残留孤児というよりも、チュウゴク人と結婚した後、帰国ができなかった日本人の子孫の問題 | 日本のお姉さん

残留孤児というよりも、チュウゴク人と結婚した後、帰国ができなかった日本人の子孫の問題

┌──────────「lenyさん」

「踊るアホウに踊らすワルの狂想曲」に
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中国残留孤児利権は満州軍属・満州棄民の利権だったと思っていたのですが、福建省にも中国残留孤児の方がいたんですね。そこんところから不思議なんです。

中国の民衆は、政府が異なるだけで、アメリカの保守層と同じように政府から極端に自律的でしょう? 日本では逆に「私法」は極端に制限されていますので馴染まない人が多いと思うのですが、どうなんでしょうね。

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┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

「中国残留孤児利権は満州軍属・満州棄民の利権」←??

「中国残留孤児問題は旧満州地域の問題だと思っていた」の、間違いなのではございませんか? それとも、

混乱の中に捨て残された残留日本人に、いま現在、何等かの利権でもうまれている、と考えておられるのでしょうか?=ようやく帰国できるようになったことが利権?!ーーーだとしたらそれは、あまりにも情のないエゴイスティックな考え方なのではありませんか。

残留孤児は、福建省のみならず、戦前戦中はほぼ中国全土に日本人が暮らしていましたから、ソ連軍が急襲してきた満州ほど多くはなくても、どこでも起こりえた問題でしょう。

「中国の民衆は」から以下の部分も意味が判りかねます。

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┌──────────「lenyさん」

実際に、高齢化してからの日本永住の為、言葉でも文化でも孤立しがちですがその為に行われている施策は、金銭的には充実しているのに、内容が「中国残留孤児」とされる方々を日本に受け入れる制度とはなっていません。

結局、生活保護が必須な方々である為に、周辺団体の存在理由として政治家の票田としての囲い込みのみが激しくなっています。

また、日本に溶け込めない為に、その介護に「家族」を招致せざるを得ない、ということで家族招致が盛んに行われた結果は、「中国残留孤児」3千名弱とその家族2万名弱の、日本語が理解できない、文化的にも孤立したエスニック集団の形成になっています。

その三世に至っても馴染めないのは、どう考えても制度がおかしい────。

住み慣れた中国に居たままでの援助では何がいけなかったのでしょう? 定期的な日本への訪問では何がいけなかったのでしょうか?

「中国残留孤児」の問題解決手段として、誰も「当人たちの幸せ」を真面目に考えてこなかった結果としか言いようがないでしょう。もし、中国で日本人差別を受け続けていて日本へ避難してきたのだったら、それは中共の政策の誤りです。

帰還運動の先達者である元朝日新聞記者にせよ、「情」と「自己満足」で動いてきたのではないかとしか思えないんですよ。本当に「中国残留孤児」の方々の事を考えていたのか甚だ疑問です。彼らの希望を一方的に叶えることが彼らの為になると考えていたのでしょうか?

同和問題にせよ、在日問題にせよ、移民問題にせよ、また所謂「従軍慰安婦」の問題にせよ、当人たちの「生活」「幸せ」とは無縁な周囲の活動が多すぎます。結果として「当人たちへの批判」→「孤立」しか生んでいません。

この手の周囲に存在する「利用者=利権」の存在は断固として排除していくべきだと思っています。
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残留孤児は、福建省のみならず、戦前戦中はほぼ中国全土に日本人が暮らしていましたから、ソ連軍が急襲してきた満州ほど多くはなくても、どこでも起こりえた問題でしょう。
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日本で「中国残留孤児」とされている方々は、旧満州国に国策で移民として移住した当時の戸籍のある人だけの筈です。違いましたっけ? 違っていれば認識を新たにしなくてはなりません。

平成20年以降に樺太等からの帰国者に拡大された「中国残留邦人等」に彼女ら福建省出身者は含まれない筈ですから、移動の困難な中共の政策の中で、どのような経緯で東北から福建へ移動したのかが不思議なんですね。

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┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

ーーーまず大前提は、「中国残留孤児は日本人なんだ!」ということです。

異郷で育てられ言葉や文化が異なってしまったとしても、彼ら彼女らは紛うことなき「日本人」なんです。異郷の荒野に置き去りにされたこの人々には責任などありません。

幸運にもたまたま内地(ってお分かりですよね‥)に在ってそうした運命に遭わずに、復興と繁栄の僥倖に恵まれた我々が、置き去りにされて辛酸を舐めなければならなかった彼ら彼女らを、今また置き去りにしてもいいのでしょうか?

生活保護で賄う云々よりも、今までの労苦に対して、自分の祖国でちゃんと生活できるようにサポートするのが当たり前ではないのでしょうか?

今回の記事で「?」と感じたのは、帰国残留孤児らしい書き方をしているのに「帰化日本人」と書いてあったことでした。

「残留孤児は日本人」ですよ!日本人が帰国したら帰化しなければならない?

