千葉市美浜区在住の中国人薛義容疑者(34)今、どこにいるのか。まだ日本にいるのか。
古い記事です。↓
【成田暴漢事件レポート】暴漢を生む中国の教育
宮本将英
日本人台湾独立促進会
http://taidoku.fc2web.com/
すでに台湾の声読者の方は、李登輝先生が空港で暴漢に襲われた事件をご
存知と思う。ここでもその事件についてはもちろん触れるが、このレポートでは時系列的に伝えることにしたい。
李登輝先生は6月9日の午前11時から外国人記者クラブで記者会見を行う予定となっており、私は歓迎のため、午前10時半に有楽町駅前の電機ビルへ向った。10時50分ごろ李登輝先生の乗せた3台の車が到着、参加者は「台湾万歳!」「李登輝先生万歳!」を叫んだ。だが車を見届けられたのはわずか数秒。他の参加者は李登輝先生がこちらに手をふっているのがわかったそうだが、撮影するのに夢中だった私は黒いガラスの向こうに李登輝先生がいるのが確認できなかった。一瞬の出来事ではあったが、李登輝先生は我々が旗やプラカードを持って歓迎しているのに気づいたはずだから無駄ではなかったと思う。
気を取り直して成田空港へ。午後2時半過ぎ、待機場所となっていた成田空港第2ターミナル3階北口1番のリムジンバス降車場付近には、100人以上の日本人と台湾人が集まっていた。参加者は各々台湾旗や李登輝友の会の旗、プラカードなどを持っており、プラカードには「独立国家 台湾万歳」「李登輝先生、奥様、また来てください」「一生李登輝 一生台湾」などのメッセージが書かれてあった。午後3時過ぎ、永山氏の先導により、出発ロビーの北口入場ゲート前に移動。約150人がゲート前に並んで李登輝先生の到着を待ちわびていた。
そして午後3時半過ぎ、李登輝先生ら一向が現れ、我々は一斉に旗を振って台湾万歳を叫んだ。李登輝先生はゆっくりと手をふったり、お辞儀をしながら我々の歓迎に応えてくれた。すでに李登輝先生は行く先々で歓迎を受けていたはずだ。それでも億劫になることなく、我々に暖かく応えてくださるのを見ると、李登輝先生がいかに心の広いお方であるかがわかる。
そして事件は起こった。入場ゲートにちょうど入ろうとするとき、李登輝先生ら一行が駆け足で中に入り込むのが目に入った。今までゆっくり歩いていたのになぜ急に駆け出すのかと思った次の瞬間、今度は数人の警察官が一人の男を取り押さえているのが目に入った。私は瞬間的にテロだと察知し、無我夢中で撮影。暴徒は必死に抵抗し、警察官が数人がかりで、チェックインカウンターのところに押さえつけた。ある日本人男性が、犯人が日本人であるか中国人であるか判別するためにわざと中国語で怒鳴りつけたところ、その男は警察官の制止を振り切ってその日本人の腹部にとび蹴りを喰らわせたという。またすぐに警察官に取り押さえられた。暴徒は必死に抵抗していたが、職員専用口に連れて行かれた。
現場は騒然となり、入場ゲート附近は警察官が立ちはだかってちょっとした厳戒態勢となった。マスコミが情報を集めるため、次から次へと目撃者にインタビューを行っていた。今回の訪日旅行をアレンジした中嶋嶺雄氏が、蹴られた日本人男性に事情を聞いていた。私は午後4時ごろ現場を離れた。
幸い李登輝氏一行にけがはなかったようだ。下腹部を蹴られた男性も大したけがはないという。目撃者の話によると犯人は李登輝先生に向って、中身の入ったペットボトル2本を投げつけたという。それにしても恐ろしい事件だ。笑い事では済まされない。個人の行為とはいえ、これは間違いなくテロである。事もあろうに台湾国の前総統に向ってだ。しかも李登輝先生のご年齢からすれば、もしものことを考えるとぞっとする。
マスコミの報道により、犯人は千葉市美浜区在住の中国人薛義容疑者(34)と判明。日本は旅行者にとって安全に楽しめる国だったはずだ。だが一人の残忍な中国人によって安全神話が崩壊してしまった。今回の事件で李登輝先生の日本を愛する気持ちが揺らぐことはないと思うが、少なくとも今後の訪日には慎重にならざるを得ないはずだ。また訪日したいと思っても周囲が反対するかもしれない。
事件の背景について少し考えてみることとしよう。このテロ事件は基本的に個人による犯行であり、背後に国家や組織が直接関与している可能性は極めて低いと見ていいであろう。とはいってもこの事件は単なる狂信的な個人の犯行で済ませられる問題ではないと思う。犯人はわざわざ成田空港まで出向いて、警備が厳しいとわかっていながら前総統に向ってテロ攻撃を仕掛けた。計画的であるだけでなく、目的性もはっきりしている。単に人間関係や経済面での苦境による鬱憤をはらすための衝動的犯行だったらわざわざ要人を狙わないはずだ。犯人は李登輝氏に明確な敵意を持ち、李登輝氏の訪日や日台関係の進展を破壊すると言う明確な目的があったのだ。
