仏AFP通信はカイロからエジプト情勢を詳しく伝えてきている。「頂門の一針」
わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 2168号
2011(平成23)年1月31日(月) 「夕刊」
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毛沢東に毒を盛った江青
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渡部 亮次郎
肝吸虫(かんきゅうちゅう、学名:Clonorchis sinensis) は、ヒトを
含む幅広い哺乳類を終宿主とし、肝臓内の胆管に寄生する吸虫の1種。古
くは肝臓ジストマと呼ばれてきた。
日本列島、朝鮮半島、中国、台湾と東アジア一帯に広く分布し、東南ア
ジアではベトナムに分布する。
タイには似た生態で別属のタイ肝吸虫 Opisthorchis viverrini が分布
して地域によってヒトに濃厚に感染している。
この肝吸虫は川魚に寄生している。だから川魚を刺身にしては食べない。
秋田県の旧八郎潟沿岸で育った私が60歳まで刺身を食わなかったのもこ
のためであり、中国人が最近まで刺身を食べなかったのもこのためであ
る。
最近は海の魚には肝吸虫が寄生してなくて、刺身を食べている日本人が
世界一長命であることを知ったので、中国人が急にマグロを食べ始めた。
だがトウ小平が1978年に初来日した時はマグロを嫌った。
それなのに第4夫人の江青は夫毛沢東に川魚の刺身を食べさせ、毛はこれ
を嫌わず、むしろ好物だったと言われている。肝臓ジストマを発症する
前に病死したと言うことだろうか。
かつての人気女優であった江青は都会的でスリムな美人で、男ばかりの
延安で羨望の的だった。やがて毛沢東と出会い、二人は交際を開始する
ようになった。この時江青は25歳、毛沢東は45歳だった。
しかし当時の毛沢東は賀子珍(毛沢東にとって3番目の夫人)と結婚して
おり、江青との関係は不倫であった。毛沢東は賀子珍と離婚して江青と
結婚をすることを決めた。
しかし不倫関係が元であり、さらに、かねてスキャンダルで広く知られ
た江青を毛沢東の妻とすることに対する危惧感が、朱徳や周恩来といっ
た幹部達の反発を招くことになる。
結局、毛沢東は結婚の条件として江青を政治の表舞台に立たせないこと
を約束させられたという。
幹部たちの反発はあったものの、日中戦争真っただ中の1939年に毛沢東
と江青は正式に結婚した。翌1940年には1人目の娘の李訥が生まれた。
国共内戦の結果、1949年に毛沢東を国家主席とする中華人民共和国が建
国され、江青はファーストレディとなった。1960年代前半から、江青は
政治活動に参加するようになり、かつての約束は反故となった。
当時、毛沢東が複数の女性との関係を持っていたために、夫妻は事実上
離婚状態となっていた。そのため毛沢東は江青をなだめる必要があり、
他の党幹部も政治活動を容認したという。
やがて1966年に始まる文化大革命で「四人組」の1人として活躍し、世界
中に悪名を轟かせることになる。
1966年8月に中央文革小組第1副組長(陳伯達組長)に就任。革命的現代
バレエを主張、京劇などの伝統芸能を排斥。京劇界は多くの名優と演目
を失うことになる。
1969年の9全大会、1973年の10全大会で中央政治局委員に選出。康生、謝
富治らを使って多くの人物を冤罪に落しめ、張春橋、王洪文、姚文元と
の四人組を政治局で結成。林彪の失脚後の10全大会以降は文化大革命の
主導権を握る。
表むきは夫毛沢東の忠実な部下を装い、「わたしは主席のためにパトロー
ルする歩哨にすぎません」とよく口にしていた。嫉妬深く自分より優れ
た所のある女性は容赦なく攻撃し、劉少奇夫人の王光美を失脚させたり、
周恩来の養女で女優の孫維世を死に至らしめた。
江青は個人的に伝統芸能を好んでいたが、それを自分以外から取り上げ
ることにまったく良心の呵責を感じていなかった。文革中は伝統芸能の
打破を積極的に進めていたが、自身は景徳鎮などを愛し、熱心に収集し
ていた。
さらに、1976年には復活したトウ小平を再度失脚に追い込み、批林批孔
運動によって周恩来の追い落としも図ろうとした。しかし同年の毛沢東
