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アジアの海洋国家アメリカと、アメリカを抜いてアジアの海洋国家になりたい中国の争い

中国は「やりすぎだった」と反省 漁船衝突事件で元米大統領補佐官
2011.1.24 10:48
 米外交界の重鎮、ブレジンスキー元大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は
23日放送のCNNテレビで、昨年の沖縄県・尖閣諸島付近での
中国漁船衝突事件などを念頭に、中国が東シナ海や南シナ海での対応を
「やりすぎだった上に、まずかった」と反省しているとの見方を示した。
 ブレジンスキー氏は「日本や(南シナ海で中国と深刻な領有権紛争を抱える)
ベトナムを刺激した」と指摘した上で「中国は罪悪感は感じていないだろうが、
別のやり方があったと考えていると思う」と述べた。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110124/amr11012410490068-n1.htm

チュウゴクが言ったワケではないし、
アメリカ人の感想だから
なんでもかんでも信じられないが、
今まで、ずっと、
チュウゴクがやり過ぎているのは事実だ!!

以下の三ツ谷誠 さんの意見もおもしろいから読んでね。↓

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2011年1月25日発行
JMM [Japan Mail Media] JMM619M-5
 supported by ASAHIネット
■ 村上龍、金融経済の専門家たちに聞く
 先週の内閣改造で、与謝野馨氏が入閣しました。今後、経済財政政策に変化が見られるのでしょうか。
村上龍
◇回答
□三ツ谷誠  :金融機関勤務
※JMMで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
 ■ 三ツ谷誠  :金融機関勤務
「超然主義的組閣」
 年末年始、少し休みが取れ時間の余裕ができた事もあって、テーマを決めた読書を自分なりにではありますが、行う事ができました。そのテーマとはいささか大袈裟なテーマでお前が何でそれをするのかい、と自分で突っ込んでみたいテーマなのですが、「国家とは何か」というここ数年考え続けているもので、この年末年始は少し現実的な部分で考察の補助線を引く事を考え、明治維新からの近現代史を、とりあえず伊藤博文を軸に置いて振り返ろうとしたのです。それは、とりあえず西欧近代が作り上げた近代国民国家を封建制の頸木の下にあった明治維新指導者たちがどう受け止め、西欧的な立憲体制を作り上げ、「国家」を作っていったか、について、改めて認識したいと考えたからに他なりません。

 勿論、そうは言っても限られた時間の読書であり、読んだ本も専門的なものでは当
然ありませんが、一方で紅白を観たり駅伝を観たり親戚と飲んだりしながら、福田和
也が週刊新潮で絶賛していた伊藤之雄氏の『伊藤博文』(講談社2009)、井上寿一氏の『山県有朋と明治国家』(NHK出版2010)、再読にはなりますが、岡崎久彦氏の
『陸奥宗光』(PHP文庫1990)、講談社の日本の歴史シリーズ、『維新の構想と展開』
『明治人の力量』『政党政治と天皇』といったあたりを押さえてみました。

 世界史の流れそれ自体を考えても、結局、歴史は繰り返すのであって、日清戦争以前同様に朝鮮半島をめぐって中国と、太平洋戦争に勝利し、日本に変わってこの地域の海洋パワーとしてその存在を明確にした米国とが、いまなお牽制しあう状況が存在しています。太平洋戦争というのは、海洋国家としての日本と米国が東アジアの覇権を賭けて争った戦争という解釈も成り立つでしょう。

 またロシアもこの地域にその力を誇示する可能性が、北方領土問題などで透けて見える状況でもあり、小平以後の中国が、毛沢東の文化大革命で逆に前近代的な支配構造が一掃された事も受けて一挙に近代化を成し遂げ、北洋艦隊以来やっと太平洋の海洋国家としての野心を露わにした事だけが、少し違いますが、明治期に置かれた地政学的な条件がまた繰り返されてある訳で、その観点からも近現代史を振り返る意味は大きいと考えています。

 確かに世界史は発展し、国民国家は乗り越えられようと一面していますが、一方で
は20世紀初頭と変わらない状況が、国民国家を主語にすればなお繰り返されてもいます。その意味では、常に新しい問題意識を持って歴史を振り返り、歴史に学ぶ事の重要性は忘れるべきではないでしょう。