台湾民主化の英雄である李登輝氏をここまで憎むのは、言うまでもなく教育の影響である。中国政府、マスコミはこの十数年来李登輝氏を徹底的に激しく批判し、悪者扱いをしてきた。90年代頃の中国の新聞では、李登輝氏に対しあらゆる下品な罵詈雑言を並び立てていた。当然中国人民の脳裏には李登輝氏に対する強烈な敵愾心が醸成される。このような中国共産党の洗脳カルト教育が今回の卑劣なテロ事件を生み出したのである。日中友好論者には、中国で行われている教育がいかにゆがんだ危険なものであるか考え直してもらいたいものだ。
今回の訪日では念願の奥の細道訪問、講演会や記者会見、靖国参拝などが実現し、日台関係の進展にとって非常に有意義なものであったが、最後の最後になって日台関係を妨害するような不幸な事件が起きてしまった。だが我々は決して臆することなく、強い姿勢が必要だ。今回のような卑劣で残忍なテロや、中国共産党による傲慢な政治的圧力に屈することなく、強い姿勢を中国政府、中国人民に見せつけようではないか。
以下のページで約20枚の写真をご覧いただけます。
http://taidoku.fc2web.com/ouen117-ritouki9.htm
『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html
●成田空港の暴漢こそ「中国」だ(台湾研究フォーラム会長 永山英樹)
本六月九日、李登輝氏が十一日間にわたる日本訪問を終えた。その間、岩手県平泉の中尊寺なる寺院が、脅迫を加える中国に阿り、李登輝氏への特別待遇の取り止めを受けると言う一幕はあったものの、それ以外においてはすべて順調に日程をこなすことができ、何よりであった。
その間、李登輝氏は絶えず日本国民を激励した。奥の細道を散策しては、日本の伝統文化の美を国民に伝えた。靖国神社の参拝を通じては靖国神社とは何であるかを国民に教えようとした。これらが事実であることは、李登輝氏の来日前、来日後の諸発言をつぶさに見ればわかることである。そして記者会見や講演では、絶えず日本の覚醒を訴えた。「日本は再びアジアのリーダーになれ」と。
つくづく「私」のない人だと思う。「私的旅行」だとは言っていたが、この人の念頭には「台湾」しかない。さらに言えば、かつて「残された時間で台湾のために働くとともに、日本を励ましたい」と述べたように、「台湾」以外にはその運命共同体である「日本」があるのだろう。そのことは、李登輝氏の今回の滞在中における以上の事どもを見るだけで明らかである。
このように言えば、「個人崇拝」だの、「神格化」だのと即断する者もいるかもしれないが、「私」を捨て「公」についた観点からこれを見れば、日本国民は李登輝氏と言う日本のかけがいなき友、恩人に感謝するとともに、その覚醒の訴えに呼応しなければならないと言うことに気付くはずだ。
そうでなくてはならないのである。そこで本日我々は、成田空港において帰国する李登輝氏を見送った。李登輝氏は「台湾万歳」を叫ぶ日本人に満面の笑顔で応え、一人ひとりに握手をして歩いた。だがそのときだ。一人の中国人の男が李登輝氏との至近距離まで走り、ペットボトルを二つ投げつけたのだ。それに対して李登輝氏は怒りの表情で睨みつけた。幸い男は警官に取り押さえられ、投擲物も李登輝氏に当たることはなかったが、夫人はSPに覆いかぶされた際、転倒して足を床に打った。
男は取り押さえる警官隊に唾を吐きかけ、抗議する日本人に暴行を加えるなど、不敵の表情を見せた。それはそうだろう、これによって彼が本国で与えられるのは「民族英雄」の称号である。なぜなら日本に媚びて靖国神社を参拝した分裂(台独)主義の民族裏切り者に制裁を加えたのだから、中国の政府、国民がこれを称賛しないわけがない。
つまり、この卑劣な男こそが「中国」なのだ。今回の事件を通じ、「中国」が日本人の前に顔を現したのだ。
中国とはここまで薄汚い国である。日本人はなお、日中友好を求めるか。台湾統一の動きを黙認するか。
「李登輝」と比較して「中国」を見れば、自ずと日本の敵がどこであるかがわかるはずだ。上述の中尊寺などは、明らかに敵国に従う売国寺だ。何としてでも李登輝氏の講演を妨害しようとした外務省などは売国省だ。彼らは道義のドの字も知らない国賊である。こう言った連中の存在を、これからもなお許容するか。