労賃上昇がつづけば中国で創業する意味が薄まり
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成22年(2010)5月31日(月曜日)
通巻2978号
ホンダ中国広東工場では「50%の賃上げ」を飲まされるだろう
台湾系「鴻海精密」の冨士康も20%の賃上げを認めた
**********************
そもそも中国へ無造作な進出そのものに問題があるのだが、そのことは論じない。
ホンダ仏山工場をおそった山猫ストは、依然として工場閉鎖のまま、生産は止まっている。
インタナショナル・ヘラルドトリビューン(5月31日付け)に拠ればホンダは50%近い賃上げを飲む様子だが、ストライキがおさまる気配はないという。
背後には共産党の細胞があるが、経営側が対抗して工場閉鎖、撤退というシナリオに進む場合の用意はないようだ。
仏山市は広州の衛星都市で、筆者も二回、取材に行ったことがあるが、なかなか落ち着いた街で、広州の飛行場にも近い所為か、外国企業の進出が多い。香港から160キロ北方に位置し、華橋系の部品メーカーもひしめき合っている。
近郊の工場地帯を歩けば、シャッター通り、閉鎖された工場が目立つ。
つまり深刻な不況である。
今回のホンダのストライキは日本企業がねらい打ちされたとばかりは言い切れない。
深センの台湾系マンモス企業の冨士康では、過労<?>といわれて従業員の飛び降り自殺が連続した。(前号の9名からさらにひとり増えた)。
このため、対策が急がれ、工場側は雇用側の不満が原因であるという説を打ち消すために20%の賃上げを認める。
最大の原因として考えられるのは大学新卒に職がなく、ブルーカラーとして勤務するしか手段がない学生も夥しいこと。高卒ならびに職業学校出身でホンダの場合、訓練期間中の月給が900人民元。これが1380元になる(53%の賃上げ)。
熟練工は1500元から、さらに上昇する。
こうした山猫スト、華橋系、台湾系の部品メーカーでは日常茶飯、まったく報道されないが数千件の規模で広東各地で起きている。
中国では報道管制が敷かれ、外国企業に賃上げスト頻発のニュースは封じ込められた。
在香港米国商工会議所のビルステーケ会頭はヘラルドトリビューンの取材に答えて「ストライキ頻発のはるか以前から外国企業は、労賃上昇がつづけば中国で創業する意味が薄まり多くはベトナム、カンボジアへの代替案を熟慮中です」と明言している。
中国進出企業は移転代替地さがしに躍起となった。
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♪
ベッカム選手をねらっていたタリバン
アフガニスタンでNATO兵士ふたりが死亡した
********************
NATO軍兵士の激励のためアフガニスタン入りしたベッカム選手を、タリバンが襲撃目標としていたことがわかった(28日、アフガンディリー)。
この攻撃でNATO兵士ふたりが死亡した。
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(読者の声1)貴誌通巻2977号(読者の声1)で「ちゅん」氏が「ヒラリーが引用したという漢詩について」、「最後の2句こそ言いたかった部分だと思われます。。。。『これからも訪問してよろしければ、杖をつきつつ夜分におじゃましましょう』の意です」と書かれました。
それで思いだすのは、夫君のクリントン氏が大統領として初訪日時の記者会見で橘覧見の和歌を引用しました。「楽しみは」と題する連作のひとつです。橘覧見の歌集は岩波文庫で出ていて、私も短歌は全て2回づつ詠ませていただきました。
多くの歌に橘覧見の愛国の激情が唄われていました。
こちらも「ちゅん」氏の書かれたように、引用しなかった部分が本当に言いたかったのだとしたら、「日本も橘覧見のように愛国精神を発揮して、米国に頼らず自衛できるだけ武装せよ」という意図だったのかもしれません。
同日の(宮崎正弘のコメント)に「ヒラリーの周囲にも知恵者がいるようですね」
と書かれましたが、夫君の場合はドナルド・キーン氏か、その弟子でしょう。ドナルド・キーン氏の「日本文学の歴史」には、橘覧見の説明がこれでもかというほど多くの引用を伴って書かれています。
