事務総長に恐竜のように巨大な権限をあたえている
JMM[JapanMailMedia] No.590 Friday Edition
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■ 『オランダ・ハーグより』 第247回
「天はひとの上にひとをつくらず…か?」
□ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務
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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 第247回
「天はひとの上にひとをつくらず…か?」
今回は国際機関に属していないとわかりにくいかもしれないお話をします。
国際機関は組織に籍を置くわたくしたち職員の権利と身分保障をいかに担保しているかという話であるが、その昔、弊機関初代の事務局長であったブラジル出身の外交官ホセ・ブスタ二氏と、事務局長の裁量権について雑談をしたことがある。
国際公務員法の法的な構造を言うならば、一般条約であるところの国連憲章がまずあって、その下に総会が作成する職員規則Staff Regulationsがあります。さらにその下に事務総長がつくる職員規程Staff Rules というものがある。いうなれば、国連憲章は国内における憲法にあたり、それをふまえて立法府(総会)のつくる各種法令に相当するのが職員規則である。さらに職員規則を実施するために、事務総長は職員規程を制定する。規程は政令にあたるわけで、国際公務員法にランキングをつけると、
こういう順序になるのであります。
政令の実施運営については事務総長が絶対権限をもち、職員は事務総長の権威・権限に服するということになっている(職員規則1条)。事務局の行政行為は(つまり人事異動とか、組織の改編とか、給与の設定とか、勤務時間とか、休暇の日数とか……)はすべて事務総長の名においておこなわれるのです。
そもそも、国連憲章は「事務総長及び職員はその任務の遂行に当たっていかなる政府からもまたはこの機構外のいかなる他の当局からも指示を求めまたは受けてはならない(100条)……各国際連合加盟国は事務総長または職員(を)左右しないことを約束する(101条)」と書き、事務総長以下機関の職員の中立と独立性を担保し
ております。
でありますから、職員規則による事務総長の絶対的権限と憲章による彼の独立性・中立性をあわせるならば、国際社会は事務局運営において、事務総長に恐竜のように巨大な権限をあたえていると言えるのであります(ほかの国際機関の事務局長も国連に準じて同様な権力を有する)。
つまり、ありていに言うならば、国際機関トップの内部行政行動には、たとえ彼らが権力・権威を乱用して暴走したとしても、どうにも歯止めがかからないのであります。
たとえば、1970年代、ユネスコのエムボー事務局長(セネガル出身)はユネスコ内で情実人事をつづけ、縁者を雇用したり(それも半端な数ではなかった)、お追従を言う取り巻きを優先して昇進させたり、徹底したネポティズム人事を行っておりましたが、加盟国は中立と独立を盾に取ったエムボー氏に手も足も出なかったのであります(もっとも、いくつかの国は彼と取引をしていたのだけれど)。
アメリカなんぞはあきれてユネスコを脱退した。
その腐敗をただし、病根の膿を全部出すと宣言して就任したスペインのフェデリコ・マイヨー氏も、ミイラ取りがミイラになったかのように、事務局長になったとたんからエムボー氏と同じ腐敗も道を辿ったのでありました。この混乱に対して加盟国はほとんど手を出すことができないまま、そのあいだ、ユネスコはアメリカからの拠出
金がはいらないまま、貧乏生活を続け、この時期この機関はまともな事業をすることができないでいた。
脱退したそのアメリカが腰を上げ、マイヨー氏の非再任を条件に再加盟を言い出して、機構改革ははじまったのであるが、それほどまでに国際機関事務局長の権限は、独立と中立の文言に隠れて巨大かつアンタッチャブルなのであります。