の死の直後に、「四人組」の1人として逮捕された。
1980年より他の「四人組」や林彪事件の関係者とともに裁判(「四人組
裁判」)にかけられ、1981年に死刑(2年間の執行猶予付き)判決を受け
る。1983年には無期懲役に減刑された。
1991年5月14日に、北京市北部の北京市昌平區にある小湯山秦城監獄で精
神病の療養中に首吊り自殺した。古新聞の片隅に書かれた「毛主席 あな
たの生徒 あなたの妻が いま…会いに行きます」というのが遺書である。
自殺については6月4日なってようやく新華社より発表された。本人は
「生家の山東諸城に埋葬してほしい」と遺言状に残していたが、トラブ
ルを懸念した江沢民が娘の李訥(毛沢東との唯一の娘)を北京の北京福
田共同墓地に埋葬するよう説得した。
葬儀費用約5~6万元は李訥が負担させられた。墓石には、「先母李雲鶴
之墓 1914年~1991年 娘 娘婿 外孫建立」と彫られ、江青の墓とは
わからないようになっており、また埋葬者の名前も刻まれていない。
死後も、「悪女」として名を馳せ娘の李訥が迫害を受けたり、日本では
西太后らと共に悪女として名を連ねた番組が放映されたりしていたが、
近年の中華人民共和国内では、毛沢東を主役にしたドラマなどでは賢女
にされたり、同国の一部では「名誉回復」されている。
江青は右の足指が6本あった(李志綏著「毛沢東の私生活」上巻243ペー
ジより)。
毛沢東の葬儀で江青は黒服に黒のベールで顔を覆っていたが、アルゼン
チン大統領ペロンの葬儀の時のイサベル・ペロン夫人(のち大統領)と
同じ格好だったので、人々は、毛の後継者にならんとする江青の魂胆を
読み取った。
ハリソン・E・ソールズベリー『天安門に立つ ―新中国40年の軌跡』
(日本放送出版協会、1989年)によれば、1976年当時の江青の頭髪はか
つらで、実際にははげ頭であったという。
「一瞬のうちに毛(沢東)の棺の前で、党幹部の面前で、女二人の取っ
組み合いの喧嘩がはじまった。王海容(毛沢東の従兄弟・王季范の孫娘
で当時外交部(外務省)副部長)は江青の頭に手を伸ばし、その髪を掴
んでぐいと引っ張った。その瞬間、王はあやうく引っくり返って尻もち
をつきそうになった。
気がつくと、手には何やら黒い塊がある。驚いて江青を見ると、その頭
は卵のようにつるつるだった。黒いものは江青のかつらだったのである」。
(「ウィキペディア」)2011・1・25
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「質問は24時間前までに」と繰り返す菅首相
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阿比留 瑠比
昨年末ごろから急にリーダーシップの演出に熱心となり、同時にひたす
ら野党に抱きつき「熟議の国会」を連発するわれらが菅直人首相につい
てです。
最初から分かっていたことと言えばそれまでですが、この人のなんとも
小さなキャパシティーと、一国の指導者らしからぬ言動、そしてそれを
自らさらけ出していることに気付かぬ鈍感ぶりに、いつもため息をつく
ばかりです。
といっても、例の国債引き下げに「疎い」発言は、テレビも産経を含め
た新聞各紙も大きく取り上げているので、この隙間ブログとしては、もっ
とささいなことを取り上げようと思います。
菅氏は今年1月4日、1年間の抱負と覚悟を国民に呼びかけるべき年頭
記者会見で、いきなりこう語り出し、記者たちの失笑を買っていました。
「特に2点について具体的にお願いしたいと思います。ひとつは国会で
の質疑の、その質問要旨を、質問をされる、せめて24時間前には提示を
いただきたいということであります。
先の臨時国会で、予算委員会などでは、前の日のその質疑を翌朝5時に
起きて、そしてそれを見て頭に入れるのが精一杯という時間の拘束があ
りました。これでは本当の意味での議論ができません。
英国は3日前までに質問要旨を出すとうのが慣例になっておりますけれ
ども、せめて24時間前にそうした質問の要旨を出すということを与野
党を超えての合意とぜひ、していただきたいと思います」
国内外に問題が山積する中で、しかも国民に向かって語りかける場で、
菅氏はいきなり、国会質問は早めに提出してくれないと答えられないと