しかし、夫君の場合も影の意図どおり日本は進まないであろうと知ったうえでの皮肉であったのと中国の場合も同様でしょう。
笑顔の下には奸計とドスが潜んでいるのが外交の常です。日本の場合との違いは、中国の指導者もそのことを十分に認識していることです
(ST生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)ドナルド・キーンは非政治的姿勢を貫いていますから、おそらく弟子筋でしょう。国務省にはそれくらいの日本通はいますから。
♪
(読者の声2)貴誌通巻2974号に當田氏が佐藤雉鳴氏の「教育勅語異聞」について書かれていました。その中で當田氏、佐藤氏のいずれもが指摘されていない点で、教育勅語に特筆すべき点があります。
数ある勅語、詔(みことのり)等天皇陛下のお言葉の中で、「国体」に言及されているものはごくまれです。終戦の詔勅と教育勅語という非常によく知られたみことのりの両者に含まれています。
ほかにもあるかもしれませんが、寡聞にして、私はそれ以外に国体に言及した詔や勅語を存じません。
教育勅語では、以下にあるとおり「國體ノ精華」として冒頭の部分に出てきます。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ!)ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」
簡単に読みすごしてしまいそうですが「國體ノ精華」とあり、それが「國體」とだけ書くのとどう異なるのか気になります。
辞書を引くと「精華」とは、
1 そのものの本質をなす、最もすぐれている点。真髄。「近代文学の―」
2 美しくて華やかなこと。光彩。
と大辞泉にはあります。
現代日本語で精華といえば普通には「1」の意味で、そう解釈して教育勅語の冒頭の部分も読みすごしてしまいがちです。
しかし詔の中で使う言葉は原義を重んじます。ふと、これは「見事に咲いた花」という意味ではないかとおもえてきました。
三島由紀夫の反革命宣言の第二条に
「二、われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。」とあるのを読み、これだ、三島も気づいていたのだと直感しました。
教育勅語のあの部分は、国体の種子でも芽でも蕾でもなく、見事に咲いた花なのだ。それは国体の真髄や神髄では断じてない。見事に咲いた花であるからこそ、お手本として「教育ノ淵源」になりえるのである。教育勅語のそれ以下の部分は、その花をお手本として教育し結実した国体の果実の姿と働きを述べ、最後に果肉の中に新たに胚胎した種子を「中外ニ施シテ悖ラス」のである。
さらに、「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其!)ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と国民に「内外に施す」を実践する同志であることをお求めになっていられるのである。ここには、三島のいう「最終の代表者」であるからこそ後に続くものを信じるという逆説の表出がある。文化防衛論で三島が「各代の天皇が、正に天皇その方であって、天照大神とオリジナルとコピーの関係にはない」と書いていることとあい通じる。
では、「國體ノ精華」の元となった種子や芽や蕾はどこにあるのか。
それを「皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ!)ヲ樹ツルコト深厚ナリ」ととらえれば、皇祖皇宗は天照大神を創とするご歴代となる。
また国体の種子・芽・蕾は前提としていて、教育勅語自体では述べてはいないととれば、皇祖皇宗は神武天皇からのご歴代となる。後者が井上毅の解釈と通定するのであろう。
この解釈では、三島が文化防衛論で述べた上記の日本の文化概念の特質を分断してしまう。三島が文化防衛論で大正十四年の治安維持法第一条が「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ」と「国体」と「私有財産制度」を並列的に規定していることを以て不敬の始まりとした。
私はあえていう、「この戦前体制の不敬性はすでに井上毅の勅語解釈の中に胚胎していた」と。
