引きこもり70万人に関する金融業界の専門家たちの意見
2010年8月2日発行
JMM [Japan Mail Media] No.595 Monday Edition
http://ryumurakami.jmm.co.jp/
supported by ASAHIネット
▼INDEX▼
■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』
(カット)
■ 村上龍、金融経済の専門家たちに聞く
■Q:1122
先週内閣府は、70万人の引きこもりがいるという推計結果を発表しました。雇用の不安定さが一因だと思われます。財源が限られている日本政府ですが、どのような雇用政策が可能・有効なのでしょうか。
※JMMで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・
組織の意見・方針ではありません。
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■ 真壁昭夫 :信州大学経済学部教授
従来、政府の雇用対策は、主に雇用を維持するために、雇用調整金を支給したり、長期間、フリーターや派遣労働者をしていた人たちを雇用することに関して、企業に助成金を支給するという政策が中心だったと思います。これらは、いずれも、短期的な視点から、助成金を出して、失業者を出さないようにしたり、あるいは新規の雇用を増加させることを目指した政策と考えられます。こうした政策は、雇用を維持するという、一種のセーフティーネットの役割を果たしていたと考えられます。その意味では、相応の効果はあったと思います。
こうした短期的な雇用政策の背景には、景気の循環によって、「また、いつかは景気が回復して、自然に雇用が増えるはず」との思惑があるのでしょう。「そのうち、雇用が増えるのであれば、景気の悪い、今だけ何とかすればよい」との発想があったと考えられます。
しかし、わが国のこれまでの経済の動きを振り返ると、バブルが崩壊した90年代初頭以降、名目ベースのGDPはほとんど増えていませんし、本当の意味で雇用環境が大きく改善したということはなかったように思います。それにも拘わらず、わが国の失業率が他の主要先進国に比較して低位であった理由は、政府が雇用維持策として、公共投資や助成金などの格好で、多額の資金をつぎ込んだことがあると思います。その結果、わが国の財政状況が悪化したというマイナスの効果も出ています。
ということは、わが国の雇用の問題を考えるときには、短期的な対症療法に加えて、もう少し長い目で見た対策も必要になると思います。一つの視点は、企業が雇用を増やすための要因です。わが国の経済が中長期的に低迷している主な理由は、わが国が抱える人口問題や、企業の競争力の低下などの構造的な要因があると思います。これらの問題を解決しなければ、根本的な雇用問題の解決にはならないはずです。
ただ、人口の問題は、おそらく、いまのままでは悪化することはあっても、改善することは考えにくいと思います。人口が減って、少子高齢化が加速しているわけですから、かつてのカラーテレビのような、画期的な新しい商品が出現しない限り、国内の需要は伸びないでしょう。需要が伸びないと、基本的に企業の雇用は増えないはずですから、その意味では、人口問題は、広い意味での雇用対策の一つといえるかもしれません。
一方、企業の競争力を回復させる為の方策のほうには、政策の余地があるように思います。政府が、法人税率の引き下げや投資減税措置などを実行することによって、わが国企業の競争力を高め、促進することは可能だと思います。勿論、実際に企業を強くするのは企業自身の仕事ですが、政府がそれを行い易い環境を作ることはできるはずです。そうして企業が国際競争力を増して海外の需要を取り込むことができれば、その分だけ、企業は人員を必要とし、雇用を改善することが期待できます。
もう一つは、新たに雇用を受ける側=潜在的な被雇用者の視点です。特に、引きこもり現象を起こしやすい若年層については、まだ、自分のやりたいことが具体化していないというケースが多いと思います。そうした問題を解消するには、一つの選択肢として、企業が学生に実際の仕事の一部を体験させるインターン制度が有効だと思います。インターン制度では、若い人たちが、気軽に職場に行って、実際に起きていることを体験することができます。
