◎世界の新聞「101紙」の視点  日本人留学生の減少について | 日本のお姉さん

◎世界の新聞「101紙」の視点  日本人留学生の減少について

独断と偏見はご容赦!
【最近の社説の、ここに注目】

【メールのご紹介】
(私の主義心情とは無関係ですので、あらかじめご了承下さい)
  
☆轟拳一狼さんからメールをいただきました。

日本人留学生の減少についてです。

私は「留学」というものを経験したことはありませんが、大学時代に夏休みを利用して、一ヶ月間、モンゴルのウランバートルに滞在して、現地でモンゴル語を学びました。


今でもあまり人の意見に耳を貸さない私ですが、当時の私は今以上に他人とのかかわりを嫌っていた私ですので、当時海外に行く若者たちがどのような思いだったか、知りませんし、興味もありませんでした。
だからあくまで私個人の体験、思いを元に語らせていただきます。だからあまり世間一般的に役には立たない意見かもしれません。

「たとえばアメリカ留学など、中国や韓国の若者から見るとまだまだメリットや魅力が感じられるが、日本の若者からはそれが感じられないということなのかもしれない。

つまりそれだけ、日本の生活・教育環境が向上したという見方もできなくはないだろうか。」

私は上記の桐鳳さんの考え方に、異論があります。
教育環境のレベルが高いということと、外国で学ぶことの必要性の間には、なんら関係はないと思います。
私もただモンゴル語を学ぶだけなら、日本でも十分でした。いいモンゴル語の先生がいっぱいいます。でも私はあえて、モンゴルに行きました。
なぜなら海外で学ぶことの最大のメリットや魅力は、「苦労すること、鍛えられること」だからです。

少し前の新聞記事で、旅行会社の人の話として、こんなことが書かれていました。
海外に旅行する若者の質が変わってきたというのです。
かつてはいわゆる「バックパッカー」が、リュックひとつで歩き回るというのが多かったようでした。とにかく「身一つで何でも経験してやろう、何でも見てやろう」という若者たちです。それに比べて最近の若者は、ネットをはじ
めとして海外の情報が氾濫しまくっているので、パソコンやガイドブックで見た写真を確認するだけの旅行になっているのだそうです。ただ行って実物を見たというだけで満足してしまいます。
先の見えない「ガチンコの旅」と、予定調和的な「デキ旅行」の違いでしょうか。

正直言って、20年以上も前にたった一ヶ月だけ暮らしたモンゴルで学んだモンゴル語の知識なんて、ほとんど残っていませんし、現実には何の役にも立ちません。


しかし、あの時私がモンゴルで経験したこと、出会った人々、ツアー旅行では絶対に聞くことができないようなモンゴル人たちの本音、言葉が通じない中で何とかコミュニケーションをとろうとした努力、頼りになるのは自分だけと
いう孤独感、その他もろもろ、すべてが私の血となり骨となり、私の今の生活を支える礎のひとつとなっています。
たった一ヶ月でもそうなのですから、これが一年二年となると、やはり鍛えられ方も違ってくることと思います。留学で一番大事なのは、「知識の習得」ではなく、「環境を変える」ことです。


「今の若者は・・・」といえるほど、私は年を取っていませんし、苦労もしていませんし、大体そういうことは言いたくはないのですけど、でも大まかな
流れとして、やはり社会が豊かになっていくにつれ、苦労を厭う若者が増えてきたのかなという漠然とした感じはします。

不況の影響は、間違いなくあるでしょう。やはり留学にはそれなりに金がかかりますから、今経済が元気のいい途上国のほうが、留学生の数を伸ばしてくるのは当然の流れだと思います。今の日本は、子供を留学に出すだけの余裕が、親の世代にないのではないでしょうか。

もちろん、海外に行けばいいことだけではありません。
私も経験しましたけれど、海外に一人で行きますと、その価値観の違いに圧倒されます。いやな思いもいくつもします。
そのとき人は、二つの方向に分かれると思います。自分が日本人であることに極端に自信過剰になるか、逆に極端に卑屈になるかです。
とにかく海外に出ると、自分が日本人であることを過剰に意識させられます。
そのときに「これだから外人は信用できない。やっぱり日本がいい。」と思い込むか、「やっぱり日本人はだめだな。」と思い込むかです。
以前私は「外国語ができれば国際人というわけではない。しっかりとした歴史観を持った人が、本当の国際人」と書いたことがあると思いますが、それと同じことで、外国に行ったことがあるからといって、国際人というわけでは
ないと思います。やはりここでもしっかりした「歴史観」を持つことが重要なのではないでしょうか。


価値観の違いに戸惑いつつも、それでも勇気を出して踏み込んでみれば、同じ
人間としての「普遍」なるものを感じることができます。その「普遍」を見出し、「人間」の営みを見つめることが、「歴史観」だと思います。