(ST生)
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(読者の声3)新刊の福田恆在全集(第16巻)を、貴紙2977号で宮崎さんが書評され、収録されているエッセイ(昭和23年)からつぎを引用されましたーー「この予言はあたった」(本誌第2977、五月二十六日)。
(引用開始)
「福田は収録のエッセイ、「第三の椅子」(初出は昭和二十三年)の中にさりげなく、こう書いた。
「ぼくたち日本人は神や理想というものをついに持たなかった国民である。僕たちにはエゴイズムを否定し、生と現世とを抹殺してくるいかなる観念もありはしなかった」(中略)が、「なにか確信ににたものの存在をたえず感じ取っていた」
「それは家庭の秩序の維持ということである。このまことに封建的な努力がぼくにエゴイズムを抑圧する自己完成の観念を教えてきたのだ」
そしてもし、この家庭の秩序の維持が象徴する価値に対して「なんらの義務感をも感じないということになれば、ぼくたちは完全な精神の無政府状態に陥り、過去の封建的秩序に対してのみならず、あらゆる秩序にたいする義務感をーーーすなわち義務感そのものを喪失するに至るであろう」。
(引用終り)
・ 終戦時の「承詔必謹」はみごとでしたが、このあとにあまりにも急激な価値観の転倒がつづきました。恆存の見解は予言と言うよりは、同時代へのレントゲンだったのではないでしょうか。
・ ここで福田恆在はそれまでの日本人を規律していた、「なにか確信ににたもの」の正体を、「家庭の秩序の維持」「家庭の秩序の維持が象徴する価値」、と述べています。
・ 原文を未読で、気がひけるのですが、ボクはこれをこのように言いかえてみたい。「家庭と、これをとりまく地域などへ、さらにこれをつつんで過去へ未来へと伸びる時間のなかにある、大きな共同の自我のようなものへの信頼感」、と。たとえば、あの戦争の兵士たちは、これによって、自分の死をすら納得させたのではなかったのでは。
・ 歴史的に俯瞰すれば、日本は島国であり、「都市と文明」の発症、いや発祥によるトラウマがなく、日本人の根柢(心理の深層)は、どちらかというと、いまだに共同体的であって、個人主義は根付いていないから、「神も理想」もなじみにくい、という四捨五入になります。むしろ宣長の言うような、清らなる心でいいじゃんでやっきた。
・ しかし、それでは近代国家は建設できない、伊藤博文は、ヨーロッパの調査を踏まえて、近代国家の建設のためには国民の精神的な基軸が必要であり、しかし日本の伝統宗教はその重任に堪えない。そこでやはりどうしても、ということで皇室が基軸に据えられた、ことは確かでしょう。
・ その「皇室の基軸」も、大正、昭和へと時代がくだるにつれて、精神が衰えて形骸だけが肥大します。だいたい外形・形骸の完璧化は、わが国民伝統の特技でしょうね。
・ そもそも、「皇室の基軸」も、より普遍的な日本人の価値観の中で、これを定性させるべきものでした。江戸時代に成熟した、日本的な民主主義(小林秀雄?)のかたち、に親和するようなものとして。江戸時代を否定した革命明治政府には、それは望むべくもないことでした。
・ 本当の日本の基軸をつかむこと、すなわち、「なにか確信ににたもの」の顕在言語化は、われわれに残された課題でしょう。
・ 民主の暴政は限度をこし、保守の再建は喫緊の課題です。でも、集会で「天皇陛下万歳」を斉唱するような自己満足は、評価わかれる、(あえて言えば)旧式の基軸の形式をなぞるものであって、運動の幅を狭めるでしょう。
保守の旧弊は、サヨクの活力源。迷妄サヨクの繁殖が虎視眈々国に、これまでたんと、いやになるほど、スペースを献上してきました。
(石川県・三猫匹)
(宮崎正弘のコメント)ご指摘の文章が、なぜか旧新潮社版ならびに文春版の福田全集には収録されておりません。こんどの全集でよみがえった文章を読んで実に新鮮でした。
◎
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――誰かが土地を買い占めているのでは・・・
愛国主義教育基地探訪(その4)
△
黒河の街を歩く。最初に目に付いたのが「俄羅斯(ロシア)商品街」のアーケードだ。ここでは並木道に広い歩道が続き、ブーツを履いたロシア女性も目に付く。
