45歳から55歳の人は子どもの頃にセシウム漬けにされている。 | 日本のお姉さん

45歳から55歳の人は子どもの頃にセシウム漬けにされている。

http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/201103210001/


放射性物質にさらされた世代 [ 東北大震災・福島原発事故関連 ]

3月21日(月・祝)

18日から19日にかけて、群馬県と栃木県で放射性物質セシウム137が検出された。
数値は、1日1平方mあたり、群馬で84ベクレル、栃木で62ベクレル。
平常時の1200~2100倍に相当する。

翌日には、それぞれ63、45に下がった。

明らかに12日~16日にかけて福島第一発電所で連続的に起きた爆発・火災事故に原因する飛散と思われる。
(とりわけ15日朝の2号機の水素爆発と4号機の燃料プールの火災が元凶?)

「史上最悪の原発事故」と言われるチェルノブイリ発電所事故の直後の1986年5月に、茨城県で月間130ベクレルを観測しているので、それ以来の異常な値。

ところで、もうすっかり忘れられているが、戦後、日本人が大量の放射性物質にさらされた時代が、かってあった。

(追記:1945年8月のアメリカ軍の原子爆弾投下による広島・長崎の被曝は、この話とはまったく次元が違います。関係の方々には失礼いたしました)

それは、1950~1960年代。
この時期、アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、フランス、中華人民共和国などが、大気中で核実験(原子爆弾・水爆爆弾の爆発実験)を数100回も繰り返した。

1963年8月にアメリカ、イギリス、ソ連との間での大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する(部分的核実験禁止条約)が締結されたが、フランスと中華人民共和国は、その後も大気中での核実験を続けた。

その結果、膨大な量の放射性物質が大気中に放出され、多くは成層圏にまで達し、上層の気流に乗って世界中に振り撒かれた。


「排出放射性物質影響調査:大気中核実験」
http://www.aomori-hb.jp/ahb2_08_t01_term.html



上のグラフは青森市で観測されたストロンチウム90(Sr90)とセシウム137(Cs137)の年間降下量の変化を示している。

1980年代後半にちょっと増えている所があるが、それがチェルノブイリ発電所事故。
それと比べると、1960年前後が、いかにすさまじい時代だったかがわかる。

で、古~~い記憶がよみがえってきた。

小学校の下校時に、先生に「また、中国が核実験をしました。今日の雨は濡れないように気をつけましょう」言われたことを。

また、頭頂部が禿げた先生がいると、「あれは、放射能の雨に濡れたからだ」と悪ガキたちは囁き合った。

考えてみれば、1960年代に子供だった私は、空からは放射性降下物を浴び、地からは環境公害の全盛期で有害な重金属を体内にため込み、食品は発癌性があるさまざまな人工添加物(チクロとか)を食べ飲みまくってきた世代だ。

「この子たち(昭和30年代、1955~1964生まれ)は、到底、健康で長生きは望めない、そのうち、癌でバタバタと倒れて行くだろう」と言われた。

実際、1990年には、西丸震哉『41歳寿命説―死神が快楽社会を抱きしめ出した』(情報センター出版局 1990年)という本がけっこう売れた。

私もパートナーも幸い41歳では死なず、50歳代まで生き延びている。
でも、周囲を観察していると、1つ上の「団塊の世代」に比べると、私たちの世代は相当に病弱・虚弱で、やたらと元気で丈夫な「団塊」よりも、たぶん先に死に絶えるだろう。

まあ、別にそれでもいい。
長生きするだけが人生の目的ではない。

という事で、何が言いたいかと言えば、
今、45~55歳くらいの人は、いまさら放射性物質がどうのこうのと、ジタバタしても遅いということ。

すでに子供の頃に、たっぷりストロンチウムもセシウムも、まぶされているのだから。

ただ、何度も繰り返すが、今の子供たちには、私たちの世代のような悪い環境は味わわせたくない。

【25日12時 追記】
この記事を書いた後、放射性降下物の測定値が発表になりました。
それをグラフに書きいれたら、右端に高い柱が立つでしょう。

また、一部に誤解があるようですが、過去に大気中核実験の放射性物質を浴びた日本人が「なんともなかった」などとは言っていません。
逆に、程度の差はあれ、影響はあったと思っています。
また、現在の東京の状況が、確実に安全だとも、安心だとも言っていません。

というか、科学者でない私には、そういうことは解りません。
知りたければ、専門家にお尋ねください。

私が言いたかったことは、心構えの問題です。

いい大人(45~55歳)だったら、あまりばたばたしないで、いい加減、腹をくくろうよ、その時、自分たちが、どんな時代を生き抜いてきたかを思い出せば、少しは腹をくくるための材料になるし、気も楽になるでしょう、ということです。

どんな環境になろうと、私たちは、その中で生きていかなければなりません。
(逃げたい方は、どうぞご勝手に)
いくら騒いだところで、いったん環境中に出た放射性物質は戻りません。
だったら、腹をくくって、開き直って、その日その日を精一杯生きようよ、ということです。

危機感を煽りたい方たちには、この記事はさぞ目障りでしょう。
取り下げるよう求める圧力的な意見も来ています。

しかし、私はいい加減な気持ちで書いたわけではありません。
間違ったことを書いたとも思っていません。
だから、取り下げるつもりはありません。

ご理解いただければ幸いです。