頂門の一針 「ノモンハン事件」早分かり
「ノモンハン事件」早分かり
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平井 修一
満洲国が日本の傀儡国家だったかどうかはともかく、1932(昭和7)年生まれのこの新しい国は東と北をソ連と、西をソ連の子分であるモンゴル人民共和国(外蒙古)と国境を接していたから、領土紛争が絶えなかった。
建国から亡国までのわずか13年間で領土紛争は「1500件以上に達した」(島田俊彦「関東軍」)という。その最大の紛争が「ノモンハン事件」で、満洲を防衛する日本軍(関東軍)とモンゴルを防衛するソ連ががっぷり四つで激突した。1939(昭和14)年のことである。
5月に火蓋が切られ、停戦協定が成立したのは9月。「対立の対象となった地域のうちおよそ8割ではほぼモンゴル・ソ連側の主張する国境線、残る2割ほどの南部地域は日本・満洲国側の主張する国境線に近いラインで画定した」(ウィキ)。
勝敗は損失の多寡ではなく、戦略目標の達成度によるから、結果的に国境線画定で日本は2勝8敗、負けである。
それにしても両軍の損失は甚大だ。
<日本軍の損失は戦死7720人、戦傷8664人、戦病2363人、合計1万8979人。
重砲損失:全門、戦車損失:30輌、航空機損失:180機。
ソ連側の損害については正確な数字は公開されてこなかったが、1990年代からはソ連側資料が公開され、意外に多くの損害を出していたことが明らかになった。
それによると戦死・行方不明8000人、戦傷・戦病1万6000人、合計2万4000人。装甲車輌損失:400輌、航空機損失:350機>(同)
日本軍の戦車の損失が少ないのは、もともと73輌しか投入しなかったため(ソ連軍は500輌以上)。日本の戦車部隊が戦闘に参加した期間はわずか4日間で、この間に73輌の戦車のうち30輌近くが撃破されたため戦線から“虎の子”を撤収させたのである。
ソ連軍の圧倒的な物量にもかかわらず日本軍は対戦車砲や野砲、火炎瓶でソ連軍の戦車など装甲車輌をよく撃破した。
<福井雄三は著書で「10倍近い敵に大被害を与えて足止めをした実戦部隊は大健闘、むしろ戦術的勝利とも言えるが、後方の決断力欠如による援軍派遣の遅れと停戦交渉の失敗のため戦略的には敗北した」と結論付けている>(同)
必要な戦争だったのかどうか、小生には分からない。もし意義があるとすれば、双方がプレゼンスを高め、互いの実力を知ったことだろう。
「日ソ両軍とも大損害を被っている。日本がソ連を恐れたように、ソ連も日本軍の強さを認めざるを得なかった」(東海大学教養学部・鳥飼行博研究室)
互いの恐怖と憎悪と不信は終戦から65年以上を経た今日でも続いている。
ロシア外務省は本年2月24日、南クリル(北方四島)諸島に対するロシアの主権は合法的なものであり、それは疑問の余地がない、と声明を発表した。
「ロシアの主権は、第2次世界大戦の結果に基づいたものであり、45年2月11日のヤルタ合意、45年7月26日のポツダム宣言、および51年9月8日のサンフランシスコ講和条約などの国際法によっても確認されている」
どう言い繕おうが、ソ連はポツダム宣言受諾後の8月18日から日本を侵略し、武力で北方四島を奪い、自国領としたのである。
日本人はそれを許さない。今日のロシアのスタンスは「政治問題よりは経済協力を優先しよう」というものだが、冗談じゃない、「始めに北方四島返還ありき」である。再び三度「臥薪嘗胆」、ぶれてはいけない。
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なぜ、モンゴルが二つに分かれているのか。
ずっと疑問だったが、ほったらかしにして
大人になってしまった。
日本のこと、チュウゴクのこと、朝鮮のこと、ソ連のことに
関心を持つようになったのは、
韓国やチュウゴクが日本に対して2004年ぐらいから、
憎たらしくデモをやるようになってから。
日本は、こんなにおとなしくお利口さんにしているのに
なぜ、あいつらは、こうも過去のことを
ほじくり出してデモをやって
日本の国旗を侮辱したり、鬼のような醜い顔で
日本をののしるのか?
それで、歴史をまともに自分で勉強するように
なったら、なんのこっちゃない。
日本は、別に朝鮮半島を侵略してないじゃん。
朝鮮は借金だらけで、日本に併合して
もらわねば、フランスのものになったかも。
朝鮮は、泥と糞にまみれた最低な町並みで
日本と併合しようと朝鮮人が議会で決めてから
日本のおかげで近代化されたのだ。
当時は、日本としても、
ロシアが日本を植民地にしようと
やる気満々で軍艦を日本の島に停留させてくるし
心配でドキドキしていたんだよね。実際に、
世界中の白人の国が、アジアやアフリカや
中南米を植民地にしていたわけ。弱い民族は
人間というより、支配してやらねばダメなのだと
いう考えが普通だった。
そんな時代に日本として必死で頑張っていたんだよね。
今の時代の人間が、過去の時代を裁くのは
簡単だが、裁くなら白人の国も平等に裁け。
なぜ、チュウゴク、韓国は日本だけに辛く当たるのか?
それは、日本がおとなしくて自虐的だから
いくらでも叩いても平気だからです。
モンゴルの一部は、早いうちからチュウゴクが
取りこんでしまった。その他のモンゴルは、
ロシアが取りこんでしまった。日本は、
境界線を決めて、ロシアが満洲に侵入して
こないように頑張っていた。
最初の戦争は、朝鮮人の軍隊が出たらしい。
ひどい戦いだったようだが、結局は日本が
土地を奪われたので、結果的には負けだが
本当は、10分の1の人数でほぼ互角に戦い
ロシアの被害も日本とほぼ同じだったようだ。
チュウゴク側のモンゴル人はチュウゴクに
迫害されて、今では、内モンゴルには15%しか
モンゴル人がいないそうだ。ほとんど殺されたり
ミックスになったりで、チュウゴクは
60年かけて、民族を消してしまうのだなと感じた。
100年たてば、モンゴル人なんて
チュウゴクにはいなくなるだろう。
ロシア側のモンゴル人も相当酷い目にあったようだが、
今では、国の形を整えて、がんばっているようだ。