実際に、インターン制度を利用した学生の多くは、様々な体験をすることで、実際の仕事のイメージを作ることが可能になっていると言います。企業にとっても、有用な人材の確保にもつながるはずです。そのためのコストは、社会全体の必要コストと割り切って、企業が負担するカルチャーを作ればよいと思います。
いずれにしても、現在のわが国経済を取り巻く環境を考えると、今までのように、助成金を出して一時しのぎの雇用対策を行っているだけでは、費用対効果を考えると、必ずしも効率は良くないと思います。もう少し長い目で見た対応策が必要だと思います。
信州大学経済学部教授:真壁昭夫
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■ 水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家
引きこもりの前提になるのは、働かなくても家族から食事が支給されることです。
引きこもるための個室も必要です。引きこもる人は多くの場合、インターネットやゲームなどに時間を費やしています。要するに引きこもるにはそれなりの「コスト」が必要です。このように考えると、引きこもりは比較的高所得の家庭に多いのではないかと推測されます。
実際、今回の調査ではありませんが、以前の調査結果の分析では「『ひきこもり』は、高学歴(大卒)の両親のいる家庭で、それよりも低い学歴の両親を持つ家庭よりも多く発生していた」とするものもあります(「わが国における「ひきこもり」の実態と関連要因:世界精神保健日本調査から」川上憲人 東京大学大学院医学系研究科教授)。大卒の両親が高卒・中卒の両親に比べ、平均所得が高いことは言うまでもありません。
今回の内閣府の調査では、引きこもりになったきっかけとして、「職場になじめなかった」「病気」がともに23.7%で1位、次いで「就職活動がうまくいかなかった」が20.3%となっています。このように、社会での挫折と精神的なものを含む疾患がともに挙げられており、引きこもりという現象の背景の多様さがうかがわれます。こうした問題に直面した人たちのうち、引きこもることのできる家庭条件を備えた人がいわゆる「引きこもり」となり、そうした条件のない人は破たん寸前の心理状態をおして働き続けたり、転職を繰り返したり、失業の末、生活保護を受けたり、路上生活者となったり、あるいは病気で各種病院に収容されたり、ごく一部は犯罪に走って刑務所に収容されたりするのではないかと思います。
いずれにせよ、こうした引きこもりや、実際に引きこもっていなくてもそうした素質を持つ人たちを、孤立状態から再び社会化していくことを考えると、単なる経済的な雇用政策ではなく、社会的な側面を持つ政策が必要になると思われます。カウンセリングなど、社会への適応を促すさまざまな仕組みが不可欠だと思われるからです。
一方で、この問題に現実的に取り組むには、価値観の多様性を是認するある種の「ゆるさ」が社会の方にも必要だという気がします。精神疾患など救いの手を必要とする引きこもりにはそうした手が差し伸べられるべきであることは当然ですが、三年や五年引きこもっていても、経済的にも社会的にも大きな問題がないというケースも
実は少なくないのではないかと思われるからです。
私が子供のころを思い出しても、社会の中にはかなり多様な人がおり、危ない人、奇妙な人というのも町のあちこちに存在していたと思います。人づきあいの苦手な変人も数多くいました(私も個人的に、かなりそうした人に近い資質を持っていると思
います)。社会というのはそういうものであり、「何年も家の中に閉じこもってめったに出てこない」というのも、大きな害がなければ個人の自由だという言い方もできます。
そうした寛容さは、最近の社会ではむしろ失われています。働く人の多くが会社員になったことと機を一にして、価値観の単一化が進み、変人たちは町から姿を消していきました。皆が常識を備えた社会人として、毎朝同じように起きては会社や学校に行かなくてはならなくなったのです。
