【八月六日】広島の「赤の広場」(頂門の一針)
【八月六日】広島の「赤の広場」
西村真悟の時事通信より転載
昨八月六日、広島を見てきた。
平和公園は、「赤の広場」だった。
この広場で、毎年八月六日、コミンテルン日本支部と中国共産党の期待をいっ
しんに受けて、我が国の内閣総理大臣と広島市長が如何にアホかを世界に発表す
る。
本年も、発表した。
その発表場所には、「安らかにお眠りください、過ちは繰り返しませんから」
という言葉が石に刻まれている。
この前にくる総理大臣と広島市長は、過ちを繰り返しっぱなしだ。
唯一の被爆国だから、非核三原則を堅持し、アメリカの核の傘から離脱する、
だと。
公衆の面前で、恥ずかしくないのか、馬鹿も休み休み言え。
広島の「赤の広場」にこの発言が流れた本年は、中国共産党の高笑いが特に大
きく響いていたことだろう。
この場でしゃべった総理大臣が、中国共産党の核爆弾は、友好友愛の核である
という前提で勝手に武装解除宣言をしているからである。中国からは大歓迎。日
本人からは想像を絶する無責任。
さらに、アメリカは、苦笑いして首を振ったことだろう。
何故なら、この総理、アメリカの核の傘はもう無いのに、まだ有ると無邪気に
思いこんでいるからである。この馬鹿は、アメリカの大統領が、ロサンジェルス
が核攻撃を受ける危険を冒して日本を守ると未だ信じている。
こともあろうに被爆地において、この二つの間違った前提で、大まじめにしゃ
べる者を何と言えばいいのだろうか。
アホもしくは馬鹿としか言いようがないではないか。
六日の午後、この愚者の祭典が終わった後の被爆地を歩いた。
原爆ドームの横で、核廃絶の署名運動をしている一団がいた。また、川の向こ
う岸ではインディアンの衣装を着た数名の男が太鼓をたたいて奇声をあげて踊っ
ている。何故、マイクで大音響の奇声を被爆地で流しているのか、感覚が分から
ない。
また公園内には、腕に安もんの入れ墨をした毛唐が女の子を連れて歩き回って
いる。そして向こうの原爆資料館の前あたりでは、赤旗が乱立しマイクのアジ演
説が響きわたっている。
その喧噪の中で、多くの人々が静かに並んで馬の鞍型の慰霊碑に合掌していた
。
その慰霊碑を暑さにうな垂れた花輪が取り巻いていた。
正面は、例の○○の総理大臣や衆参議長や各県知事の花輪。
側面は、日本共産党や左翼系労働組合の花輪。
この「赤の広場」と化した地に、嘗て住んでいて被爆し亡くなった人々のこと
を偲んだ。この方々は、
昭和天皇が終戦の詔書で
「敵ハ新タニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻リニ無辜ヲ殺傷シ、惨害ノ及フ所真ニ測
ルベカラサルニ至ル」とある如く、
天皇が「無辜」と呼ばれた人々である。
この方々は、自分たちの死が、このような左翼の祭典に利用されていることを
知れば、いかばかりご無念であろうか。
この祭典こそは、慰霊碑の碑文にあるように、
自分たちが「無辜」ではなく過ちを犯し悪いことをしたので原爆が落ちたという
東京裁判史観・自虐史観のうえに繰り広げられているからである。
即ち、この碑文つまり東京裁判史観こそは、無辜に過ちを犯した者という冤罪
をかぶせることによって、無辜である自分たちに対する原爆使用を容認している
からである!