「韓国現代 世界500強 黒河市専売」の看板を掲げた家電量販店に加え、何を売ってるのかは判らないが「韓国商品」の看板を掲げた商店も見られる。もちろん漢字の下にはロシア文字が大きく書かれている。
韓国は、ここまで進出しているのだ。
黒龍江沿いの道を下流に向かって暫く進み橋を越えると、そこが黒龍江にせり出たような中洲の大黒河島。大黒河島国際貿易と中俄自由貿易城と名づけられた2つの新しくて巨大なショッピング・モールがあり、そこの高い外壁の上から下げられた「協進中俄辺民互市貿易繁栄発展(中ロ辺境人民の交易市場を共に繁栄・発展させよう)」「構建中俄商品交易批発集散大中心(中ロ商品交易卸売・集散大センターを建設しよう)」などのスローガンが、嫌でも目につく。
大黒河島国際貿易裏手の駐車場を挟んで黒龍江の流れを背にして大きな口岸(出入国管理・税関)事務所ビル置かれている。さすがに中ロ辺境貿易基地だけあって、なにやら国境の街の雰囲気が伝わってくる。
大黒河島国際貿易ビルに入る。日用雑貨、おもちゃ、衣料、ニセCD、コンピューター、家電製品、バイク、はてはブルドーザーなどの大型建設機材まで、まさに生鮮食料品以外のありとあらゆる中国商品が展示・販売されているのだが、閑散としている。
昼間だというのに店仕舞い状態の店舗が珍しくない。それでも裏手に回ると、バイク店で店員とロシア人客とが中国語混じりのロシア語を使って大声で商談中だった。
駐車場の端から道路を越えると、そこが黒龍江の川岸。水辺まで歩き手を入れてみると冷たい。
それもそのはず。数メートル先はまだ分厚い氷が張っていて、それが向こう岸まで続いている。もうすぐ5月だというのに、約750メートルの川幅の大部分は凍っているのだ。
その先に見えるのが、アムール州の州都とで極東ロシア第3の都市であるブラゴヴェシチェンスクである。人口は20万強。20数校の大学を持つ学園都市でもあり、黒河側の裕福な家庭の子女が留学する例もみられるとか。
中ソ論争がエスカレートし、双方が国境線に沿って大部隊を動員して4300キロに及ぶ長い国境線で緊張を高め合っていた時期、ことに69年、双方が数10万規模の大兵力を展開してダマンスキー島(珍宝島)において激しい武力衝突を繰り返していた時期、この一帯もさぞや緊張していたことだろう。
ところが、である。
82年、中国政府は固く閉ざしていた黒河口岸を北に向かって積極的に開放し、対ソ国境交易を再開することとなった。
遥か南の香港に接する深圳で!)小平が「南巡講和」を口にして天安門事件で頓挫しかけた改革・開放路線を再始動させた92年、北の果ての黒河は国家級の「辺境経済合作区」に指定され、対ロ経済交流と輸出工業の中心都市へと変貌を遂げる。
かくて黒河市と対岸のブラゴヴェシチェンスク市は中ロ辺境貿易の重要拠点の1つとなったのだ。双方の間を隔てるのは、最短部分でわずか750メートルばかりの黒龍江の流れでしかない。
となると、双方を橋で結んでしまおうと考える野心的なプランが浮かんだとしても決して不思議ではない。
(つづく)
◎◎
~~~~~~~~~~~~~~~
◎サイト情報
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は5月26日、日本銀行金融研究所主催の2010年国際会議に出席し、日本銀行の白川総裁に続き、中央銀行の独立性、透明性、説明責任について演説した。
(1)バーナンキ議長の演説
http://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20100525a.htm
(2)2010年国際会議
http://www.imes.boj.or.jp/english/publication/conf/2010confsppa.html
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『絶望の大国、中国の真実』(石平氏との共著、980円。ワック文庫)
『中国がたくらむ台湾・沖縄侵攻と日本支配』(KKベストセラーズ 1680円)
『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
◎宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
