G8でいきなり日本の首相として失格だと判明 (頂門の一針より)重要です。
5)古森義久さんのブログ「ステージ風発」(7/4)に驚く記事があっ
た。
「菅首相の拉致問題での中国への倒錯した媚び」
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1682488/
である。
それによると、政府の拉致問題対策本部が作成したG8全体会合、個別会談の議事録」北朝鮮関連のみ)には、27日午前、中共の胡錦濤氏と会談した菅氏は、「拉致問題についての中国の理解と協力について謝意を表明した」とあるようだ。
古森さんはこれについて、「国連の日本の一連の拉致問題解決の試みは安保理常任理事国として拒否権を持つ中国によりことごとく葬られてきた経緯」や「北朝鮮の核武装阻止のための6カ国協議でも、日本の拉致問題の糾弾や解決を少しでも盛り込もうとすると、中国は北朝鮮の意を体し、主催国の立場を乱用して、それを阻んでき」た事実があるのだが、「それなのにわが菅直人首相は拉致問題で中国への謝意を表明したとは!!!
いったい中国のなにに謝意を表明するのでしょうか。狂った謝意としかいえません。それまでして中国のご機嫌を取りたいのでしょうか。倒錯した媚中の態度しかいえません。」と強い調子で述べているが、至極当然である。
これだけでなく、菅首相はG8の全体会議でも不用意に中国の加入を提案して黙殺されている。なんのために度々中国なのかと訝しさは嵩じるばかりである。
鳩山前首相の迷走劇がやっと終わったら、こんどは菅首相のとんだ混迷劇である。民主党には首相ができる人材はいないのか!!(品川 阿生居士)
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「再考の府」が引き起こす混乱
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花岡 信昭
*ワールドカップと大相撲疑惑に関心が集中
参院選(7月11日投票)が迫ってきたが、なにやら盛り上がりに欠けるように見えるのはどうしたことか。
永田町関係者によれば、サッカーのワールドカップ南ア大会と大相撲関係者の野球賭博疑惑のせいだ、と言う。
たしかにこのところ、マスコミ報道はこの二つの話題であふれ返った。
一般紙がスポーツ紙になったかのような感じだ。
2009年の衆院総選挙のさいも、テレビのワイドショーはタレント・酒井法子の覚醒剤疑惑が選挙報道を押しのけた。これと似た状況が生まれている。
ワールドカップは日本代表が敗れて、大相撲の賭博疑惑も騒動はいったんヤマを越したので、参院選報道がまた盛り返してくるのかもしれない。
そうでないと困る。この参院選の意味合いを冷静に見つめることができなくなる。
同時期にG8サミット(主要国首脳会議)もカナダで開かれたのだが、こちらも一般の関心はもうひとつだった。
サミットに出席する日本の首相の顔が毎年違っているのは、いったいどう見ればいいのか。日本の国際的な立場にはそぐわない光景ではある。
振り返れば、2001年(イタリア・ジェノバ)から2006年(ロシア・サンクトペテルブルク)まで6回は小泉純一郎氏が出席した。
その後、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎各氏が続き、今回の菅直人首相だ。鳩山由紀夫氏はサミットに出席できないまま退陣した。
これでは国際社会で日本の首相がだれであるか、浸透するわけがない。
実は、参院選の意味合いと、サミットに出席する首相が毎年変わるというのは、リンクした話である。
*見逃せない首相発言、中国のG8参加を主張
そのことは後述するが、サミット報道が薄かったためか、菅首相の重要な発言が見過ごされてしまった。
菅首相は首脳会議の席上、G8に中国も加えるべきだと発言したのである。
これはいかに親中派だからといっても、見逃していい発言ではない。
そもそもサミットの性格を見誤っている。サミットはもともと先進7カ国首脳会議であった。1998年、ロシアが参加したことで、先進国首脳会議から主要国首脳会議と呼称が変わった。
ロシアが加わってG8になったわけだが、これは、国連安保理常任理事国のP5と呼ばれる5カ国のうち中国を除いたアメリカ、イギリス、フランス、ロシアに、日本、ドイツ、イタリア、カナダを加えた構図となる。
それは、民主主義、市場経済、議会主義、言論の自由、人権擁護など、基本的価値観をほぼ同じにする諸国という意味合いだ。
この8カ国が世界の政治と経済について、協調して国際的責任を果たそうという趣旨である。
菅首相の発言は中国にも国際的な役割を認識させるといったねらいがあったようだが、G8をG9にしてしまえば、サミットの基本的性格はがらりと変わってしまう。
中国をG8と同様の成熟した国であると国際的に容認することにもつながる。
G8は、口に出して言うことはないが、共産党一党支配の巨大中国を排除していることで、道徳的・倫理的にも優位に立っているという意識を共有してきたはずである。
その最も肝腎なポイントを外してしまっては、ほかの参加国から疑念を突き付けられることにもなりかねない。
