸町ではいまだ津波の大きなつめ跡が残る
フジテレビ系(FNN) 4月11日(月)14時25分配信
東日本大震災から1カ月、宮城・南三陸町では、いまだに津波による大きなつめ跡が残っている。
宮城・南三陸町は、11日朝からどんよりとした雲に覆われ、午後になってかなり冷え込んできた。
午後2時現在、ぱらぱらと細かい雨も降り始めている。
1カ月前、志津川湾から一気に津波が押し寄せてきた。
南三陸町全体のおよそ7割の住宅が津波の被害を受け、多くの建物が、基礎部分を残すだけで押し流されてしまった。
現在は、自衛隊などによる懸命のがれきの撤去作業などで、道路は車が通れるようになってきた。
しかし、ライフラインは、電気の復旧が町全体のわずか1%。
水道は依然として通じていない状態が続いている。
また南三陸町では、住民の半分にあたるおよそ7,300人が、現在も避難所での苦しい生活を強いられている。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20110411-00000103-fnn-soci
山際澄夫氏http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/
が支援物資の協力依頼
まず、こちらのエントリーを読んで下さい。
(前略、一部抜粋)こうした過酷な運命にある避難民に少しでも人間らしい生活をしてもらいたい。そう思って、団体や政府を通すのではなく私が現地訪問を通じて知りあった避難民に直接、物資を送ることを考えつきました。幸い宅配便のうち
「クロネコヤマトの宅急便」 に限っては南三陸町にも配達を再開しています。
これを読んでいただいた皆さんも宅急便で被災者に少しでも物資を送りませんか?
もし、賛同していただけるようでしたら何をどれぐらい送れるかについて私宛にメール(s_yamagiwa2003@yahoo.co.jp
)をください。避難民個人の住所(避難所)と氏名、携帯番号をお教えしますので、ヤマト運輸の宅急便でそこに直接配送してください。
私が夜遅くまで語りあった避難民の世話役の方々です。
物資はいくらあっても足りません。送付先には100人以上の避難民がいますが、避難民は別の避難所とのネットワークもありますので物資が多くなれば別の避難所に配ってもらいます。 夜、避難所の外で、たき火を
囲んで4、5人の避難民の方と、地震の恐怖や故郷への思いなどさまざまなことを語りあいました。
言いたいことはたくさんあるはずなのに誰も政府や行政に文句をいうでもなく、東北人の純朴さと忍耐強さがひしひしと伝わってきました。車の走る音も街の雑音もネオンのあかりもなく、空は満点の星でした。
段ボール一箱で結構です。どうぞよろしくお願いします。
不足しているのは以下のようなものです。
☆女性用の下着(新品)、各種衛生用品、リップクリーム、化粧品(なぜか女性のものは少ない)
☆嗜好品は大歓迎されます
☆野菜(大根、人参、ジャガイモ、キャベツ)(新鮮な野菜があればもっと食生活が多彩になります)
☆レトルト食品(カレーなど、缶づめ)
☆こどものお絵かき帳など・・・
☆本(避難民だって本を読みたい)
参考までに町は不足しているものとしてこんなものを列記しています。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/news3/article.php?storyid=103
(4月7日)
南三陸町ホームページ
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/news/