被災地の治安を守る! 他県から大型警官輸送車が続々岩手入り。
【巨大地震・盛岡から】その18 被災地の治安を守る!
他県から大型警官輸送車が続々岩手入り。
2011年3月27日 16:00 人々が苦悩と悲しみに打ちひしがれている東北の被災地で、「火事場泥棒」ならぬ「震災泥棒」が出現していることはご承知の通りです。こうした状況に他の都道府県から大勢の警察官が岩手入りし、被災地の警備に当たってくれるようになりました。
宮城県、福島県でも同様のようですが被災地では今、車上荒らしやATMからの現金窃盗、被災者やボランティアを装って他人の家や事務所などに忍び込んでは財産を盗む、休業中のコンビニ荒らし、そうした犯罪が増えてきました。誰もが激しい怒りを覚えています。
23日に、“7都道府県から警官が被災地に派遣され警備にあたる” という報道がありましたが、記者も盛岡市津志田で25日午後、何台にも連なった埼玉県警の護送車や水色の大型警官輸送車とすれ違いました。恐らく盛岡南インターチェンジを下りて来て、沿岸の被災地に向かってくれるのでしょう。避難所の皆さんも「泥棒がウロウロしていると聞いて、家に残してきたものが心配」と言っているだけに、これで安心です。
無念の死を遂げた方や避難している心底弱り切った方たちから財産を奪い取ろうとする、血も涙もない冷酷非道なこの震災泥棒たち。「不屈の日本」と海外から評される我々日本人の誇りをこれ以上穢してほしくはないものです。
(TechinsightJapan編集部 古瀬悦子)http://japan.techinsight.jp/2011/03/furuse2011032609340.html
【巨大地震・盛岡から】その16 生存者は口にする。 「津波 “てんでんこ” が大事。」
2011年3月22日 18:00
リアス式の美しい三陸の海岸線の港と町をあっという間に呑み込んで、戦後の焼け野原のような無残な姿に変えてしまった今回の大津波。記者も初めて知った言葉ですが、高台に避難して無事であった人たちの口から今、“津波てんでんこ” とい
う言葉が漏れているようです。
“津波てんでんこ” とは、町の防災サイレンから津波警報が流れたらもう親も友も探さない、とにかく1人で(幼い子は一緒に)さっさと高台に逃げろという、沿岸部に伝わる独特の言葉だそうです。
実は今回の震災・津波により多くの死者、行方不明者、避難住民を出した宮古市田老町は、1958年から着工が進められた高さ10mの「防潮堤」のお陰で、着工2年後の1960年に起きたチリ地震・大津波では、最大で高さ6mが観測されたものの被害を受けていません。そのため海外の防災関連機関からも、見学者が次々と訪れたものです。
ところが総延長2.8kmとなっていたその防潮堤も、今は見る影もなくバラバラ。「あのチリ大津波でもビクともしなかった。また防潮堤が守ってくれるから大丈夫」と信じて自宅を離れなかった人、津波襲来の瞬間を見てみたいなどと逆に近くに寄って行ってしまった人などが、残念ながら高波にさらわれた次第です。
その一方で、定期的な避難訓練を徹底して行っていたという釜石市の小中学生の避難率は100%、ほぼ全員の無事が確認されました。また徐々に分かって来たことですが、各世帯から避難所まで最短距離で行ける通路や階段を整備し、高齢者を乗せるリヤカーを配置、サイレンから避難完了までをストップウォッチで測るといった真剣な訓練を定期的に繰り返していた、そのような町では死者・行方不明者がゼロ、あるいはごくわずかとなっています。
町の自慢でもあった「防潮堤」を信じ、避難せずに命を落とされた田老の方たちに油断があったとは決して言いません。ただ、“それでもなお” といった慎重論での定期的な訓練がいかに大切で
あったかを、改めて学んだ気がします。
(TechinsightJapan編集部 古瀬悦子)
http://japan.techinsight.jp/2011/03/furuse2011032207540.html
【巨大地震・盛岡から】その14 医師が過労で緊急入院も。医療看護現場はもう限界。
2011年3月21日 17:00
震災からすでに1週間が経過、余震は徐々に減っているというのに、医療現場からは不安の声が高まる一方です。医薬品不足も深刻な中、いよいよ診療にあたっている医師や看護師の疲労が限界に達しているのです。
19日の地元紙「岩手日報」は、被災地である県立高田病院の佐藤敏通副院長が、盛岡市の県立中央病院に緊急入院したことを大きく報じました。食事も睡眠もままならない状態で、心と体の疲労を休めることなく5日間も診察にあたって来たそうです。
副院長を支えて来たのは、恐らく医師としての使命感ひとつでしょう。しかしついに力尽きてしまい、自らも “患者” となってしまったのです。残してきた患者への心配に加え、
実は妻・淳子さんがこの震災で行方不明となっているため、副院長は抗不安薬の力を借りて眠ったとのこと。肉体は疲れているのに神経が不安、恐怖、苦悶などで高ぶってしまい眠れない。記者の周囲でもそう口にする人が増えています。
被災地の医師、看護師らの中には、自らも被災者あるいは行方不明となっている家族を抱えている人も多いのです。医療ボランティア体制がいまだ確保されていないことが、今回の件でも浮き彫りになりました。ヘルプ要請が続々と被災地から伝えられています。 全国から大勢の医療ボランティアスタッフが集まり、スムーズに配置されるこ
とを祈ってやみません。
(TechinsightJapan編集部 古瀬悦子)
http://japan.techinsight.jp/2011/03/furuse2011031914400.html