(C)有)宮崎正弘事務所 2001-2010 ◎転送自由。ただし転載は出典明示。
平成22年(2010)5月31日(月曜日)
通巻2978号
ホンダ中国広東工場では「50%の賃上げ」を飲まされるだろう
台湾系「鴻海精密」の冨士康も20%の賃上げを認めた
**********************
そもそも中国へ無造作な進出そのものに問題があるのだが、そのことは論じない。
ホンダ仏山工場をおそった山猫ストは、依然として工場閉鎖のまま、生産は止まっている。
インタナショナル・ヘラルドトリビューン(5月31日付け)に拠ればホンダは50%近い賃上げを飲む様子だが、ストライキがおさまる気配はないという。
背後には共産党の細胞があるが、経営側が対抗して工場閉鎖、撤退というシナリオに進む場合の用意はないようだ。
仏山市は広州の衛星都市で、筆者も二回、取材に行ったことがあるが、なかなか落ち着いた街で、広州の飛行場にも近い所為か、外国企業の進出が多い。香港から160キロ北方に位置し、華橋系の部品メーカーもひしめき合っている。
近郊の工場地帯を歩けば、シャッター通り、閉鎖された工場が目立つ。
つまり深刻な不況である。
今回のホンダのストライキは日本企業がねらい打ちされたとばかりは言い切れない。
深センの台湾系マンモス企業の冨士康では、過労<?>といわれて従業員の飛び降り自殺が連続した。(前号の9名からさらにひとり増えた)。
このため、対策が急がれ、工場側は雇用側の不満が原因であるという説を打ち消すために20%の賃上げを認める。
最大の原因として考えられるのは大学新卒に職がなく、ブルーカラーとして勤務するしか手段がない学生も夥しいこと。高卒ならびに職業学校出身でホンダの場合、訓練期間中の月給が900人民元。これが1380元になる(53%の賃上げ)。
熟練工は1500元から、さらに上昇する。
こうした山猫スト、華橋系、台湾系の部品メーカーでは日常茶飯、まったく報道されないが数千件の規模で広東各地で起きている。
中国では報道管制が敷かれ、外国企業に賃上げスト頻発のニュースは封じ込められた。
在香港米国商工会議所のビルステーケ会頭はヘラルドトリビューンの取材に答えて「ストライキ頻発のはるか以前から外国企業は、労賃上昇がつづけば中国で創業する意味が薄まり多くはベトナム、カンボジアへの代替案を熟慮中です」と明言している。
中国進出企業は移転代替地さがしに躍起となった。
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ベッカム選手をねらっていたタリバン
アフガニスタンでNATO兵士ふたりが死亡した
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NATO軍兵士の激励のためアフガニスタン入りしたベッカム選手を、タリバンが襲撃目標としていたことがわかった(28日、アフガンディリー)。
この攻撃でNATO兵士ふたりが死亡した。
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(読者の声1)貴誌通巻2977号(読者の声1)で「ちゅん」氏が「ヒラリーが引用したという漢詩について」、「最後の2句こそ言いたかった部分だと思われます。。。。『これからも訪問してよろしければ、杖をつきつつ夜分におじゃましましょう』の意です」と書かれました。
それで思いだすのは、夫君のクリントン氏が大統領として初訪日時の記者会見で橘覧見の和歌を引用しました。「楽しみは」と題する連作のひとつです。橘覧見の歌集は岩波文庫で出ていて、私も短歌は全て2回づつ詠ませていただきました。
多くの歌に橘覧見の愛国の激情が唄われていました。
こちらも「ちゅん」氏の書かれたように、引用しなかった部分が本当に言いたかったのだとしたら、「日本も橘覧見のように愛国精神を発揮して、米国に頼らず自衛できるだけ武装せよ」という意図だったのかもしれません。
同日の(宮崎正弘のコメント)に「ヒラリーの周囲にも知恵者がいるようですね」
と書かれましたが、夫君の場合はドナルド・キーン氏か、その弟子でしょう。ドナルド・キーン氏の「日本文学の歴史」には、橘覧見の説明がこれでもかというほど多くの引用を伴って書かれています。
