ロシア空港テロ 憎悪の根を絶つ努力も必要だ
ロシア空港テロ 憎悪の根を絶つ努力も必要だ(1月26日付・読売社説)
ロシアの空の玄関、モスクワのドモジェドボ空港で爆破テロが起き、多数の死傷者が出た。爆発が少し早ければ、日本からの乗客が巻き込まれていたかもしれない。
一般市民を狙った無差別テロである。政治的理由は何であれ、断じて許すことはできない。
ロシア当局は、自爆テロという手口から、ロシア南部、北カフカスのイスラム武装勢力による犯行との見方を強めている。
カスピ海と黒海に挟まれた北カフカスは、人口の多数をイスラム教徒が占める。スターリン時代には、多くの住民が中央アジアに強制移住させられるなどの辛酸をなめた。いまでも平均所得は国内最低水準で、貧しい地域だ。
その一角のチェチェンではソ連崩壊の際に、イスラム武装勢力が分離・独立を求め、10年以上にわたりロシア軍と戦火を交えたが、結局、武力制圧された。
北カフカスのイスラム武装勢力は、モスクワでも大規模なテロを繰り返してきた。昨年3月には地下鉄駅で連続爆破テロを起こし、犯行声明を出している。
今回も、なお首都でテロを遂行する力を維持していることを内外に示そうとしたのだろう。
ロシアは、2014年に冬季五輪、18年にはサッカーのW杯を開催する。国際行事で国威を高め、経済の近代化を図ろうとするメドベージェフ政権の足元を、脅かす狙いもあったのではないか。
徹底的な捜査とともに、空港の警備体制を強化するなど、ロシア当局はテロ対策に万全を期してもらいたい。
ロシア政府の強硬一辺倒の対応が、イスラム武装勢力を過激化させた面も見逃せない。国際テロ組織アル・カーイダとも共闘し、イスラム法に基づく国家の樹立を目標に掲げるまでになっている。
チェチェンを武力制圧したロシアは、親ロシア派のカディロフ氏を地元の指導者に据えた。国際人権団体などは、カディロフ氏が私兵を使い、営利目的での女性の誘拐や反体制派の暗殺を実行している、と非難している。
こうした人権侵害や貧困をもたらしたロシアの支配に対する積年の不満が、終息しないテロの背景にはあるのだろう。
メドベージェフ大統領は、北カフカス問題の解決には、「住民の生活を改善するための社会基盤整備も急務だ」と認めている。テロをなくすため、憎しみや不満の芽を摘み取っていく努力が、ロシア政府には求められている。
(2011年1月26日01時17分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110125-OYT1T01090.htm
2011-01-25
#357「ロシアで起きたテロ」のブラックジョーク
チェチェンニュース
本当に、ロシア政府の行動はすばやい。
テレビでは、爆破当時の映像が、もう公開されている。爆発現場に監視カメラが、偶然設置してあったに違いない。
そして、もう「チェチェン共和国出身の3人の男」が、犯人の可能性が高いと、発表している( http://tinyurl.com/4ogqtqj
)。
アンナ・ポリトコフスカヤ殺害事件を、4年以上放置して、いまだに犯人の目星もつけられないロシア政府とは、到底思えないほどの、きびきびとした捜査能力に、ついため息が出る。
モスクワアパート爆破事件の犯人も、事件から12年間、つかまる気配すらない。もっとも、彼らは連邦保安局のオフィスで、国のために精勤しているのかもしれないが(詳しくはリトビネンコの『ロシア 闇の戦争』光文社刊を参照)。
そういうわけなので、発表ものには、注意しましょう。
なお、読売新聞の社説は、大体、まともだと思いました。
ロシア空港テロ 憎悪の根を絶つ努力も必要だ(1月26日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110125-OYT1T01090.htm
では次の話題を。
昨日、1月25日の東京新聞朝刊には、モスクワ・ドモジェドボ空港での爆破事件に関連して、「ロシアで起きた主なテロ」という表が掲載されていた(写真参照)。この手の事件があると、同様の年表がいろいろな新聞に載る。
この年表は、『チェチェン人がどれだけロシア人を殺してきたか』を説明する資料であり、その逆ではない。
こういった表での犠牲者数を合計しても、今まで、チェチェンによる「テロ」で死んできたロシア市民は1,000人を越えない。しかし、ロシア軍による対チェチェン軍事侵攻で殺されてきたチェチェン人の数は、 20万人以上にのぼ る。1人のロシア人が死ぬ間に、チェチェン人が200人死んできたという事実は、こういう表からは、どうしても読み取れない。
犠牲者の数が1,000人と20万人だから、ロシアの方が悪いなどと言いたいわけではない。一つ一つの事件が、どのような文脈の中にあるのか、正確な理解ができなくなってしまう恐ろしさを、どうか知ってほしい。
このように、テロの脅威を、現地政府・治安当局の視点に立って宣伝する姿勢は、ロシアにおける日本の新聞社、通信社の支局だけの問題ではなく、日本国内でも、記者クラブ制度を通じて、政府と一体化した報道しかできない、あるいはしようとしないマスメディアの姿を浮き彫りにしている。
たとえば、「モスクワ劇場占拠事件」での犠牲者129人が、ほとんど全員、ロシア治安機関が使った毒ガスで殺されたことを、なぜ事実どおり書かないのだろう。この年表が、それをどのように隠蔽しているか、よく見てほしい。
