左翼の言い分。
ジョン・レノンは、左翼だと思っている。
「イマジン」という歌は左翼思想そのものじゃないか。
神もなく、宗教もなく、国境もなく、
天国も地獄もなくって、
それは、共産主義の思想と同じではないかと。
それに、人間の性質ってものを
忘れている。ケンカしない人間っている?
ウソをつかない人間って、いる?
もしも人間が、ケンカもしないし、ウソもつかないし
他人の命を大事にする人たちばかりなら、
警察も法律も、裁判官も弁護士も
刑務所も軍隊もいらないじゃないの。
ジョン・レノンが歌うような世界は
目標として夢を持つならいいけど
不可能です。
共産主義は、昔、みんなで働いて
収穫をわけあえば、乞食がいない社会が
でき、資本主義は進化の過程で消えていくと、
世界は共産化して真っ赤になると予言した。
でも、共産主義では、トップと特権階級以外は
全員、乞食に近くなることが、
ソ連と毛沢東がひきいた中国共産党で判明した。
いくら働いても給料が同じなら
まじめに働く気力がなくなるのが人間というものです。
みんなで、楽して、みんなで
貧乏しようや、と言うのが共産主義です。
ソ連は、経済が破綻して崩壊した。
毛沢東の中国は、日本が置いていった
満洲の資産を食いつぶして貧乏になったので
日本やアメリカを利用して
経済を開放して資本主義になった。
ただ、ソ連も中国も、独裁者が支配する
全体主義の国だし、トップたちのやり方に、少しでも
反対する者は、ようしゃなく外国まで追いかけて行って
目に見えない放射性物質をかけて殺す。
中国は、気に入らない宗教の信者を拉致して
病院の地下で臓器売買用に「飼育」し、
必要な時に、臓器を取り出して、信者は
焼却炉で焼き殺す。
資本主義でも、やり方は、昔と同じことをしている。
左翼の人の意見を聞く機会があったが、
日本と戦争になった時のアメリカの政治を
陰で支配していた共産党員たちは、
やり手が多くて、気骨があったそうだ。
日本としては、アメリカの共産党員の工作の
おかげで、どんどんアメリカとの戦争の道に
ひきずりこまれていったワケだが、
そういうことは、どうでもいいらしい。
おまけに、アメリカの失敗は、東京裁判で
日本人を裁いたことだという。
日本人に裁かせたらよかったのだそうだ。
「なるほど。」と軽く聞いていたら
「あの頃の日本人は、戦争を始めた政府に対して
怒っていたから、日本人が日本人を裁いたら
死刑になったのは、7人どころか、
千人以上になったはずだ。」と言う。
え~っ!!そういう意味で、日本人に
裁かせたら良かったって言ったの!?
おまけに、北朝鮮に拉致された日本人なんか、
救えるわけがないし、地球上には今まで
拉致なんてものは、いくらでもあったから、
日本の国益を考えたら、拉致された日本人を
助けることなんか、考えないで北朝鮮と仲良くすることが
中国と牽制する意味で価値があるのだとか、
ミャンマーは、軍自政権でいいのだ。
アウンサン・スーチーなんか、西側の影響を受けた
ただの理想化で、実際には、なんにも政治なんか
できないんだと言ったり、
日本が尖閣諸島の問題で中国と衝突して
戦争になったら、台湾も韓国も中国の味方をするだろうとか、
国と国の境目なんか、なくなればいい、
国境があるから、支配者が権力に固執するのだとか、
ぎょっとするような恐ろしいことばかり言う。
それって、ローマ時代に戻れって言っていることだよね。
ローマ時代は、どこに行っても
ギリシャ語が通じ、国というより、どこも
ローマの地方みたいな感じだったので、