そうした「ゆるさ」や「いい加減さ」を容認しない現代の厳しい学校や職場の環境、どこか深みを欠いた単色の人間関係こそが、若者の防衛反応として、引きこもり現象を生み出している面も確実にあるのではないかと思われます。ですから、あまり神経質に引きこもりをどうこうしようということになると、逆効果なのではないかと思います。
日本語学校教師、評論家:水牛健太郎
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■ 三ツ谷誠 :金融機関勤務
「自室という子宮 ~母胎回帰としての引き篭もり」
例えば、このような「引き篭もり」の若者(30代、40代も含まれるとは思いますがまあ広義で)を対象に、農業、漁業、林業の体験プログラムを企画する法人に、法人税の免除、政府系金融機関を通じた長期優遇ローンの設定(低金利かつ当初10年間返済なし等)、民間金融機関の類似ローン商品の政府保証設定などを与えるとい
う政策が考えられると思います。
民間資本ではなく、過疎に晒された地方自治体が企画者となっても、何らかの形でその企画を保護する政策はありうるでしょう。
ここでは「体験プログラム」としていますが、基本的にはそれは「開拓・開墾」という要素を含むので、可能な限りその農業法人になるべく多くの「引き篭もり」層を就職させ、事業としてその農場が育っていくことが理想です。
ただ、最初から農業法人としてのみ事業の性格を規定するのではなく、そこで試みられるものは武者小路実篤が大正期に作った「新しい村」のような文化的・社会的な価値創造体でもあり、コミュニティそのものでもあるので、立ち上がりについては、寧ろ参加者の最低限の生活費をその親が支給するという形態が、現実的であると感じます。一つの学校が農場を作り、それが定着し、新しい街が創出される、そんなイメージでしょうか。平成の「新田開発」という解釈も成立するでしょう。
そのような農場に理想論ではありますが、風力開発の設備が施され、エネルギー単位でも自活の単位となっていく、のであれば、それは新しい世紀の共生のモデルとなる可能性もあるでしょう。資本を介在させた「開かれたコミューン(懐かしい!)」という構想です。
さて、最初に構想から入りましたが、私は「引き篭もり」というのは母胎回帰願望の現実的な発現形態と考えています。だから「引き篭もり」者は比喩的に言えば、自室という子宮に篭もり、かつてへその緒から生きるための資材を与えられたように、その親の経済力に自らの生を委ねている状態にあると言えます。
彼らが子宮に回帰した理由は、それぞれの個人史に由来するのでしょうが、たぶん共通する心性は、「僕を(私を)受け入れなかった世界を僕は(私は)否定する」というようなものでしょう。だから彼らはもう一度子宮に戻り、外界に出ることを拒否したのだと思います。また、彼らの最終的なロジックは、「僕(私)自身が望んでこ
の世界に生まれた訳ではなく、まさに親こそがこの世界に僕(私)を生んだ意思そのものなのだから、その生に責任を取れ」というものでしょう。勿論、自覚的なロジックではない場合もあると思いますが、このような心性の存在は容易に想像できます。
それは実際に自分自身、荒れた思春期に完全に抱いていた感情でもロジックでもあるので。
またその思春期から遠く離れていまや逆に私も親ですので、「引き篭もり」のわが子を持つ親の心配(自分たちが死んだらこの子はどうなるのだろう)もまた容易に想像がつきます。しかし、その親への反抗・抗議が金髪や(自分たちの頃なら)ボンタンやリーゼント、ぺったんこに潰した学生カバンやマディソンバッグ(笑)に現れ
ず、自室への回帰に現れた段階で、その子どもは緩やかに母体が死滅すればへその緒に繋がった自分も死滅するという覚悟を持っている(緩やかに自裁に向かっている)と解釈すべきでしょう。どこかで自分を生んだ親を許すプロセスを経ない限り、結局子どもは自立することはできないものだと思います。その意味では親は「許される者」として存在するのです(「許される者としての親論」)。
