無職の松田智毅被告(22)は、母親が中国人。父は日本国籍(元は?)本人に中国に留学経験あり、
自分たちの中華の血に、日本人の血が混じらないように
妹たちを日本人から守ろうとする異常にゆがんだ気持ちから、
カラオケで歌って楽しんでいただけの2人の日本人の未成年を
殺した動機では?
妹思いというよりも、日本人が嫌いだから、
みんなで囲んで死ぬまで殴ったのでは?
そんな理由のない理由で、死ぬまでボコボコにされた
2人の日本人の未成年が哀れだ。
2人の未来のある未成年を大勢で囲んで
なぶり殺しにしても死刑にならないなら、
日本は法事国家とは言えません!
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“妹思い”の兄心?暴行エスカレートのワケは…神戸2少年死傷事件
産経新聞 12月11日(土)9時41分配信
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血まみれで釜谷さんら2人が放置されていたRV車=10月29日、神戸市須磨区(写真:産経新聞)
【衝撃事件の核心】
車内で発見された2人は顔が判別できないほど腫れ上がり、血まみれで意識を失っていた-。神戸市須磨区の小学校前で10月末、元専門学校生の釜谷圭祐さん=当時(19)=と友人の榊原諒さん(19)が暴行され死傷した。兵庫県警は殺人、殺人未遂事件として捜査本部を設置したが、発生当日に現場近くに住む無職の松田智毅被告(22)=傷害致死罪などで起訴=が出頭したことで急展開。10月から11月にかけて、松田被告に呼び出された少年ら5人も逮捕された。ところが、松田被告は「妹を(釜谷さんらに)連れ回されて腹が立った」という動機しか供述していないとされる。2人の少年は妹と夜遊びをしていただけで、なぜ壮絶な暴行を受けなければいけなかったのか。いまだ解明できない“心の闇”が残されている。
【フォト】バイクの十数人が取り囲む 神戸2少年重体
■きっかけは母の電話
事件が起きたのは10月29日未明のことだった。釜谷さんと榊原さんは、松田被告の妹や少女ら計5人で兵庫県明石市内のカラオケ店などで遊んでいた。この時点では松田被告と釜谷さんらに面識はなかった。
「(妹が)門限を過ぎても帰ってこない」
明石市内の居酒屋で友人らと酒を飲んでいた松田被告の携帯電話に、母親からかかった1本の電話がきっかけだったとされる。
母親から相談された松田被告は妹に電話をかけた。だが、応答がなかったことでいらだち始めた。結局、松田被告は席を立ち、別の複数の仲間に電話をかけ始め、妹の“捜索”を指示したという。
知人の報告で妹が釜谷さんらと一緒にいることを突き止めた松田被告。仲間の車を走らせ、釜谷さんらと合流した時には激高していた。松田被告は、妹をしかりつけるのではなく、2人を殴打した。
人目の多い繁華街だったためか、妹や釜谷さんら5人を連れて松田被告の自宅がある神戸市須磨区に向けて移動するよう指示。釜谷さんが乗ってきていたRV車を仲間に運転させるなど、2人を監禁状態で移動させた。
■届かなかったSOS
「トイレに行かせてほしい」
常軌を逸した車内での監禁状態で、釜谷さんらは松田被告らから逃げ出す機会をうかがいながら、コンビニエンスストアのトイレを使う計画を思いついた。松田被告は別の車で移動し、釜谷さんらを監視しているのは松田被告の知人だった。トイレに行くことは許されたが、駐車場で待機しており、逃げ出すのは困難な状況。このため、トイレ内から110番通報し助けを求めた。
「殴られた。トイレの中からかけている」
そのときは最小限の情報だけを伝えただけで電話を切った。車はすぐに再出発したが、約10分後には再びチャンスが訪れた。別のコンビニのトイレに行き、2度目の110番をすることができたのだ。
「駅前のコンビニに友人5人…。相手がぼくの車を運転してP(駐車場)にいる。逃げるから…」
恐怖で動転していたためか、うまく状況を説明できなかった。2度の110番を受けた県警は約10分後にそれぞれのコンビニに到着していたが、釜谷さんらが出発した後だった。
県警から折り返し釜谷さんの携帯電話に電話をかけたものの、1度は通話中。その後も電源が入っていないか圏外を知らせるアナウンスが流れるだけだったという。このため、県警が場所の特定や事態を把握できないまま、時間だけが過ぎていった。
約10分後。釜谷さんらは明石市内から東に約10キロ離れた松田被告の自宅近くにある小学校前の路上で降ろされた。約20人に囲まれ、とても逃げ切れる状況ではなかった。されるがまま殴る蹴るの壮絶なリンチ状態だったとみられる。
意識を失った2人を車内に押し込めた後、集団は散り散りに逃走。車内に残された2人に気づいた通行人の119番通報で保護されたのは、釜谷さんの最初の110番から約2時間後。釜谷さんは搬送先の病院で約10時間に死亡し、榊原さんは意識不明の重体となった。
「顔が真っ赤に腫れていた。これほどひどいのは見たことがない」-。釜谷さんらを見た捜査幹部が思わず顔をそむけるほどだったという。
■妹への優しさ故に?
松田被告は両親と妹の4人家族。幼いころは妹と2人で通学する姿もよく見られ、近隣住民は妹思いの優しい兄との印象もあったようだ。一方で「幼いころから妹がいじめられると仕返しに出ることがあった」といい、妹のことになると激しい気性をあらわにする一面もあったという。
松田被告は事件が発覚した日の午後8時過ぎ、母親らに連れられ、捜査本部のある須磨署に出頭。調べに対し「妹を連れ回されて腹が立った」と、釜谷さんらへの暴行を認めた。
幼いころからの「妹思い」の部分が爆発し、激しい怒りを釜谷さんらに向けたとみられるが、妹は友人とみられる少女2人らとともに遊んでいただけで、捜査幹部も「人の命を奪うほどか」と動機については首をかしげる。
捜査本部は、事件にかかわったとみられる松田被告の仲間ら10人以上から事情聴取したが、暴行への関与が裏付けられたのは松田被告のほかには、建設作業員の少年(19)だけ。その他の仲間は、まわりで見ていただけで暴行には加わっていないとみている。このうち4人は車での監禁や現場から榊原さんの財布を持ち去った窃盗容疑などで逮捕された。
当初は殺人などの容疑で逮捕された松田被告だが、神戸地検は暴行の程度などを判断し、傷害致死罪などでの起訴にとどめた。
今後、松田被告は裁判員裁判で激しい暴行の真意をどう述べるのか。周囲の若者はなぜ、死ぬほどの暴行を止めなかったのだろうか。
衝撃的な事件の真相は、今もなおベールに包まれている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101211-00000526-san-soci