一応、世界中がまとまっていたわけ。
ローマ市民は、市民権を持って、どこの地方でも
勝手に逮捕されないし、裁判によって罪に定められなければ
罰を受けたり、監禁されたりしなかったんです。
ローマ時代って、昔だから、むちゃくちゃな世界だと
思っている人がいるけど、意外と近代的な
考え方を持っていて、しっかり世界をまとめあげて
いたのです。しかし、ローマ時代も長くは続いたが
永遠ではなかった。
ベネチアがなぜ、海の上に町を建設しなければ
ならなかったかというと、
ローマが滅びてしまってギリシャ風の文化に
影響された東ローマ帝国しか残っていなかった時代に
そこらへんの蛮族たちが、強くなって、
豪族の女性領主を公開串刺し刑にしたり、
めちゃくちゃなことをするので、
もう、仕方なく、教会まで島に移っていくしか
なかったと、悲惨なことが起こった結果、
生き残るために、海の中に
街を建てて貿易で生き延びたというワケらしい。
イスラム教の勢いがすごくて大変だったようだ。
当時は、金持ちの領主が農民を奴隷のように
使って儲けるのが社会の仕組みだったが、
ベネチアだけは、全員が商売人で
きちんとした法律を作っていたし、
そこらへんの野蛮な国々も、分捕り物を
買い取ってくれるベネチアを必要としていたので
生かされていたらしい。
日本もベネチアのように、敵にも味方にも
重宝がられて生き延びるしかないと思う。
ベネチアも、金髪の男女を奴隷として売買したり、
武器をイスラム教徒に売って、
文句を言われていたらしい。
国境のないグローバルな世界を実現しようとするなら、
ローマ時代の再現しかないと思う。
結局、どこかの国が、新しい秩序と管理システムで
世界を統一するしかないわけ。聖書の預言では
世界の最後には、二つに別れた新生ローマ帝国が
世界を統一して、支配すると書いてある。
左翼の人々もそれを待ち望んでいるってこと。
その新生ローマ帝国とやらが、独裁者は
最初、女性をアイコンとする宗教を持ち上げて
世界平和を唱えて出てくるんだそうだ。
ところが、その独裁者は、とんでもないヤツで、
イスラエルを徹底的にイジメたおすのだそうだ。
そういうところから、その独裁者というのは、
アメリカではないってことが分かる。
左翼の人の言うことを聞いていると、
聖書の預言がだんだんと、実現しそうな感じに
思えてきて、まじめに聞いていると
恐ろしいことばかり言うのだけど、
クリスチャンとしては、聖書の預言通りに
なりそうなのでワクワクする。
ちなみに、聖書では、ロシアと中国を表す
ゴグとマググは、戦争大好き双子国家で
世界の覇権はとりません。新生ローマ帝国に
利用される軍事国家になります。
日本は、どうする気?
日本は、まさか、中国と一緒になって
兵器開発などしないでしょうね!!
左翼の人たちって、わたしの感じるところでは、
人権のことはあまり考えていない。
拉致された人のことなど、
自分とは関係ない人たちのことだと思っている。
自分の娘や息子が拉致されたら
どんな気持ちか、考えていない。
それに、白人対アジア人として、
ベトナム戦争でベトナムが勝って共産国に
なったことをフランスとアメリカの白人たちの国の
植民地支配から脱出できたから
ホーチーミンは英雄だと本気で言っている。
そりゃあ、白人の支配から脱出できて、
植民地支配から抜け出たのは
すばらしいことだよ。
でも、日本がアメリカにたてついたから、
他のアジアの国々も
「白人の国でも、頑張れば勝てるかも!」と
思ったから、頑張ってみんな独立したんじゃないの?
