尖閣諸島がわが領土であるのは、明白である。
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送信日 : 2010/10/28 (Thu)
題 名 : 日本が第四の国難に直面している
いま、中国が慢心して、わが尖閣諸島と沖縄を略取しようとしている。
元寇が、最初の国難だった。文永十一年に、国難という言葉がはじめて使われた。
幕末がつぎの国難だった。慶応三年に発せられた『王政復古の大号令』は、「未曾有之国難」によって見舞われていると、訴えている。
昭和十六年に、日本はアメリカによる圧迫を撥ねのけるために、自存自衛をはかって蹶然(けつぜん)と立ち上った。
第三の国難だった。
日本国民は三年八ヶ月余にわたって、敢闘善戦した。
惜しくも敗れたが、日本は白人の苛酷な支配のもとで、数世紀にわたって苦しんでいた、アジア・アフリカの民を解放した。
日本は国家として敗れたが、民族として勝ったのだった。
もし、日本が向う千年、二千年と続くものなら、これぞ日本民族の最良の時だったと、称えられよう。
対米戦争を戦ったことが、愚かだったのか、賢明であったのか、大いに論じなければなるまい。
しかし、国民があげて勇戦敢闘したことは、称えられなければならない。
武徳を称えない国は、かならず亡びる。 昭和二十年四月一日に、アメリカ軍が沖縄に来寇した。
沖縄決戦が九州で桜が爛漫と咲く春から、戦われた。
特攻隊の勇士たちが散り急ぐ桜の花のように、沖縄の空を目指して飛び去り、再び還ってくることがなかった。
日本古語で笑花(しょうか)は、咲き乱れる花を意味する。
特攻隊の益(ます)荒(ら)男(お)たちは操縦席につくと、熱誠をこめて送る家族や、近くの住民へ向かって、笑顔で手をあげた。
操縦席には、女子高校生の挺身隊員が手折(たお)った桜がいっぱいに積まれた。 家族や住民や女子学生たちは、離陸した特攻機が見えなくなっても、飛び去った方角へ向かって、いつまでも手を振り続けた。
しばらくすると、空から桜の花(か)弁(べん)が吹雪のように、地上に舞い降りてきた。あけた風防に吹き込んだ風が、積んだ桜花を散らしたのだった。
私は二〇〇二年に特攻隊を顕彰する英文の著作を、イギリス最大の出版社ロングマンから出版した。
これまでエストニア語、スペイン語、ポーランド語、フィンランド語に訳出されている。 私は終戦時にまだ幼かったが、今春、旧陸軍の将校会である偕行社の観桜会で、乾盃の発声を求められた。
私は、特攻隊員が凱旋して桜花に宿っていると思って、毎朝、わが家を出ると、桜の木に向かって最敬礼していると述べた。
尖閣諸島から沖縄までの海は、特攻隊の勇士が皇土を安ずるために散った聖域だ。
貪欲な中国人の野望によってけがされるのを、許してはなるまい。
菅内閣は九月七日に中国の漁船が、尖閣周辺のわが領海を侵し、海上保安庁の巡視船に体当りして傷けた暴挙に対して、怯懦としかいえない対応を行った。
尖閣諸島がわが領土であるのは、明白である。
中国は一九七〇年代に入るまで、清朝まで遡っても、尖閣諸島に対して領有権を主張したことがなかった。
このところ、日本では高速道路がひろがるごとに、人の心が狭くなってきた。
スーパーや、レストランが立派になるのにつれて、家庭の食事が貧しくなった。
機能的なマンションがつぎつぎと建てられるようになったのに、隣人への親密感や、責任感がなくなった。
欲しいものを、何でも手に入れることができるようになったのに、希望だけがなくなってしまった。
豊かな社会が到来したといいながら、希望がないのはおぞましい。
民主党は昨年の総選挙に当たって、今の安逸な「国民生活が第一」だと、約束した。どうして、日本国民が日本の未来に希望を描くことが、できなくなったのだろうか。