しかし、夫君の場合も影の意図どおり日本は進まないであろうと知ったうえでの皮肉であったのと中国の場合も同様でしょう。
笑顔の下には奸計とドスが潜んでいるのが外交の常です。日本の場合との違いは、中国の指導者もそのことを十分に認識していることです
(ST生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)ドナルド・キーンは非政治的姿勢を貫いていますから、おそらく弟子筋でしょう。国務省にはそれくらいの日本通はいますから。
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(読者の声2)貴誌通巻2974号に當田氏が佐藤雉鳴氏の「教育勅語異聞」について書かれていました。その中で當田氏、佐藤氏のいずれもが指摘されていない点で、教育勅語に特筆すべき点があります。
数ある勅語、詔(みことのり)等天皇陛下のお言葉の中で、「国体」に言及されているものはごくまれです。終戦の詔勅と教育勅語という非常によく知られたみことのりの両者に含まれています。
ほかにもあるかもしれませんが、寡聞にして、私はそれ以外に国体に言及した詔や勅語を存じません。
教育勅語では、以下にあるとおり「國體ノ精華」として冒頭の部分に出てきます。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ!)ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」
簡単に読みすごしてしまいそうですが「國體ノ精華」とあり、それが「國體」とだけ書くのとどう異なるのか気になります。
辞書を引くと「精華」とは、
1 そのものの本質をなす、最もすぐれている点。真髄。「近代文学の―」
2 美しくて華やかなこと。光彩。
と大辞泉にはあります。
現代日本語で精華といえば普通には「1」の意味で、そう解釈して教育勅語の冒頭の部分も読みすごしてしまいがちです。
しかし詔の中で使う言葉は原義を重んじます。ふと、これは「見事に咲いた花」という意味ではないかとおもえてきました。
三島由紀夫の反革命宣言の第二条に
「二、われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。」とあるのを読み、これだ、三島も気づいていたのだと直感しました。
教育勅語のあの部分は、国体の種子でも芽でも蕾でもなく、見事に咲いた花なのだ。それは国体の真髄や神髄では断じてない。見事に咲いた花であるからこそ、お手本として「教育ノ淵源」になりえるのである。教育勅語のそれ以下の部分は、その花をお手本として教育し結実した国体の果実の姿と働きを述べ、最後に果肉の中に新たに胚胎した種子を「中外ニ施シテ悖ラス」のである。
さらに、「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其!)ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と国民に「内外に施す」を実践する同志であることをお求めになっていられるのである。ここには、三島のいう「最終の代表者」であるからこそ後に続くものを信じるという逆説の表出がある。文化防衛論で三島が「各代の天皇が、正に天皇その方であって、天照大神とオリジナルとコピーの関係にはない」と書いていることとあい通じる。
では、「國體ノ精華」の元となった種子や芽や蕾はどこにあるのか。
それを「皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ!)ヲ樹ツルコト深厚ナリ」ととらえれば、皇祖皇宗は天照大神を創とするご歴代となる。
また国体の種子・芽・蕾は前提としていて、教育勅語自体では述べてはいないととれば、皇祖皇宗は神武天皇からのご歴代となる。後者が井上毅の解釈と通定するのであろう。
この解釈では、三島が文化防衛論で述べた上記の日本の文化概念の特質を分断してしまう。三島が文化防衛論で大正十四年の治安維持法第一条が「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ」と「国体」と「私有財産制度」を並列的に規定していることを以て不敬の始まりとした。