一九七七年、ソビエトのヨーロッパに向けて実戦配備された中距離核弾頭ミサ
イルSS20に対抗してNATOがパーシング!)核弾頭ミサイルを実戦配備しよ
うとしたときに、ヨーロッパにはそれに反対する「反核市民運動」がわき起こっ
た。しかし、ソビエト崩壊後に判明したことは、この「反核運動」が、ソビエト
が仕組んだ工作によって起こされていたということである。
よってこの広島の「赤の広場」の行事も、我が国に対して核弾頭ミサイルの照
準を合わせて実戦配備している国の工作によって成り立っている。
「赤の広場」の偽善と喧噪から離れ、広島城内の護国神社に向かった。しかし
、午後六時からの「ふたたび、ヒロシマの平和を疑う!」集会開会の時間が迫っ
たので、護国神社参拝をあきらめてリーガロイヤルホテル広島の会場に入った。
この集会は、日本会議広島が主催して、昨年に引き続き八月六日に開催された
。
講師は、昨年に続き「危険人物」の前航空幕僚長の田母神俊雄さんである。
田母神さんの講演に先立ち、「赤の広場」の式典では読まれない「もう一つの
平和宣言」が朗読された。
その次に、札幌医科大学教授で、初めて中国のシルクロードにおける核実験か
ら生じたウイグル人七五万人殺害という大惨害を摘発した高田 純氏の緊急提言
がなされた。
この「もう一つの平和宣言」こそは、若い女性の清き魂からほとばしる凛とし
た声によって読見上げられた尊い日本人の魂の叫びとして会場に響いた。
この宣言は、「ここに眠る皆様に謹んで申し上げます」と始まり、「六五年前
のあの日、火事を避けて太田川の河原で見た現実はこの世のほかの風景でした」
と続いた。
そして、被爆20日後の記録にある、誰も泣かず、感情を抑え、黙って死んで
いった人々や、水を飲み握り飯を頬ばってはっきりと名を告げて息を引き取った
少年勤労学徒の情景を述べたうえで、「あなた方はどんな貴族よりも高い精神の
中にいたのですね・・・原爆はあなた方の心にまで届かなかったのです。私たち
はそれを誇りとします。」と死者に呼びかけた。
そして、「宣言」の最後は次のように結ばれた。
「私たちはまだ、あなた方に『安らかに眠ってください』といえる資格がありま
せん。
今の私たちには、世界と溶け合った古の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い
精神を必ずしも受け継いではいないからです。
しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、
『兵隊さん、仇を取ってください』と言われた人のことを忘れません。
あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あな
た方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平
和を繋ぐことができたとき、私たちの仇討ちは終わります。
その暁には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。
『安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから』」
宣言の文章の格調の高さと、朗読された若き娘さんの魂の清らかさが心に響いた。
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)
~~~~
◎「謝罪すること何もない」=原爆忌への大使出席で米次官補
【ワシントン時事】クローリー米国務次官補(広報担当)は6日のルース
駐日大使の広島平和記念式典出席に関連し、自身のツイッター(簡易ブ
ログ)で、「われわれが謝罪することは何もない」と述べた。
同次官補は、米政府代表の初出席を「日本との友好関係の表れ」と説明。
「米国は第2次世界大戦後の日本の復興を助け、敵国を信頼できる同盟国
に変えたことを誇りに思ってきた」と述べた。
その上で「広島では、謝罪することは何もないが、戦争の影響を受けた
すべての人々に配慮を示す」と強調した。 8月7日11時3分配信 時事通信
~~~~~~
◎ローマに「ヒロシマ・ナガサキ通り」誕生へ
