16年たったか。 | 日本のお姉さん

16年たったか。

昨日の朝は、5時45分ぐらいに起きて、

なんか変な感じだった。16年たったか。

宝塚のあるマンションは、一部の棟が半倒壊だったので、

倒壊していない方の住民のひとりが訴訟を起こし、

建て替えがまだできていない。

以前、読んだ新聞では、訴訟は負けたそうだが、、、、。

兵庫県は、住居が半倒壊か倒壊して家を出るしかなかった

人たちに、住居のレンタル料金の補助をしばらく

行っていたが、とっくの昔にそれは終わった。

マンションを神戸に引っ越しした夜に地震にあった人は

マンションのローンと、次の住居の二重ローンで

生活が苦しいと言っていた。(まだ、ローンは終わっていないもよう。)


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<阪神大震災>発生から16年、被災地の心は一つ
毎日新聞 1月17日(月)9時45分配信

「1・17のつどい」会場に浮かび上がった文字=神戸市中央区の東遊園地で2011年1月17日午前6時30分、小松雄介撮影

 6434人が犠牲になった阪神大震災の被災地は17日、発生から16年の朝を迎えた。地震が起きた午前5時46分に合わせて各地で追悼行事が営まれ、鎮魂の祈りに包まれた。16年たっても、遺族をはじめ、震災の痛手を負い続けている人たちがいる。「同じ苦しみを繰り返してほしくない」。その思いで被災地の心は一つになれる。昨年1月のハイチ大地震の被災地では今も約81万人がテントで暮らしている。この1年でも、中国・青海省地震や奄美豪雨などで大きな被害が出た。いつ起こるか分からない自然災害による悲しみを減らすため、あの日を心に刻み、備え、伝え続けたい。

【あの日を忘れない】阪神大震災

 神戸市中央区の東遊園地では、同市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」があり、約5100人が訪れた。参加者数は震災15年で日曜だった昨年の約6割だった。

 「1995 1・17」の形に並べられた竹灯籠(とうろう)に、公園内のモニュメント「1・17希望の灯(あか)り」の火が次々にともされた。参加者は午前5時46分の時報と同時に一斉に黙とうをささげた。

 大阪市東住吉区の主婦、鍵谷ゆき子さん(70)は、神戸市の病院で検査技師として働いていた次男卓司さん(当時25歳)を失った。震災前日に友人と行くはずだったスキーを取りやめ、全壊した同市東灘区の自宅アパートの下敷きになった。

 「卓司の代わりになりたい」と思い続けた16年だった。しかし最近になり、「卓司が命の大切さを教えてくれた」と思えるようになったという。ろうそくを前に、これからは力強く生きると誓った。

 犠牲者の名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」前では、震災で弟を亡くした歌手、森祐理さんが復興応援歌「しあわせ運べるように」を独唱。遺族代表の小河昌江さん(47)=神戸市西区=は、亡くなった母をがれきから救出してくれた若者への感謝を込め、「あの日私の心に感謝の種がまかれた。私も誰かの心に種をまくことができればうれしい」と涙ながらに語った。

 被災地を歩く「メモリアルウォーク」は、西宮市役所や神戸市須磨区などを出発点に、当時をしのび、生まれ変わった街を歩いた。

 震源地に近い兵庫県淡路市の北淡震災記念公園では、慰霊モニュメントの池に島内の犠牲者63人と同じ数のろうそくの火をともした竹筒が浮かべられた。午前5時46分に合わせて追悼行事があり、近くの住民ら約200人が1分間黙とうした。

 正午前からは、兵庫県などで作る「ひょうご安全の日推進県民会議」が神戸市中央区の人と防災未来センター前で「1・17のつどい」を開催し、井戸敏三知事は「私たちの経験とそこから得た教訓を伝え、生かしていくことが被災地・兵庫の責務」とあいさつした。【震災取材班】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110117-00000015-mai-soci


<阪神大震災>16年 被災地に輝く「生」…追悼行事始まる
(毎日新聞 - 01月16日 20:53)


武庫川の中州に懐中電灯で浮かび上がった「生」の文字=兵庫県宝塚市で2011年1月16日午後5時45分、本社ヘリから三村政司撮影

 6434人が死亡、4万3792人が負傷した阪神大震災は、17日で発生から16年になる。震災を体験した世代が小中学校からいなくなり、街並みに傷痕はほとんど見られなくなったが、その奥で被災地は多くの課題を抱えている。


 兵庫県内の災害復興公営住宅では、入居者が亡くなるなどして入れ替わり、高齢化率(65歳以上の割合)の上昇が48.2%で止まった。だが、1人暮らしの高齢世帯は4割を超え、心身の衰えを訴える人も増えている。行政が民間などから借り上げた復興住宅では、借り上げ期限が迫るため、お年寄りが転居の不安を抱えている。


 焼け野原になった神戸市長田区で最後まで残っていた復興土地区画整理事業は今年度で終了するめどが立った。下町の商店街はきれいな商業ビルなどに姿を変えたが、不況の逆風もあり、空き店舗が目立つ。かつてのつながりが薄れた地域もある。地域の人たちは活気を取り戻そうと知恵を絞っている。


 被災地では16日夕から、兵庫県伊丹市の昆陽(こや)池や宝塚市の武庫川中州で、あかりで「生」の字を描く追悼行事などが始まった。


 震災は終わっていない。残る課題への対応とともに、あの日の体験を引き継ぎ、発信し続けることも大切だ。「1・17ひょうご安全の日宣言」は「私たちが持っている災害の教訓をもっと活用しよう」と訴える。「被災地」を問い直す日が、また巡ってきた。【震災取材班】