チュウゴクは、あざとい。やることがいやらしい。
あざとい
意義素・用例類語・縁語
商法・やり方などがあざといあくどい ・ えげつない ・ 抜け目がない ・ 強腕による
・ 汚い(やり方) ・ ギンギラギンの ・ 毒々しい ・ どぎつい(宣伝) ・ (露骨な)商魂 ・ 商道徳にもとる~
様相・性格などがあざとい(やることが)いやらしい ・ 意地汚い ・ 卑しい ・ あさましい ・ ギラギラした(性格) ・ あくの強い(人物) ・ 人を踏みつけても自らの
利益を追求する ・ ギンギンの(ロック) ・ とんがった(ジャズ) ・ (周囲から)顰蹙(ひんしゅく)を買う
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成23年(2011)3月17日(木曜日)
通巻第3264号 (3月16日発行)
在日中国人の避難に「国防動員法」を適用しているのではないか?
その中国の、あまりに迅速な対応ぶりは日本政府の無能と対照的である
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在日中国大使館は「緊急布告」を通達した。
内容はといえば、「宮城県、福島県、岩手県、茨城県の4県にチャーターした大
型バスを派遣し、在日中国人を新潟空港か、あるいは成田空港に送り届ける」と
の発表だった。
つまり、在日中国籍自国民に帰国を促進しているのである。
すでに3月16日、成田空港からは400名ほど(主につくば市在住の留学生と
その家族)の中国人が成田空港を後にしている。
地震発生以来、中国南方航空、東方航空などは定期便に大型機を投入し、大規模
な帰国輸送をおこなっている。
2010年二月の全人代は「国防動員法」を可決成立させた。これはチベット
、ウィグルの騒乱や自然災害に適用されるほか、在外中国人の動員も可能ならし
めた国家総動員法に匹敵するもので、日本の大地震以後、これを適用させている
ふしがある。
在日ドイツ人のあらかたはドイツなどへ帰国するか関西以西へ逃れた。ルフト
ハンザ航空は日本への定期便乗り入れを中断した。
中国は大型機に切り換えて陸続と自国民を運ぶ。
思い出されたい。
昨年のキルギス騒乱、流血騒ぎによりバキーエフ大統領はウクライナへ逃げた
。
このとき中国は救援機をすぐさまウルムチへ派遣し待機させ、キルギスの南部
都市であるオシとその周辺に在住していた中国人500名を救出、輸送した。あ
とで判明したことは合計12機をチャーターし、1200名の中国人を迅速に避
難させたことだった。
チュニス、エジプトでも同様だったが、一番の注目はリビアだった。
リビア在住中国人は14000名前後と予測された。チャーター船、エジプト
からの空路を確保し、在留中国人の救出に緊急に動いた。な、なんと3万400
0名の中国人がリビアにいた。
迅速対応は瞠目すべきだが、一方であざとい、という印象を抱いた。
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読者の声 どくしゃのこえ ドクシャノコエ DOKUSHANOKOE
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(読者の声1)貴誌の「毎日一言」欄の前号に「ボランテイア担当大臣や節電啓
発大臣にひどいのが云々」の記載がありますが、全く同感です。
私は「カンは日本の疫病神。蓮舫、辻元は貧乏神。」と思っております。ここ
まで国民を愚弄するかと、その無能政権の無能ぶりには呆れ果てます。
これが極左政権の実態でしょうが、その無能政権の結果がこの惨状ですから被災
者の心中察するに声も出ません。いずれこの無能政権の信を問うまで我慢するし
かないと思うとやりきれません。
(GV2)
(宮崎正弘のコメント)未曾有の事態に、ノウハウも能力もない人たちが永田町
でうろうろしています。霞ヶ関は粛々と、地方自治体も精一杯の努力をなし、な
かでも自衛隊の活躍は特筆するべきです。警察の殉職も三十数名。