*最大の焦点は「衆参ねじれ」に直面するかどうか
菅首相のサミット発言は、この首相の基本的体質を無防備にあらわしたものとして、問題視されてもいいはずなのだが、素通りしてしまった観がある。
それはともあれ、安倍氏以降の自民党政権が行き詰まったのは、参院選で敗北し、「衆参ねじれ」構造が生まれたことが大きな要因だ。
法案処理が参院段階で進まなくなり、政権運営を直撃した。
昨年の衆院選で圧勝した民主党は悲願の政権交代を果たしたが、参院で過半数を確保する必要があり、社民党、国民新党との連立政権を形成した。
周知の通り、普天間問題で社民党は連立政権から離脱したが、民主党会派は自民党離党者の参加などによって、かろうじて過半数に達している。
そのことが「社民切り」を容易にした側面でもある。
菅政権にとって、今回の参院選は「衆参ねじれ」に直面するかどうかが最大の焦点である。
民主党は非改選が62人いるため、参院の過半数(122議席)を維持するには、単独過半数をねらうとすれば60議席必要だ。
国民新党と民主党系無所属の非改選が4人いるから、万一、国民新党が当選ゼロという事態になっても、この連立の枠組みが壊れない限り、56議席でなんとかなる。
菅首相は参院選の議席獲得目標を「54プラスアルファ」としたが、これは改選議席を確保し、さらに上積みを目指すという意味だ。
*過半数ラインとの差が重要、数議席の違いが政局に影響
選挙情勢は複雑に変化している。
内閣支持率も、ざっくりといえば、鳩山前政権末期の20%割れが、「小鳩同時辞任」-菅政権誕生で60%以上に上昇し、消費税増税を持ち出したことで50%台に落ちた。
民主党内では、消費税増税に反対する小沢一郎前幹事長との対立が激化しているなど、支持率の行方はなお変動要因がある。
もっとも、小沢氏らの抵抗に対しては、「民主党が勝ってもただちに消費税を上げることにはならない」というイメージを打ち出すには好都合という見方もある。
意図的かどうかは別として、事実上の役割分担を演じているというわけだ。
そのあたり、政治の世界、オモテもあればウラもあるということにはなる。
ともあれ、民主党の獲得議席は、ほんの数議席の違いによって、その後の政局を左右する。過半数に足りない場合、どれだけ不足するかによって、連立相手の対象が違ってくるわけだ。
新党の一部との連携をはかるのか、あるいは、公明党までカウントしなければならないのか。すべては過半数ラインとの差にかかっている。
選挙戦の最中だから、どこも民主党との連立など想定していないと言い張っているが、理屈はどうにでも付けられる。政治の安定というのが、立派な大義となる。
現に民主党内からは「公務員制度改革をすべてまかせるといえば、みんなの党は寄ってくる」「基本政策としては公明党は遠い存在ではない」「国民新党とは縁を切って、郵政改革法案を棚上げするほうがいい」などといった声も聞こえてくる。
大勝して菅政権継続となった場合でも、小沢氏がどう巻き返すか。
9月に民主党代表選が予定されており、小沢氏が政治力誇示の場として使う可能性が大いにある。
*「再考の府」が泣く、参院の政治状況が政権運営を左右
鳩山前首相の退陣で、小沢氏が菅氏を後継者として推さなかったのは、「小沢が決めた」という構図をつくれないためだ。
副総理として閣内ナンバー2の菅氏が後継首相になるというのは順当な流れであって、それだと、小沢氏の政治的力量を示すことにはならない。
小沢氏には、手勢を引き連れて離党―新党結成という策から、かつて試みた「大連立」まで自在な選択肢がある。それが小沢氏をめぐる「怖さ」につながっている。その点だけは十分に目配りして政局を見ていく必要がありそうだ。
そこで、民主党の勝敗予想から離れて、参院が政局を動かすという政治構造はいったい妥当なのかどうかということを考えたい。
現憲法制定当時、GHQ(連合国軍総司令部)側の案は「一院制」だった。
それを日本側が押し戻して、貴族院のような形態ではなく選挙で選ぶ院とすることを条件に二院制を認めさせた経緯がある。
いわば米上院型というわけだが、現状は「衆院のカーボンコピー」と揶揄されるようになってしまった。これは、憲法が想定した二院制とは違うのではないか。
そのうえ、選挙のシステムも選挙区と比例代表の組み合わせで衆院と似通ってしまい、衆院選落選者の救済場所ともなって、いよいよ「第二衆院化」の様相が強まった。
憲法は、首相指名や予算案の採決などで衆院の優位性を認めている。はっきり言ってしまえば、政権は衆院がつくるのである。
アメリカの場合、議員の独立性が高く、党議拘束をかけないクロスボーティングが広く認められているから、大統領と違う党派が上院の多数派になっても、日本ほどの混乱は起きない。
議院内閣制の日本と大統領制のアメリカとでは事情が違うのは分かるとしても、参院の政治状況がこれほど政権運営を左右するというのでは、「再考の府」が泣くというものだ。
参院選は参院の位置づけをどうするかを改めて考える場としても受け止めたいのである。
【日経BPネット連載・時評コラム拙稿「我々の国家はどこに向かっているのか」7月1日更新】再掲
★★花岡信昭メールマガジン813号【2010・7・3】★★転載許諾済