宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 北京が何故、金正日ご一行様に低姿勢なのか | 日本のお姉さん

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 北京が何故、金正日ご一行様に低姿勢なのか

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成22年(2010)9月9日(木曜日)
       通巻3055号

 高飛車に日本を批判し、さげずむ北京が何故、金正日ご一行様に低姿勢なのか
  特別列車を最優遇、しかも豪華ホテル貸し切り費用はぜんぶ中国が負担
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 金正日が8月26日に中国を訪問し、長春へはいった。長白山の麓の集安という街から通化、吉林を経由し、旧満州帝国の首都だった新京(いまの長春)へ悠然と特別列車は「入城」した。
 瞠目すべきことがおきた。
 中国の皇帝である胡錦濤が多忙を割いてわざわざ長春まで足を運んたのだ。

 マスコミの分析は「そうまで厚遇して、しかも多額の援助をしてもてなすのは北朝鮮が経済の改革開放に踏み切ることが望ましく、ひいては中国東北部の地域的安定にも繋がるからである」とまことしやかな解説が大手をふるってまかり通る。

 また「世襲後継を中国にみとめさせるために三男を帯同した」という報道もあった。中国共産党は世襲を認めたがらないから、もし不愉快なら長春にまで最高指導者が「挨拶」に行く必要があろうか?

 八月の突然の訪問では、そのごハルビン、延吉、図門を経由した帰国した。近代化されて工場なども視察した。
 いずれも朝鮮族が多く住む地域である。

 ことし五月三日、将軍様が大連にあらわれたとき、わざわざ丹東(鴨緑江の対岸都市)にお迎えに伺ったのは次期首相最右翼の李克強だった。筆者は偶然にも大連にいたので、このとき三回も将軍様の車列(48台の高級車。全部黒塗りだった)に遭遇した。
交差点で三十分から四十分もの足止めを食らったことは、以前にも書いた。


 ▲将軍様に挨拶するため政治局常務委員九人全員がでてくるのだ

 五月訪中のとき、大連で宿泊したのは最高級五つ星ホテルの「フラマ」だった。
 ご一行様は同ホテル西館(全部で306部屋)を借り切り、最高豪華スィートはなんと750平方メートル、運動会が出来る広さ。一泊500万円以上と推定される。同部屋はサウナ、マッサージルームも備え付けられている。

 そして将軍様の宿泊費、滞在にまつわる諸経費は全部、中国政府が支払うのである。
 これほど礼を尽くした待遇は、じつは米国、フランス、英国の元首や首相クラスの訪中でも行われたことはない。
 
 金正日は2004年、06年にも訪中し、2010年五月にも北京へ入ったが、いずれも共産党トップの政治局常務委員全員が、一同に会見するか、個別に会見するかは別にして、毎回、全員が将軍様とご挨拶をした。
十三億を支配する党のトップ、政治局常務委員九人全員がでてくるのだ

そればかりか2001年に上海を視察した際には朱容基首相(当時)が上海万博予定地を案内した。このおり、北朝鮮は中国の改革開放経済を「修正主義」と批判していた時期である。

 金正日はジャンバー姿だったが、吉林省のホテル従業員の目撃談では「生地も、黒眼鏡も靴も世界最高ランクのブランド品だった」そうな。

 ともかく。中国がここまで厚遇するのは「やっかい者」をして、「改革へ踏み切らせる準備」も動機だろうが、根幹にある理由は北朝鮮の核兵器の存在ではないのか。
 北の核は、中国への恐喝武器にもなりえるからである。朝貢してきた保護国の王(元首)を、皇帝様の国(中国)が卑屈にもてなす理由は、ほかに見あたらない。