さて、世界に傷つき自室という子宮に回帰した子どもたちですが、彼らは自らを拒絶した世界に代償的ではあっても対峙するために「セカイ系」アニメやマンガ、ゲームなどの消費主体になっていると考えることもできるでしょう。そこでは或る世界観が提示され、たいていはセカイを滅ぼそうとする力とセカイを守ろうとする力が相克
し、物語が語られ、物語を受け取る読者は、セカイを滅ぼそうとするキャラクターにも心を寄せながら、傷つきながらも仲間たちとセカイを守ろうとする主人公に自身を重ねるのです。
今回の設問で70万人という数字に私は初めて触れましたが、その数字の巨大さは、彼らや、「引き篭もり」まではいかなくても「引き篭もって」いる若者と同様の境界に接している潜在的な層の存在を併せ、十分に一つの文化のコアを形成する「力」を有していると感じます。
唐突ながら、旗本の二男、三男などの層が川柳や狂歌などの化政文化の精神的な母胎であったような形で、「引き篭もり」層がセカイ系の母胎であった(ある)可能性は相当にあるのではないでしょうか。
またこれも唐突ですが、20世紀後半から現在まで続く村上春樹の異常な人気の背骨にも、「引き篭もり」的な孤独を村上春樹の主人公たちが抱えていることが指摘できるように感じます。
幾つかの彼の物語のパターンは(「かえるくん、東京を救う」などに特に濃厚ですが)世界の根源的な悪意に何でもない平凡な人間が、セカイを代表して立ち向かうという構造を持っていて、そのような物語が求められるのは、世界に傷つけられたと感じている現代人が本当に群生しているからだと考えられます(村上春樹だけではなく、少し前のタイトルではありますが、世界の中心で愛を叫びたい人々は、本当にたくさん存在しているのだと思います。共同体を破壊する資本主義の暴力に導かれて)。
私は偉そうなことを言おうとは今更全く思いませんが、このような「孤独」と「セカイ」の間にこそ、実人生は存在し、そのリアルな感触を取り戻してあげることだけが、傷ついて「引き篭もって」いる若者たちをもう一度リアルな人生に戻す回路になるのではないか、と感じています。
そのためには同じように世界に傷ついた若者たちを都会の一角で話し合わせる
「場」を持たせるだけでは不足で(勿論、そのような試みはとても重要ですが)、実際に農作業や漁業などの体を動かす「場」、価値を創出する「場」を持たせてあげることがより重要ではないか、と思います。
戸塚ヨットスクールという試みが昔ありましたが、脳幹を鍛え生存本能を呼び覚ます、という彼の回答が全てと思わないまでも、単に話しをしているだけではきっと何も起こらない。それよりは、体を動かし、何かの達成感を味わうことの重要性が確かに高いと感じます。なぜならば人間もまた戸塚氏が喝破したように生物なので。
また、人間には個体性の限界が存在しているので、思考実験として抽象的なレベルでは確かにセカイは存在しますが、本当は、セカイはどこにもなく、世間だとか、社会だとか、個体性の限界で認知できる部分にしか実際の世界は存在しない、という事実もまた気付かせる機会が必要だと感じます。
過疎に悩む地域が本当に地域の再生のために、若者が必要だと考えるのであれば、寧ろ自室という子宮にまどろむ「引き篭もり」青年たちをこそ、自然という価値生む大地に引き戻すべきではないでしょうか。そこに手触りのある本当の世界が新しい形で21世紀のこの世界に「取り戻される」可能性もあると感じます。
金融機関勤務:三ツ谷誠
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■ 菊地正俊 :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
政府資金を使わないで雇用を増やす方法は、規制緩和ということになります。政府が6月18日に閣議決定した新成長戦略の中で最も評価されるのは、観光立国の推進です。訪日外国人数を2020年初めまでに2500万人に増やして(2009年実績は679万人)、約10兆円の経済波及効果、新規雇用56万人を生むとしました。
中国人個人旅行客の訪日ビザを大幅に緩和するだけの施策ですので、宣伝やマーケティング費用はかかりますが、費用対効果が大きい政策と評価されます。