私はあえていう、「この戦前体制の不敬性はすでに井上毅の勅語解釈の中に胚胎していた」と。
(ST生)
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(読者の声3)新刊の福田恆在全集(第16巻)を、貴紙2977号で宮崎さんが書評され、収録されているエッセイ(昭和23年)からつぎを引用されましたーー「この予言はあたった」(本誌第2977、五月二十六日)。
(引用開始)
「福田は収録のエッセイ、「第三の椅子」(初出は昭和二十三年)の中にさりげなく、こう書いた。
「ぼくたち日本人は神や理想というものをついに持たなかった国民である。僕たちにはエゴイズムを否定し、生と現世とを抹殺してくるいかなる観念もありはしなかった」(中略)が、「なにか確信ににたものの存在をたえず感じ取っていた」
「それは家庭の秩序の維持ということである。このまことに封建的な努力がぼくにエゴイズムを抑圧する自己完成の観念を教えてきたのだ」
そしてもし、この家庭の秩序の維持が象徴する価値に対して「なんらの義務感をも感じないということになれば、ぼくたちは完全な精神の無政府状態に陥り、過去の封建的秩序に対してのみならず、あらゆる秩序にたいする義務感をーーーすなわち義務感そのものを喪失するに至るであろう」。
(引用終り)
・ 終戦時の「承詔必謹」はみごとでしたが、このあとにあまりにも急激な価値観の転倒がつづきました。恆存の見解は予言と言うよりは、同時代へのレントゲンだったのではないでしょうか。
・ ここで福田恆在はそれまでの日本人を規律していた、「なにか確信ににたもの」の正体を、「家庭の秩序の維持」「家庭の秩序の維持が象徴する価値」、と述べています。
・ 原文を未読で、気がひけるのですが、ボクはこれをこのように言いかえてみたい。「家庭と、これをとりまく地域などへ、さらにこれをつつんで過去へ未来へと伸びる時間のなかにある、大きな共同の自我のようなものへの信頼感」、と。たとえば、あの戦争の兵士たちは、これによって、自分の死をすら納得させたのではなかったのでは。
・ 歴史的に俯瞰すれば、日本は島国であり、「都市と文明」の発症、いや発祥によるトラウマがなく、日本人の根柢(心理の深層)は、どちらかというと、いまだに共同体的であって、個人主義は根付いていないから、「神も理想」もなじみにくい、という四捨五入になります。むしろ宣長の言うような、清らなる心でいいじゃんでやっきた。
・ しかし、それでは近代国家は建設できない、伊藤博文は、ヨーロッパの調査を踏まえて、近代国家の建設のためには国民の精神的な基軸が必要であり、しかし日本の伝統宗教はその重任に堪えない。そこでやはりどうしても、ということで皇室が基軸に据えられた、ことは確かでしょう。
・ その「皇室の基軸」も、大正、昭和へと時代がくだるにつれて、精神が衰えて形骸だけが肥大します。だいたい外形・形骸の完璧化は、わが国民伝統の特技でしょうね。
・ そもそも、「皇室の基軸」も、より普遍的な日本人の価値観の中で、これを定性させるべきものでした。江戸時代に成熟した、日本的な民主主義(小林秀雄?)のかたち、に親和するようなものとして。江戸時代を否定した革命明治政府には、それは望むべくもないことでした。
・ 本当の日本の基軸をつかむこと、すなわち、「なにか確信ににたもの」の顕在言語化は、われわれに残された課題でしょう。
・ 民主の暴政は限度をこし、保守の再建は喫緊の課題です。でも、集会で「天皇陛下万歳」を斉唱するような自己満足は、評価わかれる、(あえて言えば)旧式の基軸の形式をなぞるものであって、運動の幅を狭めるでしょう。
保守の旧弊は、サヨクの活力源。迷妄サヨクの繁殖が虎視眈々国に、これまでたんと、いやになるほど、スペースを献上してきました。
(石川県・三猫匹)
(宮崎正弘のコメント)ご指摘の文章が、なぜか旧新潮社版ならびに文春版の福田全集には収録されておりません。こんどの全集でよみがえった文章を読んで実に新鮮でした。
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――誰かが土地を買い占めているのでは・・・
愛国主義教育基地探訪(その4)
