頂門の一針 司馬遼太郎「中国は世界でも珍しく素直な国」こいつ、アホちゃうか
20110224
司馬も鳴かずば撃たれまい
━━━━━━━━━━━━
平井 修一
博学の人、博覧強記、知性の巨人、司馬遼太郎に汗の匂いはしない。家
長として責任をとり、一家を支えていくのだという生活臭、男臭さがな
い。
無色透明の草食系のようである。ただの頭でっかちか。二度目の嫁さん
は感性の強そうな、いかにも女臭い印象がして小生の趣味ではないが、
子供はいないようである。
<1950(昭和25年)には最初の結婚。1952(昭和27)年に長男が誕生す
るが、1954(昭和29)年に離婚。長男は実家の福田家に預けられ祖父母
に養育される。
この結婚及び誕生した息子のことは公的には一切公表されず、司馬にと
って「隠したい過去」であったのではと思われる。1959(昭和34)年、
同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚>(ウィキ)
司馬遼は1923(大正12)年生まれだから、松見みどりと結婚したときは
36歳、男盛りである。しかるにみどりとの間に子はなかった。初婚で懲
りて、もはやセックスレスの宦官だったのではないか。その家庭は病院
のクレゾール液か古本屋みたいな匂いがしそうだ。
1960(昭和35)年「梟の城」で第42回直木賞受賞。これはろくでもない
娯楽作品で、本質的に彼はここでとどまっていればよかったのである。
新幹線の車内で読まれて東京駅あるいは大阪駅のホームのゴミ箱に捨て
られる小説を書いていれば罪は少なかったろうに。「司馬も鳴かずば撃
たれまい」。
1962(昭和37)年に「竜馬がゆく」で司馬遼は金脈を掘り当てた。その
後の栄耀栄華はここに書くまでもない。GHQクレゾール液とDDTで
消毒した脳みそで昭和の日本と日本人をこき下ろしていくのである。博
学と知性の方向性、ベクトルが間違っていた。
このシナと朝鮮のペット、中共の走狗、宣伝屋、GHQ自虐史観のチン
ドン屋のような腑抜けの宦官の作品を読んでいると、小生のような左巻
きができあがるのである。
<中国が今世界で一番新しい国になった。そのまま世界性を、普遍性を
持っている・・・中国では法律より道徳が先行する。中国がやっている
ことは壮大である・・・
自民党が社会主義をやったっていい、やっていかないと我々は亡びるん
じゃないか・・・中国が攻めてくるはずはないと思うけどね・・・今の
中国は世界でも珍しく素直な国>(「中国を考える」)
こいつ、アホちゃうか、博覧強記でも“ただのバカ”という見本である。
たまたま小生は52歳で患ったことを機に歴史を学びなおし、GHQ、朝
日、岩波の呪縛、洗脳、マインドコントロールから脱し“左翼更正派”
へ「アウフヘーベン」止揚したが、多くのインテリは頭がよさそうでも
朝日・岩波流の左巻き、味も素っ気もない薄っぺらなカッパ巻きのまま
だろう。
団塊世代や鳩山、菅、仙谷を見よ。司馬遼を読んでいると、実のない口
先男になるという見本だ。
齢や知識を重ねたところでベクトルがずれていれば暗愚は暗愚のままで
ある。小生は「売国音頭・朝日派・司馬流」から「愛国音頭・産経派・
正論流」へ踊りを変えただけで、単細胞の胡乱かもしれないが、己を胡
乱と知っているだけ遥かにマシだと自負している。
スンニ派とシーア派がお互いに蛇蝎のごとく憎むように、小生はこの嘘
クサイ、正義と清潔を装ったクレゾール臭のする“司馬流”を嫌うので
ある。
司馬遼の主要作品はほとんどすべて読んだ。反論はそれからにしてくれ。
━━━━━━━━━
拘りは投票日の大安
━━━━━━━━━
渡部 亮次郎
昔から保守の政治家がこだわったのは「開票日・大安」であって解散の大
安ではなかった。世の移り変わりをつくづく感じる昨今である。
あれは昭和44(1969)年。沖縄返還交渉を審議するための第62臨時国会の
さなか、佐藤栄作総理が衆議院をいつ解散し、投票日をいつとするかが
注目される中、NHKは投票日は12月の何日とかと放送したが、これは
私の反対を押さえ込んでの放送だった。
この時の自民党役員は幹事長田中角栄、園田直国会対策委員長と言う布