中国資本の傘下に入った家電量販店のラオックスには、中国人観光客が急増していると報じられています。
中国は来年から所得倍増計画を実施する計画で、可処分所得がさらに増えると予想されます。
日本の地方では、工場の海外流出が続き、公務員、地銀、農協などを除くと有力な就職先がなくなってきています。
中国人旅行客はマナーの悪さも指摘されますが、地方を中心に中国人旅行客が増えれば、雇用増に大きな
貢献をすると思います。
雇用の吸収先として最も大きな期待をされているのは医療・介護・健康関連サービスです。
新成長戦略では、新規市場50兆円と、新規雇用284万人が目標として掲げられました。
しかし、株式市場関係者に「医療・介護・健康産業は日本の成長牽引産業になりえるか?」と尋ねれば、否定的な答えが多く返ってきます。
日本の薬品業界は国際比較優位が低いと見られているうえ、医療や介護は技術やサービス力が高くても、国家財政が売上のバックボーンになっているため、民間企業に超過利潤が発生すると、制度改正で国家が利益を吸い上げてしまい、持続的な利益成長が見込めないためです。
医療・介護・健康関連サービスを成長させるためには、消費税引き上げで社会保障の財源を確保して、これらの産業に予算を注ぎ込むしかないでしょう。
財源がかからない方法といえば、介護は3Kとのイメージをもたれがちですので、介護職の有用性ややりがいなどについて、もっと若者にアピールする必要があるでしょう。
医療産業の育成と雇用増加のためには、ドラッグ・ラグとデバイス・ラグの解消、承認審査の迅速化、混合医療の認可などの規制緩和が求められます。
長年これらの課題は指摘されながらも、実施されませんでした。
年金記録問題には強いものの、制度改革で成果や方針が見えず、失望といわれることが多い長妻昭厚生労働相のリーダーシップが求められるでしょう。
政府は、健康と観光の両側面を持つ医療ツーリズムの振興も目指しています。
日本は人口当たりのMRIやCT保有台数が世界で最も多くあります。
先端の予防医療実施という観点では国際優位性がありますが、医師不足、高い医療費、言葉の壁などが
あり、医療ツーリズムは普及してきませんでした。
政府は、弾力的な滞在を可能とする医療滞在ビザの創設、医療法上の病床規制や外国人医師の受け入れ制限の緩和、日本の医療サービスを提供する海外拠点の整備などを検討していますが、日本医師会などが反対しており、具体策に至るには時間を要するでしょう。
新成長戦略では、環境分野でも50兆円超の新規市場と140万人の新規雇用を掲げました。
今年はエコカー購入補助金や家電エコポイントが満期終了となる予定であり、環境分野の促進策も財政難の影響が出ています。補助金などで環境投資・消費を誘導するには、巨額の財源が必要になります。
租税特別措置の見直しが検討される中で、実現は難しいかもしれませんが、国内の環境関連投資を誘導するような投資減税が求められるでしょう。
メリルリンチ日本証券 ストラテジスト:菊地正俊
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■ 杉岡秋美 :生命保険関連会社勤務
財政資金をほとんど使えないということであれば、規制緩和などを通じて、経済一般を刺激して、企業セクターやいくつかの産業が活性化されることにより、そこでの雇用が増えていくというのが政策の筋道なのはその通りだと思います。ただ、今後需要がのびそうなのが、公共セクターないしはその周辺産業であるというところが、一
筋縄ではいかないところです。
現政権は、子育て、介護、医療など福祉の分野や、環境、アジアのニーズなどの取り込みで雇用を吸収する構想であるようです。アジアニーズを除いて、公共財の供給増や環境規制強化の流れに乗ったもので、最初から財政資金の投入が前提となっていたり、公的部門の強力な関与が予定されているものばかりです。
医療・福祉関係で、新規市場50兆円と、新規雇用284万人を生み出すことが目標とされ、雇用創出の最大のフロンティアをここに見ていることになりますが、これらの需要ほとんどが、公的意思決定のもと公共財・サービスにたいして支出するという形式を経て創造されることになります。