民間に活力あり、あの親中派ファスト・リティリングの社長が個人としても十
億円をぽんと出したり、匿名の寄付が轟音たてて集まりつつあり、日本人はイザ
となれば団結力があります。
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◎毎日一行●山形、秋田のほか、新潟へ東京へと東北地方からの避難民が集まり
つつあり。
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(読者の声2)今回の津波による福島原子力発電所の事故ですが、以前から指摘
されていたことが現実のものとなりました。
「チリ地震が警鐘 原発冷却水確保できぬ恐れ」という一年ほど前の「しんぶん赤
旗」の記事です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-01/2010030101_05_1.html
(引用始め)「原発の津波対策をめぐっては、2006年に日本共産党の吉井英
勝衆院議員が国会質問で不備を指摘しています。5メートルの津波(引き波)に
よって、日本の原発の約8割にあたる43基の原発で、冷却水が海から取水でき
なくなることを明らかにしました。また、原発ごとに想定されている引き波でも
、12原発が、取水不能になるうえ貯水槽もないことがわかっています。(図)
中略。
冷却水喪失なら炉心溶融の危険
吉井議員の話 2007年の新潟県中越沖地震では、地震の揺れそのものによっ
て柏崎刈羽原発が被害を受けた。津波でも、海面が上がると冷却ポンプが水没す
る危険があり、海面が下がると冷却水喪失の恐れがある。これらは、原子炉の崩
壊熱による炉心溶融を懸念させる事態だ。今後も、地震の揺れや津波への対策を
前進させるために、国会でも取り組みたい」
(引用終り)
行政も電力会社もまともな津波対策を行ってこなかったツケとはいえ被害と影響
は甚大です。
既存の原発に対する津波対策を早急に行なってほしいものです。
(PB生)
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(読者の声3)現代の産業ないし工業においては、コト・モノの中核部分ではほ
とんど問題は生じない。注目を集める中核部分には目配りが届いている。
トヨタのアメリカにおける大規模なリコール問題も中心機能のエンジンに問題が
あったわけではなく、マットの重ね置きによるアクセル・ブレーキの不具合とい
う、きわめてローテク的領域で発生したものである。
中核部分には最先端の技術者や企業幹部の目配りがいくが、低次元ないしは長年
にわたって問題なく同じように稼働され解決済みと考えられている分野について
、わずかな心のすき、予見の不在、不注意によって問題が発生する。「神は細部
に宿る」ように、問題はどちらかというと「相対的にプライオリティの低い、ロ
ーテク的な細部」から発生するものである。
今回の福島第一も「ポンプ」という既に人類史上解決済みの部署が機能しなくな
ったことによって発生している。
電源が正常で、ポンプが機能する状態であれば、なんら問題はなかったはずであ
る。原子炉の中核部分は 40年の稼働を経ても本体そのものには問題はなかっ
ただけに、残念である。
原子炉の 中核部部分の配管関係の加工業者と取引関係があった頃を思い出す。
炉は想定されるあらゆる問題に対して妥協なきシビアな検査が行われ、業者泣か
せとすら思われる厳重きわまるものであった。
過剰規格を何重にも重ね合わせ、かつバックアップも気の遠くなる「無駄な重複
」のように思われた。その極度の慎重さには驚かされたものである。
すでに歴史上何度も体験している、大津波にいとも簡単に水没(?)あるいは流
失(?)によってポンプが機能しなくなったことは誠に残念である。
ゴルバチョフはこれからの問題として「核、生物化学兵器、IT」の三つを上げた
が、現実には、とかく目こぼしのある広義の「ローテク細部」から発生すること
が意外に多いのではないか。
小泉純一郎ではないが、「上り坂、下り坂」のほかに「マサカ」という、とんで