たった一ヶ月の私とは違い、妻は高校時代、交換留学プログラムで、タイに一年間留学しておりました。ヨーロッパからも学生が集まっていた留学先で、他国の高校生たちとの一年間の交流を通じて、妻は自分の英語にすっかり自信をつけたようです。今妻はフリーランスの翻訳家として、多忙な日々を送っております。


そんな私たちの子供がもし留学したいと言ったら、金は何とか工面してやって、送り出したいと思っています。

ちなみに、社説で紹介されていたハーバード大学のテレビ番組とは、NHK教育で放送された「ハーバード白熱授業」のことですが、この番組は本当に「白熱」していて面白かったです。私も全回見てしまいました。「5人の命を救うために、1人の命を奪うのは、正義か?」という設問に端を発し、古今東西のさまざまな哲学者を引用しながら、「正義とは何か」を問うていくこの番組は、すごく陳腐な言葉しか浮かばないので申し訳ないのですが、「ものすごい」番組でした。


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メールいただき、ありがとうございます。

この件について関連したことを、「注目社説」「編集後記」両コーナーで書かせていただきます。
(桐鳳)

27日付「毎日新聞」
ひきこもり70万人 国の危機と認識しよう』の社説。


『自分の部屋からほとんど出ない、近所のコンビニに行くだけ、という人は23万人。趣味に関する用事の時だけ外出するという人も加えると約70万人に上る。』

『内閣府の実態調査で明らかになった「ひきこもり」の推計数である。6カ月以上ひきこもりが続き、病気ではなく育児や家事をしているわけでもない人のことだ。 』

『さらに「自分も部屋に閉じこもりたいと思うことがある」などの潜在群は推計155万人。少子化で先細りしている若年層がこれでは、この国の未来はどうなるのだろうか。』

『ひきこもりは15年以上前から問題が指摘されてきたが、専門家や非営利団体が孤軍奮闘してきたのが実情で、政府の対応は場当たり的で後手に回ったと言わざるを得ない。』

『かつては不登校の延長として位置づけられてきたが、今回の実態調査では仕事や就職に関することが原因でひきこもりになった人が44%に上り、年齢も30代が46%を占めた。』

『また、男性が7割弱を占める。親の高齢化とともにひきこもりが長期化しているのも最近の特徴だ。』

『政府は「子ども・若者ビジョン」を策定し支援策を進めるが、理念を示し広報や啓発に努めるだけでは足りない。』

『ひきこもりを「甘え」などと思っている人もいるだろうが、現実には切実で深刻な原因が指摘されている。虐待被害、貧困などによる不十分な養育、いじめ、体罰、非正規雇用の増大による不安定な就労などである。』

『心理的虐待や性的虐待は長期間トラウマを残すことが知られている。発達障害の人がひきこもりの中に多いという調査結果もある。理解不足や偏見によって心理的なダメージを負っている人は多い。』

『誤解に基づく不名誉なレッテル張りや不適切な支援を排除するためにも、まずは詳細な原因調査や研究が必要だ。』

『不安要素を抱えている一方で、関係機関に相談したいと「思わない」という人が7割近くもいる。ひきこもり対策は難しく、すぐに効果が出るものではないことを理解すべきだ。』

『3カ月間の合宿で生活・就労訓練を受ける「若者自立塾」はひきこもり支援に有効と言われた国の事業だったが、事業仕分けで「コストの割に効果が薄い」との理由で廃止された。』

『落胆している支援者は多い。政権内のちぐはぐな政策決定が地道な活動の足を引っ張っているのである。長年の努力や経緯を無視して実のある成果は得られないだろう。』

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『ひきこもりを「甘え」などと思っている人もいるだろうが、現実には切実で深刻な原因が指摘されている』
との一節がある。

そのため、安易な比較はよくないかもしれない。

また、病気などで結果として「ひきこもり状態」になってしまっている方もいることだろうから、一概には言えないところもある。


しかし、先日の当コーナー『日本人留学生の減少について』及び「メールのご紹介」コーナーの内容と、この問題。同根ともいえる部分はないだろうか。


『切実で深刻な原因』の例として、『虐待被害、貧困などによる不十分な養育、いじめ、体罰、非正規雇用の増大による不安定な就労など』が挙げられている。

しかし、「虐待被害」や「非正規雇用の増大」はともかくとして、『貧困などによる不十分な養育、いじめ、体罰』といったものは、むしろ昔よりも改善されているように思う。

また、
『「自分も部屋に閉じこもりたいと思うことがある」などの潜在群は推計155万人』
とある。

しかし、家にひきこもっても生きてゆけるならそうしたいと思う人は、昔から多くいたのではないだろうか。

現実問題として昔はそれが不可能だったから、そもそもそのような選択肢がなかっただけという気がしないでもない。

ふた昔ほど前までなら、何もしないで家に居ることに対する家族や周囲の人たちの目など、気まずさのようなものがあったと思う。

たとえ実家に居たところで、「働け」とか「家に居るならカネを入れろ」とか言われたことだろう。

また、今ならネットで様々な娯楽や刺激、或いは疑似体験といったことができるかもしれないが、昔はテレビがあるくらいで、そうした生活にすぐに飽きてしまったものと思う。


『誤解に基づく不名誉なレッテル張り』と言われてしまうかもしれないが、個人的に、生活環境の向上とひきこもりは、決して無縁ではないという気がしてならない。
(桐鳳)

