◎世界の新聞「101紙」の視点『武器を取れ、欧州市民!』の社説。 | 日本のお姉さん

◎世界の新聞「101紙」の視点『武器を取れ、欧州市民!』の社説。

◎世界の新聞「101紙」の視点

独断と偏見はご容赦!
【最近の社説の、ここに注目】

3日付「ルモンド」(フランス紙)
『武器を取れ、欧州市民!』の社説。

『世界が武装する中で、欧州は軍備を縮小する。経済危機の打撃と財政健全化の必要上、欧州連合(EU)諸国は防衛予算を削る。まとまって。これは危険だ。』

『楽観論者はそれを、経済情勢による一時的なもので、いずれ幾らか取り戻すことで修正できると見るだろう。悲観論者は一種の戦略的後退、意識すると否とを問わず、明日の世界で一目置かれる力となることの拒否だと非難しよう。』

『彼らは中立への屈性を糾弾するだろう。その屈性は老い行く欧州を、21世紀の喧騒から守られる一種のスイスにするものだという。』

『その見方は天使のように清純な歴史の考えに類し、立派な国防を持つスイスに対して親切ではない。』

『というのも、防衛とは抑止し、あるいは国境で敵と戦う適性のことだけではない。』

『この点でEU諸国は、確かに米国の核の傘に守られてではあるが、全体として戦争が紛争解決の手段とならないものを、見事に構築するすべを持った。』

『欧州のような大陸で防衛とは、自国の戦略的な野心を正当化できる能力のことである(その能力は今もあるだろうか)。それは一部分、自国経済の先行きにかかわる遠隔地に、力を投入できる資質のことだ。』

『それはまた、別の大陸に割って入り、計画的集団殺りくや人道に反する犯罪の企てを阻止するために、介入する可能性のことでもある。要するにその時代の大国群に地位を保つことだ。』

『数字はすべてを意味しないが、間違うことはない。EUの大半の国が防衛に割く額は、国内総生産(GDP)の1・5%に満たない。どの国も例外なく今後2年間の予算で軍事費を削っている。』

『それはEUの小国にいえることだ。だが旧大陸の4ないし5の軍事的大国、つまり独、仏、英、それに度合いはやや下がるが、スペイン、伊、ポーランドの場合も同じである。独、英は軍への削減要求で最も過激に見える。』

『フランスはより慎重なようで、「削減」を限定し、あるいは粋な言い方で、軍事支出の「安定化」に努めている。』

『「他国」もするのなら、それは相対的に重要なことだろう。だが、米国は国防費にGDPの4%以上を割いて軍事大国にとどまろうとしている。ロシアもそうで、GDPの5%以上に精一杯努め、中国となると、それ以上に…。』

『予算の制約はEU諸国に軍事努力の相互扶助化を促してしかるべきだ。その名は防衛の欧州構築。困難は数々あるが、決してそれを放棄してはならない。』

『武器を取れ欧州人、防衛力を組め!』


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経営破綻したルモンド紙。
今はほとんど「国営紙」のようだとも聞く。

そういう意味ではこの社説。
フランスの思いそのものが書かれているものかもしれない。


ヨーロッパにおいて「防衛」とはどうあるべきものなのか。
それについてルモンド紙は、以下のとおり書いている。

『防衛とは抑止し、あるいは国境で敵と戦う適性のことだけではない』

『自国の戦略的な野心を正当化できる能力のことである』

『それは一部分、自国経済の先行きにかかわる遠隔地に、力を投入できる資質のことだ』

『それはまた、別の大陸に割って入り、計画的集団殺りくや人道に反する犯罪の企てを阻止するために、介入する可能性のことでもある』

『要するにその時代の大国群に地位を保つことだ』


それでは、わが日本における「防衛」の定義とはいかなるものなのか。

たとえば、春頃に世を賑わせた普天間問題。

県外移設やアメリカ軍撤退などを主張する人たちも多くいた。

そうした主張は十分理解できるのだが、「ならば国防についてどう考えるのか」となると、どうもしっかりとした考えが伝わってこないように思える。

よもや「そんなことは考える必要なし」ということではないだろう。

特に、日米安保や自衛隊の存在に異議を唱える人たちには、同時に「防衛」についての考え方も提示してもらいたいものと思う。

そして有権者は、その両方をあわせて吟味する必要があるのではなかろうか。
(桐鳳)

【編集後記】

「熱中症予防のための運動指針」として、気温30℃超の場合は、「熱中症の危険が高いので激しい運動や持久走など熱負担の大きい運動は避ける。
運動する場合には積極的に休息をとり水分補給を行う」と、されているようです。

しかし、今から30年ほど前の高校生時分。

夏休みはほとんど毎日、柔道部の部活動に明け暮れていましたが、当時は稽古中に水を飲んだり、積極的に休憩したりなどもってのほかでした。

もしもそんなことをしたら、先輩方の容赦ない鉄拳制裁が飛んできたことでしょう。

「水を飲むな!」と言われていたのは、炎天下で行う野球部やサッカー部も同じだったと思います。

当時も真夏は30℃以上あったものと思いますが、よく熱中症にならなかったものです。

なぜ、当時は大丈夫だったのでしょうか。

実は当時から熱中症で倒れる生徒がけっこういて、単にそれが報道されるなどしなかっただけなのでしょうか。
(桐鳳)


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