陣。ポスト佐藤をめざして党内多数派工作に腐心している「角さん」に
対して、園田は福田赳夫支持の立場。マスコミは角福代理戦争と揶揄し
た。
角栄は佐藤派大幹部。しかし園田の観るところ、佐藤に対しては相当、
距離のある関係、とのことだった。角さんにすべて任せるという関係で
はないと。
<たとえば佐藤の前で角栄は椅子に深く腰を下ろせない。浅く半分しか
座れない、全くの主従関係だ、というのだ。そこで解散日はともかく、
投票日はいつになるか。角栄の主張など佐藤が聞くわけない。
佐藤が決める大安のいつかが投票日となり、そこから逆算して解散日が
決まる。佐藤さんはなんたって大安が好きだ。大学立法の採決強行を焦
る総理に角さんが何度言っても納得しない。
そこで私が行って言ったんだ。「総理!今日は仏滅、明日が大安」そし
たら「そうか」で納得したことがあったもの>(園田談)。
角栄幹事長を取材した方は政局運営上、幹事長の都合を優先して日にち
を言う。ところが園田の言うのは、もっぱら佐藤総理の「大安」への拘
りだけ。「あの人は角さんと違って大安に拘る。だから投票日は大安の
12月27日。そこから逆算して解散は11月29日に間違いないッ」
しかし党運営の最高責任者たる幹事長、佐藤派大幹部の角栄に対して園
田は国会対策委員長に過ぎない。その発言は軽んじられて没となった。
実際は園田の読みどおりになった。政治部長にこっそり呼ばれて訂正記
事を書かされた。それが報道局長賞となった。貰った晩、誰も付き合っ
てくれなかった。自棄酒を呷り、目黒駅から雪道を歩いて帰宅途中、涙
が出てきた。
━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━
◎北朝鮮でエジプト反政府デモのビラ大量散布 韓国ラジオが報道
韓国の民間運営の対北朝鮮ラジオ、開かれた北朝鮮放送(電子版)は25
日、北朝鮮の両江道恵山市で24日朝、エジプトでの反政府デモを伝える
大量のビラがまかれたと報じた。同市の消息筋の話としている。
ビラは集落や道などにまかれ、エジプトの民主化をきっかけに、独裁政
権を追放する国際的な運動が展開されているとし、北朝鮮の住民もこう
した事実を知らなければならないと記しているという。
北朝鮮当局は事件が広く知られることを防ぐため、ビラを見た人などを
摘発するなど、治安機関を総動員して対策に当たっているとしている。
(共同)産経ニュース 2011.2.25 14:20
◎首相1年交代、相手にされず=ロシアとの北方領土交渉―前原外相
前原誠司外相は26日午前、読売テレビの番組に電話で出演し、ロシアと
の北方領土返還交渉について「安倍さん(晋三元首相)以降、だいたい1
年くらいで首相が代わっている。こんな国とはまともに議論できないな
というのが向こう(ロシア)側から透けて見える」と指摘した。
その上で、「安定した政治をつくらないと、どっしりした相撲は取れな
い」と述べ、対ロ交渉に当たっては、日本側が長期安定政権をつくる必
要があるとの認識を示した。
ロシア側が「第2次大戦の結果」を根拠に北方領土の領有権を主張してい
ることに関しては、「先方がいろいろな球を投げてくる。交渉術と言っ
てもいいかもしれない」と表明。
また、「(11日の)日ロ外相会談で、今までの合意、諸原則、文書に基
づいて領土問題を議論していこうとはっきり申し上げ、ロシア側から何
の反論もなかった」と述べた。 時事通信 2月26日(土)11時6分配信
◎リビア国連大使、突然涙のカダフィ氏非難演説
【ニューヨーク=柳沢亨之】リビア情勢を巡る25日の国連安全保障理
事会で、カダフィ氏に忠誠を誓い続けていた同国のシャルガム国連大使
が突然、カダフィ氏への非難演説を行って決別を宣言した。
シャルガム大使は、カダフィ氏の高校時代からの友人で、同国国連代表
部の部下全員が21日に決めた政権からの離反を拒否。
だが25日の会合では、カダフィ氏をヒトラーやポル・ポトなど過去の独
裁者にたとえ、「カダフィよ、お前のどんな残虐行為にも我が国民は屈
しない。国連よ、迅速な決議でリビアを救ってほしい」と涙交じりに訴
えた。各国大使は相次いで大使に近寄り、抱擁を交わした。 .
