昔の日本人は、クサビ文字を石に刻んでいた。(ユダヤの言葉らしい。) | 日本のお姉さん

昔の日本人は、クサビ文字を石に刻んでいた。(ユダヤの言葉らしい。)

今年も新年一般参賀には多くの国民が集い、日本国民統合の象徴である天皇のもと新たな年を祝った。しかしその一方で、私たちは皇室の実態についてどれほど知っているだろうか。天皇とは何か、皇室とは何か。神道学者の高森明勅氏が監修した「天皇家の謎」をもとに、日本という国、そして日本人の心を改めて考えてみよう。
【皇室には名字がない】
 世界の王家も、姓や名字にあたるものを持つ。しかし皇室だけは持っていない。国の初めから国民と区別された家柄として一貫し、途中で断絶や交替がなかったからだ。各宮家が称する「○○宮」も称号で、名字ではない。
【君が代の「君」は天皇のことではなかった】
 国歌「君が代」の元歌は『古今和歌集』に収められた長寿を祈る歌だ。「わが君は千代にましませさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(私の敬愛する人よ、千年も先まで、小さな石が岩となり表面を苔が覆うようになるまでの長い歳月をどうか息災でいてください)。この場合の「君」は天皇に限定されないが、次第に天皇の長寿を祈る歌とも受け取られるようになっていったようだ。
【「三種の神器」は5つある】
 皇室は代々、皇位のしるしとして神話に由来する八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の「三種の神器」を伝えて来た。そのうち、鏡と剣は、それぞれ本体と分身がある。だから合計で5つ。所在地は、鏡の本体が伊勢神宮(三重県)、分身は皇居・宮中三殿の賢所、剣の本体は熱田神宮(愛知県)、分身は皇居・御所の剣璽の間、玉(本体のみ)も同じ。
※週刊ポスト2011年1月21日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110105_9557.html  

他にも、天皇に会いたければボランティアで

掃除をしたら挨拶をしてもらえるだとか、

皇室関係のことが書いてあった。しかし、

テロリストがボランティアにまぎれ込まないように

ボディーチェックはしているんだろうな。

三種の神器は、昔のユダヤ人の亜流が好んで旅する間に運んで大事にしていたものだ。お札のようなものを家に貼る習慣や、額に貼る箱なども、ユダヤ人の習慣にそっくり。

偶像を拝まず、神さまは、自然の中におられて、どこでも会えるが、幕の中で神聖な心持で礼拝するものだと考えるところもユダヤ教そっくり。

だから、昔、日本の伊勢神宮は、ユダヤ人の子孫がいたのだと思うよ。

チュウゴクあたりからやってきた連中(天皇の先祖)が、彼らと交渉して、

仏教を持ち込んで、日本人を偶像礼拝に持ち込んだ。

伊勢神宮あたりの人々は力では勝てないため、

宗教の優越性のみ、残して政権を譲ったのだと思うよ。

根拠は無いけど、あまりにも

日本の神道はユダヤの一神教と似ている部分が多すぎる。

衣装も天幕を張るところも、神社の造りもそっくりだわ。

わたしは、子どもの時から、なんか日本はユダヤ人が信じてきた

聖書の神さまと似ている部分があると感じていた。

ユダヤ人ですら、そう感じることがあるそうだ。

元々日本は、ユダヤ人の神さまを信じていたのだが、今は

天皇が持ち込んだ仏教で天皇の側についているのだ。

でも、なんとなく、山をありがたがり、水で清められたがり、火で神と近付きたがる。

契約の箱ならぬ、おみこしを担ぎたがる。ユダヤ人も、契約の箱をみんなで担いでこ旅をしたのだ。

神社の門は真っ赤に塗られ、まるで、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りみたいだ。

実は、日本人はユダヤ人の子孫で、すっかり忘れてしまっているだけかもしれないよ。