日本は、すっかり、アメリカに負けて
自分から軍隊を捨てて、
アメリカの属国になりさがったけど、
おかげで、今まで、なんだかんだ言っても
うまくいって繁栄できだではないか。どうせ、
アメリカと戦わなくてもソ連にやられていただろうから、
ソ連にやられていたら、今頃、チェチェンの人々のように
めちゃくちゃにやられていただろうし、
絶対、日本はえらいことになっていたはず。
戦争になって負けたのが、アメリカで
まだマシだったと思う。
しかし、いつまでも、属国でいて、
安泰だと思うな。
軍隊も無しで、尖閣諸島や沖縄や、北海道が守れると
思うな。アメリカだって、十分に利用しないと、
日本だけでは、ゴグ・マゴグには勝てないかもよ。
ただちに、国軍を持つ用意をし、アメリカの軍隊を
日本の土地から追い出しても、日本を守れると
確信したら、沖縄から他の土地に
うつってもらえばいいさ。
それが無理なら、アメリカ軍には、居てもらった方が
ロシアや中国や朝鮮も、うかつに日本に
手を伸ばしてこないはず。
左翼の考えは、恐ろしいわ。
片方しか羽が無い飛行機は飛べないですわ。
理想だけでは、中国やロシアにいいように
利用されて、こんどは、アメリカではなく、ゴグ・マゴグの
属国になってしまう。そうなったら、天皇も排除されて
日本人も、二等、三等市民に落ちるだけだ。
一等市民は、もちろん、支配しているゴグ・マゴクの
支配者やその家族や、その国民になってしまう。
それだけは、嫌だね。
~~~~~
西村真悟のコラム
☆★☆★☆★☆★
コミンテルンは生きている
▽
中国共産党の独裁国家中共は、当然、共産主義を信奉する国家である。従って建前は、マルクス、レーニン、毛沢東主義を掲げている。
そこで、中国共産党の幹部連中であるが、彼らにとって、二十世紀前半から断絶することなく続いている「共産主義運動」の方式とは何か。また、彼ら共産主義者から見て、我が国の民主党と菅内閣は如何に映っているのか。これらのことに思いを巡らせているとき、浮かんだ言葉は、コミンテルンであった。
思えば、ソビエトが崩壊して中共が改革開放路線に転換して、守銭奴のようになっているので、過去の概念だと思いがちであるが、中共は、建前では、依然として共産主義を標榜しているのである。そして、彼らが権力を握った方式は、国際共産主義運動の指令に基づく方式であった。この国際共産主義運動がコミンテルンである。
他方、菅内閣の、菅、仙石とは何か。これらも、コミンテルンの影響下に学生生活を送った、正真正銘の左翼である。
ここから、中国共産党幹部が、菅内閣を如何に位置づけているのかが分かる。つまり、中共の連中は、菅、仙石をコミンテルンの手下と見ているのだ。これが、九月以来明らかになった中共幹部の我が国に対する傲慢な態度を生み出した。
今日は、このコミンテルンについて短文ながら書いておきたい。日常忘れているが、コミンテルンはつい最近まで我が国をも突き動かしていた共産主義運動である。そして、気がつけば、この運動のなかで育った左翼が、我が国の政権にありついている。まさに、コミンテルンの運動方式が、我が国で成功しているのだ。
思い返せば、私が大学に入学したのは、昭和四十三年だった。その時既に大学紛争に火がついており、大学は左翼一色だった。入学式当日には、全入学生に「マルクスの資本論」の共同購入申し込み用紙が配られた。
学生は、すぐその色に染まって、「紅萌ゆる」という第三高等学校寮歌を歌うよりも、「インターナショナル」を歌うようになった。私などは、校庭で「軍歌」を、「あー、あー、大君に召されたるー」と歌っていて笑われた。
この雰囲気のなかで、コミンテルンという言葉と運動は、日本の革命を目指す指針として語られていたのだ。菅、仙石は、その時この雰囲気に生きて数年を経ていた。
さて、コミンテルンは、第二インターナショナル解体後の一九一九年三月、モスクワで結成され、一九三五年まで第七回の大会を行った。別名、第三インターナショナル、共産主義インターナショナルともいう国際的共産主義運動である。
何故、前進の第二インターナショナルが解体されたのか。その理由は、第二インターが、第一次世界大戦において各々の母国を支持したからである。従って、この経験を経たコミンテルンの運動方針には、国家の解体が強調されている。
コミンテルンの運動方針は次の通りである。