主張しだしたのでした。
こういう風に言えば、国民が同情して支持率が上がるとでも考えたので
しょうか。実際は、ただ己の能力と見識の低さを露呈するだけだという
のに…。
翌日の5日にも、時事通信社などの新年互礼会の場であいさつした際、
いきなりこんな「お願い」を始めました。
「メディアに皆さんには、もっと国会のあり方についてもですね、是非
大きな議論を国民の皆さんに伝えていただきたい。昨日の、年初の会見
で申し上げた、せめて国会質疑に当たっては24時間前に、野党の皆さん
に質問を出して頂きたい。
これは私自身に対する反省も含めて、野党時代の反省も含めて(会場で
笑い声がざわざわと…)申し上げておりますが、そう言うことはメディ
アの皆さんはよく知っておられるけれど、ほとんど報道されない。
メモしか見ないとかですね、うつむいてばかりいるって言ったって、朝
5時に起きてもやっと質問が一通り答弁を見るのが精一杯という日程の
中では、とても熟議としての議論にはならないわけであります」
まあ、何をどう言おうと自由ではあるかもしれませんが、24時間前の質
問提出が、メディアが大々的に取り上げるべき「大きな議論」でしょう
か。それはむしろ、与野党間の国対協議だかなんだか、そのレベルで内
々に話をし、打ち合わせておけばいいことではないかと。
だいたい、会場で笑いが起きたことでも分かるように、われわれは菅氏
が野党時代、政権与党だけでなく、質問取りにくる役人をいじめるため
に、わざわざ深夜まで質問提出を遅らせ、しかもごく簡単で抽象的な質
問書しか出そうとしなかったことを知っています。何を偉そうに被害者
面しているのだか。
さらに、7日にインターネット番組に出演したときも、脈絡なくこんな
ことを言い出しました。菅氏は昨年末以来、ぶらさがりインタビューの
際などでも、ペーパーを見ない質疑を心がけていたはずですが、よほど
自分のアドリブ答弁には自信がないのでしょうね。あるいは夜、うなさ
れているとか。
「日本のシステムは、あの、総理を萎えさせるような要素が、いろんな
意味でたくさんありますから。例えばタイトな国会の審議にもですね。
私がこの間、テレビで申し上げたように、せめてやっぱり質問はですね、
24時間前に質問要旨をもらいたいというのは、決してこちらがなまけた
いからでなくて、ちゃんとした議論をするためには、それでなければで
きないんですよ。
結局、その時間が取れないようなタイトな時間で進んでいくと、だんだ
ん自分の頭がですね、回る余地がなくなってしまって、最後は、もうこ
んなことをやってても変わんないや、ということになるということなん
ですね。
(中略)国会のルールというのは、これは法律に必ずしもなっていない
慣例もあります。さっき言った、24時間前とか、2日前の昼までとかで
すね。そういうものはやはりお互いに野党与党を経験をほとんどの党が
しましたから。そういう中でやっていきたいと思ってるんです」
確かに、仙谷由人前官房長官も昨年12月、菅氏について「朦朧となって
いる」とこぼしましていたのは以前のエントリで紹介した通りです。11
月の横浜APECでの胡錦濤・中国国家主席との冒頭あいさつでいきな
り紙を読み出したこともありましたが、この際、ある政府関係者は自分
の頭を指さして「菅さんは、ここのキャパが足りないから」と酷評して
いたのを思い出します。
で、世の中いろいろあるので、この質問予告問題はしばらく忘れていた
のですが、27日の衆院代表質問の答弁で、菅氏のみんなの党の渡辺喜美
代表の質問にまたこんなことを述べました。
「質問にできるだけ誠実に答えたいと思っています。ただ、質問の通告
をいただいたのが午前中の参議院の質疑中でありまして、事実上、答弁
を準備する時間はほとんど取れませんでしたので、多少の答弁が食い違
うかもしれないことは、渡辺さんご自身もわずか2、3時間前に出され
た質問通告でありますから、ご了解をいただけるものと思っております」
誠実にも何も、菅氏が相手の質問に対し、たどたどしく引っかかり、読
み間違えながらペーパーを読み、しかもまともに答えていないのはご存
じの通りです。でも菅氏の主観の中では、こういう風に反論したら国民
は納得し、自分の味方になると信じているのでしょう。
28日の閣議前には、わざわざ記者団が見ている前で北沢俊美防衛相にこ