【編集後記】

>たとえばアメリカ留学など、中国や韓国の若者から見るとまだまだメリットや>魅力が感じられるが、日本の若者からはそれが感じられないということなのかもしれない。
>つまりそれだけ、日本の生活・教育環境が向上したという見方もできなくはないだろうか

以上の私の発言について、メールを下さった轟さんは「異論がある」とおっしゃっています。

しかし個人的には、表現の違いはありますが、轟さんのおっしゃる、「やはり社会が豊かになっていくにつれ、苦労を厭う若者が増えてきたのかなという漠然とした感じはします」
との一節と、同意であるものと思っております。


進んで苦労を背負い込むということは、今の自分自身や生活環境から脱皮したい・抜け出したい・向上したいというような、強いモチベーションなくしては起こり得ない感情であるものと思います。

今の自分自身や生活環境に満足している人が、苦労や努力にメリットを感じることはないものと考えます。


たとえば、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉をググると、この概念に否定的なコメントが数多く検索されます。

つまり今の世の中は、良し悪しは別として、それだけ「苦労=ムダ」という価値観に変わってきつつあるようです。

「留学しなければ得られない資格・知識」と「日本で得られる資格・知識」。
そして「何が起こるかわからない海外生活」と「ある程度予測のつく国内生活」。
或いは「学生時代の留学」と「社会人になってからの社内留学」など。

そういったものを天秤にかけ、一番無難かつ合理的な選択をしているように感じます。

たとえば、轟さんが「私の血となり骨となり、私の今の生活を支える礎のひとつ」
となっているとおっしゃる、
「あの時私がモンゴルで経験したこと、出会った人々、ツアー旅行では絶対に聞くことができないようなモンゴル人たちの本音、言葉が通じない中で何とかコミュニケーションをとろうとした努力、頼りになるのは自分だけという孤独感、その他もろもろ」のことなど。

これも、今の若者からすれば、
「そんなのなくても生きていけるじゃん」
「そんな時間があるならもっと実利に結びつくこと、楽しむことなど、合理的に使いたい」ということになるのかもしれません。

もちろん、良し悪しは別として、です。


個人的には数十年後、今のひきこもっている人や「苦労を厭う若者」がどのような生活を送っているのか、大変興味があります。

そういった人たちの老後の生活状況を目の当たりにして、未来の若者たちがどう思うのか…。

案外反面教師となって、「頑張らねば!」などと、再び「若いうちの苦労は買ってでもしなければ」と思うようになるかもしれません。
(桐鳳)
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
あなたに素敵なことがいっぱいありますよう…。

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http://archive.mag2.com/0000174275/index.html

2008年の統計では

「ひきこもりが80万人になりました。」と書いてあった。

70万人に減ったのかしら?

それとも、ひきこもりとニートを足した数が80万人だったのかな?

留学は、自分の国を地球の外から見るような視点が持てるようになるし、自国の良いところもバッチリ見えて好きになるから、たとえ1ヶ月でも外に出てみた方がいい。

でも、さきに日本の歴史をちゃんと勉強してからだ。

ネットで、小学生が「あの戦争を始めたA級戦犯の東郷秀樹め!」と書いていたのでびっくりした。

小学校の先生は、子供に何を教えているのだろう?????


戦争を始めたのは彼でもないし、A級と決めたのはアメリカだよ。

東京裁判では、フランス代表が「これで日本を100年閉じ込めておける。」と言ったそうです。

東京裁判なんで、勝者の敗者イジメで、リンチみたいなものだ。

イラクのフセイン大統領も、戦争でアメリカに負けて、

クルド族主体の裁判で死刑になった。

誰が、フセインの弁護をしても死刑になるのは、最初から決定している。

戦争で負けたらそんなもんです。


無知なまま、世界に出たら、外国人にむちゃくちゃ言われても「そうかも。」としか言えない人間になる。

理由なく「ごめんなさい。」と言えば、外国では罪を認めたのだから、弁償金を払わねばならなくなる。

外国で嫌な目にたくさんあって日本がどれだけ暮らしやすい国なのか、味わってきたらいいと思う。


外国で自己主張できないと、お金儲けもできないどころか、

騙されてお金をぼったくられるもんね。

学生のうちに、外国でぼったくられて、経験を積んだらいいと思います。

楽しいこともいっぱいあるので、若いうちに外国に行くのはいいことだと思う。

でも、イスラム教徒になってテロリストになって帰ってきたら困るな。