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黒河の街を歩く。最初に目に付いたのが「俄羅斯(ロシア)商品街」のアーケードだ。ここでは並木道に広い歩道が続き、ブーツを履いたロシア女性も目に付く。
「韓国現代 世界500強 黒河市専売」の看板を掲げた家電量販店に加え、何を売ってるのかは判らないが「韓国商品」の看板を掲げた商店も見られる。もちろん漢字の下にはロシア文字が大きく書かれている。
韓国は、ここまで進出しているのだ。
黒龍江沿いの道を下流に向かって暫く進み橋を越えると、そこが黒龍江にせり出たような中洲の大黒河島。大黒河島国際貿易と中俄自由貿易城と名づけられた2つの新しくて巨大なショッピング・モールがあり、そこの高い外壁の上から下げられた「協進中俄辺民互市貿易繁栄発展(中ロ辺境人民の交易市場を共に繁栄・発展させよう)」「構建中俄商品交易批発集散大中心(中ロ商品交易卸売・集散大センターを建設しよう)」などのスローガンが、嫌でも目につく。
大黒河島国際貿易裏手の駐車場を挟んで黒龍江の流れを背にして大きな口岸(出入国管理・税関)事務所ビル置かれている。さすがに中ロ辺境貿易基地だけあって、なにやら国境の街の雰囲気が伝わってくる。
大黒河島国際貿易ビルに入る。日用雑貨、おもちゃ、衣料、ニセCD、コンピューター、家電製品、バイク、はてはブルドーザーなどの大型建設機材まで、まさに生鮮食料品以外のありとあらゆる中国商品が展示・販売されているのだが、閑散としている。
昼間だというのに店仕舞い状態の店舗が珍しくない。それでも裏手に回ると、バイク店で店員とロシア人客とが中国語混じりのロシア語を使って大声で商談中だった。
駐車場の端から道路を越えると、そこが黒龍江の川岸。水辺まで歩き手を入れてみると冷たい。
それもそのはず。数メートル先はまだ分厚い氷が張っていて、それが向こう岸まで続いている。もうすぐ5月だというのに、約750メートルの川幅の大部分は凍っているのだ。
その先に見えるのが、アムール州の州都とで極東ロシア第3の都市であるブラゴヴェシチェンスクである。人口は20万強。20数校の大学を持つ学園都市でもあり、黒河側の裕福な家庭の子女が留学する例もみられるとか。
中ソ論争がエスカレートし、双方が国境線に沿って大部隊を動員して4300キロに及ぶ長い国境線で緊張を高め合っていた時期、ことに69年、双方が数10万規模の大兵力を展開してダマンスキー島(珍宝島)において激しい武力衝突を繰り返していた時期、この一帯もさぞや緊張していたことだろう。
ところが、である。
82年、中国政府は固く閉ざしていた黒河口岸を北に向かって積極的に開放し、対ソ国境交易を再開することとなった。
遥か南の香港に接する深圳で!)小平が「南巡講和」を口にして天安門事件で頓挫しかけた改革・開放路線を再始動させた92年、北の果ての黒河は国家級の「辺境経済合作区」に指定され、対ロ経済交流と輸出工業の中心都市へと変貌を遂げる。
かくて黒河市と対岸のブラゴヴェシチェンスク市は中ロ辺境貿易の重要拠点の1つとなったのだ。双方の間を隔てるのは、最短部分でわずか750メートルばかりの黒龍江の流れでしかない。
となると、双方を橋で結んでしまおうと考える野心的なプランが浮かんだとしても決して不思議ではない。
(つづく)
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◎サイト情報
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は5月26日、日本銀行金融研究所主催の2010年国際会議に出席し、日本銀行の白川総裁に続き、中央銀行の独立性、透明性、説明責任について演説した。
(1)バーナンキ議長の演説
http://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20100525a.htm
(2)2010年国際会議
http://www.imes.boj.or.jp/english/publication/conf/2010confsppa.html
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