インドネシアの独立
後で読み返したら「そうだ」が多すぎるね!スミマセン。
断定的に書いてもいいよね。歴史の事実なんだから。
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ずっと前の話だが、「ムルデカ17805(いちはちななれいご)」というインドネシアの独立を扱った内容の日本映画を映画館で観て、泣くほど感動したことがある。
感動しついでに、インドネシア人の留学生にもお勧めして映画を見てもらった。
大阪で働いているインドネシアの研修生たちには、映画のチケットがどこかから配られていたそうで、その映画の内容は彼らから聞いて知っていると言っていた。
インドネシアの留学生に感想をきいてみたら、映画の内容が事実と違うと言って顔をしかめていた。
日本が戦争に負けて、すぐにインドネシア人のスカルノ・ハッタが独立宣言をし、それから本格的な独立のための戦いがあったのだという。ジョクジャカルタの戦いでは日本人は主役ではなかったらしい。
なにか釈然としないような態度で不機嫌そうだったので、「どこが不満なんだろう。」と思っていた。
その時は、どこが気に入らないのか、あまりくわしく聞かなかったのだが、
最近、東ジャワの残留日本兵のことを書いた本を読んだら、
日本兵はゲリラとして優秀だったけれども、常にどこかの小さい軍の中に入っていて、やはり主役級ではなかったようだ。
インドネシアの独立のためにインドネシア人と共に東ジャワの山の中に隠れて、時々オランダ軍の陣地を狙って攻撃を加えていたそうだ。
日本兵のいる部隊はいつも優秀でインドネシア人に勇気を与えていたようだ。
インドネシア人も、兵士らに食事と休息する場所を提供して助けたそうだ。
日本兵は2000人ぐらいインドネシアに残って、半分以上はオランダ軍との戦いの最中に戦死したようだ。
中でも東ジャワには、インドネシア独立のために、真剣に働いた日本人が4,5人いて、そのうち、小野さんという人は、まだマラン市の近くの山のバトゥに生きているらしい。お孫さんは、研修生として日本に来たことがあるそうです。
オランダは、インドネシアが独立宣言した後も、スカルノとハッタを誘拐して投獄したし、その前は、インドネシア共和国として中央ジャワの一部だけを与えて、他は独占し続けていたらしい。
そして、停戦協定を結んでいるのに、警察行為と称して落下傘部隊を繰り出してきてあちこちに座ったそうだ。
国連は、オランダを非難したけど、結局、直接インドネシアの独立を助けたのはアメリカなんだそうだ。
アメリカは、ソ連が送り込んできたインドネシア人の共産党の指導者をすごく脅威だと感じていて、このままインドネシアが共産国になるのは、まずいと思っていたそうだ。
スカルノ、ハッタは、日本軍に軍隊の教育を受けていて、日本軍が共産党を嫌っていたので、彼らも共産党をすごく嫌って徹底的に共産党軍を根絶したので、アメリカはインドネシアに好意的だったのだそうだ。
それで、インドネシアが全面的にオランダから独立できるように、なにかと援助したようだ。
オランダは世界の情勢に負けてインドネシアから撤退した。
そうしなければ、アメリカはオランダを経済的に援助しないと脅しもかけたようだ。
インドネシアは、オランダに共和国の一員になれと言われたそうだが、スカルノがきっぱり断ったそうだ。
インドネシア人は独立は自分たちの力で勝ち取ったと思っているけど、そこには日本軍と日本兵が何かとインドネシアを助けたということや、アメリカがインドネシアの独立を後押ししたということもあったのは間違いのない史実だ。
日本軍は、終戦後、イギリスの軍隊に管理されていて、武器を全部イギリスに渡さねばならなかった。
インドネシア人は武器などまったく持っていなかったので、日本軍の武器を欲しがったそうだ。
ある日本軍の部隊は、こっそりインドネシアの軍隊(武器は竹やりのみ)に武器を渡したそうだ。
他の日本軍部隊は、武器を分解して、いつでも組み立てられるようにして遺棄し、インドネシア人にその場所を教えたそうだ。そうかと思えば、ある日本軍の部隊は、インドネシア人に武器を全部渡してあげたのに、全員、インドネシア人にその場で殺されたそうだ。ある町では、日本人が全員、インドネシア人に襲われて虐殺されたそうだ。
彼らを助けに行った日本人は、ある日本人の医者が(たしか医者だった。)壁に自分の血で
インドネシア語で「インドネシア、独立万歳!」と書いてこと切れていたそうだ。
そのことは実際にあったことだが、
映画では、日本軍の偉い人がオランダ人に殺されたときに獄中で書いたことになっていた。
インドネシアでインドネシア人に殺されながらも、本当にインドネシアの独立を願っていた日本人が壁に書いた言葉だったのだ。ウソではなかったのだ。オランダ人は戦後、日本軍の将校らを多数処刑している。
インドネシア人も日本軍から武器を奪って日本人を殺したのだった。
独立したいのに、武器が竹やりだったら、そりゃあ、必死になるだろう!