【ローマ=柳沢亨之】ローマ市は、広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する
ため、市内の道路1か所に、「広島、長崎」の名を冠することを決めた。
6日付伊有力紙レプブリカ(電子版)が報じた。今後、道路の選定手続
きを行い、年内に決める見通しだ。
ローマ市のジャンニ・アレマンノ市長は今年4月、市内の高校生代表団
と広島市を訪問、被爆者との面会や地元高校生との交流会を行うなど、
原爆の惨禍を伝える教育に力を入れている。
8月7日11時21分配信 読売新聞
反 響
━━━━━━━
1) 日韓併合を反省・謝罪するよりも:泉 幸男を読んで。
まず、仙谷氏はは旧社会党にいたですよね。
その社会党が存在していた頃の党の在り方を検証しては如何でしょうか。
この党にいた方々は、その支持母体でもあった朝鮮総連や韓国民団等に対し負い目があるのですよ。それをいまや国を左右できる立場になったということで、言いたいことを言い出しただけの事ではないのですか。
外国人参政権などにしても同じで彼らは確信犯なのです。
その中でも、総連の勢力が強いものだから日韓併合ではなく、植民地支配になる訳です。歴史認識の相違は、一方的な思想だけで支配されては駄目です。
ちなみに、日本のパチンコ業界の8割以上は総連や民団の関係者であり、彼らから献金を受けているのも、大半がかつての社会党関係者です。政治を綺麗ごとで見るのではなく、現実的に分析する必要もあります。
連日、マスコミ報道でその行方が注目されている高齢者問題、これほど地方の行政機関はいい加減な仕事をしていたという証左の現れではないでしょうか。
とかく為政者は地味な仕事には目を向けず、自分の選挙を意識した注目される政策だけに熱心になるものです。挙句の果てが、あの夕張のような破綻処理へと住民を巻き込み、不幸な後始末になるのです。勿論、それを支持してきた住民たちにも大きな責任があります。
自分たちの自治体には、これだけの高齢者が居るという喧伝だけは嘘の報告をしていて、確認もしなければ、その責任は法律の所為や当事者の家族の所為にしたりで糊塗して来たのが今日の政治や行政の実態でしょう。
こうした自分たちの足元も始末出来なくて、何が「地方分権」「地方主権」などと国民も大変心配になったのではないでしょうか。
もっとも、国の方でも五十歩百歩で、役人は自分たちの省益には熱心だけれど国益に対してはほとんど関心がないように見受けられる昨今です。
それがいまの日本の大問題で、それを正して修正するのが政治家の政治主導なのです。
その政治家たちも選挙だけにしか関心がなく、党内抗争に明け暮れている。
総理はコロコロ変えない方がよいと言っても、何も出来ない総理を飾っていて何をしようと思うのですか。これも前述の内容と同じでしょう。
どこに頼めば国民は救われるのか、悲観論ばかりが浮かぶ日常です。みんなが自分の足元を着実に、一歩一歩固めることしかないようです。
(なみお)
西村真悟の時事通信より転載
昨八月六日、広島を見てきた。
平和公園は、「赤の広場」だった。
この広場で、毎年八月六日、コミンテルン日本支部と中国共産党の期待をいっ
しんに受けて、我が国の内閣総理大臣と広島市長が如何にアホかを世界に発表す
る。
本年も、発表した。
その発表場所には、「安らかにお眠りください、過ちは繰り返しませんから」
という言葉が石に刻まれている。
この前にくる総理大臣と広島市長は、過ちを繰り返しっぱなしだ。
唯一の被爆国だから、非核三原則を堅持し、アメリカの核の傘から離脱する、
だと。
公衆の面前で、恥ずかしくないのか、馬鹿も休み休み言え。
広島の「赤の広場」にこの発言が流れた本年は、中国共産党の高笑いが特に大
きく響いていたことだろう。
この場でしゃべった総理大臣が、中国共産党の核爆弾は、友好友愛の核である
という前提で勝手に武装解除宣言をしているからである。中国からは大歓迎。日
本人からは想像を絶する無責任。
さらに、アメリカは、苦笑いして首を振ったことだろう。
何故なら、この総理、アメリカの核の傘はもう無いのに、まだ有ると無邪気に
思いこんでいるからである。この馬鹿は、アメリカの大統領が、ロサンジェルス
が核攻撃を受ける危険を冒して日本を守ると未だ信じている。
こともあろうに被爆地において、この二つの間違った前提で、大まじめにしゃ