読売新聞 2月26日(土)11時20分配信
◎浅間山荘、中国系企業の手に 元活動家「歴史の皮肉」
1972年に武装した連合赤軍が人質を取って立てこもり、警察隊と銃撃戦
を繰り広げた長野県軽井沢町の「浅間山荘」が、中国系企業に買い取ら
れていたことがわかった。
リーマン・ショック後、軽井沢の別荘地は基準地価が10%以上、下落。
地元の不動産関係者は「成長著しい中国の潤沢な資金の投資対象となっ
たのではないか」と話す。
浅間山荘は、鳩山由紀夫前首相ら著名人の高級別荘が並ぶ旧軽井沢地区
から南に10キロ離れた急斜面にある。あさま山荘事件の収束から今月28
日で丸39年になるが、事件の舞台になった山荘はいまも同じ場所に現存
している。
持ち主は中国名の日本法人で、全役員が中国名。売買に関わった関係者
は「香港企業が買った。目的は投資だと思うが、価格を含め詳しくは言
えない」と話す。
確かに、香港の地元紙には日本に投資している企業としてこの日本法人
と同じ企業名と役員名が登場している。浅間山荘を買ったのか問い合わ
せたが、25日現在、回答はない。
日本法人は、リーマン・ショック直後の08年10月3日に設立。商業登記
の目的欄には、不動産売買のほか、就職支援、食品・医薬品の製造販売
など7項目が並ぶ。同じ月の23日に資本金を10万円から2400万円に増や
し、30日に浅間山荘を購入している。
本社は、東京・池袋のサンシャイン60に近い7階建てマンションの一室。
17平方メートルの部屋に表札はなく、インターホンを鳴らしても応答は
なかった。
今年2月初めに東京・新宿のJR大久保駅近くの2階建て木造アパート
(部屋数8室)から移転したばかりで、アパートは役員の住所として現
在も登録されている。
同山荘は事件の3年前、河合楽器の保養施設(鉄筋コンクリート3階建
て)として建てられた。事件後は、デザイン会社が工房として使ってい
た。1月に訪ねたときには、このデザイン会社の朽ちた看板が玄関わき
に残っていた。窓にレースのカーテンがひかれ、人の気配はなく、風雪
を感じさせた。
事件を起こした連合赤軍の一翼だった「革命左派」は、「毛沢東主義を
基調」(警察白書)とする親中国派。元全共闘活動家の最首悟(さいし
ゅ・さとる)和光大名誉教授(74)は「中国体制下にある企業が、かつ
て日本の親中国派が暴力で占拠した建物を、資本主義のルールで買収し
た。世界覇権思想にもとづく行動にも見えて、歴史の皮肉を感じる」と
話した。(Asahi Com 2011年2月26日15時0分)
司馬も鳴かずば撃たれまい
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平井 修一
博学の人、博覧強記、知性の巨人、司馬遼太郎に汗の匂いはしない。家
長として責任をとり、一家を支えていくのだという生活臭、男臭さがな
い。
無色透明の草食系のようである。ただの頭でっかちか。二度目の嫁さん
は感性の強そうな、いかにも女臭い印象がして小生の趣味ではないが、
子供はいないようである。
<1950(昭和25年)には最初の結婚。1952(昭和27)年に長男が誕生す
るが、1954(昭和29)年に離婚。長男は実家の福田家に預けられ祖父母
に養育される。
この結婚及び誕生した息子のことは公的には一切公表されず、司馬にと
って「隠したい過去」であったのではと思われる。1959(昭和34)年、
同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚>(ウィキ)
司馬遼は1923(大正12)年生まれだから、松見みどりと結婚したときは
36歳、男盛りである。しかるにみどりとの間に子はなかった。初婚で懲
りて、もはやセックスレスの宦官だったのではないか。その家庭は病院
のクレゾール液か古本屋みたいな匂いがしそうだ。
1960(昭和35)年「梟の城」で第42回直木賞受賞。これはろくでもない
娯楽作品で、本質的に彼はここでとどまっていればよかったのである。
新幹線の車内で読まれて東京駅あるいは大阪駅のホームのゴミ箱に捨て
られる小説を書いていれば罪は少なかったろうに。「司馬も鳴かずば撃
たれまい」。
1962(昭和37)年に「竜馬がゆく」で司馬遼は金脈を掘り当てた。その
後の栄耀栄華はここに書くまでもない。GHQクレゾール液とDDTで
消毒した脳みそで昭和の日本と日本人をこき下ろしていくのである。博
学と知性の方向性、ベクトルが間違っていた。
このシナと朝鮮のペット、中共の走狗、宣伝屋、GHQ自虐史観のチン