もないサカが待ち受けているのである。
カルト呼ぶ人もいるが、企業のQC運動や小集団活動は重要である。
この真剣な「細部関係者の努力」はおもに縄のれんの居酒屋で行われた。しかし
自動車通勤になって、「飲みながらの改善運動」は下火になった。また左翼から
は、従業員の会社への過剰忠誠的な風土は、カルトとして批判された。
話はそれたが、今回の事態は、40年前の設計者群の安全判断によってなされた
もので、ポンプ作業者などの注意・不注意の問題ではない。
ただ「マサカ」へのわずかな 配慮不足が企業の命取りになるだけでなく、国家
の命運を左右することも十分にあることは肝に銘じなければならない。
今回の事件は 原発の危険性と 計画停電に寄って体験された生活利便の毀損と
どちらに重点を置くべきか? の議論が国論を二分するであろう。 その議論で
一番大事なのは 「細部」への認識ではないかと思う。「細部」は紙に書けば一
行であるが、現実は一筋縄ではいかない。
原子力安全・保安院の方々のふるまいから 「細部」への感性はほとんど感じら
れないのも残念なことである。
(TK生、世田谷)
(宮崎正弘のコメント)非常に重要なご指摘でした。
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(読者の声4)しばし先のことですが、北九州方面の愛読者の皆さんへお知らせ
です。
宮崎正弘氏の講演会があります。「日本会議福岡・県南支部総会」の特別講演は
一般の方もお聴きになれます。
記
とき 4月17日(日) 15時~16時30分(14時開場)
ところ 福岡県久留米市天神町1-6 「ハイネスホテル久留米」
http://www.highnesshotel.co.jp/access/index.html
講師 宮崎正弘
演題 中国人とは何者なのか
参加費 千円(大学生以下は無料)。なお予約の必要はありません。
お問い合わせ 0944-74-1355(Fax0944-72-1190
)
担当 中島重夫
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<<< 書評のページ >>>
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宮崎正弘『ウィキリークスでここまで分かった世界の裏情勢』(並木書房、14
70円)
評 植田剛彦
▽
「ウィキリークス事件」というのは情報戦争を基軸とする現代の国際政治を考
える上で、衝撃的な画期性を伴う。列強主導の国際秩序へのテロ、あるいは国際
政治のクーデターに比肩しうる。
じじつ、外交公電を25万通も暴露された米国は周章狼狽し、ロシアと中国はウ
ィキリークスへのインターネット回路を遮断した。
本書は独自のインテリジェンス人脈を持つ筆者がもっとも得意とする機密情報の
裏世界をウィキリークスが明かした膨大な機密文書を点検し、吟味しつつ、解明
してゆく。しかも事件の勃発から僅か貳ヶ月以内に一冊にまとめるという早業を
発揮した。往時『月刊宮崎』をいわれた時代を思い出した。
とくに興味深いのは宮崎正弘氏が得意の中国に関する機密情報の分析と評価で、
李克強副首相が遼寧省書記時代に北京駐在米国大使に向かって「中国の経済数字
は人為的でデタラメ」と正直に言ったというあたり、腹を抱えて笑いたくなる。
また次期皇帝と噂される習近平がハリウッド映画をよくみるという逸話も紹介さ
れている。
ウィキリークスの主催者ジュリアン・アサンジのゆがんだ性格に関しても、資料
を駆使して虐待、いじめにあい、三十回前後の転校などから大組織、大企業を憎
む傾向が生まれたことなど、アナーキーな側面にも触れていて国際政治に興味あ
る読者には必読である。
(この書評は『国民新聞』3月25日号からの転載です
)
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 542回】
――人は奇縁で結ばれているもの・・・らしい