べる者を何と言えばいいのだろうか。
アホもしくは馬鹿としか言いようがないではないか。
六日の午後、この愚者の祭典が終わった後の被爆地を歩いた。
原爆ドームの横で、核廃絶の署名運動をしている一団がいた。また、川の向こ
う岸ではインディアンの衣装を着た数名の男が太鼓をたたいて奇声をあげて踊っ
ている。何故、マイクで大音響の奇声を被爆地で流しているのか、感覚が分から
ない。
また公園内には、腕に安もんの入れ墨をした毛唐が女の子を連れて歩き回って
いる。そして向こうの原爆資料館の前あたりでは、赤旗が乱立しマイクのアジ演
説が響きわたっている。
その喧噪の中で、多くの人々が静かに並んで馬の鞍型の慰霊碑に合掌していた
。
その慰霊碑を暑さにうな垂れた花輪が取り巻いていた。
正面は、例の○○の総理大臣や衆参議長や各県知事の花輪。
側面は、日本共産党や左翼系労働組合の花輪。
この「赤の広場」と化した地に、嘗て住んでいて被爆し亡くなった人々のこと
を偲んだ。この方々は、
昭和天皇が終戦の詔書で
「敵ハ新タニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻リニ無辜ヲ殺傷シ、惨害ノ及フ所真ニ測
ルベカラサルニ至ル」とある如く、
天皇が「無辜」と呼ばれた人々である。
この方々は、自分たちの死が、このような左翼の祭典に利用されていることを
知れば、いかばかりご無念であろうか。
この祭典こそは、慰霊碑の碑文にあるように、
自分たちが「無辜」ではなく過ちを犯し悪いことをしたので原爆が落ちたという
東京裁判史観・自虐史観のうえに繰り広げられているからである。
即ち、この碑文つまり東京裁判史観こそは、無辜に過ちを犯した者という冤罪
をかぶせることによって、無辜である自分たちに対する原爆使用を容認している
からである!
一九七七年、ソビエトのヨーロッパに向けて実戦配備された中距離核弾頭ミサ
イルSS20に対抗してNATOがパーシング!)核弾頭ミサイルを実戦配備しよ
うとしたときに、ヨーロッパにはそれに反対する「反核市民運動」がわき起こっ
た。しかし、ソビエト崩壊後に判明したことは、この「反核運動」が、ソビエト
が仕組んだ工作によって起こされていたということである。
よってこの広島の「赤の広場」の行事も、我が国に対して核弾頭ミサイルの照
準を合わせて実戦配備している国の工作によって成り立っている。
「赤の広場」の偽善と喧噪から離れ、広島城内の護国神社に向かった。しかし
、午後六時からの「ふたたび、ヒロシマの平和を疑う!」集会開会の時間が迫っ
たので、護国神社参拝をあきらめてリーガロイヤルホテル広島の会場に入った。
この集会は、日本会議広島が主催して、昨年に引き続き八月六日に開催された
。
講師は、昨年に続き「危険人物」の前航空幕僚長の田母神俊雄さんである。
田母神さんの講演に先立ち、「赤の広場」の式典では読まれない「もう一つの
平和宣言」が朗読された。
その次に、札幌医科大学教授で、初めて中国のシルクロードにおける核実験か
ら生じたウイグル人七五万人殺害という大惨害を摘発した高田 純氏の緊急提言
がなされた。
この「もう一つの平和宣言」こそは、若い女性の清き魂からほとばしる凛とし
た声によって読見上げられた尊い日本人の魂の叫びとして会場に響いた。
この宣言は、「ここに眠る皆様に謹んで申し上げます」と始まり、「六五年前
のあの日、火事を避けて太田川の河原で見た現実はこの世のほかの風景でした」
と続いた。
そして、被爆20日後の記録にある、誰も泣かず、感情を抑え、黙って死んで
いった人々や、水を飲み握り飯を頬ばってはっきりと名を告げて息を引き取った
少年勤労学徒の情景を述べたうえで、「あなた方はどんな貴族よりも高い精神の
中にいたのですね・・・原爆はあなた方の心にまで届かなかったのです。私たち
はそれを誇りとします。」と死者に呼びかけた。
そして、「宣言」の最後は次のように結ばれた。
「私たちはまだ、あなた方に『安らかに眠ってください』といえる資格がありま
せん。
今の私たちには、世界と溶け合った古の心に源流をもつ、その賞賛すべき高い
精神を必ずしも受け継いではいないからです。
しかし、私たちは忍耐を持って理不尽な死を迎える直前、