大変な目をして、インドネシアは独立したのだ。だから、インドネシア人は独立記念日には、盛大にお祝いをする。
「ムルデカ!」と叫びあって、本当に楽しそう。
学校でも独立に至った史実などを詳しく教科書に書いて、子供たちに教えているらしい。
ちょっとうらやましい。日本人は、戦争をしてアジア人に迷惑をかけたなどと日本の先生は生徒に教えるので日本人はあまり戦争のことを知らずに育ってしまう。
昔は、白人たちは、勝手にアジアやアフリカや南米をケーキを切り分けるみたいに武力で占領しておいしいところを食べてきたんだよ。インドネシアは350年もオランダに支配されて、植民地化されて、辛い目にあってきたのだ。
その辺のところを書いた本がぜんぜん無いのだけど、どうも戦後にアメリカが日本の図書館から無くしてしまったようだ。
アジアには、国などなくて、
白人の植民地しかなくて、白人は現地人とは接触しなかったんだそう。チュウゴク人の華橋や白人との混血児や、アンボンなどの白人に忠実な人々が住む島の住民が、白人の手先になってインドネシアを管理していたそうだ。
白人は、気候のよい土地で優雅な暮らしをしていたようだ。
インドネシア人は、島々が多くて言葉もバラバラだったのだが、オランダ人はワザとインドネシア人を教育せず、おろかなままにしておいたそうだ。日本軍は、インドネシアを掌握してすぐに、
マレー人の商人が使っていたマレー語をインドネシア人に教えて標準語として教えたし、将来の独立の日のために、有数なインドネシア人の若者に軍隊の教育を施し、村をまとめて、村長さんと文字が読める部下を2,3人つけて「隣組」のような組織をつくらせ、イスラム教徒たちに、かなりの自由を与えて、指導者として力を持つようにしたそうだ。
それまでは、オランダは、インドネシア人がバラバラでまとまらないように地域の実力者だけを相手にしていたそうだ。
「隣組」は、オランダのスパイを発見するために、かなり有効だったらしい。
独立のために、インドネシア軍を助けず、オランダに情報を渡していたスパイは、村人にリンチされて殺されたそうだ。
オランダは、インドネシア独立軍に食事を与えた村人やその子らの生首を切ってさらしたそうだ。
日本が戦争に負ける前からオランダ軍はスパイと定めた日本人を逮捕して、肺をつぶすほど拷問を加えたらしい。
どれだけ、植民地になるということが悲惨なことであったのか、日本人には想像もつかない。
ビルマ(現ミャンマー)では、イギリス人はインド人にインド人みたいなものが、カップで紅茶を飲むのはけしからんということで、カップからお皿にお茶を移して飲ませていたそうだ。
日本は、戦争に負けたけれども、よくがんばった国なんだと思う。戦わねばロシアの植民地になっていたはずだし、アメリカがその気なら日本は戦争に負けたのだからアメリカの植民地になって、もっとひどい目にあっていたはず。
日本はアメリカの属国かもしれないが、アメリカの奴隷ではないし、日本がアメリカ軍の下に入るように自ら自分をいやしめて日本軍を用意していないのだから、沖縄にアメリカ軍がいるのは当たり前。
それが嫌なら、アメリカ軍並みの日本軍を用意して沖縄に常在させておかないと、チュウゴクに島も海も資源も全て奪われてしまう。
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P.S.
インドネシアに残ってインドネシアの独立のために戦った日本兵は独立戦争の主役ではないけれども、インドネシア人は、日本軍が与えた武器で戦っていたわけだし、日本軍が教育した軍のリーダーがずっと主役だったわけだから、お役に立ったのだ。
インドネシアの教科書では、日本軍の援助や日本兵のことは書いていなくて、あくまでもインドネシア人が独自で独立の運動をしたことになっている。ま、自分の国の教科書は好きに書いてよし。