1994年のルワンダ大虐殺に関わっている人たち
15年前、ルワンダのフツ族はツチ族とフツ族の穏健派を大量に殺した。
二つの部族は、まじりあって暮らしていた。
生き残りのツチ族の証言によると、彼らは同じ地域に住む顔見知りのフツ族に殺されたそうだ。
普段、仲良く暮らしていた部族も、何かがあったら、簡単に殺しあいに発展するという危険性があるのだ。民族間の紛争には、国際社会はあまり関心がなくて、たいていは犠牲者や難民が大量に出てから騒ぎになるだけ。
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「今日のアフリカ」は、日本では報道されないアフリカの情報をいち早くお届けします。
虐殺から15年を経たルワンダで、記念式典が行われました。
式典はキガリのニャンザの丘で行われました。1994年4月7日、ベルギー軍は、10人の 兵士がルワンダ軍によって殺害されたために、撤退を決めました。ベルギーの国連平和 維持軍が撤退した後、虐殺を逃れてきていた5000人がここで殺害されました。
式典でポール・カガメ大統領は、「前を見て、国を立て直そう」と語り、虐殺を止めら れなかった国際社会を非難しました。
このフツ族によって、ツチ族とフツ族穏健派は800000人虐殺されたとされています。
また多くの人たちが難民となりました。
***
朝のニュースでは、ルワンダでは女性たちが連帯して国を立て直そうと、努力している と言っていました。(清掃車を運転したり、農作物を育てたり、手工芸品を制作していました)
大分前ですが、虐殺に関わったとされる人たちが、ツチ族の人たちのために家を建てた り、一緒に働いたりして、刑に服したり罪を償おうとしている様子を見ました。
***
セネガルは先日独立49年を祝いました。フランスのかつての大統領候補、社会党のセ ゴレーヌ・ロワイヤルは、セネガルを訪問し、2007年にサルコジー大統領の発言につい て、”ごめんなさい”と謝りました。
サルコジー大統領は、セネガルの社会党員500人の前で「アフリカはまだ歴史に参加しているとはいえない」、また、「アフリカの農民は、同じジェスチャーと同じ言葉を繰り 返すことしか知らない」と発言しました。
セゴレーヌ・ロワイヤル氏は、アフリカを侮辱したこの発言に”ごめんなさい”と謝り、「アフリカは歴史をつくり、これからも作っていきます。わたしたちはあなたがたと一緒に未来を作っていくのです」と、語りました。
最近もサルコジー大統領はコンゴなどを訪問していますが、ビジネスの話をしてけっこ う評判よかったようです。
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DRコンゴ軍FARDCは、キンサシャ東で続いているルワンダ解放のための民主軍FDLRの反乱軍に対する激しい戦闘を、国連軍Monucと協力して、8月まで続けると決定した。1月に介入したMonucは、2009年非難の的となった激しい攻撃を引き継ぐことになる。
すでに3ヶ月続いたこの戦闘は、さらに3ヶ月続くかもしれない。この新たな作戦は、スワヒリ語で平和を意味するアマニ・レオと命名された。FARDCは、“熊手作戦”で北および南キヴのFDLRを、ルワンダとの国境付近まで追い詰めようとしている。アクセス困難な地域で経済的な資源を絶ち、特に鉱山の違法な開発を阻止するためだ。
東地域の不安一掃からはほど遠いが、作戦は成功しているようだ。6月3日から8日の北キヴ・ワリカテの戦闘で、FARDCは27人のフツ反乱軍を殺害し、61陣地を破壊した。国連によればFDLRのメンバーの多くは、1994年のルワンダ大虐殺に関わっている。
反乱軍からの離脱者が増加している。Monucによれば2009年1月から2010年6月8日まで、2600人が主にFDLRから離脱し、家族とともに帰国した。森の中での生活の苦しさが彼らを“武装解除、動員解除、帰国”へと駆り立てている。
***
まさかアフリカ初のワールド・カップを知らないことはないとは思いますが、森の中にはテレビはおろかラジオもないでしょう。
反乱軍だけではなく、まだまだテレビの普及していないアフリカですが、ソウェトでは、大きな野外テレビの前で大勢の子どもたち(後ろには大人)が、釘付けになって大きな目でテレビの試合に見入っています。
◎ここでしか知りえないアフリカの情報誌
のバックナンバー
⇒ http://archive.mag2.com/0000138359/index.html
二つの部族は、まじりあって暮らしていた。
生き残りのツチ族の証言によると、彼らは同じ地域に住む顔見知りのフツ族に殺されたそうだ。
普段、仲良く暮らしていた部族も、何かがあったら、簡単に殺しあいに発展するという危険性があるのだ。民族間の紛争には、国際社会はあまり関心がなくて、たいていは犠牲者や難民が大量に出てから騒ぎになるだけ。
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「今日のアフリカ」は、日本では報道されないアフリカの情報をいち早くお届けします。
虐殺から15年を経たルワンダで、記念式典が行われました。
式典はキガリのニャンザの丘で行われました。1994年4月7日、ベルギー軍は、10人の 兵士がルワンダ軍によって殺害されたために、撤退を決めました。ベルギーの国連平和 維持軍が撤退した後、虐殺を逃れてきていた5000人がここで殺害されました。
式典でポール・カガメ大統領は、「前を見て、国を立て直そう」と語り、虐殺を止めら れなかった国際社会を非難しました。
このフツ族によって、ツチ族とフツ族穏健派は800000人虐殺されたとされています。
