アサンジ氏は無事に正月を他人の邸宅で迎えることができたようです。 | 日本のお姉さん

アサンジ氏は無事に正月を他人の邸宅で迎えることができたようです。

アサンジ氏はどうなったのかなと、心配になったが

大丈夫だったみたい。

外国人には正月は特に大切な時期でもないと思うが、

クリスマスは、大事にしているかもしれない。

ウィキリークスって、そんなにバラしたらマズイ記事が載っているのかな。

ほとんど、みんな知っていることなのでは?

(主にロシアがアメリカの悪をバラしているのでは?)

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オーストラリア国籍を持つものの、住所不定として登録されている[9]。しきりに居住を移しており、オーストラリア、ケニア、タンザニアに一定期間住んでいたことがある。アサンジやBirgitta Jonsdottirが米軍のヘリコプ
ターがイラクの民間人を殺害するビデオを公開した後の2010年3月10日からは、アイスランドに借家を構えている[2]。
2010年の間はイギリス、アイスランド、スウェーデンなどのヨーロッパの国々を訪れた。2010年11月4日、アサンジはスイスの公共テレビTSRに、中立国であるスイスに政治亡命を申請し、そこにウィキリークスの拠点を構えることを真剣に考えていると語った[83]。
2010年11月下旬、エクアドルの外務副長官Kintto Lucasは「無条件だ。ならば彼はインターネットに留まらず、さまざまな形のパブリックフォーラムで自由に情報を提供し、あらゆる資料を保有できる」と語り、アサンジに居住を提供する構えを見せた[84]。副長官は、アサンジと対話を始めることがエクアドルの利益に繋がると考えた[85]。11月30日、外務長官Ricardo Patinoは提案について「法的、外交 的見地から調査する必要がある」との立場を示した[86]。その数時間後、ラファエル・コレア大統領はウィキリークスは「米国法を破り、このような類の情報をリークするという誤りを犯した。正式な提案を行ったことはない」と述べた[87][88]。大統領はLucasの提案は「彼自身の利益のため」のものだったとした。大統領はエクアドルが公電の流出により受ける影響の調査を開始するという[88]。
2010年12月7日、ウェストミンスター治安判事裁判所で行われた公判で、アサンジは彼の住所を私書箱に指定した。しかしその情報では受理できないと判事に伝えられると、アサンジは「オーストラリア・ビクトリア州パークビル」と用紙に記入した。本籍地を持たないことと彼の流亡生活は、保釈申請却下の要因として判事に取り上げられた[89]。

ジャーナリストのヴォーガン・スミスがノーフォークにある彼の邸宅「エリンガム・ホール」を身柄送還に関する手続きの間保釈中の住所として提供することを提案したこともあり、最終的に保釈は許可された[90]。スミスによると、広大な土地はアサンジにプライバシーをもたらし、「不法侵入せずに近づくことはまず難しい」という[63]。