 対照的に日本への数々の非礼と無礼。尖閣諸島近海でわが海上保安庁の船舶にぶつかりながら、日本が悪いと攻撃する。そうそう、孫子は言いましたっけ。「攻撃こそ最大の防御なり」と。 
 それにしても鈍感で無神経で安全保障のことに思慮がいかない日本からみれば、金厚遇の中国って、まことに「神秘的謎」でもある。
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(読者の声1)カブール銀行の倒産直前スキャンダル。もしこれが、カストロ兄弟やチェ・ゲバラならば役員、銀行員もろとも皆殺しにしたでしょう。
革命後のキューバ国有銀行はゲバラが管理したのです。マルクス主義者であっても、モラルは立派なんです。国民は貧困だけども、カストロを愛する口調がほとんどだった。
我慢強く、おおらかな人々だった。
1957年で時計は止まった。1950年代のアメリカ車が走っているんです。タクシーの運ちゃんの月給は20ペソ(2500円)で、空港の飛行機エンジニアでも、月45ペソ。二日も運転してくれた運ちゃんに12ペソ、キャメル一箱、子供にとクレヨン一箱をあげたら大きく笑った。
見ていると、仲間に分けるんです。ひとり占めしないんですよ。ところで、キューバ人の表情は一見恐いんですね。それが笑うと子供の顔になるんです。体格は、モハメッド・アリ・クラスがほとんどだった。日本人の三倍の体力と思っていいでしょう。
キューバの上流社会とは、将軍、大臣たち。これらと仲良しになって、ハバナに投資を考えた。考え始めただけだが、ここ2~3年でキューバとアメリカは、通商条約を結ぶ現象が見られる。ハバナのナショナルという中世風のホテルの広間には、米国の為政者を除いて、映画監督スピールバーグ、ホテル王のヒルトン、モハメド・アリなどの写真がずらり。
ここでも日本は遅れている。日本政府がプラネタリウムを寄付しただけ。ところがキューバは、カストロ兄弟を先頭に大の、大の日本人好きなんですよ。理由は日本軍の真珠湾奇襲です(笑い)。
東芝のネットパソコン見せてあげただけで、ハバナの空港の旧チェコ製の拳銃下げた警備兵の男女4人が集まった。“ハポン、ハポン、すごいなあ~いくらするんだ?”とね。新幹線を見せたら、夢を見ているような表情になった。
ところがシナ人は嫌われている。顔を顰めるので判る。一昨年、中国製のジーゼル汽車45台を買ったら線路のゲージに合わなかったと。それでシナ側ともめているんですよ。
だからサンチアゴ行きの汽車には乗れなかった。シナ人らの高姿勢が想像できるでしょ? 
日本政府やJRがここで「直して差し上げましょうか」と言えば、永遠の親友になれる。疑うなかれ!
(伊勢ルイジアナ)


(宮崎正弘のコメント)それほど貧困なのに、では何故キューバ人の体格がそれほど良いんですか。それが不思議です。口蹄疫騒動で宮崎県がひっくりかえっていた折り、日本の農林水産大臣はカストロに会いにキューバへ行っていた。口蹄疫という未曾有の危機は、赤松という大臣にとってはどうでもいい話だったのでしょうね。
 キューバに憧れるのはトロッキストに限らず三好徹とか左派作家に多いですね。全共闘の多くもゲバラが好きだった。
 キューバと米国の関係悪化は、原因の多くがジョン・F・ケネディ大統領の失政によるものでしょ。

 ところでカブール銀行の続報ですが、「同銀幹部らはドバイの豪邸で優雅に遊んで暮らし」(ファイナンシャルタイムズ、9月8日)、「その豪邸を転売して80万ドルを得たファヒムの兄弟がいる。同行の貸し付けの大半がカルザイ大統領の弟ら一族ならびに“腐敗の象徴”ともいわれるファヒム副大統領兄弟一族の企業などに回されていた」(NYタイムズ、9日付け)が伝えています。
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 445回】                              
   ――ある明治の手弱女・・・秘められた益荒女ぶり
       『カラチン王妃と私』(河原操子 芙蓉書房 昭和44年)


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 「明治三十三年の夏、長野県の県立高等女学校に職を奉ぜし時のことなりき。宿痾漸く癒えて、身は再び自然の健康を楽しみ得るに至ると共に、厚き氷の下に暫く閉じ込められし我が宿志、即ち清国の女子教育に従事したしとの希望は、暖き春の光に浴せし草木のごとく萠えそめぬ」
――書き出しの数行を読むだけでも、著者の清冽な志に心打たれる。

 明治教育界の重鎮である下田歌子の知遇をえた著者は、横浜の華僑子弟が学ぶ大同学校を経て上海へ。「純然たる女子教育の目的を以って設立せられ、東洋人の手で経営」される清国最初の女学校である上海務本女学堂へ奉職する。

その折のエピソードの数々が綴られているが、こんなのもある。「休憩時間には、我は率先して運動場に出で、生徒をしてなるべく活発に運動せしむる様に努めた」が、「多年の因襲の結果としての」纏足から「思うままに運動する能わざるは気の毒なりき」。よろよろと歩かざるをえない彼女らは、「されば大なる我が足、といいても普通なるが、彼等には羨望の目標となりしもおかしかりき」。

 やがて「明治三十六年十一月ニ十二日、空は隈なく晴れて、塵ばかりの雲もなきに、かしま立ちする心も勇みぬ」と上海を離れる。塘古、北京を経て最終目的地カラチンへ。

 「カラチンはいずこ、北京の東北にあり。途中の旅に九日ばかり要すべしと。(中略)長城以北の宿りは天幕にもやあらん、あるいは馬賊の難あらんも測られじなど、問えば問うほど気づかわしさの増す答のみにて、かよわき女の身には恐ろしくさえなりたり」。