だがいうまでもなく、そのようなトップの暴走に対して、職員の権利を守るための制度というものはある。職員の権利侵害や不平不満を法的に取りあげる救済制度は、国際連盟の時代から存在しておりまして、合同訴願委員会 Joint Appeals Board という。職員組合の選ぶ委員と事務総長が選ぶ委員とで構成されるので「合同委員会」
というのです。
わたくしはブスタニ氏とあたらしい職員規程を書きながら、ですから合同訴願委員会には法学の素養があって法解釈のできる人材をあてなくてはいけませんよと話したつもりだったのですが、ブスタニ氏はすこし誤解して、じぶんのもつ権威のおおきさに思いがいってしまったようであった。わたくしはそれに気付いて、ちょっと言い違
えたかなと思ったのでありました。初期のOPCWは組織のオペレーショナルなインフラがしっかりしていなかったこともあって、ブスタニ時代には契約にない配置転換、 不必要な人材の解雇、契約の不更新などのケースが続き、マネージメントに対するスタッフの信用と信頼が薄れはじめていたのであります。
わたくしが事務局長に言いたかったことは、合同訴願委員会の構造的な問題についてであった。どういうことかといいますと、委員会の委員たちは労使双方から選抜されるとはいえ、みんながみんな法曹のバックグランドをもっているわけではない。彼らはエコノミストであり、ポリティカル・サイエンティストであり、ソーシャル・ワーカーであります。つまり、彼らは本業の片手間に委員会の仕事を頼まれたのであって、いうなればボランティアなのであります(課外活動をすると昇進なんぞのときに覚えがいいということもあり、やりたがる職員もすくなくない)、つまり合同訴願委員会とは、法律(国際公務員法)の素養を欠いた素人集団なのであります。
彼らの法的資質不足はケースを扱うとき決定的な欠陥でありまして、事務総長側(こちらは法務部が出てくる)と対等に法律論ができるとはかぎらないのです。さらにこれは職員集団である弱みでありましょうが、ときに訴願に対して公平であるよりも、事務総長の権威の前に及び腰になることもある。
ワルトハイム事務総長の時代に、事務局上級職員となっていたワルトハイム氏の娘となにかの問題で対立した職員がおりました。彼はそのことで降格され、左遷され、名誉を傷つけられたと訴え出たことがあった。だが、委員会はぬらりくらりと審議の遅延を続け、このケースは十年以上かかったのであります。
もちろんこのケースは例外中の例外であるが、国連ではながいあいだ、多くのケースが3年待ち5年待ちであった。Justice delayed, justice denied という法諺がありますが、訴訟が続くあいだに、訴訟人は退官したり死亡したりするというケースもいくつもあったのです。
合同訴願委員会制度、ひいては国連の職員身分保障制度そのものがこのような問題を抱えていることは、だれもが気付いていたのにだれも手を付けることなく、ながいあいだほったらかしにされていた。それが、コフィ・アナン事務総長の時代になって、
職員身分保障制度はおおきく改革されることになり、アマチュア集団JABと行政裁判所は廃止され、かわりにプロのジュリストによる紛争裁判所 UN Dispute Tribunalと上訴裁判所 The UN Appeals Tribunal との二審制がつくりあげられたのであります。そしてこの新制度は昨年のはじめからはじまった。だが、この新制度に、思いも
かけなかったあたらしい問題が生じてしまったのであります。
新しい二審制度における第一審の紛争裁判所では、裁判官たちのレベルは局長Director レベルであるという。
国連システムにおける裁判官のランクはかならずしも統一されていない。国際司法裁判所の判事のランクは事務総長の下にランクされ、事務次長 Under SecretaryGeneral(∪SG)の上であります(つまり、事務総長以下が国際司法裁判所の、判事さんたちと会食をするとしますとね、事務総長が最上席、そのすぐの下座にICJの判事さんたち、さらにその下座に事務次長たちが座るということになる)。
また、国際刑事裁判所判事は∪SGのレベルである。二審の上訴裁判所判事たちは∪SGであります(かつての行政裁判所と同列である)。それに比べて新制度の第一審紛争裁判所の判事が局長クラスというのは、ランクとして高いのか低いのか、あるいはこれで穏当であるのか……。国際社会は、条約で国際裁判所を作るたびに、国内の似たようなシステムと比較して裁判官のランク付けをするのでしょうが、これが現事務総長以下いならぶ上級職員たちとのあいだに思いもかけない齟齬をきたしてしまっているのであります。