極論すれば、この部分に関しては、社会主義経済をどう上手く運営するかというのが政策課題になってきます。
個人的な経験ですが、老域に達した父の施設を探すため、最近老人介護の現場を見聞きする機会がありました。見学のため訪問した新しい施設は、どこも過剰とも言えるほど設備が立派だという印象でした。
その一方で、介護職員の低待遇と重労働、それによる人手不足は良く伝えられるところですので、雇用と設備のバランスがわるいのだと思われます。
政策的に、雇用を生み出すことの優先順位が高いというのであれば、同じ介護保険の資金をつぎ込むことに対して、現在の箱物を充実させるよりは、現場に介護の人員を十分配置したり、待遇を向上させる余地があると思われました。
医療福祉現場では、社会主義経済的に、より労働集約的にサービスを提供することも考えても良いのではないでしょうか。
経済全体としては、生産性の低い部門を抱えることになりますが、完全雇用に近づくメリットは享受できるはずです。
今後とも、需要があり産業として成り立っていけるのであれば、雇用を確保したままその後の生産性向上も期待できるでしょう。
肝心なのは、福祉・医療分野では、資金さえ付ければ当分のあいだ需要の伸びが期待できるということです。臨時的に雇用は吸収したけれど、そのあとニーズがなくなって結局失業といったことは、当分心配しなくて良い分野です。
政治家は思いつきで、林業だとか農業で雇用吸収という話をします。
菅首相も7/30に、林業による地域経済の活性化のアイディアを語ったと報道されています。
この手の話には、マクロ的な需要拡大の構図が描きにくい点に難があります。
林業にしても、人口減のなかでどのように木材需要を確保していくのでしょうか。
地域限定的な需要拡大による、町興し程度にはつながるでしょうが、継続的にまた全国的に雇用を維持し続けることは難しいことだと思います。
ましてや成長戦略の柱にはなりえない構想です。
消費増税構想のつぎは、唐突に林業再生構想で、経済音痴ぶりがばれてしまったのだと思います。
生命保険関連会社勤務:杉岡秋美
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■ 山崎元 :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
雇用は大きな問題です。思うに、異なる三つの分野で手を打つことが必要です。
先ず、マクロ経済の環境整備です。金融危機で日本の経済は先進国の中で相対的に大きな落ち込みを記録しましたが、この背景には、デフレを放置する、相対的に引き締め的な金融政策を中心とした、マクロの経済政策の拙さがあったように思われます。
リーマンショックもギリシャショックも、その後の市場の反応は、円高と日本の長期金利低下でした。
相対的なものですが、日本政府の債務の価値は下落するのではなくて、上昇しています。
適切なのは、日本政府の債務の価値を引き下げる政策であり、金融も財政も緩和的な政策でしょう。
デフレは実質賃金の上昇ないし高止まりを通じて、明らかに雇用にマイナスに働きます。
デフレが解消することで、雇用の問題がどの程度解決するか、量的な目途を申し上げることは難しいのですが、経済の環境整備として、デフレは解消すべきでしょう。
今回のご質問文の中に「財源が限られている」という表現が用いられています。
確かに、財政収支は大きな赤字であり、こうした状態を未来永劫続けられるわけではありませんが、現在の環境下で適切なのは、金融は緩和であり、財政赤字に関しては縮小よりも拡大でしょう。
財政支出の内容は効率性(費用対効果)とフェアネスを厳しく問うべきですが、財政収支は赤字の維持ないし拡大で構いません。
財政政策としては、減税ないし公平な給付金が適切だと思います。
「そんなことをしたらインフレになる」と心配な向きには、「だからいいのだよ」と申し上げておきましょう。
もちろん、将来インフレ率が上昇した場合には、金融の引き締めと財政の黒字化が必要になる場合があるでしょう。しかし、デフレで、円高の状況の時に行うのは「変!」です。