んなことを話しかけていました。
「今日はこれから参院で8名の方の質疑を受けます。いろいろと言われ
ているところでありますが、遅いものは8時35分に質問の全文が届きまし
た。今朝のです。今一生懸命読んでいたところです」
いったいどの程度の覚悟で首相になろうとしたのか、今さらながらに精
神構造を疑います。遅い質問通告に困っているのは本当だとしても、そ
れをのべつ幕なく愚痴ることが、首相の振るまいとしてどうなのかには
思いが至らないらしいところに、またがっかりです。
この日の参院代表質問では、みんなの党の川田龍平氏への答弁でもこん
なことを言い訳がましく言っていました。
「先ほど川田龍平議員から渡辺、みんなの党代表の質問に私が答弁をし
なかったように言われましたが、そんなことはありません。ただ、昨日、
最終的な文書をいただいたのは11時30分で、まだ私はこの議場におりま
した。
2時からが質疑でありまして、たいへん項目が多いためにそれを詳細に
答弁に起こすことができなかったわけでありまして。そういったことに
ついて、やはり渡辺代表にも、少なくとも前の日の間には出していただ
きたいと思っております。
また、川田議員も、項目は確かに昨日いただきましたけれども、全文を
いただいたのはは今朝8時35分でありました。8人の方から今日質疑を
いただきますけれども、そういう出し方で熟議をしたいと…。
私は熟議をしたいと、誠実に答えたいと思っていますけれど、是非とも
熟議をしたいと言われるのであれば、ちゃんと答弁の準備ができる時間
に質問を出して頂きたいと申し上げておきたいと思います」
菅氏の中では、熟議とは時間の余裕をもって役人に答弁を書いてもらう
ことのようです。さすがは「政治主導」の民主党です。この川田氏の質
問の際には、議場ではこんなヤジが飛んでいました。
「あら?」「総理でしょ?」「言い訳はいい」「言い訳はやめろ!」
「見苦しい」「情けない」「民主党議員の提出時間チェックするからな」…。
もちろん、ヤジはほめたものではありませんが、その気持はよく分かり
ます。
30日、産経新聞の木村正人ロンドン支局長のコラム「『鉄の女』を生ん
だ政治風土」を読んだところ、サッチャー元首相について私的補佐官を
務めたパウエル氏が語った次の言葉が記されていました。
「彼女は要求のきつい指導者だったが、自らは午前3時前に就寝するこ
とは決してなく、午前6時には起床して仕事をしていた」
さて、サッチャー氏が菅氏のようにみっともなく愚痴ったりしていたで
しょうか。まあ、比較の対象にすること自体、失礼にあたりますが、記
事を読みつつ、いよいよ菅氏のことが恥ずかしくて仕方がなくなったの
で、このエントリを書いてみました。どこに出しても恥ずかしい首相は、
スイス・ダボスでどんな醜態をさらしたことやら…。
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刑務官の持ち場放棄で政治犯の脱獄が
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古澤 襄
1月31日と30日の仏AFP通信はカイロからエジプト情勢を詳しく伝え
てきている。エルバラダイ氏は野党や穏健派のムスリム同胞団の支持を
得て「全てのエジプト人が自由と尊厳のもとに生きる新しいエジプトの
始まりだ」と群衆に訴えた。
一方、エジプト政府は街頭から姿が消えていた警察官に職場復帰を命じ、
軍も出動して通行車両を検問するなど警戒にあたっている。
また多数の政治犯も収監されていた刑務所から数千人の受刑者が脱獄し
ているが、ムスリム同胞団のメンバーによれば、刑務所にとどまってい
れば生命が危険にさらされていただろうと脱獄を正当化した。刑務官の
持ち場を放棄があったという。
<【1月31日 AFP】政権打倒を求めるデモが激化しているエジプトで、モ
ハメド・エルバラダイ(Mohamed ElBaradei)前国際原子力機関(IAEA)
事務局長は30日、首都カイロ(Cairo)で行われた反政府デモで演説し
「新たな時代の始まり」と訴えた。
ノーベル平和賞の受賞者でもあるエルバラダイ氏は、野党や穏健派のイ
スラム原理主義組織、ムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)などから