北京の日本大使館領事部の各種申請受付窓口は「中国人用」と「日本人用」とに分かれています。

「自分は残留日本人孤児です、認めて下さい」と申請する書類はどちらに出すのかご存知ですか?ーーー「日本人用」の受付窓口へ提出するんです。

今回、帰化したと書かれた2人の老婦人が残留孤児だったのならば、そもそも「帰化」日本人なんかではありません。日本人です!

「旧満州国に国策で移民として移住した当時の戸籍のある人だけの筈」というのはお間違えではありませんか?ーーーではその他の地域で置き去りにされた日本人は、日本人として帰国することもできないのでしょうか?

ーーーだとすればそれは国のやり方がおかしいのであって、問題とするべきはその、国の施策のほうでしょう。そんなことがまかり通るならば、横井さんや小野田さんはどうして帰国できたのでしょう。+&帰化なんかしていません。

当時、大人と幼児だったから、なんていうのは理由にはなりません。

「もし、中国で日本人差別を受け続けていて日本へ避難してきたのだったら、それは中共の政策の誤り」ーーーかつての敵国人‥の子供を育ててくれた恩を顧みずに中共の政策の誤りをならすのなら、それは‥非人の世界の論理でしょう────。

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┌──────────「lenyさん」

感情的に現実の生活を処理しようとするから誰も幸福にならないのです。

日本国内ですら、地縁血縁のなくなった出身地に定年退職後に帰省したもののわずかの間に都市に戻ってくる人が多い現実を見れば、ノスタルジーでは誰も幸福など得られません。この政策は誰のためのものなんですか?

われわれの自己満足で「中国残留孤児」の方々の生活と老後を「夢想の中」に落とし込んで、日本国内で孤立させたのは、その手の「感情的正論」です。これは断言して良いでしょう。

いったい老玩童 OJIN さんは彼らを日本国内に移し、国が金銭的援助を行えばお終いだと思ってらっしゃるのでしょうか? どういう受け入れ態勢が必要だと思っているのです?

今更ですが、なぜ、中国での生活基盤を確立するよう支援しなかったのか?
何故、中国政府に対してその差別待遇があった時期を指弾しなかったのか?

養育して下さった中国人の方々への恩と、中共の人非人な対応をごっちゃにしていませんか?

血統的な日本人であっても、文化的基盤は「中国」です。彼らの生活基盤は中国にあり、恩を受けた中国の両親、兄弟姉妹へは中国で恩返しするほうが筋が通っているのではないですか? その恩返しが日本での「在留許可」なら筋が違います。

恐らく、元朝日新聞記者の方と同じく「贖罪」を前面に出す限り、中国残留孤児の方々とその関係者の方々の幸せは無視されたままで推移するでしょう。

中共政府は、東北地方の住人に政府を通さない資金が流れる事を嫌っているかもしれませんが、日本国が行うべき事は「中国残留孤児」の人たちが生活した地域への投資を通して、「中国残留孤児」の人たちが住みやすい環境を整える事と、いつでも来日したいときに来日できる制度を作ることだった筈です。

こうした間違った対応が前例となり、次々に不幸の連鎖を呼んでいます。まだ高齢とは云え存命の方も多いのですから、今からでもやり直したほうが良いでしょう。

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┌──────────「ana5さん」

~~~チャチャ入れます。
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まず大前提は、「中国残留孤児は日本人なんだ!」ということです。
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国民を守れない国家に何の価値があるのでしょうね。

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┌──────────「RYU さん」

~~~横からすみません。

日本人の孤児を育てて下さった中華人民共和国の国民には、まず、感謝していいと思います。両国政府がどうあれ、大人になるまで、ただ“可哀想だから”の一念だけですからね。

だいたい、当時は日本が今のような国になるなんて解らない上、内戦で自国=中華人民共和国)自体もボロボロだったんですから、その優しさは大切に思いたいですね。

で、lenyさんご提案の「いつでも帰国したいときに来日できる制度」は、初めからあります。----というか、日本のパスポートを所持できますから、勿論いつでも“帰国”できます----

身元が判明し、身寄りがあっても無くても、仰るように生活基盤の関係上で、中華人民共和国国内に残った方も大勢いるのも事実です。総ての方が、日本に帰国した訳ではありません。

ただし“いつでも帰国したいときに来日できる”といっても、日本に永住帰国しなかった場合、以降の渡航費等は国は持ってくれません。日本国内の親族が出し合ってたまに帰国している方も見受けます。

結局のところ日本国が面倒をみるのは帰国者が中心の制度なので、そこは難しいところです。

また、この帰国者の生活については、残留日本人孤児帰国の調査が開始されてからずっと問題があり、帰国後の帰国者の面倒は各自治体がみなければならない制度なんです。

===お国は、調査費用は持つが、帰国後は各自治体任せなんですね。

で、結局、制度を整備しない、または、体面だけ繕う自治体が多く、帰国者が孤立してしまうのは致し方ない実情も多くあります。ーーー時間が解決するだろう、と思っているみたいです。