どういうことかと言いますと、事務総長以下、事務次長,事務次長補たちのランクが紛争裁判所判事たちより上だということで、ハイエラキーの問題が出てきてしまった。∪SG、ASGたちが Director レベルの要求なんかに応じられるかと言って裁判所を無視するというのです。ランクが上だということで、紛争・訴訟の責任者であるシニア・オフィサーたちが、裁判所の書類提出要求や証人喚問要請を無視しているらしい。
これは由々しいことであります。改革されたばかりの新制度が、シニア・オフィサーたちのエゴ(それとも見栄か)が、あらたな課題を生み出したのは皮肉としかいえませんが、国連は現事務総長以下、国際社会に「Rule of Law」をひろめるのだと言い、スーダンのダルフールや中央アフリカやルアンダの混乱やパレスチナに対するイスラエルの武力攻撃を法の支配を無視した暴挙だと威勢よく糾弾しておりますが、その足下でニューヨークの事務局は、「法の支配」をハナからせせら笑っているのであります。偉そうに言ってもこれでは偽善だ、困るではありませんか。
もっとも、これは国連事務局内部の問題であって、わたくしたち他機関には関係のない話であります。問題ならば、国際連合がまた改革すればいい、とわたくしなんぞは言いたいのであるが、だが、ほんとうは国連の問題は国連だけにとどまらない。
最近、ある機関である雇用・昇進をめぐるケースが内部職員から提起されたことがあった。内部職員(彼女)は空席ポストができたのでキャリアアップのために願書を出したのです。この女性はポストに求められるすべての条件を満たし、雇用委員会も彼女がベストのカンディデートだと評価して、採用(内部候補者なので実際は昇進)
を進言したのですが、事務次長レベルで覆され、外部からの(わけのわからない)志願者の雇用となったのであります。
彼女は訴えを起こしたのですが、この件を受けた合同訴願委員会(この機関は国連の司法改革に関わっていないので、紛争裁判所ではなく旧態依然の訴願委員会を使っている)は、事務次長の証言喚問と彼の署名のあるメモの提出を求めたのであります(手続きとして当然のプロセスである)。ところがその組織の法務部は、「最近の国連の慣行をみるならば、トップマネージメントは訴訟関連の機関の請求に応じる義務はないようである」という応対をしたのであります。
まさに紛争裁判所が直面したのと同じ問題が、国連がやっているからよろしいのだといわんばかりの先例として使われてしまった。
「法の支配」をしきりにおっしゃる国連事務総長は、ご自身と彼の配下だけはこの法諺の外側にいると思っておられるのだろうか……と、メディアは嘲笑しているのである。そしてそのしぶきはよその機関へもたっぷりと振りかかっているのであります。
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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22 )
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「天はひとの上にひとをつくらず…か?」
今回は国際機関に属していないとわかりにくいかもしれないお話をします。
国際機関は組織に籍を置くわたくしたち職員の権利と身分保障をいかに担保しているかという話であるが、その昔、弊機関初代の事務局長であったブラジル出身の外交官ホセ・ブスタ二氏と、事務局長の裁量権について雑談をしたことがある。
国際公務員法の法的な構造を言うならば、一般条約であるところの国連憲章がまずあって、その下に総会が作成する職員規則Staff Regulationsがあります。さらにその下に事務総長がつくる職員規程Staff Rules というものがある。いうなれば、国連憲章は国内における憲法にあたり、それをふまえて立法府(総会)のつくる各種法令に相当するのが職員規則である。さらに職員規則を実施するために、事務総長は職員規程を制定する。規程は政令にあたるわけで、国際公務員法にランキングをつけると、
こういう順序になるのであります。