国を愛して、明日の日本を想う心が希薄になった。
私たちは国土を保全するとともに、日本という優れた伝統によってつくられている国を、万世へ伝えてゆく重い責任を負っている。
小松左京氏の『日本沈没』というベストセラーが昭和四十年代にあったが、いまや全国民が見守るなかで、日本の〃菅没〃が進んでいる。
菅内閣は無知、無恥、無能、無策だ。
領海を侵犯した中国漁船が巡視船に体当たりしたために、海上保安官が強行移乗して、船長以下十五人の乗組員を逮捕した。
ところが、重罪である領海侵犯容疑によって、厳しく追求すべきだったのに、軽い公務執行妨害容疑を適用した。
もっとも、日本には法的な欠陥があって、戦後、独立国であることを忘れたために、領域(海)警備法が欠けている。
領域を侵した者に、出入国管理法違反しか問えない。
そのうえ、中国に阿(おもね)て、船長だけ拘留して、十四人の船員をすぐに中国へ送り返した。
中国には「人民武装力」として、人民解放軍と並んで民兵がある。民兵のなかに、漁船を操る「海上民兵」がいる。
私は日本を試すために、尖閣周辺の領海を侵犯した可能性が高いと思う。
なぜ、全員を必要な時間をかけて、取り調べなかったのか。
民兵である疑いが濃い。
それぞれ一人にして、軍歴を洗って、中央からの指令によってわが領海を侵犯したのか、訊問すべきだった。
一人ずつ隔離して、「陳君は早く帰国したいといって、もう自白しているぞ。上からの指令で、侵犯したと供述している。嘘を通すのなら、君の身内に気の毒だが、国内法によって、重労働二十年に処することになるな」とでも脅かして、自白をひきだすべきだった。
船長も九月二十四日に処分を保留して、帰国させた。
菅首相と前原外相は船長について「国内法に従って粛々と処理する」といったが、粛々に「コロコロ」とルビをふるべきだった。
菅首相、前原外相は「中国との外交的な配慮によって、船長を不起訴処分にして釈放した」と那覇地方検事がいったのを受けて、「検察の決定に従った」といったが、嘘だ。
どうして、地方の小役人が高度な政治判断を行うことができよう。
鬼が舌を引き抜くことになろうが、善良な日本国民と違って、三枚も、四枚も舌を持っているから、痛痒を感じまい。
それも、「北京との政治結着」ではなかった。
裏で話し合うこともなかった。
船長を釈放したのに、中国は日本に対して猛々しく「謝罪と賠償」を要求した。
かつて中国が長いあいだにわたって「アジアの病人」と呼ばれたが、今や日本が「アジアの病人」となっている。
中国は日本をいっそう侮ることになろう。
アメリカは中国が「神聖な領土」という台湾に兵器を供給して、万一の場合には台湾関係法を適用して、台湾を守るといっている。
中国はそれにもかかわらず、アメリカに礼を尽している。
日本には付け上がって、振舞う。
もう一つ情けなかったのは、九月二十三日に前原外相とニューヨークで会談した時に、クリントン国務長官が「尖閣諸島について日米安保条約が適用される」と述べたのを、政府から、与野党、マスコミまで、あげて愁眉をひらいて喜んだことだった。
尖閣諸島くらい、独力で守る決意がなければならない。
外国に縋らねば何もできないのでは、恥かしい。
中国はその四千年の歴史を振り返えると、内外に対して「收(ショウ)」(引き締める、強く当たる)と「放(ファン)」(緩める)を、繰り返してきた。「
猛」と「zェ」ともいう。 中国は日本を脅かすために、漁船を意図的に尖閣周辺に突入させて「收」を行ったが、国際世論や、日本の国内世論が対中警戒心を強めたのに対して、一時的に「放」に移ろうとしていると思われる。
中国を信頼してはなるまい。
加瀬英明事務所