支持を得ており、ホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)大統領との交渉役
として期待されている。
エルバラダイ氏は、この日、カイロ中心部のタハリール広場(Tahrir
square)で行われた反政府集会に参加した群衆を前に、「全てのエジプ
ト人が自由と尊厳のもとに生きる新しいエジプトの始まりだ」と力説し
た。また、「われわれは正しい道の途上にある。(反政府デモを支持す
る人の)巨大な数こそが、われわれの力だ」と述べ、「変化が訪れるま
で、もう少しの辛抱だ」と訴えた。
これに対し、群衆側も「われわれの魂と血を国のために捧げる」と応じ、
ムバラク政権打倒を叫んだ。反政府デモで、エルバラダイ氏が演説する
のは、今回が初めてだ。
30年にわたってエジプトを統治してきたムバラク大統領の退任を求める
反政府デモは、エジプト全土に拡大。6日間で少なくとも125人の死者が
出る事態にまで激化している。だが、ムバラク大統領は退任の意志を示
していない。
■政府は治安維持態勢強化
反政府デモが激化した直近の2日間、街頭から警察官の姿が消えていたが、
ムバラク大統領は警察官らに現場に戻って治安維持あたるよう指示した。
さらに、国営テレビによると30日、カイロのほかアレクサンドリア
(Alexandria)やスエズ(Suez)で、夜間外出禁止令の時間が午後3時か
ら翌朝の午前8時までに延長された。
だが、市民らは外出禁止令を無視して夜間も抗議運動を続けている。な
かには略奪行為におよぶ者も出ていることから、軍が出動し、通行車両
を検問するなど警戒にあたっている。>
<【1月30日 AFP】反政府デモが続いているエジプトで30日、首都カイロ
(Cairo)の北西にあるワディ・ナトゥルン(Wadi Natrun)刑務所の刑
務官が持ち場を放棄し、この刑務所で身柄を拘束されていた穏健派イス
ラム原理主義組織ムスリム同胞団(Muslim Brothers)の34人が妨害を受
けることなく刑務所を出た。ムスリム同胞団側の弁護士の1人が同日明ら
かにした。
ムスリム同胞団の幹部を含む34人は27日、自宅やホスニ・ムバラク
(Hosni Mubarak)大統領の辞任を求めるデモへの参加中に拘束されてい
た。
■脱獄相次ぐ
この刑務所には多数の政治犯も収監されていた。治安関係者がAFPに語っ
たところによると、29日夜から30日朝にかけて数千人の受刑者がこの刑
務所の刑務官たちを圧倒し、近くの町や村に散っていたという。弁護士
は、ムスリム同胞団のメンバーが刑務所にとどまっていれば生命が危険
にさらされていただろうと語った。
刑務所を出たムスリム同胞団の1人はカタールの衛星テレビ局アルジャジ
ーラ(Al-Jazeera)に対し、地元の住民たちがドアを開けてくれたので
外に出たのであって、自分たちから脱獄したのではないと話し、「われ
われは元気だ」と述べた。
このほかイスラム武装組織のメンバーが多数収監されて拷問を受けたと
されるトーラ(Tora)刑務所からは銃声が聞こえ、銃剣を付けた銃を持
った兵士らが刑務所に次々と入って行った。軍は刑務所周辺の道路を封
鎖し、兵員輸送車に装備された機関銃を空に向けて発砲して一般市民を
近づけないようにしている。
■ハマスのメンバーも刑務所を出る
またカイロの北東にあるアブザーバル(Abu Zaabal)刑務所では暴動が
発生し、治安関係筋によると少なくとも8人の受刑者が死亡し、刑務所周
辺で数十人の遺体が見つかった。この刑務所では29日夜から30日朝にか
けて激しい銃声が聞こえ、混乱に乗じて多くの受刑者が脱獄したという。
アブザーバル刑務所に入っていたイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)
のメンバー8人も脱獄し、少なくとも2人は30日、密輸用のトンネルを通っ
てパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)に戻った。ハマスによると、
残りの6人も30日中にガザ地区に到着する見込みだという。
カイロの南西にあるファイユム(Fayum)でも29日、治安部隊と収容者が
