がんばってくださいと言うより、具体的にいつまでに金を配るとか復興を助けるとか語ればいいのに。 | 日本のお姉さん

がんばってくださいと言うより、具体的にいつまでに金を配るとか復興を助けるとか語ればいいのに。

“雲隠れ”東電社長、福島入りも門前払い
2011.04.11

 東日本大震災と福島第1原発事故の発生から1カ月が経過したのを受け、東京電力の清水正孝社長は11日、福島市を訪れた。福島県民に謝罪するため佐藤雄平知事に面会したいと意向を伝えたが、知事は拒否した。

 県は「優先すべきは原発事故の収束に全力を尽くすことだ」との知事の考えを東電側に伝えたという。

 清水社長は県庁内の知事室を訪問。佐藤知事は不在で「気持ちを伝えに参りました」と名刺を置いていった。その後、県庁内に設置された原子力災害対策の拠点「オフサイトセンター」に立ち寄った。

 これに関連し、経済産業省の西山英彦審議官は「東電の最高責任者として、原発各号機の状況をどう思っているか、将来の展望も含め分かる範囲で説明し、被害を受けている方々への誠意を示してもらえたらいい」と記者会見で述べた。

 清水社長は事故後も佐藤知事に面会を求めたが、知事は「県民の怒りと不安は極限に達し、受ける状況ではない。社長以下、死力を尽くして事態の収拾に当たるべきだ」と拒否した。

 清水社長が公の場に姿を見せるのは3月13日の記者会見以来。体調を崩し、入院した時期もあった。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110411/dms1104111742017-n1.htm
お金も仕事も…不安な避難生活 県境超え「もう限界」18%
2011.04.11避難所生活の疲労もピーク。原発事故が復興のスピードを阻んでいる=福島県川俣町【拡大】

 避難生活もう限界-。マグニチュード(M)9・0の巨大地震が襲った東日本大震災から11日で1カ月となった。死者・不明者は計2万7000人を突破し、15万人以上が避難生活を送っている。福島原発事故が足を引っ張り、復興への道筋がまだ描けていない。

 被災者たちの心労は日に日に強まるばかり。被災地から県境を越えて避難した160人を対象に共同通信が実施したアンケートでは、県外避難に耐えられる期間は「1カ月、もう限界」が18%、3カ月が17%、半年14%、1年10%だった。

 「休職し、生活費が入らずに過ごすのはそろそろ限界」(仙台市から福岡市、30代女性)、「知人宅に世話になるのは1カ月が限界」(福島県南相馬市から北海道釧路市、50代女性)などの声があった。

 不安なことを3つ挙げてもらうと「お金(生活費)」が53%で最多。職を失った人が多く「仕事」50%が続いた。

 震災による精神的なショックが続いている人は55%で、「地震や津波の夢を見る」「ストレスで帯状疱疹(ほうしん)になった」「テレビで津波の映像を見ると気分が悪くなる」といった訴えも。

 一番の望みは「家に帰りたい」「元の生活に戻りたい」が圧倒的に多く、「原発が収まってほしい」(福島県いわき市から千葉県成田市、60代男性)「故郷に残った孫の笑顔が見たい」(宮城県気仙沼市から札幌市、60代男性)などの意見が寄せられた。アンケートは4~8日に実施。回答者の内訳は福島県から逃れた人が145人、宮城県12人、岩手県3人。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110411/dms1104111603014-n1.htm
がんばれしか言えないのか」菅首相が視察の石巻で住民が不満の声
産経新聞 4月10日(日)13時37分配信

菅直人首相は10日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を視察に訪れた。被災地訪問は3回目となるが、同市の石巻商業高校に避難していた住民からは「がんばれしか言えないのか」「もっと具体的な対策を教えてほしかった」と不満の声があがった。

[フォト]漁協関係者らと共に「頑張ろう」と声を上げる菅首相

 午前11時15分ごろに同校入りした菅首相は、自衛隊と共同で周辺のガレキ撤去にあたっている米軍の兵士らに「ありがとう」と声をかけた。その後、約60人が避難している校舎内を訪れ、住民らに状況を聞いて回った。ほとんどの住民が家屋の片づけなどで外出しており、校舎内には15人程度しかいなかった。

 市関係者によると、5~6つの教室に別れて生活している住民を1カ所に集めるように、政府側から市に要請があった。しかし市側は「それでは避難所の実情が分かってもらえない」と拒否。当時は1教室に2~3人しかいない状態だったため、菅首相が訪問したのは2部屋だけだった。

 女川町から同校に避難していた漁師の男性(34)は「首相には笑顔で握手され、『がんばってください』と言われた。それしか言えないのだろうが、自分たちが欲しいのはそういうことではない」。

 自分のいた部屋に菅首相は来なかったという別の漁師の男性(38)は「1年なのか2年なのか、復興にかかる時間を明確に示してもらいたかった。石巻には一度来る予定だったのが流れていたから、来ないわけにはいかなかっただけだろう」と話した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110410-00000519-san-soci


仮設建設「最大ピッチで」 菅首相、石巻を初視察
河北新報 4月11日(月)6時12分配信

 菅直人首相は10日、東日本大震災で被災した石巻市を訪れ、津波で壊滅的な被害を受けた石巻魚市場などを視察した。首相の宮城県入りは、震災後初めて。

 首相は午前9時40分すぎ、石巻市役所に到着。村井嘉浩知事、亀山紘石巻市長、阿部秀保東松島市長、安住宣孝女川町長らと会談し、「まずは仮設住宅だ。最大のピッチで建設する」と語った。

 日和山公園の展望台から海岸に近い同市門脇町の状況を確認した後、石巻魚市場で水産関係者と意見交換。「いくつかの漁港を重点的に整備していきたいが、石巻はその一つになる」と述べた。

 避難所になっている石巻商高では、女川町の女性(63)に「避難生活が長期化してつらいでしょう。何が必要ですか」と声を掛けた。女性は「風呂に入りたい」と答えた後、「これからどう生きていくか…」と窮状を伝えた。

 首相は視察後、記者団に「復興には相当な力が必要だと感じた」と感想を述べ、「震災前に戻すのではなく新たな創造、未来へのスタートだ。自然災害に強く、一次産業に根差した弱者に優しい町にしたい」と語った。

 この日は、在日米軍との日米共同調整所がある陸上自衛隊仙台駐屯地(仙台市宮城野区)も訪れ、部隊を激励した。
 首相は3月21日、石巻市をヘリコプターで視察する予定だったが、天候不良で中止となった。

<低濃度汚染水排出「丁寧な説明必要だった」>
 菅直人首相は10日午前、福島第1原発からの低濃度汚染水の海への放出について「もう少し丁寧な説明が必要だったかもしれない」と述べ、近隣諸国をはじめ地元自治体や漁業関係者らへの配慮が足りなかったとの認識を示した。
 視察先の石巻市で記者団に述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00000005-khk-l04