ドン屋のような腑抜けの宦官の作品を読んでいると、小生のような左巻
きができあがるのである。
<中国が今世界で一番新しい国になった。そのまま世界性を、普遍性を
持っている・・・中国では法律より道徳が先行する。中国がやっている
ことは壮大である・・・
自民党が社会主義をやったっていい、やっていかないと我々は亡びるん
じゃないか・・・中国が攻めてくるはずはないと思うけどね・・・今の
中国は世界でも珍しく素直な国>(「中国を考える」)
こいつ、アホちゃうか、博覧強記でも“ただのバカ”という見本である。
たまたま小生は52歳で患ったことを機に歴史を学びなおし、GHQ、朝
日、岩波の呪縛、洗脳、マインドコントロールから脱し“左翼更正派”
へ「アウフヘーベン」止揚したが、多くのインテリは頭がよさそうでも
朝日・岩波流の左巻き、味も素っ気もない薄っぺらなカッパ巻きのまま
だろう。
団塊世代や鳩山、菅、仙谷を見よ。司馬遼を読んでいると、実のない口
先男になるという見本だ。
齢や知識を重ねたところでベクトルがずれていれば暗愚は暗愚のままで
ある。小生は「売国音頭・朝日派・司馬流」から「愛国音頭・産経派・
正論流」へ踊りを変えただけで、単細胞の胡乱かもしれないが、己を胡
乱と知っているだけ遥かにマシだと自負している。
スンニ派とシーア派がお互いに蛇蝎のごとく憎むように、小生はこの嘘
クサイ、正義と清潔を装ったクレゾール臭のする“司馬流”を嫌うので
ある。
司馬遼の主要作品はほとんどすべて読んだ。反論はそれからにしてくれ。
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拘りは投票日の大安
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渡部 亮次郎
昔から保守の政治家がこだわったのは「開票日・大安」であって解散の大
安ではなかった。世の移り変わりをつくづく感じる昨今である。
あれは昭和44(1969)年。沖縄返還交渉を審議するための第62臨時国会の
さなか、佐藤栄作総理が衆議院をいつ解散し、投票日をいつとするかが
注目される中、NHKは投票日は12月の何日とかと放送したが、これは
私の反対を押さえ込んでの放送だった。
この時の自民党役員は幹事長田中角栄、園田直国会対策委員長と言う布
陣。ポスト佐藤をめざして党内多数派工作に腐心している「角さん」に
対して、園田は福田赳夫支持の立場。マスコミは角福代理戦争と揶揄し
た。
角栄は佐藤派大幹部。しかし園田の観るところ、佐藤に対しては相当、
距離のある関係、とのことだった。角さんにすべて任せるという関係で
はないと。
<たとえば佐藤の前で角栄は椅子に深く腰を下ろせない。浅く半分しか
座れない、全くの主従関係だ、というのだ。そこで解散日はともかく、
投票日はいつになるか。角栄の主張など佐藤が聞くわけない。
佐藤が決める大安のいつかが投票日となり、そこから逆算して解散日が
決まる。佐藤さんはなんたって大安が好きだ。大学立法の採決強行を焦
る総理に角さんが何度言っても納得しない。
そこで私が行って言ったんだ。「総理!今日は仏滅、明日が大安」そし
たら「そうか」で納得したことがあったもの>(園田談)。
角栄幹事長を取材した方は政局運営上、幹事長の都合を優先して日にち
を言う。ところが園田の言うのは、もっぱら佐藤総理の「大安」への拘
りだけ。「あの人は角さんと違って大安に拘る。だから投票日は大安の
12月27日。そこから逆算して解散は11月29日に間違いないッ」
しかし党運営の最高責任者たる幹事長、佐藤派大幹部の角栄に対して園
田は国会対策委員長に過ぎない。その発言は軽んじられて没となった。
実際は園田の読みどおりになった。政治部長にこっそり呼ばれて訂正記
事を書かされた。それが報道局長賞となった。貰った晩、誰も付き合っ
てくれなかった。自棄酒を呷り、目黒駅から雪道を歩いて帰宅途中、涙
が出てきた。
━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━
◎北朝鮮でエジプト反政府デモのビラ大量散布 韓国ラジオが報道
韓国の民間運営の対北朝鮮ラジオ、開かれた北朝鮮放送(電子版)は25
日、北朝鮮の両江道恵山市で24日朝、エジプトでの反政府デモを伝える
大量のビラがまかれたと報じた。同市の消息筋の話としている。
ビラは集落や道などにまかれ、エジプトの民主化をきっかけに、独裁政
権を追放する国際的な運動が展開されているとし、北朝鮮の住民もこう