衝突して警察官1人が死亡し、この騒ぎに乗じて数十人が脱走した。この
他にも国内の他地域でも比較的小規模の刑務所で脱獄が起きている模様
だが、詳細は明らかになっていない。
■略奪発生、自警団を組織する動きも
政府は軍に治安維持のため介入するよう命じたものの、暴徒化した反政
府デモが警察の手に負えなくなった地域の治安は極めて悪化している。
略奪も起きており、エジプトの一部の地域では市民の間で自警団を組織
する動きも出始めている。
エジプトの首都カイロ、北部のアレクサンドリア(Alexandria)、北東
部のスエズ(Suez)で夜間外出禁止令が出されている。軍は29日から通
りのパトロールを始め、略奪者を取り締まっている。>
2011.01.31 Monday name : kajikablog
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日米が協力して中国を抑えよ
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古森 義久
膨張し、無法ぶりを発揮する中国にどう対応すべきか。日本はアメリカ
と連携すべしと、米側の識者ヴァンダービルト大学 日米研究協力セン
ター ジェームス・E・アワー氏が説いています。
■日米で南シナ航行の自由監視を
最近、台湾の戦略専門家が以下のようなことを私に言った。
一、歴史的に見て、日本は強大な中国を常に案じているが、米国はもっ
と中立的である。
一、中国が台湾を占領するとなると、日本の戦略態勢は直接的な影響
を受けるであろうが、米国にとってはそれほど劇的な影響はないであろ
う。
一、日米両国とも中国の最大の貿易相手国のうちに入るが、根本的な
違いが一つあり、それは日本が中国からカネを稼いでいるのに対し、米
国は中国からカネを借りている点である。
一、2009年時点で、日本の対中貿易黒字は米国の対中貿易赤字の約3
分の1で、米国の対中貿易赤字は、対日貿易赤字の約6倍である。
一、これらの数字ゆえに、米国は中国を怒らせることを日本よりもし
たがらなくなってきており、日本は財政金融面での対中依存度が米国よ
りも低い。 最近の尖閣事件やそれに伴うレアアース(希土類)原料の禁
輸措置が、台頭する中国は一体、何をやってくるのかという日本の不安
を強めている。
だから日本はじっとして中国のいじめを受けるわけにはいかないのだ、
と台湾の友人は論じた。
≪日本は米国に比べ中国に甘い≫
彼が言っていることは論理的に聞こえるが、行動は言葉よりも雄弁とい
う。米国は中国の不透明な軍備増強を非常に懸念し、最近の中国による
攻撃的な振る舞いに対処する措置を取った。一方の日本は依然、はるか
に慎重であり、厳しい政策決定を避けている。
例えば、中国が南シナ海を自らの「核心的利益」であると宣言して、それが日本経済に破滅的影響を与えかねないにもかかわらず、日本は強く抗議するでも、そうした中国の動きには反対することを行動で示そうとするでもない。
だが、ヒラリー・クリントン米国務長官は2010年7月、ハノイで、南シナ海海域における主権の主張者が誰であれ武力で脅したりそれを行使したりすることを強く非難した。加えて米国は南シナ海、そして台湾海峡にも海軍艦船や航空機を派遣し続けている。
2010年9月、中国漁船が尖閣諸島沖の日本領海を哨戒中の海上保安庁巡視船に故意に衝突してきたとき、日本政府は漁船船長を裁く前に釈放するよう命じた。
対照的に米国は、尖閣諸島に対する中国の軍事侵攻は日本と共同の米国の対応を要するだろうと、紛れもなく明確に表明している。
≪日米共同で中国に断固対処を≫
国際法とは相反する中国の声明や、尖閣諸島やその他での中国の攻撃的
な行動を考えると、中国とはまるで異なる価値体系を持つ2つの民主主
義国、日本と米国 は、中国を相手にするに当たって断固たる態度で臨み、
私見ながら最も効果あるものにするためには、共同で行動しなければな
らない。
中国 漁船の船長が釈放されたときに、3期目の長島昭久衆院議員(民主
党)は、日本にとって、日清戦争の後の三国干渉により遼東半島の返還
を余儀なくされて以来 の最大の屈辱だと主張し、国会で菅直人首相に質
問した。長島議員は、菅首相に対し、日本の国益を考えてほしいと懇請
した。