ですから、国も自治体も今更やり直すつもりはサラサラありません。

で、そんな内容は、マスコミはあまり“面白くない事実”なので報道は殆どしません。ーーーたまに、ネタがない時に流す程度です。

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┌──────────「中国人大量保護申請…48人呼んだ姉妹の心境は」

日本人姉妹の親族として5~6月に来日した中国人48人が入国直後に大阪市に生活保護を申請した問題で、姉の林愛英さん(79)と妹の珠英さん(78)=ともに同市西区在住=が4日、読売新聞社の取材に通訳を通じて応じ、

「私たちには日本人の血が流れている。中国でつらい時代を生き抜いてやっと来日が認められたのに、入国目的を疑われるのはつらい」と心境を語った。

姉妹によると、母親は福岡出身の日本人。

1926年、中国人の夫と中国・福建省に渡り、愛英さんら10人の子どもをもうけた。干し芋で食べつなぐ貧しい生活。

戦後は日本敵視の風潮が強まり、一家は迫害を受けた。父親は激しい暴行を受けて衰弱し、死亡。愛英さんは「私も息子たちも『日本人は出て行け!』と、よくいじめを受けた。こん棒で殴られ血まみれになったことも」と振り返る。

そんな時、母親は「日本人はみんな親切。いつか一緒に日本に帰ろう」と繰り返していたという。

日中国交正常化=72年)後に中国残留邦人に帰国の道が開かれ、母親も97年、約70年ぶりに帰国。しかし、出生届が出されていなかったため、日本国籍を取得できないまま、母親は1年後に日本で病死。ーーー姉妹は電話で悲報を知らされた。

中国帰国者を支援してきた空野佳弘弁護士(大阪)が代理人となり、2008年11月、DNA鑑定で日本人との血縁関係がようやく証明され、姉妹は日本国籍を取得。姉妹と兄、その子ども計10人の家族、合計56人の入国も認められ、期限の6月までに次々と来日した。

先に入国した家族が外国人登録した際、区役所の窓口で生活保護制度を知り、後に来た家族とともに申請手続きをしたという。

「息子たちの仕事が見つかれば申請は取り下げるつもりだった」と姉妹。

先月末に自転車組み立て工場などに息子ら3人の就職が決まったが、大阪市から入国目的を問題視された影響で、すべて断られたという。

愛英さんは「日本はいい国だと聞かされずっと移住したいと思っていた。やっと家族で平穏に暮らせると思ったのに」と涙ぐんだ。

└──────────(2010年07月05日 読売新聞)

┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

やっぱり残留孤児だったですね。しかし、

「しかし、出生届が出されていなかったため、日本国籍を取得できないまま、母親は1年後に日本で病死」
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出生の時に父または母のいずれか一方が日本国籍を有していた場合、または本人の出生前に父が死亡し、かつ、その父が死亡の時に日本国籍を有していた場合にこれにあたる。
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いくら中国だって出生届はあるぜよ。福建省の田舎でいい加減だったのかな?

「日本人との血縁関係がようやく証明され、姉妹は日本国籍を取得。姉妹と兄その子ども計10人の家族、合計56人の入国も認められ」

「先に入国した家族が外国人登録した際」←日本人と認められたのに、なんで外国人登録が必要なんだ? 日本人の孫・曾孫[ひまご]は日本人じゃないのかいな?

福建省の大部分は広州領事館管轄のはずだけど、日本のパスポート発行が間に合わず中国のパスポートで来日したのか? ならばビザとの整合性はどうなるの?

ーーーなんだかまだよく分からない、情緒的な書き方の記事でございます。

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┌──────────「RYU さん」

残留孤児の件、ちょっと熱くなり過ぎでは?

残留孤児の件は、新たな情報が出ていましたね。思った状況と少し色が違うようですが、どこまで事実か解りませんし、

実際には、総て=残留孤児の、調査・帰国事業・アフター)において感情論が先に立ちすぎて、実際に本人達の感情は少しぼやけている感を強く感じます。

実は私の遠い親戚にもおられたのですが(黒竜江省)、結局帰国せず(当時80年代中後半)初めの頃は毎年日本訪問してきていたのですが、年々無くなっていき、今では疎遠(お互いが音信不通)になってしまったよです。

また、ある残留孤児の方(天津市)は、日本帰国後すぐに定年になり、すぐに年金生活。帰国時、お子さんが高校生だったのですが、その子は今では立派に社会人(現30歳)として活躍しています。

この方々は、他の帰国者と全く連絡を取らず、懸命に現地(或る田舎の村)に溶け込み、頑張ったそいうです。

というのも、帰国者同士で集まってしまうと、どうしても日本の現地社会に溶け込まなくてもいいような感覚に陥ってしまうからだそうです。ーーー現実はそのような方が多い(というか大多数だ)そうです。

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