した事実を知らなければならないと記しているという。
北朝鮮当局は事件が広く知られることを防ぐため、ビラを見た人などを
摘発するなど、治安機関を総動員して対策に当たっているとしている。
(共同)産経ニュース 2011.2.25 14:20
◎首相1年交代、相手にされず=ロシアとの北方領土交渉―前原外相
前原誠司外相は26日午前、読売テレビの番組に電話で出演し、ロシアと
の北方領土返還交渉について「安倍さん(晋三元首相)以降、だいたい1
年くらいで首相が代わっている。こんな国とはまともに議論できないな
というのが向こう(ロシア)側から透けて見える」と指摘した。
その上で、「安定した政治をつくらないと、どっしりした相撲は取れな
い」と述べ、対ロ交渉に当たっては、日本側が長期安定政権をつくる必
要があるとの認識を示した。
ロシア側が「第2次大戦の結果」を根拠に北方領土の領有権を主張してい
ることに関しては、「先方がいろいろな球を投げてくる。交渉術と言っ
てもいいかもしれない」と表明。
また、「(11日の)日ロ外相会談で、今までの合意、諸原則、文書に基
づいて領土問題を議論していこうとはっきり申し上げ、ロシア側から何
の反論もなかった」と述べた。 時事通信 2月26日(土)11時6分配信
◎リビア国連大使、突然涙のカダフィ氏非難演説
【ニューヨーク=柳沢亨之】リビア情勢を巡る25日の国連安全保障理
事会で、カダフィ氏に忠誠を誓い続けていた同国のシャルガム国連大使
が突然、カダフィ氏への非難演説を行って決別を宣言した。
シャルガム大使は、カダフィ氏の高校時代からの友人で、同国国連代表
部の部下全員が21日に決めた政権からの離反を拒否。
だが25日の会合では、カダフィ氏をヒトラーやポル・ポトなど過去の独
裁者にたとえ、「カダフィよ、お前のどんな残虐行為にも我が国民は屈
しない。国連よ、迅速な決議でリビアを救ってほしい」と涙交じりに訴
えた。各国大使は相次いで大使に近寄り、抱擁を交わした。 .
読売新聞 2月26日(土)11時20分配信
◎浅間山荘、中国系企業の手に 元活動家「歴史の皮肉」
1972年に武装した連合赤軍が人質を取って立てこもり、警察隊と銃撃戦
を繰り広げた長野県軽井沢町の「浅間山荘」が、中国系企業に買い取ら
れていたことがわかった。
リーマン・ショック後、軽井沢の別荘地は基準地価が10%以上、下落。
地元の不動産関係者は「成長著しい中国の潤沢な資金の投資対象となっ
たのではないか」と話す。
浅間山荘は、鳩山由紀夫前首相ら著名人の高級別荘が並ぶ旧軽井沢地区
から南に10キロ離れた急斜面にある。あさま山荘事件の収束から今月28
日で丸39年になるが、事件の舞台になった山荘はいまも同じ場所に現存
している。
持ち主は中国名の日本法人で、全役員が中国名。売買に関わった関係者
は「香港企業が買った。目的は投資だと思うが、価格を含め詳しくは言
えない」と話す。
確かに、香港の地元紙には日本に投資している企業としてこの日本法人
と同じ企業名と役員名が登場している。浅間山荘を買ったのか問い合わ
せたが、25日現在、回答はない。
日本法人は、リーマン・ショック直後の08年10月3日に設立。商業登記
の目的欄には、不動産売買のほか、就職支援、食品・医薬品の製造販売
など7項目が並ぶ。同じ月の23日に資本金を10万円から2400万円に増や
し、30日に浅間山荘を購入している。
本社は、東京・池袋のサンシャイン60に近い7階建てマンションの一室。
17平方メートルの部屋に表札はなく、インターホンを鳴らしても応答は
なかった。
今年2月初めに東京・新宿のJR大久保駅近くの2階建て木造アパート
(部屋数8室)から移転したばかりで、アパートは役員の住所として現
在も登録されている。
同山荘は事件の3年前、河合楽器の保養施設(鉄筋コンクリート3階建
て)として建てられた。事件後は、デザイン会社が工房として使ってい
た。1月に訪ねたときには、このデザイン会社の朽ちた看板が玄関わき
に残っていた。窓にレースのカーテンがひかれ、人の気配はなく、風雪
を感じさせた。
事件を起こした連合赤軍の一翼だった「革命左派」は、「毛沢東主義を
基調」(警察白書)とする親中国派。元全共闘活動家の最首悟(さいし
ゅ・さとる)和光大名誉教授(74)は「中国体制下にある企業が、かつ
て日本の親中国派が暴力で占拠した建物を、資本主義のルールで買収し
た。世界覇権思想にもとづく行動にも見えて、歴史の皮肉を感じる」と
話した。(Asahi Com 2011年2月26日15時0分)