菅首相は答弁できなかったが、後に、長島議員が勇敢にも口にした真意を理解したことを示唆するような行動も全く取っていない。それどころか、菅首相は、武器輸出三原則 を堅持すること、という社民党の福島瑞穂党首の要求に屈してしまった。三原則の見直しなくしては、ミサイル防衛に関する米国との協力は難しくなる。
≪東南アジアとも協調行動せよ≫
日本が、米国とともに、そして南シナ海や、その中で領有権が争われて
いる島々に対する中国の意図を同じように危惧している、東南アジアの
諸国と協力し合って取り得る行動は、ほかにもある。
それらは、国際法に照らして合法で、集団的自衛権の行使に対する日本
の非現実的な制約の範囲内にも収まっている行動である。そして、南シ
ナ海が、地域の、 そして地球規模の通商に開かれている国際的な水路に
して空域であるということを、世界に向けて鮮明にするであろう行動で
ある。
日本の海上自衛隊は今日、米海軍と交代で、頻繁に(私としては毎日、
と勧めたいのだが)、南シナ海上空を航行の自由のために偵察飛行する
能力を有している。インドネシアとベトナムは、自国領海の境界付近の安全を保障しようと2国間協力を話し合っている。
ブルネイは、厳しい天候下でも南シナ海の全域で作戦可能な日本製US
-2水陸両用救難機といった、長距離飛行艇の拠点とするには格好の位
置にあるだろう。
セオドア・ルーズベルト米大統領が、「言葉は穏やかに、手には棍棒
(こんぼう)を持て」と言ったことはよく知られている。
中国は大声で語り、無法に行動している。
今や日本と米国が行動するときである。両国が確固たる政治的
決意をもって志を同じくする東南アジア諸国の行動と協調しつつ
実施すれば、中国はその行動を好まないかもしれないが、
尊重はするだろう。
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「修身・処世訓」のすゝめ
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平井 修一
昨年末、カミサンの故郷、奄美大島から日めくりカレンダーが届いた。
いろいろなありがたい言葉が“島口”で書かれており、大層興味深い。
「烏の黒ばや、憎さや無んば、口しどう、憎まりゅん」なんてある。
「烏は黒いから憎まれるのではない、いつもガミガミ口うるさいから嫌
われるのだ」という意味である。俺のことか。
夏国の哲人、鴻陶(こうよう)は「衣食住・職・伴・子・名」と言った。
この七文字は人間の七欲あるいは七望だという。人間のつつましい欲望、
平穏無事、幸福を奨励し、曰く「五常をなし而して七欲を得るはこれ君
子」。
五常とは恒常不変の五つの儒教道徳で、すなわち「仁・義・礼・智・信」。
仁(仁義・真実・誠・誠意)、義(正義・義理・正道)、礼(礼儀)、
智(知恵・認識)、信(信義・誠・確信)を実践しつつ、それにより
「衣食住を得、天職に就き、伴侶に恵まれ、子をもうけ、名を成せば、
人としてこれ以上の幸福はない、上等である」と鴻陶は教えるのだ。
凡俗にも分かりやすい現世利益(げんせりやく)的な“処世訓”である。
五常はなにやら難しそうだが、「人の道に外れずにまじめにやれば報わ
れて幸せになれるよ」ということだろう。誰もが聖人君子になれるわけ
ではないし、なる気もない人のほうが多いから、五常を教えるための
“方便”として現世利益をアピールしたのだ。
宗教、主義、思想、哲学など形而上学は観念の産物だから、ややこしい
上に現実離れしていることが多い。学者だって分からないのだから庶民
にとっては概ねチンプンカンプンで、結局はその教えがどのような現世
利益をもたらしてくれるのかが庶民の関心事になる。
形而上学は高邁だから、現世利益については恬淡としている。「欲少な
く足るを知る。足るを知りて分に安んずる」と教え、小さな幸せに満足
しろという。「心の貧しい(欲の少ない)者は幸いである。天の御国は
その人のものだから」とも。この世で幸福が得られなくてもあの世で叶
うのだ、報われるのだという。
また、内観を勧める、「内省して自己の業(ごう)と理想を観つめよ」
と。諦観を教える、「悟って超然とせよ」と。
現実逃避で空手形の「あの世」を乱発したり精神世界の「悟道」を説く
教えを凡俗は斜に構えて見つめ、「それはそれで聖者、聖人君子のお話