政令の実施運営については事務総長が絶対権限をもち、職員は事務総長の権威・権限に服するということになっている(職員規則1条)。事務局の行政行為は(つまり人事異動とか、組織の改編とか、給与の設定とか、勤務時間とか、休暇の日数とか……)はすべて事務総長の名においておこなわれるのです。
そもそも、国連憲章は「事務総長及び職員はその任務の遂行に当たっていかなる政府からもまたはこの機構外のいかなる他の当局からも指示を求めまたは受けてはならない(100条)……各国際連合加盟国は事務総長または職員(を)左右しないことを約束する(101条)」と書き、事務総長以下機関の職員の中立と独立性を担保し
ております。
でありますから、職員規則による事務総長の絶対的権限と憲章による彼の独立性・中立性をあわせるならば、国際社会は事務局運営において、事務総長に恐竜のように巨大な権限をあたえていると言えるのであります(ほかの国際機関の事務局長も国連に準じて同様な権力を有する)。
つまり、ありていに言うならば、国際機関トップの内部行政行動には、たとえ彼らが権力・権威を乱用して暴走したとしても、どうにも歯止めがかからないのであります。
たとえば、1970年代、ユネスコのエムボー事務局長(セネガル出身)はユネスコ内で情実人事をつづけ、縁者を雇用したり(それも半端な数ではなかった)、お追従を言う取り巻きを優先して昇進させたり、徹底したネポティズム人事を行っておりましたが、加盟国は中立と独立を盾に取ったエムボー氏に手も足も出なかったのであります(もっとも、いくつかの国は彼と取引をしていたのだけれど)。
アメリカなんぞはあきれてユネスコを脱退した。
その腐敗をただし、病根の膿を全部出すと宣言して就任したスペインのフェデリコ・マイヨー氏も、ミイラ取りがミイラになったかのように、事務局長になったとたんからエムボー氏と同じ腐敗も道を辿ったのでありました。この混乱に対して加盟国はほとんど手を出すことができないまま、そのあいだ、ユネスコはアメリカからの拠出
金がはいらないまま、貧乏生活を続け、この時期この機関はまともな事業をすることができないでいた。
脱退したそのアメリカが腰を上げ、マイヨー氏の非再任を条件に再加盟を言い出して、機構改革ははじまったのであるが、それほどまでに国際機関事務局長の権限は、独立と中立の文言に隠れて巨大かつアンタッチャブルなのであります。
だがいうまでもなく、そのようなトップの暴走に対して、職員の権利を守るための制度というものはある。職員の権利侵害や不平不満を法的に取りあげる救済制度は、国際連盟の時代から存在しておりまして、合同訴願委員会 Joint Appeals Board という。職員組合の選ぶ委員と事務総長が選ぶ委員とで構成されるので「合同委員会」
というのです。
わたくしはブスタニ氏とあたらしい職員規程を書きながら、ですから合同訴願委員会には法学の素養があって法解釈のできる人材をあてなくてはいけませんよと話したつもりだったのですが、ブスタニ氏はすこし誤解して、じぶんのもつ権威のおおきさに思いがいってしまったようであった。わたくしはそれに気付いて、ちょっと言い違
えたかなと思ったのでありました。初期のOPCWは組織のオペレーショナルなインフラがしっかりしていなかったこともあって、ブスタニ時代には契約にない配置転換、 不必要な人材の解雇、契約の不更新などのケースが続き、マネージメントに対するスタッフの信用と信頼が薄れはじめていたのであります。
わたくしが事務局長に言いたかったことは、合同訴願委員会の構造的な問題についてであった。どういうことかといいますと、委員会の委員たちは労使双方から選抜されるとはいえ、みんながみんな法曹のバックグランドをもっているわけではない。彼らはエコノミストであり、ポリティカル・サイエンティストであり、ソーシャル・ワーカーであります。つまり、彼らは本業の片手間に委員会の仕事を頼まれたのであって、いうなればボランティアなのであります(課外活動をすると昇進なんぞのときに覚えがいいということもあり、やりたがる職員もすくなくない)、つまり合同訴願委員会とは、法律(国際公務員法)の素養を欠いた素人集団なのであります。
彼らの法的資質不足はケースを扱うとき決定的な欠陥でありまして、事務総長側(こちらは法務部が出てくる)と対等に法律論ができるとはかぎらないのです。さらにこれは職員集団である弱みでありましょうが、ときに訴願に対して公平であるよりも、事務総長の権威の前に及び腰になることもある。