だが「恐ろしいといい不安に感じて躊躇するは、無事太平の世に於いての事、今わが故国は、二千数百年來未だ曽てなき重大の時期に臨み、まことに国家興亡の秋なりと聞」かばこそ、固い決意を秘め、著者は旅立つ。

日露関係は極度に緊迫の度を加える。彼の地では日露双方の熾烈な諜報工作や後方撹乱戦が展開されていた。
もちろん著者もまた日本側工作の後方支援に努めたが、その一方で内蒙古カラチン王府の教育顧問として王妃の助力の下に内蒙古最初の女子教育機関である毓正女学堂の経営に当った。

第一期生は「王妹及び後宮の侍女と、王府付近に居住せる官吏の子女とにて、二十四名という数に達したり」。ある週の教科をみると、日文、算術、日語、唱歌、体操、図画、家政、編物を著者が、習字、漢文、蒙文、歴史、修身、地理などを漢族や蒙古族教師が担当している。「やまとなでしこ」として育てようとする著者の目標を、「先生、どうぞ蒙古の人になって下さい」と希求する王妃が心温かく全面的に支える。

 ある2年生は作文の時間に、「ワタクシハ、ハルガタイヘンスキデス。ナゼスキデスカ。イロイロノハナガキレイニサイテヲリマスカラ、ワタシハスキデス」と綴った。

「明治三十九年一月」、名残惜しくもカラチンを去る日、「三人のカラチン少女は、境をこえて旅すること初めてなり」と、日本留学を目指す3人の少女を伴い帰国。はたして今、著者がカラチンの地で営々として育んだ日本の痕跡を認めることはできるのか。

 その後、著者は横浜正金銀行ニューヨーク副支店長の一宮氏と結婚。「敵地に等しい蒙古に、重任を負いて単身入込たる心身の苦闘」を周囲に一切感じさせることなく、一宮夫人として働く傍ら、「新進の国を識りたいと熱望している研究者、学者等」の日本理解に努めた。
コロンビア大学で学んだある知日派米人は著者を「称えても称えたりない」と。
《QED》


(宮崎正弘のコメント)そうそう、河原操子は当時のヒロインですよ。カラチン府は、遼寧省の阜新(満州時代、この炭坑町にも七千人の日本人がいた)から夜行列車に乗って内蒙古省・赤峰につき、ホテルからタクシーを雇って弐時間。数年前の雨の日に行きました。みごとなカラチンの銅像もあり、記念館の展示病には河原操子の写真などが飾られていました。
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拓殖大学日本文化研究所からのお知らせです
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平成維新の可能性を探る4時間
公開講座新日本学(井尻千男編成統括)
10月16日(土曜)13時より開講

<カリキュラム>
平成22年

10月16日 昭和維新運動とは何か   岩田 温vs井尻千男
11月20日 大帝国の派遣と普遍主義  北村良和vs井尻千男
12月18日 新中華帝国論       宮崎正弘vs井尻千男

平成23年
 1月15日 日本精神史試論      黄 文雄vs井尻千男
 2月 5日 国体論の再構築      佐藤 優vs井尻千男
 2月19日 わが国の古典主義時代   田中英道vs井尻千男
 3月 5日 国体思想の系譜と核心  小堀桂一郎vs井尻千男
 3月19日 平成維新の可能性     井尻千男vs 全講師

主  催:拓殖大学日本文化研究所
会  場:拓殖大学文京キャンパス(丸ノ内線茗荷谷駅下車徒歩三分)
開講時間:土曜日 13時~17時
受 講 料:8講座 16,000円
まずは資料請求を拓殖大学オープンカレッジ課 Tel03-3947-7166
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<宮崎正弘の最新刊>
 『上海バブルは崩壊する』(清流出版、1680円)
 (サイン本の予約募集は締め切りました。お申し込みのかたは10日までに到着予定)
  全国主要書店で10日発売!
宮崎正弘 v 佐藤優『猛毒国家に囲まれた日本』(海竜社、1575円)
http://www.amazon.co.jp/dp/475931122X/
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社、1680円)
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<宮崎正弘のロングセラーズ>
http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
『中国ひとり勝ちと日本ひとり負けはなぜ起きたか』(徳間書店、1680円)
『増長し無限に乱れる「欲望大国」中国のいま』(石平氏との対談。ワック、945円)
『朝日新聞がなくなる日』(ワック、945円)
『人民元がドルを駆逐する』(KKベストセラーズ、1680円)
『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
 ◎宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
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