また多くの人たちが難民となりました。
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朝のニュースでは、ルワンダでは女性たちが連帯して国を立て直そうと、努力している と言っていました。(清掃車を運転したり、農作物を育てたり、手工芸品を制作していました)
大分前ですが、虐殺に関わったとされる人たちが、ツチ族の人たちのために家を建てた り、一緒に働いたりして、刑に服したり罪を償おうとしている様子を見ました。
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セネガルは先日独立49年を祝いました。フランスのかつての大統領候補、社会党のセ ゴレーヌ・ロワイヤルは、セネガルを訪問し、2007年にサルコジー大統領の発言につい て、”ごめんなさい”と謝りました。
サルコジー大統領は、セネガルの社会党員500人の前で「アフリカはまだ歴史に参加しているとはいえない」、また、「アフリカの農民は、同じジェスチャーと同じ言葉を繰り 返すことしか知らない」と発言しました。
セゴレーヌ・ロワイヤル氏は、アフリカを侮辱したこの発言に”ごめんなさい”と謝り、「アフリカは歴史をつくり、これからも作っていきます。わたしたちはあなたがたと一緒に未来を作っていくのです」と、語りました。
最近もサルコジー大統領はコンゴなどを訪問していますが、ビジネスの話をしてけっこ う評判よかったようです。
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DRコンゴ軍FARDCは、キンサシャ東で続いているルワンダ解放のための民主軍FDLRの反乱軍に対する激しい戦闘を、国連軍Monucと協力して、8月まで続けると決定した。1月に介入したMonucは、2009年非難の的となった激しい攻撃を引き継ぐことになる。
すでに3ヶ月続いたこの戦闘は、さらに3ヶ月続くかもしれない。この新たな作戦は、スワヒリ語で平和を意味するアマニ・レオと命名された。FARDCは、“熊手作戦”で北および南キヴのFDLRを、ルワンダとの国境付近まで追い詰めようとしている。アクセス困難な地域で経済的な資源を絶ち、特に鉱山の違法な開発を阻止するためだ。
東地域の不安一掃からはほど遠いが、作戦は成功しているようだ。6月3日から8日の北キヴ・ワリカテの戦闘で、FARDCは27人のフツ反乱軍を殺害し、61陣地を破壊した。国連によればFDLRのメンバーの多くは、1994年のルワンダ大虐殺に関わっている。
反乱軍からの離脱者が増加している。Monucによれば2009年1月から2010年6月8日まで、2600人が主にFDLRから離脱し、家族とともに帰国した。森の中での生活の苦しさが彼らを“武装解除、動員解除、帰国”へと駆り立てている。
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まさかアフリカ初のワールド・カップを知らないことはないとは思いますが、森の中にはテレビはおろかラジオもないでしょう。
反乱軍だけではなく、まだまだテレビの普及していないアフリカですが、ソウェトでは、大きな野外テレビの前で大勢の子どもたち(後ろには大人)が、釘付けになって大きな目でテレビの試合に見入っています。
◎ここでしか知りえないアフリカの情報誌
のバックナンバー
⇒ http://archive.mag2.com/0000138359/index.html
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アフリカ人は、自分たちの国が内戦ばかりで
貧しくて発展しないのは、すべてヨーロッパ人が
アフリカを植民地にした後遺症だと言っているが、
本当にそれだけかな。
サルコジ仏大統領は、何を言いたかったのだろう。
外国から援助をもらうことばかりを考えず、
もっと、自力でがんばれと励ましたかっただけかもね。
1994年のルワンダ大虐殺に関わっている人たちが、
まだ反乱軍としてコンゴにいるわけだが、今まで
反乱軍からの離脱者がいなかったのは、鉱山で
違法な開発をして潤っていたから?
チュウゴクでは、アフリカのことを「非州」と
書いているが、その漢字って、失礼な感じがする。
「州に非(あら)ず」って感じ、、。
こんな感じを受けるのは日本人だけだろうね。
アメリカには「美国」という感じを当てている。
チュウゴク人は、アメリカを憎みながら
アメリカに留学できるチャンスがあったら、即、
行きますからね。そしてアメリカに行ったチュウゴク人は
チュウゴクに帰らないそうです。
日本のテレビでも、アフリカは、植民地時代の
後遺症に悩んでいるとしょっちゅう解説しているが
独立して49年もたつのに、まだ後遺症から回復
できていないなんて、なんかおかしくない?
きっと、金持ちは、外国の援助で潤って、
貧乏人は、その恩恵にひとつもあずかれずに
貧乏をしているに違いない。
他人のせいにばかりして、自分で努力しない民族は
50年たっても100年たっても、発展しないだろう。
でも、発展したところで、自分の国の自然を壊して
家族関係も壊れて、不幸せになったら
元も子もないなあ。
日本人も、この国を安全に守ることと、日本人が繁栄して
いくことを第一に考えて、経済対策をきちんとやる
政治家を選ばないと不幸せになると思う。
政治家になっている人たちをみると、
朝鮮半島系の人ばかりじゃん。
日本人のために政治をしてくれるのか、朝鮮半島系の
人たちの繁栄のために政治をしているのか
よく分からない状態になっていませんか。