ワルトハイム事務総長の時代に、事務局上級職員となっていたワルトハイム氏の娘となにかの問題で対立した職員がおりました。彼はそのことで降格され、左遷され、名誉を傷つけられたと訴え出たことがあった。だが、委員会はぬらりくらりと審議の遅延を続け、このケースは十年以上かかったのであります。
もちろんこのケースは例外中の例外であるが、国連ではながいあいだ、多くのケースが3年待ち5年待ちであった。Justice delayed, justice denied という法諺がありますが、訴訟が続くあいだに、訴訟人は退官したり死亡したりするというケースもいくつもあったのです。
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職員身分保障制度はおおきく改革されることになり、アマチュア集団JABと行政裁判所は廃止され、かわりにプロのジュリストによる紛争裁判所 UN Dispute Tribunalと上訴裁判所 The UN Appeals Tribunal との二審制がつくりあげられたのであります。そしてこの新制度は昨年のはじめからはじまった。だが、この新制度に、思いも
かけなかったあたらしい問題が生じてしまったのであります。
新しい二審制度における第一審の紛争裁判所では、裁判官たちのレベルは局長Director レベルであるという。
国連システムにおける裁判官のランクはかならずしも統一されていない。国際司法裁判所の判事のランクは事務総長の下にランクされ、事務次長 Under SecretaryGeneral(∪SG)の上であります(つまり、事務総長以下が国際司法裁判所の、判事さんたちと会食をするとしますとね、事務総長が最上席、そのすぐの下座にICJの判事さんたち、さらにその下座に事務次長たちが座るということになる)。
また、国際刑事裁判所判事は∪SGのレベルである。二審の上訴裁判所判事たちは∪SGであります(かつての行政裁判所と同列である)。それに比べて新制度の第一審紛争裁判所の判事が局長クラスというのは、ランクとして高いのか低いのか、あるいはこれで穏当であるのか……。国際社会は、条約で国際裁判所を作るたびに、国内の似たようなシステムと比較して裁判官のランク付けをするのでしょうが、これが現事務総長以下いならぶ上級職員たちとのあいだに思いもかけない齟齬をきたしてしまっているのであります。
どういうことかと言いますと、事務総長以下、事務次長,事務次長補たちのランクが紛争裁判所判事たちより上だということで、ハイエラキーの問題が出てきてしまった。∪SG、ASGたちが Director レベルの要求なんかに応じられるかと言って裁判所を無視するというのです。ランクが上だということで、紛争・訴訟の責任者であるシニア・オフィサーたちが、裁判所の書類提出要求や証人喚問要請を無視しているらしい。
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彼女は訴えを起こしたのですが、この件を受けた合同訴願委員会(この機関は国連の司法改革に関わっていないので、紛争裁判所ではなく旧態依然の訴願委員会を使っている)は、事務次長の証言喚問と彼の署名のあるメモの提出を求めたのであります(手続きとして当然のプロセスである)。ところがその組織の法務部は、「最近の国連の慣行をみるならば、トップマネージメントは訴訟関連の機関の請求に応じる義務はないようである」という応対をしたのであります。
まさに紛争裁判所が直面したのと同じ問題が、国連がやっているからよろしいのだといわんばかりの先例として使われてしまった。
「法の支配」をしきりにおっしゃる国連事務総長は、ご自身と彼の配下だけはこの法諺の外側にいると思っておられるのだろうか……と、メディアは嘲笑しているのである。そしてそのしぶきはよその機関へもたっぷりと振りかかっているのであります。
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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
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