もう一つの対策は、広義の労働市場の取引慣行を改めることでしょう。
たとえば、派遣の規制を廃止すると、現在よりも多くの人が派遣で働くことが出来るようになり、労働市場の最弱者層の雇用機会が拡大しますし、企業は日本での生産が相対的に有利になるので国内の景気に与える影響もプラスです。
また、正社員は将来解雇しにくいことなど権利が手厚く守られていることから雇い主にとってはコスト高であり、企業は正社員の採用に慎重です。
正社員の権利を緩めると、企業が正社員を使うコストが下がるので、日本国内の雇用機会は拡大するでしょう。
また、既存の正社員と非正規労働者の間の競争上の条件を公平にする効果があるでしょう。
正社員の雇用の不安定化は、将来の収入に関するリスクの高まりを通じて消費を抑制する可能性がありますが、他方で、企業にとって非効率的な正社員が整理されることによって、もっと多くの数の相対的に低賃金な社員が雇用されることになるでしょう。
相対的には低所得者の方が、消費性向は高めです。
加えて、企業は収益性が改善するので、日本国内での投資や雇用が増える効果がありますし、企業の所有者は保有資産(株式など)の価格が上昇するので、総合的に考えて、正社員に関する規制緩和は、景気にプラスに働いて、雇用を増やす効果を持つ公算が大きいように思います。
正社員の権利を緩和した場合、現在の若年失業者などよりも数は少数でしょうが、中高年の失業者が新たに生まれる可能性があります。
こうした人に対するサポートも含めて、産業や企業の単位ではなく、個人を単位としたセーフティーネットは充実させる必要があるでしょう。
労働市場の規制緩和とセーフティーネットの充実は、望ましくはセットで行うべき政策ですが、労働市場の規制緩和は、それ単独でもメリットの方が大きいだろうと思います。
編集長がご指摘の「ひきこもり」の問題にも関連しますが、三つ目に、「働く」ことを当然視し、場合によっては神聖視する社会のものの見方を変えることを提案したいと思います。
我が国の世間は、「働いていない人」を「働いている人」よりも一段(それも、かなり大きな段差の一段)低く見る気風があるように思います。
この気風は、よく考えると誤解に満ちていますし、お節介であると同時に、他人に対して不当に攻撃的で残酷です。
雇用の機会が最大化されていないことに加えて、こうした狂信的な宗教のような「働く教」の異教徒攻撃が、失業を必要以上に辛いものにしていると同時に、無業の人から社会的な立場を奪って、かれらを「ひきこもり」に追いやっているのではないでしょうか。
たとえば、「私」が働くのは、家族を自分に含めると「自分のため」であり、他人から褒めて貰う必要はありません。
「私」は、自由な意志の下で、対価を貰って働いています。
それ以上でも以下でもありません。
また、「私」が働かないとしても、それは「自分の自由」であり、他人にとやかく言われる筋合いはありません。「私」が働かないとして、「友だち」がそれを心配してくれるのは結構ですが、友達でもない他人が偉そうに説教するのはお節介です。もちろん、「私」だって、他人にお余計な節介はしたくない。
また、働く人の全てが世の中のためになることをしているわけではありません。
有害だったり、無用だったり、あるいは非常に非能率的な(又は、一部の余計な役所のように「反能率的」な)ことをして「食べて」いる職業人が世の中には多数居ます。
他方、遊んでいたり、休んでいたりすることが世間のためになっている人もたくさんいます。
「働いている」とか「稼いでいる」とかいうことで、人を褒めたり、その逆をけなしたりというのは、お節介で賤しい精神的習慣ではないでしょうか。
デフレ対策、雇用の規制緩和、働くことの美化の卒業、以上三つが、当面、必要で且つ有効な雇用問題対策です。
経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元
( http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/ )
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