アジアの街角からー中国から見た尖閣諸島ー | 日本のお姉さん

アジアの街角からー中国から見た尖閣諸島ー

私見時事論談 ☆ 中国から見た尖閣諸島 ───── hideおじさん

ーーーこのところ尖閣問題も過去のものになりつつあるように感じられる。

それが日本人の特性と言ってしまえばそれまでだが、これこそが中国に付け入られる原因と、改めて気を引き締めるべきではないだろうか。

以前「偽満州国」を取り上げた際に、
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要は「領土」というのは、政治経済を含め、対外的にも対内的にも主権が及ぶところとして国がしなければならないことをやって初めて「領土」と理解され対外的に認められるということです。
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と申しましたが、いくら尖閣が日本の領土と声高に叫んでいても、国がしなければならないことをやっていなければあの満州と同じ状況といっても過言ではないでしょう。

中国からすれば、「日本はやるべきことをしていないのだから、先に既成事実を作ってしまえ」と思って当然ではなかろうかと思います。

先んじて日本が何か行動を起こせば、中国は文句も言うでしょうし対抗処置も取るでしょう。しかし、そこでビビッていたら彼らのごり押しが通ってしまいかねません。第2、第3の尖閣問題が起こらないとはいえないでしょう。

領土というなら、口先だけでなく実行を伴わなければ、世界では通じないことは常識の部類です。

今からでも、尖閣の動植物調査でもいいですし、野性化してしまったヤギの駆除でもかまいません、日本が自主的に何らかの行動を起こさなければ、領土を物理的に守っていない日本の主張は後退するばかりです。

そんな思いを抱きながら中国国際放送局のニュース記事を読んでいたら、こんな見出しが目に映った。

┌--------「日本国会議員、中国漁船の故意衝突説を疑問視」

日本のJ-CASTニュースは11月2日、「ビデオ映像は期待とかなり違っていた」とするある国会議員の話を紹介した。

新党日本代表の田中康夫氏は、ブログで「『衝突』『追突』『接触』の何れと捉えるか、批判を恐れず申し上げれば、主観の問題ではないか、と思われる程度の『衝撃』」と、

公開された映像はある種、捏造された印象もあると指摘しており、ビデオを見た議員の中で同じように感じた人も少なくない。

社民党服部良一衆議院議員は「中国人船長を逮捕したこと自体に疑問がある」と話している。
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これはビデオ流出前の国会議員用に短く編集されたものを見た際の感想だというが、領土がらみの問題においては軽々しく発言してもらいたくないものだ。

相手はどこで揚げ足を取ろうかと、虎視眈々と狙っているのに、自ら付け入る隙を与えかねない。意地悪く言えば日本の場合、いつも自ら墓穴を掘るような発言をする人が多いように感じる。

喩えそうだったとしても、政府見解として「尖閣は日本固有の領土」と言っているのだから、国会議員たるものそれを否定するような発言はいかがなものかと正直思ってしまう。

YOU-TUBEで衝突のビデオの流出されたものを見ると、素人目にも故意で衝突していることが判る。田中氏のように、これを主観の問題だと感じるならば、彼の頭は「なんとなくクリスタル」でできていると言うも過言ではないだろう。

まして彼は、海事の専門ではないのであるから、なおさら慎重な発言が求められる。「批判を恐れずに申し上げる」というなら、もっと勉強してから発言してもらいたい。

言うだけ言って、ではどうすれば良かったかという発言はない。自分では冷静な判断と思っておられるようだが、国民はそれを評価しない。

社民党議員の話は、何の参考にもならないからこの際無視するが、中国はこれらの言動を見て、早速マスコミ操作で日本は一枚岩ではないことを対外的に発信し、なんとか中国に理があるように伝えている。

さらに、中国の歴史を持ち出して「何ゆえ中国は尖閣を自国の領土と言うか」という対外的説明を発信している。

では、彼らがどのように伝えているかご紹介したい。

彼ら中国の常識がなんなのか、私たちも知っていてよいだろう。

┌──────────「人民日報よりここから」

大昔から中国の漁民が、すでに釣魚島(中国名)および周辺の島々で漁業活動を行っていた。

早くも明代の初期、釣魚島を中国の領土として当時の防衛対象区域に組みこんでいたことから、釣魚島は「無主地」ではなかったことがわかる。

一方、日本では近代になるまで、歴史書や国史、学者の文章では、中国が釣魚島の主権を有することについて異議を申したてたことがなく、中国の名称をそのまま使用していた。

19世紀半ばまでに日本で出版された地図では、釣魚島を中国大陸と同じ色で示していた。また、英・仏・米・スペイン等の国の文献や地図も釣魚島を中国の領土と認めている。

英国海軍が1877年に作成した『中国東海沿海における香港から遼東湾までの海図』も、釣魚島を中国台湾の所属諸島と見なし、日本の南西にある島々とはっきり区分していた。この地図は国際的に幅広く使用されていた。