「世界のブルジョアジーを打倒するために、さらに、国家の完全な廃止に向けての過渡的段階としての国際的ソビエト共和国の建設のために、軍事力を含むあらゆる可能な手段によって戦う」
現在は、この方針のなかの「国際的ソビエト共和国」のところを「中華人民共和国」に入れ替えればよい。ソビエト崩壊後は、中共がこの運動の承継者だからである。
つまり、現在は、各国の共産主義者は、「国際的中華人民共和国」建設のために戦うべし、というのがコミンテルンの方針となる。
このコミンテルンは、昭和に入って、第六回と七回の大会で、「共産主義者は各々の自国を戦争で敗北させること、敗戦から内戦を起し、内戦から革命に移行せよ」と指令し、次に、「共産主義者は身分を隠してブルジョア組織のなかに潜入し、統一戦線(フロント)を結成せよ」と指令する。
中国共産党と毛沢東は、このコミンテルンの指令通りの謀略を展開して権力を握った。即ち、内戦から国共合作、抗日民族統一戦線、また内戦そして革命成功というプロセスである。
そこで、注目すべきは、このコミンテルンの全ては中華人民共和国建設のためにというスローガンと、中国が世界の中心だという伝統的中華思想は見事に一致するということである。
これが、中共の、他国の国境を平気で無視し何でもできると思いこんだ傲慢な態度の原因である。
今度は、我が国の民主党と菅内閣に目を転じよう。まず鳩山由紀夫という御仁の言動。
「国民というより市民といいたい」、「日本は日本人だけのものではない」、「東アジア共同体」・・・これらは全て、日本の国家の枠組みを取り除こうとする言動である。
菅氏は、いわずと知れた「市民運動家」で、仙石氏は「地球市民」を目指している。
では、この彼ら三名が期せずして強調する「市民」とは何か。それは、「国民」に対立する概念である。つまり、彼らは、国民と国家を否定するために「市民」という言葉を多用しているのだ。従って、彼らには、「国民」が無いのであるから、外国人が我が国の参政権を行使するのは当然のこととなる。さらに、「国家」を護る軍隊また自衛隊は、有害な暴力装置ということになる。
ここにおいて、「国家の完全な廃止に向けて」というコミンテルンのテーゼを思い起こせば、彼ら三人の言っていることは、国家否定のコミンテルン指令そのものではないか。また、民主党のいう「ポストモダン」とは、何も新しいものではなく、コミンテルンの「国家の完全な廃止」を指向するものである。
次に、コミンテルンの「共産主義者は身分を隠してブルジョア組織のなかに潜入せよ」という指令に着目したい。
鳩、菅また仙石は、各々民主党という身分を隠すための徒党に入ってから、共産主義者から見ればブルジョア組織そのものの日本国政府のなかに潜入し、今や総理と官房長官としてそのヘゲモニーを握ることに成功している。
そして、我が国の防衛予算を削減し、基地移転問で日米の信頼関係をずたずたにし、盛んに官僚批判を続けて我が国の統治機構を弱体化させ、外国人参政権を推進して内政干渉を合法化し、北朝鮮労働党の日本国内の宣伝洗脳機関に税金を与え、悪質な中国船長を釈放して我が国の法秩序を無視して中共に屈服し、夫婦別姓を推進して我が国の伝統的な家族のあり方を解体させようとしている。
菅そして仙石両氏は、ここにおいても、コミンテルン指令を忠実に実施している共産主義者、コミンテルンの本家である中国共産党から見れば、忠実な手下そのものであると言える。
菅氏が特に気に入っている千葉景子という人物の思考回路に触れたい。
この者は、法務大臣の時、死刑には反対だが、死刑を見ておく必要があると勝手に思いこんで二人の死刑を執行させた。これは、共産党独裁国家で今も続く見せしめのための「公開処刑」の発想である。
死刑を執行された二人の囚人は、死によって罪を償うためではなく、この千葉という人物に自分が殺されるところを公開させるために殺されたのである。何と哀れか、可哀想ではないか。これが、法治国家なのか。
これは、死刑執行という法治国家の形式を借りた殺人の公開ではないか。そして、このことを平然と実行し、「人が殺されるところを見学した」千葉景子という人物の思考回路こそ、ブルジョア組織のなかに潜入してブルジョア組織を破壊する左翼コミンテルンの典型だと指摘しておきたい。
以上の通り、コミンテルンの指令は、現在の鳩山そして菅内閣によって我が国で実現されている。