 そのような問題意識も持って、今回の与謝野氏の起用について考えてみたいと思いますが、この起用には、財務省の意図というものが、直接的か、間接的か、そこは別としてもかなり働いている気がします。それは昨年、菅氏が唐突に消費税増税に言及されたあたりから連続する一連の「流れ」の中の人事なのだと感じたのですが、この底辺にあるものは、明治期で表現すれば、一種「超然主義的」な国家を担う選良としての財務官僚、そして財務官僚の影響を受けながらも国家意識を持った一群の政治家達の国家財政再建に向けた意思の表出なのだと思います。

 自民党の石原氏が、自民党の比例代表としてもともとは選出された与謝野氏が民主党の大臣になるのは節度としておかしい、という議論をされていましたが、その議論はもっともであるとした上で、私は今回、与謝野氏が大臣を受けたのは、政党人としてではなく、超然主義的な立場に立つ国家を憂う政治家としての判断だったのだと感じます。

 与謝野氏の著書に『堂々たる政治』(新潮新書2008)がありますが、この著書の49
ページに例えば次のような一節があります。「私は従来から、日本人が熱狂の中で決めたことは大抵間違っている、というふうに思っている」私もまた、与謝野氏の認識に寧ろ冷ややかな大衆の中の異端分子として賛意を持つ一人ではありますが、それはまた大衆ではなく明らかに歴史から選別された家系に連なる与謝野氏が、同時期の欧州事情に実は精通し、国家自体を解体しかねない自由民権運動の行き過ぎ、無秩序の混沌に或る意味過ぎない「大衆」の政治勢力としての勃興を常に畏怖した山県有朋の問題意識を21世紀に引き継ぐ事を示した言葉だと思います。

 また、彼を起用した菅氏も、与謝野氏の起用が自民党など反対勢力に対する政党政治家としての懐柔策としては機能しないと考えられる以上、裏の裏まで読んだ高度な政党政治家の国会操作の打ち手を打ったのではなく、実は超然主義的な立場に権力志向が強く体質的に適合性が高い菅氏の超然主義政治家としての判断を行ったと私は考えています。もしかすると彼こそが長州閥の笑劇としての後継者なのだと言う悪い冗談もありかも知れません。しかし、山県がその生涯の最後の敵と認識していた社会主義者の系譜に連なる菅氏が、山県の超然主義の後継者であるというのは、興味深い現象です。

 明治の立憲体制は西欧が主導した帝国主義的世界の中で、不平等条約を改正し国際社会の中に確かな国家としての地歩を築くために、避けられない選択であったものの、維新政府はその最終的な調整者としての元老を暗黙の裡に前提として組み込みました。
山県と伊藤という軸で考えれば、伊藤は過渡的な段階を元老という砦で国家意思を守り、いずれは国民の成長と共に、健全な国家意思を引き継ぐ国民政党が生まれ、その政党が国家を体現するという未来を夢見ましたが、山県は大衆を寧ろ畏怖し、有司が善導し守護する国家を政党と妥協しながらも陸軍を代表とする国家官僚が元老的な支配を夢見ました。

 この二人の巨人をそれぞれに受け継ぎ、戦後の自民党もそうであったように、山県と妥協しながら官僚出身者を取り込んで、有司でも大衆でもない、有識者の政党政治を実現しつつあったのが原敬となると思いますが、その原は、山県の畏怖した左にではなく、大衆の情念のもう一つの受皿となった右翼勢力に倒されます。この原の死こそが、日本の近現代史の大きな分水嶺だったのだと、それがこの期間の読書の一つの結論でした。

 藩閥の代表した国家意思が、軍部を含む官僚の国家意思に繋がり、戦後は内務官僚も軍部も不在となって、結局、大蔵ー財務省が代表するものになった。非常に雑に総括すればそんな超然主義の系譜が浮かび上がりますし、結局、軍事力という国民国家を支えるリアルさを失った日本が、経済力を国家財政として支える大蔵省に超然の砦を譲ったのも故ない事ではないと思います。

 しかし、軍という現実的な力を独立的な意思としては失った日本の、超然主義的に
果たさねばならない、守護しなければならない国家意思というのは、本当に存在する
のでしょうか。

 確かに超高齢化社会を迎える中で、財政の再建は必要でしょうし、消費税を増税し、その増税分を社会保障のみに廻す仕組み作り、コンセンサス作りは、大切な話ではあり、その道筋を作る事に超然主義的に臨もうとする姿勢は理解できるのですが、米中が太平洋を挟み高度に政治的に向き合う現実の中で、財政健全化を自己目的としただけの超然主義というのは、何だか「それだけかい」という感じがしてなりません。
金融機関勤務:三ツ谷誠