1895年1月、日本政府は甲午戦争(日清戦争)で清朝が敗北したのを機に、『馬関条約(下関条約)』調印3ヶ月前に釣魚島を不法に占拠し、沖縄県の管轄下に置いた。

事実上、『馬関条約(下関条約)』が調印後、釣魚島は台湾と共に日本に割譲された。

1943年12月、中米英3ヶ国の首脳が発表した『カイロ宣言』では、日本は中国から略奪した領土をすべて中国へ返還すべきだと明確に定めた。

また、1945年の『ポツダム宣言』は、「カイロ宣言の実施義務を強調し、日本の領土は本州、北海道、九州、四国及びわれわれが定めるその他の小島に局限する」としている。

同年8月、日本は『ポツダム宣言』を無条件で受け入れ投降した。日本は『ポツダム宣言』を受諾した以上、その略奪した中国のあらゆる領土を当然のことながら放棄すべきである。

中国のあらゆる領土とは言うまでもなく、台湾、澎湖列島等及び台湾に所属する島である釣魚島も含まれている。

日本とアメリカが1951年9月にサンフランシスコで調印した条約によって日本は一方的に釣魚島と沖縄をアメリカの施政権のもとに置くことに決めた。

これに対して中国の周恩来首相兼外相は中国政府を代表して「サンフランシスコ条約は中華人民共和国が参加しなかった一方的な条約で、不法かつ無効なものだ」と非難した。

1971年6月、米日の「沖縄返還協定」によって、釣魚島の施政権が日本に返ったことで、中国外務省は12月に声明を発表し、

「これは中国の領土主権に対する侵犯であり、中国人民は絶対に許すことはできない。米日両国は『沖縄返還協定』の中で中国の釣魚島などの島嶼を返還の区域としているが、これは不法なもので、中華人民共和国が釣魚島などの島嶼での主権を変えることはない」と強調しました。

その後アメリカ側は「アメリカが返還したのは沖縄の施政権であり、釣魚島の主権問題に何の影響も与えていない。中日両国が対話と交渉によって問題を解決してほしい」との考えを数回にわたって示した。

日本が釣魚島とその付属島嶼をコントロールする不法行為に対して、中国は断固として戦っている。

中国政府は外交的な交渉を提案したり、外務省の報道官が談話を発表したりするなどのルートを通じて中国側の原則的な立場を十分表している。

1992年2月、中国は「中華人民共和国の領海とその隣接区域法」を発表し釣魚島が中国の領土であることを明確に示した。

日本は釣魚島の問題における中日双方の食い違いを否定しているが、これは歴史にそむき、客観的な事実にも合致していない。

└──────────「人民日報よりここまで」

以上であるが、このような見解を海外に発信していては、世界も中国の言っていることが正しいのかもしれないと思うかもしれない。外交でも世間一般でもとにかく大きな声で言ったものがだんだん正しいと捉えられる傾向にある。

いくら真実で正論を語っても、時期を逸していたりアピールが小さいと、どんどん隅に追いやられ、誰も聞いてくれないことになってしまう。

我々は、この中国の発言に対して大いに反論できるが、政府はこの中国の報道を知ってか知らずか、何の具体的な反論を世界に対して発信していない

1960年代まで中国(中共)は、尖閣を日本の領土と認めていた事実がある。
人民日報の記事にも、尖閣は日本と理解していたことが書いてあるし、台湾の地図も終戦後長らく尖閣を日本の領土と記載していた。李登輝総統も「尖閣は日本の領土」と明言している。

船長を釈放したことは、遺憾ではあるが元には戻らない。であれば、なおさら日本の行動が正しかったこと、歴史的事実を強く世界に発信しなければならない。

それすらしない民主党政府は、いったいどれだけ国益を損なったらすむのだろう。国防の要である自衛隊を「暴力装置」と発言する大臣がいる政府には期待しても無理なのかもしれない。

だからこそわれわれ国民が、この事件を風化させず、改めて尖閣の歴史を学ぶべきなのだ。
= この稿おわり =