『中国獄中二十五年 奇跡の日本人』(斉藤充功 学研M文庫 平成14年)
▽
「奇跡の日本人」こと平井栄三郎は浅草に生まれ、中国に渡り湖南・湖北一帯
で商売をしていたが、戦争が激化すると日本軍の通訳に徴用され宣撫工作に従事
する。やがて敗戦。
「忘れもしない一九四五年の八月二十八日」、「無聊をかこっている戦友を慰
めてやろうと、正規の軍服姿で収容所の鉄条網を越えて、四キロほど離れた長安
の町まで一人で酒を買いに出かけた」ところ、「突然潅木の林から便衣(ゲリラ
)が飛び出してき」て逮捕され臨湘県庁の前線指揮部の牢屋にぶち込まれた。極
く普通なら戦犯として死刑ということになるのだが、親しくしていた村人たちが
日本人ではない。中国人の袁昌亜だと庇ってくれたことから死刑を免れ釈放され
るのだが、一難去って、また一難。
日本軍が撤退した後にやってきた国民党軍は袁昌亜を漢奸、つまり中国人であ
りながら敵である日本軍に協力して民族を売り渡した極悪人として逮捕・投獄し
たのだ。今度こそ死刑は免れない。だが、彼は獄中で東京高等工業(現在の東京
工大)を卒業した唐炳初に助けられる。
「唐さんは(中略)日本語がうまく、それで余計に親しくなった。孫文とも交
流があり、当時湖南省政府の顧問のような仕事をしていて有名人であった。監獄
に入ってきたのは息子を逃亡させた罪だった。息子は長沙市長の要職にあり、共
産党の情報工作員でもあった。終戦時、国民党にその素性がばれ手配されている
ことをいちはやく知り、香港に逃亡してしまったため、父親が身代わりになった
のである」。
ここで平井の話が、突如として我が人生と交錯してくる。じつは70年代前半に
暮らした香港でアルバイトをしていた日本語学校の唐校長先生が、どうやら「香
港に逃亡し」た「息子」らしい。当時、唐先生をよく知る人が「共産党の連絡員
らしいよ」と囁いていたが、日頃の唐先生の言動からして、とてもそうとは思え
なかった。
確かに日本の陸軍士官学校に留学し格調高い日本語を話す唐先生は日本軍占領
時には長沙市長を経験し、国共内戦が勃発した1946年前後の混乱期に香港に逃れ
たと聞いた。大好物はビールで、定量を超過しご機嫌になると、時に京劇の一節
を唱い、時に陸士時代に付き合っていた「李君」との思い出も。李君とは朝鮮李
王朝最後の血を引く垠殿下である。
「地主であった唐炳初」には、他にも共産党にまつわることがある。彼は「平
江に屋敷を持っていて、ある料理人を使っていた。その料理人が実は人民解放軍
が紅軍として旗揚げした江西省井岡山で毛沢東や朱徳と連絡をとっていた共産党
の幹部であった」。この「ある料理人」こそ、49年に第三野戦軍司令官兼政治委
員として南京、上海攻略の指揮を執り、後に初代上海市長を経て外交部長を務め
、文革で失脚した陳毅なのだ。
やがて平井は日本人と認められ、1978年5月に日本に帰国することになるのだが
、31年ぶりに会った日本人が、「在中国日本大使館の槇田一等書記官」だったそ
うだ。
日本に戻った平井は中国で身につけた技術を生かし漢方医として、「日本で最も
古くから顕微鏡を扱う医院として発足した『東京顕微鏡院』という、総合病院で
」働くことになる。
一時、体調不良に悩まされていたことから義弟の紹介で東京顕微鏡院へ通院した
が、鍼灸治療を施してくれた目の前の80歳過ぎの老先生が、「奇跡の日本人」だ
ったのだ。
《QED》
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自由。ただし転載は出典を明示してください。
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普段から人権無視のくせに、
こういう時だけ、だいじな奴隷である持ち駒をひとつでも
失わないように
せっせと、チュウゴク人を引き上げていく。
あざといわ~。それだけ大事にしているというよりは、
チュウゴク人ひとりひとりをガッチリ管理している感じ。
危ない日本から出て行けばよろしい。二度と日本に帰ってくるな。
日本は地震と津波と放射能でこわ~い国ですよ。