し、我々はこの世でこその霊験、功徳が欲しい」と読経、念仏、加持祈
祷、お札に破魔矢に達磨さんに「開運、現世利益」を求めるのだ。
これが普通の庶民で、高僧やら碩学(せきがく)の高邁な教えに対して
敬意を表しても距離を置くのが健康的である。一方で熱心な信者、信奉
者というのもあって、教えを金科玉条とし、他者に対して寛大にならず
に偏狭になる。やがては病膏肓に入って狂信徒になり、善だ、正義、折
服だと言いだしかねないから不健康である。
幸いにもこの世は健康的な老若男女、善男善女にあふれているから、小
難しい教えを噛み砕いて説けば、「ああ、なるほどね」と理解してもら
えるのである。凡人の日常に則して分かりやすく高邁な教えを翻訳し、
現世利益に結び付くよう実践しやすくしたのが「処世訓・修身・道徳」
ではないか。
それは日めくりの暦にある「一日一善」とか“借金はするな、人には親
切にしろ”といった「親父の小言」、また「遠くの親類より近くの他人」
「苦労は買ってでもしろ」などの格言、箴言の類だろう。そこには人類
の智恵が詰まっている。
教えられなければ人間は愚かで野性で凶暴なただの猿である。残念なが
ら、いつの世にも悪意や非道、不倫、虚偽、憎悪、邪道が横行しており、
人は悪に染まりやすく、あるいは悪に犯されやすく、幸福かつ上等な人
生を得られなくなる心配、不安に満ちている。それでは社会にも個人に
も平安、平穏、安息はないから処世訓や修身、道徳による教育の出番な
のだ。
にもかかわらず、これらを今、学校で教えることはない。
江戸時代の寺子屋(関西)や手習い所(関東)での教育を含めて、戦前
までは人としての理想、規範を掲げた「修身」を教えていた。「身を修
め、家整い、国治まる」から、修身・処世訓こそが教育の一丁目一番地
だったのである。
スウェーデンの医学者・植物学者であるC・P・ツュンベリー (1743-
1828) は1775(安永4)年に来日した。田沼意次の時代である。日本人の
特性を『江戸参府随行記』にこう記している。
「一般的に言えば、国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順に
して礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、
清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い
深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして
不屈である」
今の日本人となんと隔たりがあることか。占領軍・米国の指示で修身・
処世訓教育がなくなってから、どうも日本人は骨なし動物のように軟弱
な草食系になりつつあるようだ。
人のことはとても言えやしないが、「五常」とか、身近なところでは努
力、我慢、忍耐、精進、自己犠牲いう精神、モラルが消えそうで、聖人
君子も修身も今やほとんど死語だろう。「快楽」だけが人生の目標のよ
うになってはいまいか。
今や日本人の生き甲斐は「余暇、趣味」「家庭」「仕事」の順だという
(労働政策研究研修機構「平成21年度日本人の就業実態に関する総合調
査」)。「家庭や仕事は二の次、おもしろおかしく暮らせればいいのだ」
という人がどうも増えているようである。
それのどこが悪いのかと問われれば、「刹那的な享楽主義は未来、子孫
に対する責任放棄だから」と言うしかないが、それで分からなければそ
れまでである。
修身・処世訓をガイドラインに、進んで「善」を求め「聖人君子」を目
指す、とまでは言わないが、良き生活を目指して精進努力するなかでし
か本物の生き甲斐(人生の楽しみ)は保証されないのではないか。
「高い目標を持っているからこそ、多くのことをやり遂げられた」(ウ
ォルト・ディズニー、ディズニー創業者)
「高尚な目的をもたぬ魂は、舵のない船のようなものだ」(アイリーン
・キャディ、フィンドホーン創設者)
「人生で一番の幸福は仕事と趣味が一致することである」(井深大、ソ
ニー創業者)
苦労が大きければ喜びも大きいだろう。生き甲斐が「余暇、趣味」では
あまりにも寂しい人生ではないのか。「修身・処世訓」が日本を建て直
すと、60年の経験からそう言わせてもらう。