『兵隊さん、仇を取ってください』と言われた人のことを忘れません。
あなた方は今もなお、私たちと共にあります。どうか見守ってください。あな
た方の高き心が私たちの精神に満たされたとき、そして継続する努力が日々の平
和を繋ぐことができたとき、私たちの仇討ちは終わります。
その暁には、改めてあなた方に申し上げるでしょう。
『安心してお休み下さい。過ちは繰り返させませんから』」
宣言の文章の格調の高さと、朗読された若き娘さんの魂の清らかさが心に響いた。
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)
~~~~
◎「謝罪すること何もない」=原爆忌への大使出席で米次官補
【ワシントン時事】クローリー米国務次官補(広報担当)は6日のルース
駐日大使の広島平和記念式典出席に関連し、自身のツイッター(簡易ブ
ログ)で、「われわれが謝罪することは何もない」と述べた。
同次官補は、米政府代表の初出席を「日本との友好関係の表れ」と説明。
「米国は第2次世界大戦後の日本の復興を助け、敵国を信頼できる同盟国
に変えたことを誇りに思ってきた」と述べた。
その上で「広島では、謝罪することは何もないが、戦争の影響を受けた
すべての人々に配慮を示す」と強調した。 8月7日11時3分配信 時事通信
~~~~~~
◎ローマに「ヒロシマ・ナガサキ通り」誕生へ
【ローマ=柳沢亨之】ローマ市は、広島、長崎の原爆犠牲者を追悼する
ため、市内の道路1か所に、「広島、長崎」の名を冠することを決めた。
6日付伊有力紙レプブリカ(電子版)が報じた。今後、道路の選定手続
きを行い、年内に決める見通しだ。
ローマ市のジャンニ・アレマンノ市長は今年4月、市内の高校生代表団
と広島市を訪問、被爆者との面会や地元高校生との交流会を行うなど、
原爆の惨禍を伝える教育に力を入れている。
8月7日11時21分配信 読売新聞
反 響
━━━━━━━
1) 日韓併合を反省・謝罪するよりも:泉 幸男を読んで。
まず、仙谷氏はは旧社会党にいたですよね。
その社会党が存在していた頃の党の在り方を検証しては如何でしょうか。
この党にいた方々は、その支持母体でもあった朝鮮総連や韓国民団等に対し負い目があるのですよ。それをいまや国を左右できる立場になったということで、言いたいことを言い出しただけの事ではないのですか。
外国人参政権などにしても同じで彼らは確信犯なのです。
その中でも、総連の勢力が強いものだから日韓併合ではなく、植民地支配になる訳です。歴史認識の相違は、一方的な思想だけで支配されては駄目です。
ちなみに、日本のパチンコ業界の8割以上は総連や民団の関係者であり、彼らから献金を受けているのも、大半がかつての社会党関係者です。政治を綺麗ごとで見るのではなく、現実的に分析する必要もあります。
連日、マスコミ報道でその行方が注目されている高齢者問題、これほど地方の行政機関はいい加減な仕事をしていたという証左の現れではないでしょうか。
とかく為政者は地味な仕事には目を向けず、自分の選挙を意識した注目される政策だけに熱心になるものです。挙句の果てが、あの夕張のような破綻処理へと住民を巻き込み、不幸な後始末になるのです。勿論、それを支持してきた住民たちにも大きな責任があります。
自分たちの自治体には、これだけの高齢者が居るという喧伝だけは嘘の報告をしていて、確認もしなければ、その責任は法律の所為や当事者の家族の所為にしたりで糊塗して来たのが今日の政治や行政の実態でしょう。
こうした自分たちの足元も始末出来なくて、何が「地方分権」「地方主権」などと国民も大変心配になったのではないでしょうか。
もっとも、国の方でも五十歩百歩で、役人は自分たちの省益には熱心だけれど国益に対してはほとんど関心がないように見受けられる昨今です。
それがいまの日本の大問題で、それを正して修正するのが政治家の政治主導なのです。
その政治家たちも選挙だけにしか関心がなく、党内抗争に明け暮れている。
総理はコロコロ変えない方がよいと言っても、何も出来ない総理を飾っていて何をしようと思うのですか。これも前述の内容と同じでしょう。
どこに頼めば国民は救われるのか、悲観論ばかりが浮かぶ日常です。みんなが自分の足元を着実に、一歩一歩固めることしかないようです。
(なみお)