従って、この民主党内閣はコミンテルンの指令の下にあり、必然的にコミンテルンの本家である中国共産党に吸収されていく。 ということは、日本国民は、民主党内閣が続く限り、中共の我が国に対する無礼な脅迫と恫喝を受けねばならないということである。そして、この事態に至った病根は深く、それは、二〇世紀の世界に惨害を及ぼした国際共産主義運動に源がある。
共産主義、コミンテルンと戦う必要があったのは、二〇世紀だけではない。今も我が国は、コミンテルンと共産主義者に歴史観を奪われたままである。
従って菅内閣をはじめとする二〇世紀から持ち越されたコミンテルンの残滓を一掃するための、我が国の国体を護る徹底的な戦いを今こそ始めねばならない。
(了)
(にしむらしんご氏は前衆議院議員。著作多数)
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コミンテルンは生きている
▽
中国共産党の独裁国家中共は、当然、共産主義を信奉する国家である。従って建前は、マルクス、レーニン、毛沢東主義を掲げている。
そこで、中国共産党の幹部連中であるが、彼らにとって、二十世紀前半から断絶することなく続いている「共産主義運動」の方式とは何か。また、彼ら共産主義者から見て、我が国の民主党と菅内閣は如何に映っているのか。これらのことに思いを巡らせているとき、浮かんだ言葉は、コミンテルンであった。
思えば、ソビエトが崩壊して中共が改革開放路線に転換して、守銭奴のようになっているので、過去の概念だと思いがちであるが、中共は、建前では、依然として共産主義を標榜しているのである。そして、彼らが権力を握った方式は、国際共産主義運動の指令に基づく方式であった。この国際共産主義運動がコミンテルンである。
他方、菅内閣の、菅、仙石とは何か。これらも、コミンテルンの影響下に学生生活を送った、正真正銘の左翼である。
ここから、中国共産党幹部が、菅内閣を如何に位置づけているのかが分かる。つまり、中共の連中は、菅、仙石をコミンテルンの手下と見ているのだ。これが、九月以来明らかになった中共幹部の我が国に対する傲慢な態度を生み出した。
今日は、このコミンテルンについて短文ながら書いておきたい。日常忘れているが、コミンテルンはつい最近まで我が国をも突き動かしていた共産主義運動である。そして、気がつけば、この運動のなかで育った左翼が、我が国の政権にありついている。まさに、コミンテルンの運動方式が、我が国で成功しているのだ。
思い返せば、私が大学に入学したのは、昭和四十三年だった。その時既に大学紛争に火がついており、大学は左翼一色だった。入学式当日には、全入学生に「マルクスの資本論」の共同購入申し込み用紙が配られた。
学生は、すぐその色に染まって、「紅萌ゆる」という第三高等学校寮歌を歌うよりも、「インターナショナル」を歌うようになった。私などは、校庭で「軍歌」を、「あー、あー、大君に召されたるー」と歌っていて笑われた。
この雰囲気のなかで、コミンテルンという言葉と運動は、日本の革命を目指す指針として語られていたのだ。菅、仙石は、その時この雰囲気に生きて数年を経ていた。
さて、コミンテルンは、第二インターナショナル解体後の一九一九年三月、モスクワで結成され、一九三五年まで第七回の大会を行った。別名、第三インターナショナル、共産主義インターナショナルともいう国際的共産主義運動である。
何故、前進の第二インターナショナルが解体されたのか。その理由は、第二インターが、第一次世界大戦において各々の母国を支持したからである。従って、この経験を経たコミンテルンの運動方針には、国家の解体が強調されている。
コミンテルンの運動方針は次の通りである。
「世界のブルジョアジーを打倒するために、さらに、国家の完全な廃止に向けての過渡的段階としての国際的ソビエト共和国の建設のために、軍事力を含むあらゆる可能な手段によって戦う」
現在は、この方針のなかの「国際的ソビエト共和国」のところを「中華人民共和国」に入れ替えればよい。ソビエト崩壊後は、中共がこの運動の承継者だからである。
つまり、現在は、各国の共産主義者は、「国際的中華人民共和国」建設のために戦うべし、というのがコミンテルンの方針となる。
このコミンテルンは、昭和に入って、第六回と七回の大会で、「共産主義者は各々の自国を戦争で敗北させること、敗戦から内戦を起し、内戦から革命に移行せよ」と指令し、次に、「共産主義者は身分を隠してブルジョア組織のなかに潜入し、統一戦線(フロント)を結成せよ」と指令する。