「特殊部隊が人質を解放したが、129人死亡」・・・。ブラックジョークだろうか。
「ベスラン学校占拠事件」の犠牲者330人も、ロシア政府の交渉の拒否と、きわめて強引な地上部隊の突入によって死亡したことを、まるでチェチェン人の責任であるかのように書くのも、犯罪的ではないだろうか。
他の西側メディアはどうだろう。下は、イギリスのテレグラフの年表だ。逐一翻訳する時間がないので、日本の報道と、際立って違う部分だけを訳してみよう。
せめてこの程度の基礎的な事実を年表に加えれば、ロシアとチェチェンの間に横たわる問題への見方は大きく違うはずだと、以前からチェチェンニュースで伝えているつもりだが、何度見ても「日本式=ロシア式テロ年表」がなくならない。記者の方々には、このことをよく考えてほしい。
(大富亮)
モスクワ空港爆破事件:ロシアにおける攻撃の記録
Moscow airport attack: timeline of attacks in Russia
A suspected suicide bomb attack kills at least 31 people at Moscow's
Domodedovo airport. The following is a timeline of big attacks on Russian
soil over recent years:
1994-1996 - Tens of thousands of people are killed in the first Chechen
war.
1994-1996 - 第一次チェチェン戦争で、数万人の人々(ほとんどがチェチェン市民。訳注)が殺された。
June 1995 - Chechen rebels seize hundreds of hostages in a hospital in the
southern Russian town of Budennovsk. More than 100 people are killed during
the rebel assault and a botched Russian commando raid.
Jan 1996 - Chechen fighters take hundreds hostage in a hospital at Kizlyar
in Dagestan, then move them by bus to Pervomaiskoye on the Chechen border.
Most rebels escape but many hostages are killed when Russian forces attempt
a rescue.
Sept 1999 - Bombs destroy apartment blocks in Moscow, Buynaksk and
Volgodonsk. More than 200 people are killed. Moscow blames Chechens who in
turn blame Russian secret services.
1999年9月 モスクワ、ブイナフスク、ヴォルゴドンスクで集合住宅が爆破され、200人以上が死亡する。ロシア政府はチェチェン人を犯人だと非難したが、逆にロシア治安機関が犯人だと反論を受けた。
Aug-Sept 1999 - Hundreds of Russian soldiers killed battling Chechen
militants in the mountains of Dagestan. The second Chechen war begins and
Russia bombs Chechnya. Tens of thousands are killed in the war. Russia
re-establishes direct rule in 2000.
1999年夏 第二次チェチェン戦争が開始され、ロシア軍はチェチェンを爆撃。数万人が殺害される。翌年、ロシア政府はチェチェンに直轄統治を導入。
Oct 23-26, 2002 - 129 hostages and 41 Chechen guerrillas are killed when
Russian troops storm a Moscow theatre where rebels had taken 700 people
captive three days earlier. Most of the hostages are killed by gas used to
knock out the Chechens.
2002年10月、モスクワ劇場占拠事件で、129人の観客と、41人のチェチェンゲリラが殺される。殺害された観客のほとんどは、ロシア治安当局が劇場に注入した毒ガスで死んだ。
以下略(続きは
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/russia/8279043/Moscow-airport-attack-timeline-of-attacks-in-Russia.html
に)
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20110125/1295914801