中国共産党と毛沢東は、このコミンテルンの指令通りの謀略を展開して権力を握った。即ち、内戦から国共合作、抗日民族統一戦線、また内戦そして革命成功というプロセスである。
そこで、注目すべきは、このコミンテルンの全ては中華人民共和国建設のためにというスローガンと、中国が世界の中心だという伝統的中華思想は見事に一致するということである。
これが、中共の、他国の国境を平気で無視し何でもできると思いこんだ傲慢な態度の原因である。
今度は、我が国の民主党と菅内閣に目を転じよう。まず鳩山由紀夫という御仁の言動。
「国民というより市民といいたい」、「日本は日本人だけのものではない」、「東アジア共同体」・・・これらは全て、日本の国家の枠組みを取り除こうとする言動である。
菅氏は、いわずと知れた「市民運動家」で、仙石氏は「地球市民」を目指している。
では、この彼ら三名が期せずして強調する「市民」とは何か。それは、「国民」に対立する概念である。つまり、彼らは、国民と国家を否定するために「市民」という言葉を多用しているのだ。従って、彼らには、「国民」が無いのであるから、外国人が我が国の参政権を行使するのは当然のこととなる。さらに、「国家」を護る軍隊また自衛隊は、有害な暴力装置ということになる。
ここにおいて、「国家の完全な廃止に向けて」というコミンテルンのテーゼを思い起こせば、彼ら三人の言っていることは、国家否定のコミンテルン指令そのものではないか。また、民主党のいう「ポストモダン」とは、何も新しいものではなく、コミンテルンの「国家の完全な廃止」を指向するものである。
次に、コミンテルンの「共産主義者は身分を隠してブルジョア組織のなかに潜入せよ」という指令に着目したい。
鳩、菅また仙石は、各々民主党という身分を隠すための徒党に入ってから、共産主義者から見ればブルジョア組織そのものの日本国政府のなかに潜入し、今や総理と官房長官としてそのヘゲモニーを握ることに成功している。
そして、我が国の防衛予算を削減し、基地移転問で日米の信頼関係をずたずたにし、盛んに官僚批判を続けて我が国の統治機構を弱体化させ、外国人参政権を推進して内政干渉を合法化し、北朝鮮労働党の日本国内の宣伝洗脳機関に税金を与え、悪質な中国船長を釈放して我が国の法秩序を無視して中共に屈服し、夫婦別姓を推進して我が国の伝統的な家族のあり方を解体させようとしている。
菅そして仙石両氏は、ここにおいても、コミンテルン指令を忠実に実施している共産主義者、コミンテルンの本家である中国共産党から見れば、忠実な手下そのものであると言える。
菅氏が特に気に入っている千葉景子という人物の思考回路に触れたい。
この者は、法務大臣の時、死刑には反対だが、死刑を見ておく必要があると勝手に思いこんで二人の死刑を執行させた。これは、共産党独裁国家で今も続く見せしめのための「公開処刑」の発想である。
死刑を執行された二人の囚人は、死によって罪を償うためではなく、この千葉という人物に自分が殺されるところを公開させるために殺されたのである。何と哀れか、可哀想ではないか。これが、法治国家なのか。
これは、死刑執行という法治国家の形式を借りた殺人の公開ではないか。そして、このことを平然と実行し、「人が殺されるところを見学した」千葉景子という人物の思考回路こそ、ブルジョア組織のなかに潜入してブルジョア組織を破壊する左翼コミンテルンの典型だと指摘しておきたい。
以上の通り、コミンテルンの指令は、現在の鳩山そして菅内閣によって我が国で実現されている。
従って、この民主党内閣はコミンテルンの指令の下にあり、必然的にコミンテルンの本家である中国共産党に吸収されていく。 ということは、日本国民は、民主党内閣が続く限り、中共の我が国に対する無礼な脅迫と恫喝を受けねばならないということである。そして、この事態に至った病根は深く、それは、二〇世紀の世界に惨害を及ぼした国際共産主義運動に源がある。
共産主義、コミンテルンと戦う必要があったのは、二〇世紀だけではない。今も我が国は、コミンテルンと共産主義者に歴史観を奪われたままである。
従って菅内閣をはじめとする二〇世紀から持ち越されたコミンテルンの残滓を一掃するための、我が国の国体を護る徹底的な戦いを今こそ始めねばならない。
(了)
(にしむらしんご氏は前衆議院議員。著作多数)
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